ま
秋風に たなびく雲の たえ間より
もれいづる月の かげのさやけさ
詠んだ人・・・左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)
詠んだ人のきもち・・・秋風に吹かれて
たなびいている雲の切れ目から
さしてくる月の光は
なんて清らかで明るいことだろう
月のかげ・・・月光
さやけさ・・・清らかに澄んで明るいこと
ま
秋風に たなびく雲の たえ間より
もれいづる月の かげのさやけさ
詠んだ人・・・左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)
詠んだ人のきもち・・・秋風に吹かれて
たなびいている雲の切れ目から
さしてくる月の光は
なんて清らかで明るいことだろう
月のかげ・・・月光
さやけさ・・・清らかに澄んで明るいこと
あわじしま ちどり
淡路島 かよふ千鳥の なく声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守
いくよ すま せきもり
詠んだ人・・・源兼昌(みなもとのかねまさ)
詠んだ人のきもち・・・淡路島へと飛びかう千鳥が
もの悲しげに鳴く声に
須磨の関守は、幾夜、めざめただろうなあ
淡路島・・・瀬戸内海にある島
千鳥・・・海辺などにいる小型の鳥。
冬の鳥として和歌では多く詠まれている。
須磨・・・兵庫県神戸市
関守・・・関所を守る番人
今回は、予告したダンナさんの話、プラス友人たちのお子さんの話です。
このブログは、育児と自分自身のことだけを書きとめようと思って続けています。
でも、ここに書くと自分が忘れずにすむので、たまにはスペシャル企画もいいかな。
基本情報。
ダンナさんは私と同学年で根っからの理数系。
食べることが大好きでバイキングに行けば全皿制覇。
エピソードはすべて食べ物ネタです。
エピその1。
親戚の法事から、お返しが入った紙袋をぶらさげて帰宅した彼。
お返しにしてはどっしり重いが、この重さからして中身はお茶や海苔ではないだろう。
期待を胸に、彼は袋から箱を出した。
「何かな、ジュースかなー」
呟きつつ開けてみると、中に入っていたのは、おっしゃれーな瓶のドレッシング詰め合わせだった。
のぞきこんできた夏坊に、彼はこう尋ねずにはいられなかった。
「これ、ジュースだよな?」
「ううん、ドレッシング」
「ジュースだと言ってくれ」
あのね・・・気持ちはわかりますけどねー。
エピその2。
親戚のお通夜から(こんなのばっかでスミマセン)夜遅く帰宅した彼。
疲れたのか、めずらしくやけに暗い顔をしている。
職場から実家に寄り、母親を車に乗せて斎場へ。その後再び実家に送りとどけてから我が家へ。
ハードスケジュールで、さぞや疲れたことでしょう。
何か食べたの?と同情しながら私は訊いた。
食べたという口調も元気がなかったので、さらに何を食べたのかと、やさしく尋ねた。
すると彼は、憤懣やるかたない声で、こう答えた。
「寿司はあったけど、唐揚げがなかった!」
「えっ?」(意表をつく答えにたじろぐ妻)
「ふつうあるじゃない? 唐揚げ」(やりきれない様子の夫)
「え・・・ないこともあると思うけど・・・」
「いや! あるでしょ、唐揚げ」
えーと。
ハードなスケジュールよりも悲しいお通夜よりも、カラアゲがなかったことがショックだったようです。
エピその3。
こんなダンナですが、実はめったなことでは動揺しません(これでも)。基本的にいつも冷静です。
ですが先日、かつてなくせっぱつまった声が、突然居間に響きました。
「あっ、聞きそこねた!(夏坊に)いま、なんて言ってた!?」
彼は夏坊といっしょにテレビを見ていたのですが、ほかのことに気をとられて、大事なとこを聞き落としたらしい。
そのテレビの内容とは・・・。
【バイキングに行ったとき、知っておくと得すること】
血相変えて訊くことか?
