あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

映画「たとえば檸檬」 わたしたちの終らぬ叫び

2018-09-12 19:56:58 | 映画

片嶋一貴監督の2012年公開の映画「たとえば檸檬」を観た。

 

 

 

 

 

非常に重たい映画で(すごく良かったですよ)、パン喰いながら観れなかったので、止めて深い溜め息を付きながら観ていました。

観終わった後も色々と考えています。

母と娘の愛憎と共依存(相互依存)のテーマであって、劇中に出てくる精神疾患とわたしが同じ障害を抱えているからです。

 

 

 

 

 

 

 

若い女性に特に増えてきていると言われているパーソナリティ(人格)障害です。

自傷行為(放埓な性的な行動も含む)の果てに、実際に自殺を遂げる人の多いのは鬱病や統合失調症に比べて約二倍と言われている。

自殺を遂げる若い人のほとんどが、この障害である可能性は高いということです。

現実の深刻な社会問題のテーマなので、とても重いテーマです。

それなのにこの障害はネットでは特に差別されやすく、「メンヘラ」や「キチガイ」などと言った言葉で終らせてしまう人が多い。

 

 

 

 

わたしも最近でもこのブログに嫌がらせを続けてくる人間から「狂人」だと言われてしまいましたが、まさに狂人的な行為に走ってしまい、人々から”怖れられ”てしまうのがこの障害の苦しみです。

人を信じるあまり、人を愛する(依存する)あまりに壊れてしまう精神障害です。

何故このような人が増えてきているのか?

未成年者の自殺者増 全体では8年連続減

個人(家庭環境)の問題なのでしょうか。

わたしが今生きていることは奇跡です。

本当に自虐と自罰と自責ばかりのある世界に自暴自棄に、自堕落に生きてきて、未だにそれは続いています。

この障害を少しでも理解する為に鍵となるのは「愛憎」という心理です。

この感情が異常に激しく起こり、最悪すべての人を巻き込んで破滅してゆく。

すべてを破壊せしめんとするほどの「愛」と「憎しみ」によって自分自身と自分以外のすべて(自分を映すすべて)に、本当に全力で特攻隊や自爆テロの如くに突っ込んでゆく。

愛する人間に愛されないのなら、すべてが0(ゼロ)となる世界。

0(ゼロ)か100しかないグレーゾーンの存在しない世界。

異常に極端で、感情を押し殺し続けることが困難で破壊的行動に出る。

散々、相手を褒め称えてきたかと想えば、今度は相手の非を責め苛み、扱き下ろし続ける。

自分の理想の愛によって愛されていない自分が憎い、酷い目に合わされている自分が憎い、その自己憎悪で、全力で世界を憎み、何年経っても、本当の意味で自分自身を受け容れる(赦す)ことができない。

あまりに苦しい為、その精神的ストレスから現実を現実として実感することの出来ない感覚で生きてゆくことになります。

そうすると犯罪を犯しても、罪悪感が薄く、罪悪感以上に、「何故わたしは愛されなかったのか」という苦しみによって、すべてを自分と同じ苦しみの底へ突き落とそうとする。

いつから、時間は止まったままなのか。

母はわたしを愛していたはずだ。(何故わたしは愛されなかったのか)

父はわたしを愛していたはずだ。(何故わたしは愛されなかったのか)

いつからわたしは、死んでいるのか。

自分の求めるものがあまりに大きすぎて、その求めるものに、自分が飲み込まれ、殺されそうになりながら生きている。

生きてゆく。

これからも。

ずっと、ずっと、ずっと、死ぬ迄。

これがわたし(たち)の、叫びです。

愛を求めることの、愛です。

 

理解してくださいとは言いません。

ばってん、「殺さないでください」。

生きてゆく居場所(わたしにとっては表現の場)を、どうか奪わないでください。

 

 

 

現ボーダーのあまねより