あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

水の子

2018-09-23 18:05:13 | 随筆(小説)
水子とは、何も堕ろした胎児の母親、その夫、その子供たちばかりに憑くものではないらしい。
どうやら水子の霊とは、肉体関係(性交渉)を通して、その人間にとり憑いていた者が、転々と、憑くと安心する人間を追い求め、渡り歩くという。
わたしはこれまで、(故意に)子を堕ろしたことはない。
だが小さな胎児とは、自然と流れていることもあるという。
わたしはこれまで、十人との性交渉を行ったことがある。
処女でなくなったのは、22歳の、晩夏の夜である。
相手の一つ年下の大学生の男は、童貞ではなかった。
互いに身勝手であり、行為のあと、彼は土砂降りの中、傘も差さずに帰った。
彼の帰りしあと、わたしは実家の寝室で布団に顔をうずめて想いきり泣き叫んだ。
処女膜は破れ、鮮血が敷布団に着いていた。
水子は、母親の愛をひたすらに求め彷徨い続けている。
あの晩、わたしが処女を喪ったあの雨の晩、わたしにひとりのちいさな水子の霊が憑いた。
彼の元恋人の女性に憑いていた水子である。
その女性は、まだ大学生であった為、自分の将来を案じて彼の子を、彼に黙って堕胎した。
その時、胎児は約4センチほどであった。
そのちいさな水子は自分を拷問処刑にした母親の元に居ても、何一つ、慰められることがなかった。
夜はそっと、水子は寂しくて母親の胸に顔を突っ伏すのだが、母親は「うぜえ」と寝言で言って果ては「邪魔だ」と言って冷たく手で払い除けるのだった。
水子はいつも、ひとりぽっちであった。
おまけに母親は、自分を堕ろした約三ヵ月後には、もう新しい男を見つけ、その男との性行為を自分に見せ付けるのだった。
或る日、部屋のチャイムが夜遅くに鳴った。
母親がドアを開けると、そこには父親がやつれた顔で突っ立っていた。
まだ大学生であるというのに無精髭を生やし、見た目は森山未來に似た塩顔だが髭の濃いイケメンツであった。
母親は言った。
「なんだよてめえ、何の用だよ。ふざけんなよ。今何時だと想ってんだよ糞が。」
すると父親は言った。
「新しい彼氏が、出来たんだってな…ぼく聴いてないけど…」
母親はそんな父親にめんちを切りながら怒鳴った。
「はあああああああん?なんでおめえにいちいち連絡しねえといけないわけえ?今、小説書くのに忙しいからっつって、あたしを何日もほったらかしにしたのてめえだろうがっ。殺すぞてめえ。」
「で、でもあの小説は、きみに読ませるためにも…」
そう父親の言う言葉も聴く耳を棄てた母親は、怒りに任せ、父親の塞ぐ手を引き剥がしてドアを想いきり閉めようとした。
その時である。
ひゅーん。と水子は飛んだ。
そのドアの微かな隙間を、水子はものすごい速さで、ひゅーんと飛んだのである。
母親の背中から、父親の背中に、水子は乗り移ることに成功した。
つまり水子は、我が母親を見棄て、父親に乗り換えたのである。
その時、水子はちいさく、微笑った。
まだ若い、21歳の父親の背にしがみ付き、水子は言った。
「父ちゃん」
「母ちゃんのことなんか、忘れちまえ」
無論、霊感の皆無な父親に、その声が届くことはなかった。
また水子は普通では目には見えなかった為、いくらずっと父親の背にしがみついていても誰も何も言わなかった。
父親は肩を落とし、死人のような顔で家へと帰った。
帰りにコンビニエンスストアで酒瓶を買い、自宅の団地のドアを開けた。
中は暗くひっそりとしていた。
父親は襖をゆっくりと開けた。
するとそこには一人の中年の親父が静かに寝息を立てて寝ていた。
どうやら父親の、父親、自分の祖父であるようだ。
そう、この父親は子供のときに母親に棄てられ、それから父親と二人で暮らしていたのである。
母親は水商売を遣っている強気でいかにも蓮っ葉で派手な身なりの女であった。
一方、祖父は無口で、子育てにも家事にも不器用な仕事一筋の男であった。
風呂場の隅にはいつも、カビが生えていた。
父親の得意な料理は、冷凍野菜で作るチャーハンであった。
作るときが面倒な日はコンビニの弁当、冷凍食品、レトルトやカップラーメンなどで夕食を済ませた。
親父はいつも帰るのが遅かった為、父親はいつも一人で黙々と狭いダイニングキッチンで夕食を食べ、酒を飲む。
この夜は、父親は冷蔵庫から豆腐を一丁取り出すと、それを皿に開けぬまま、そこに醤油と山葵を垂らしてスプーンで掬い、それを宛てに焼酎を飲んだ。
目が赤く、潤んでいた。
洟を啜って父親は、ガラケーをジーンズのポケットから取り出し、ボタンを虚ろな眼差しで押している。
水子はそっと父親の肩の上に顔をひょっこりと出し、覗き込んだ。
父親は何かを探しているようだ。
その時、父親は何かを見つけたのか。つと、その手を止めた。
そして、何か言葉を打ち込んでいる。
「はじめまして。ザゼンボーイズのライヴいいですね。ぼくもザゼン大好きです。もし良かったら、一緒に行きませんか?」
そう打ち込んで送信ボタンを押した。
どうやらこれは出逢い刑、いや、出会い系サイトとかなんとかいうもので、そのサイトで色んな異性や友人と出会うことができるらしい。