いくらバイキングを愛しているとはいえ。
ちなみに夏坊の答えは「バイキングで一番高いのは実はくだものだから、くだものをいっぱい食べると得をする」でした。
うーむ、そんな答えをオレは求めたわけじゃない。もっと肉や野菜に関するすばらしい情報を期待したのに・・・(心の声を代弁)。
あ。彼の名誉のために付け加えますと、よく食べるからといって、けして太ってはいません。
マラソンとかして、ちゃんと体型維持しております。
続きまして、友人の話も書きますね。
大学生の息子の部屋がきたない、とかいう話題だったのですが、友人の対処法に驚きました。
「まったく部屋がぐちゃぐちゃで掃除もしなくて、やんなっちゃう。中で何してるか全然わかんないしさ。頭にきたから、子供部屋のドア、はずしちゃったわよ」
「ドアを!?」
ちょっと耳を疑いました。開けた、ではなく、はずした?
「ドアってはずせるの・・・?」
おそるおそる訊いてみると、友人はケロリとして
「ちょうつがいを、ネジまわしではずせば、できるよ」
目からウロコ・・・大学生の息子さんもタジタジだったことでしょう。母は強し。
もうひとつ、別の友人の話も。
この友人は、子育ての記事にも登場したMちゃんですが、年子の姉妹がいます。
中学生のころは姉妹ゲンカがとても激しかったそうですが、友人は働いていたので、子供だけでお留守番させることもありました、
そんなある日、例によってケンカ勃発。争う姉妹。
怒り心頭に発した妹は、ついに電話して「姉にいじめられているんです」と訴えた。
なんと、警察に。
「えっ!?」驚きますよねっ?
その後、家にかけつけたおまわりさんが、姉妹から事情徴収したそうな。
二人いっしょだと正確な状況がわからないから、別々の場所で話を聞いてくれたらしい。
ひとりは居間で。そして、もうひとりはパトカーの中で・・・。
さすがニッポンの警察官、たとえ子どもの通報でも、事件性はないと判断するまでちゃんと確認するんですね。
友人は、警察から職場にかかってきた電話で、それを知ったそうです。
びっくりしたでしょうねえ。私に語ってくれたのは、その後何年もたってからだったので、落ち着いてましたが。
そんな姉妹も、いまでは姉がキャビン・アテンダント、妹は女子大生。
仲良く協力できる、しっかりした女性に成長しました。
良かったね!
以上、長くなりましたが、スペシャル企画でした~。
ありがとうございました
サブタイトルが気にくわないけど、ほかに思いつきません(笑)。
今回は、出すあてもなくためていたネタを放出します。
夏坊 その1
かわいいネコの寝顔をテレビで見て、ひとこと。
「ウメボシみたい」
ん? 梅干しとな?
「だって、まんなかにキューって」
なるほど……たしかに目も口もヒゲも、ラインがすべて鼻に向かってますねー。
その2
寝る前に、横にいる私に向かっていろいろ質問。
よくわかんないような謎の質問が多いんだけど、なかでもびっくりしたのがこれ。
「うちにあるノリの面積って、全部でどれくらい?」
ノリ? 海苔?
四つ切の海苔が入った袋は常備してますが、トータル面積なんて発想、どこから出てくるのやら。
その3
テレビ見てたら、日産のゴーン元会長が保釈されるというテロップが流れた。即座に反応して、
「おお、保釈かー! よかったな、ゴーン!」
……うちの息子は、ゴーンさんと友達だったらしいですよ。
元会長のニュースに興味があったとは知らなかったけど、その後保釈取り消しになったときも、憤慨しておりました。ほんとに友達なのかも~。
冬坊 その1
私の顔をじーっと見て、うれしそうに呟く。
「ふため」
?
