おと
滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
詠んだ人・・・大納言公任(だいなごんきんとう)
詠んだ人のきもち・・・滝の水が涸れて音が絶えてしまってから
ずいぶんたつけれど
その評判だけは伝わって
いまも聞こえ続けているんだなあ
滝・・・京都市右京区嵯峨の大覚寺(だいかくじ)
にある滝のこと
名・・・評判。名声。
(涸れてしまった滝を、見たままに詠んだ歌で、修辞的なテクニックが読みどころのようです。
上の句の「滝」「絶えて」「音」に対して、下の句でそれぞれの縁語「流れ」や「聞こえ」をもってくる。「な」の音をいくつも重ねる、といった部分ですね。でも、それはそれとして・・・。
大覚寺というのは、平安時代に嵯峨天皇の離宮だったものを、崩御後の876年に寺として改めた名刹だそうです。でも、その庭園にあった滝は、大納言(藤原)公任のころにはもう涸れていました。
公任が生まれたのは966年だから、彼の目から見た大覚寺は当時すでに「昔からあるお寺」、滝は「ずーっと前に涸れた滝」だったんだろうと思います。
そして今は、それから千年以上たった2018年・・・。
大覚寺は立派に存続していて、時代劇のロケにもよく使われる有名な場所となっています。庭園の滝の跡地は、公任の歌のおかげで「名古曽の滝」と呼ばれるようになり、石碑も建ちました。
もちろん歌のほうも、百人一首として今なお輝いているわけで・・・。
この歌こそが、まさしく「名こそ流れてなほ聞こえけれ」になったんですね。人の命は短いですが、心をこめて作ったものがこうして受け継がれ続けているのをみると、とても長いものをみている気分になりますね)