父親は、或る一人の、一つ年上の冷蔵庫でコンビニ食品の仕分け作業の正社員をしている22歳の女にそのメッセージを送ったのである。
なんでもその女は、去年の末に、父親を亡くしたらしい。
悲しみに打ちひしがれて、少しでも元気を取り戻そうと、好きなザゼンボーイズのライヴチケットを二枚購入して、誰かと行こうと想ったのである。
父親とその女は、メールで一週間ほど遣り取りをして意気投合し、すぐに会う約束をした。
場所は、女の家からバスで30分ほどの駅前である。
父親の家からは少し離れていたが、父親は快く承諾し、その日、女に会いに行った。
女は少し遅れて遣って来た。
父親がスターバックスの前にいると電話で告げると、女は息を切らして顔を赤くして父親の前に現れた。
ニキビ面で、痩せ細って長い黒髪を後ろで無造作に束ねて結んだおぼこい田舎娘のようなその女は、父親を見てはにかむように笑った。
どうやら、女は父親を一目見て、気に入った様子である。
そして父親もまた、気に入ったのか、満面の笑みで女に笑い返した。
二人はスターバックスで、茶を飲みながら互いに好きなもの、好きなアニメ、などの話で酷く盛り上がった。
特に、新世紀エヴァンゲリオンの惣流・アスカ・ラングレーが風呂場に浸かって廃人のように項垂れているシーンがすごく好きだと女が言うと、父親も、「あ~っ、あのシーン最高ですよね。ぼくもあのシーンはエヴァの中でも特に印象的に残ってますよ。」などと返し、さっき初めて会ったばかりだとは想えないほど二人が話す様子は楽しげであった。
気づけば何時間と、時間は過ぎていた。
父親は、「どうします?どっか違うところ行きます?」と女に訊いた。
女は「そうですね。どこ行きましょう?どっか行きたいところありますか?」と父親に訊き返した。
父親は、うーんと呻った後、こう女に答えた。
「もし良かったら、これからこず恵さんちに行って、一緒にお酒でも飲みませんか?」
女は少し不安げな顔で悩んでいた。
だがすぐに、「うん、良いですよ。うちあまり綺麗じゃないですけど(苦笑)」と言った。
そして二人は並んでバスに乗り、距離が近い為か照れ臭そうに今度は話し始めた。
西日のきつく反射するバスの車内で、水子はその二人の様子をじっと、父親の後ろから眺めていた。
微笑ましい若い男女の姿であった。
そしてこの女を、水子は気に入った。
それはこの女は、密かに子を欲しがっていることを、水子は感じ取ったからである。
水子は無垢な目で、父親の背中から女を見詰め、想った。
「うまく行くと、ええな。」
二人は女の実家のマンションに着き、その中へ入った。
ほんとは途中で父親は酒を買う予定であったが、女が「うちに紫蘇焼酎の鍛高譚(たんたかたん)があるし、宛ても適当に作る。」と言ったので何も買わなかったのである。
女はキッチンで適当な宛てを作り始め、その後姿を父親はダイニングテーブルの椅子に座って眺めている。
出来上がったのは、じゃが芋と葱のチヂミであった。
それに醤油と酢とラー油と摩り下ろしにんにくと生姜を入れたタレに付けて二人は食べ、鍛高譚を互いに酌み交わした。
アルコールは20%、二人はすぐに酔いが回り、また話は火の付いたように盛り上がるのだった。
BGMもなく、テレビも付けず、それでも「こんなに楽しい時間はいつ振りだろう。」と二人は笑い合った。
水子も、こんな嬉しそうな父親の顔を観るのは初めてであった。
気づけば、時間はもう夜の十一時過ぎであった。
父親は、時計を見て「そろそろ帰らなくちゃ。」と言った。
女は寂しそうであったが、「うん。」と言って、父親をドアの前まで見送った。
父親は元気に微笑んで、「また来るね。」と言って帰った。
しかし数時間後のことである。
「今日ずっと一緒に居たかった。」と父親は女にメールを送り、女も同じ残念な想いをすぐに返してきた。
この日に、互いに恋に落ちた運命の出逢いであった。
翌日に、父親はまた女に会いに行った。
その夜も女の家で飲み明かし、父親は夜明け方、帰ると言った。(女の兄が仕事から夜明け過ぎに帰って来る為)
女は駅まで送ると言い、まだ開いてもいない駅前のベンチに、二人座って話をしている。
女は父親に向って言った。
「実はまだ…忘れられない人(男)がいるんだ…」
女は処女であることを父親に伝えていたが、以前、最近二人の男に襲われかけたことがあることを告げ、その一人の男に、まだ未練があると言ったのである。
だが父親は、それでも良いと言った。
「ぼくだって、普通のそこらの大学生みたいな平気な顔して生きてるけど、色々と辛いことがたくさんあるんだよ。」と続け、
それでも構わないから「付き合おうよ。」と女に告げたのである。
こうして父親と女は、この日から、互いに想い合う恋人同士となった。
水子は、恐るおそる、このとき女の子宮の上に、ちょこなんと座った。
そしてその快さに、うっとりとなるのだった。
駅の入り口が開き、父親は寂しげに女に手を振って「ばいばい。」と言った。
女もずっと寂しそうに、手を振っていた。
水子は父親の背中で、父親とあの女がうまく行くように祈った。