「ふため」
?? なんのことかと思いつつ、私が「もしかして二重(ふたえまぶた)のこと?」と訊いてみると、
「あ、そう言うのか」
……冬坊、中学三年生。受験勉強ただいまラストスパートです。
その2
しかし、受験のわりには気楽な様子をくずさないのが冬坊のいいところ。
お風呂場で鼻歌をうたっているので、何を歌ってるのかと思ったら、ゴジラのテーマ曲でした。
ちょっとエンドレス……。
その3
サンタクロースって、何歳くらいまで信じているものなんでしょう。
うちにはいまだにサンタさんが来ますが、正直言って中学生なら、真実を知っているのが当然と思っておりました。
ところが。プレゼントは何がいいかという話を、冬坊とふたりでしているとき、彼がふとたずねていわく。
「誰が持ってくるの?」
ん? 一瞬迷ったものの、もういいだろうと思いながら答えた私。
「ママサンタだよ」
「きみなの?」(私のことを、きみと呼ぶ少年)
「うん」
「きみが持ってくるの?」
「うん。……誰が持ってくると思ったの?」
「………市役所の人とか……」
半分笑いながらの発言でしたが、半分は絶対本気だったにちがいない。
しまった、サンタって言ってあげればよかったなあ。
でも、その話を後日、ダンナさんにしてみたら、友達にからかわれるとかわいそうだから、教えておいたほうがいいと言われて。
なるほど……そうだよね。でもちょっと残念(笑)。
小学6年の夏坊のほうは、すでにちゃんと知っているような気がします。
結局「ほしいものは特になし」という、物欲のない兄弟のために、今年のサンタさんは「カタン」というボードゲームを持ってきてくれました。
我が家にまたひとつ、アナログゲームがふえました♪
ゆるーいネタで恐縮です。次回はめずらしくダンナさんのネタでも……。
大島弓子さんのなつかしのイラストピンナップです。
万葉集の一首とともにどうぞ。
しろがね くがね
銀も 金も 玉も 何せむに
まさ やまのうえのおくら
優れる宝 子にしかめやも 山上憶良
(銀も金も宝玉も、どうしてすぐれた宝といえよう。子どもの宝にまさるものがあるだろうか)
以前このブログで「万葉のうた」というイラスト集をご紹介しました(記事はコチラ)。
上の写真は、それに折り込まれていたピンナップをうつしたものです。
年代物の感じが出てますが、いま見ても、とってもかわいいですよね~。
和歌に合わせて描き下ろした絵なのか、もとからあった絵に和歌を合わせたのかわかりませんが、下のローマ字が「迷子一時預かり所」となっていて、遊び心もあります。
かわいいので、かつてはピンナップを切り取って、部屋に飾ったりしてました。
といっても、イラストや和歌が好きだっただけで、当時、現実の幼児が好きだったわけではございません。てか、はっきり言って苦手。接する機会もなかったしね。
しかし、あれから百年・・・(笑)。
先日、冬坊の国語の教科書の中にこの歌を発見したときは「わあ・・・」と思いました。
なつかしい!
そして、なんていい歌! 当時はピンときてなかったけれど・・・。
なんで教科書を見たのかというと、期末試験の成績を上げなければいけなかったからです(涙)。
冬坊は、私の子とは思えないほど国語が苦手。まあ父親も絵に描いたような理数系だし、これはもう、勉強でどうにかなるものでもないでしょう・・・。
などとのんきにかまえていたのですが、受験前のこの時期、さすがにのんきにはできない事態になりまして。
それであわてて教科書を見てみたら、テスト範囲がちょうど「和歌に親しむ」だったんですね。
あ、これなら私でも何とかできるかも。そう思い、久々に親子で顔つきあわせてお勉強していたときにみつけたのが、上の一首でした。
もう、思わず冬坊に意味を力説しましたよ。ついでにピンナップをさがして引っぱり出して(お勉強はどうした)当時の自分についても説明しました。
遠い遠い昔の歌人の歌が、いま生きている人たちの心にも通じている。その不思議さや感動についても説明しました。
冬坊は、まったく感動しませんでした。
まあ、いいんです。私だって、わかったのはつい最近なんだもの。
もちろん、子育てがきれいごとではすまないことも、この年齢になればよーくわかっております。でも、だからこそ、こういう純粋な歌によけいに感動するんですよね。ここのところは冬坊には言いませんでしたけどね。
調べてみたら、山上憶良は、奈良時代の660年あたりから733年あたりに生きた人で、遣唐使でもあったらしいです。
自分自身の歴史を見ただけでも、なんて昔に読んだ歌なんだろうって思ったというのに、660年生まれとは・・・。
なんてなんて大昔。
そして、人間ってなんて不思議。1000年どころではない大昔なのに、全然いまと変わっていない。
ちなみに・・・小倉百人一首の第一首の作者である天智天皇は、626年生まれ。百首目の順徳院は、1197年生まれの方でした。