しかし、そのたった、約一ヵ月後のことである。
或る事件が起きた。
その晩、いつものように女の家に泊まり、竟に父親は、女と交わったのである。
どこか、苦行のような交わりであった。
女は痛い痛いと苦しげに叫び、父親は仕方なく、やめようと言うのだが、女はそれを嫌がり、女は父親の上に覆いかぶさるようにして無理矢理行為を行い、果てた父親は悲しい顔をしてそれでもどこか満足げであった。
父親はトイレから紙を持ってきて、寂しそうに一人で陰茎に付いた精液まみれの血を拭いていた。
女は痛みとショックからか、褥の上で放心している。
そして、父親はぼそっと、冷たく小さな声で女に言い放った。
「今日はきみの願望どおり、避妊なしでしたけど、今度からは避妊しないとできない。セックスできないなら付き合うのはオレ無理だから。」
女は絶望に、打ちひしがれ、鬼のような顔で真っ赤な目をして父親に言い返した。
「だったらもう別れるしかない…わたしは絶対に、避妊しないから。」
父親もこの言葉には絶望し、まだ電車の始発まで何時間もあり、外は雨が土砂降りだというのに「わかった。」とだけ女に言い残し、走って女の家を出て行った。
水子はこの時、父親に憑いては行かなかった。
女のほうが心配だったのである。
父親が帰った後、女は褥に顔を突っ伏して大声で「うわああああああああああああああああっっっっっっっっっ」と泣き叫んだ。
水子はその瞬間、女を慰む為、女の背中にちょこなんとしがみ付いた。
まだ6センチ足らずの水子が、ひとりで女を励まそうとしたのである。
不思議と、女は大声で泣き叫んだからか、気持ちが落ち着き、自分の股間を拭いた紙と褥に付いた生々しい真っ赤な血を苦々しく見つめたる後、倒れ込むようにして眠り込んだ。
この日、水子は我が父親を見棄て、この女に乗り移り、生涯を通して、この女に憑こうと想ったのであった。
それはもしかすると、仄かな初恋であったのやも知れぬ。
母親に愛されぬ水子は、父親にも愛されず、だがこの女には、何故か愛され続けるような気がしたのである。
血が繋がっているわけでもない、自分を産んだ母親でもない、それでも母親の愛を、水子はこの女に求め続けた。
このどうにもならぬほど孤独で、鬼のように暗い(父親が別れる際にこの女に向って言った棄て台詞である)女には、自分がどうしても必要な存在であることを、水子はわかっていたのである。
その後、父親が「やっぱり寂しい…」と女にメールを送り、その後、父親と女は寄りを戻して付き合ったが、数々の事件(祭りの晩の女の甥っ子の交通事故事件など)、女の浮気、女の嘘、勘付く父親、女の父親をわざと嫉妬させる厭味、前のように求めて来なくなった女、セックスなしの恋愛(父親からのフェラチオの要望を嫌がる女)…等々の理由から、とうとう父親は、女に別れを告げた。
女はその後、自分の処女を奪って簡単に棄てた父親を恨み続け、本気で父親を刺し殺す為、父親に「もう一度会いたい」と泣きじゃくりながら電話をした。
父親は煩いプラットホームで、女に向って冷たく嗤って言い捨てた。
「あははっ。依存されてもさァ、困るんだよねェ。」
女はこの言葉で、この父親に心から絶句(失望)し、以後、言い寄ることはなかった。
水子はこの時、7センチ以上に成長していた。
女の痩せた胸に、きゅっと抱き着いて水子は離れなかった。
「俺がいるよ。ママ…。俺がママを護るよ。」水子は女に向って言った。

それから、十四年の月日が過ぎた。
十四歳の水子は、今は女よりも7センチ身長の高い169センチまでに成長し、今でも女をじっと側から、見詰めている。
一途に母の愛を求む、嬰児の眼差しで。
























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