悠久の時の流れの不思議さも、同時に感じさせてくれた、貴重なお勉強時間になりました。
ありがとうございました
大江山 いく野の道の 遠ければ
あま はしだて
まだふみもみず 天の橋立
詠んだ人・・・小式部内侍(こしきぶのないし 女性)
詠んだ人のきもち・・・大江山を越え、いく野を通って行く
道のりは遠いので、まだ天の橋立には
行っていませんし、母からの文も
見ていません。
大江山・・・京都府にある山
いく野・・・生野。京都府にある地名。
「いく」は「大江山いく(行く)」という
意味も掛けている。
ふみもみず・・・ここでは「踏み」(天の橋立の地を踏む・到着する)も
していない、という意味と
「文」(手紙)を見てもいない、という意味を
掛けている。
天の橋立・・・京都府宮津湾にある、景色がよくて有名な場所
小式部内侍の母は、文才がすでに有名だった和泉式部。
その母が丹後の国(京都府宮津市。天の橋立のあるところ)に行っているとき、小式部内侍だけが歌合わせに呼ばれて参加した。
すると中納言定頼が「お母さんがいなくて心細いですね。歌の相談の使いはやりましたか。使いは手紙を持って帰ってきましたか」などとからかった。
その定頼をひきとめて、その場で詠んでみせたのがこの歌・・・だそうです。私も今回はじめて知りました(笑)。
二組の掛詞(かけことば)を即座にとりいれたテクニックで、母ではなく自分自身に才能があるのだということを、定頼に認めさせたわけですね。
こういう事情は、歌についている詞書(ことばがき)に書いてあるんですが、事情がわからないと意味不明な歌って、けっこう和歌には多いですね。
おと
滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
詠んだ人・・・大納言公任(だいなごんきんとう)
詠んだ人のきもち・・・滝の水が涸れて音が絶えてしまってから
ずいぶんたつけれど
その評判だけは伝わって
いまも聞こえ続けているんだなあ
滝・・・京都市右京区嵯峨の大覚寺(だいかくじ)
にある滝のこと
名・・・評判。名声。
(涸れてしまった滝を、見たままに詠んだ歌で、修辞的なテクニックが読みどころのようです。
上の句の「滝」「絶えて」「音」に対して、下の句でそれぞれの縁語「流れ」や「聞こえ」をもってくる。「な」の音をいくつも重ねる、といった部分ですね。でも、それはそれとして・・・。
大覚寺というのは、平安時代に嵯峨天皇の離宮だったものを、崩御後の876年に寺として改めた名刹だそうです。でも、その庭園にあった滝は、大納言(藤原)公任のころにはもう涸れていました。
公任が生まれたのは966年だから、彼の目から見た大覚寺は当時すでに「昔からあるお寺」、滝は「ずーっと前に涸れた滝」だったんだろうと思います。
そして今は、それから千年以上たった2018年・・・。
大覚寺は立派に存続していて、時代劇のロケにもよく使われる有名な場所となっています。庭園の滝の跡地は、公任の歌のおかげで「名古曽の滝」と呼ばれるようになり、石碑も建ちました。
もちろん歌のほうも、百人一首として今なお輝いているわけで・・・。
この歌こそが、まさしく「名こそ流れてなほ聞こえけれ」になったんですね。人の命は短いですが、心をこめて作ったものがこうして受け継がれ続けているのをみると、とても長いものをみている気分になりますね)
やえ
八重むぐら しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋は来にけり
詠んだ人・・・恵慶法師(えぎょうほうし)
詠んだ人のきもち・・・つる草がいくえにもおいしげる
さびしい住まいには
訪れる人もいないけれど
秋だけはやってくるんだなあ。
八重・・・たくさん
むぐら・・・つる草
ゆら ふなびと
由良のとを わたる舟人 かぢをたえ
ゆくへも知らぬ 恋の道かな
詠んだ人・・・曽禰好忠(そねのよしただ)
詠んだ人のきもち・・・由良川の河口をわたっていく舟のりが
かじを流されて、ただようように
私の恋のゆくえも、先がわからないなあ
由良・・・京都府の由良川
と・・・海と川とのさかいめ。せまくなっているので流れが急。
舟人・・・舟をあやつる船頭
かぢ・・・舟をこぐ道具の櫓(ろ)や櫂(かい)
冬坊が中学二年のときの国語ワークブック。
どんな内容だったのかと、今頃になって手にとってみたら、
冒頭のカラーページにとてもすてきな詩がのっていました。
忘れないように、ここに転載しておこうと思います。
いのち
生命は
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべがそろっているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない
吉野 弘