鴻鳥先生は、優しい御声で仰有られた。
『赤ちゃんもお母さんも、助けるよ。』
そして鴻鳥先生は、その母親の、御腹にメスを入れ、その子宮を切られた。
だが、一時間後。
その近くの公園のベンチに、ポツンと独りで座る、鴻鳥先生が其処に、居られた。
はて、どうしたのであろう。
わたしは傍へ近寄り、訊ねた。
「此れはこれは、今晩はで御座います。鴻鳥先生では在られませんか。一体、こんな夜更けに、どうしたので御座います?もう午前の、一時半で御座います。」
すると、鴻鳥先生はさぞ、首が重たいと謂わんばかりに、ゆっくりと、その頭を上げられ、寂しげに微笑むのだった。
わたしはその左に、静かに腰を下ろし、こう言った。
「今夜は、とても静かで、穏やかだ。でも鴻鳥先生は、哀しげな御顔をしていらっしゃる。わたしは、いつも貴方を観ています。しかしそのすべてを、わたしは観ることはできない。そう、ついさっきも、夜中に目が覚めて、ふと想ったのです。わたしは、鴻鳥先生の、あの台詞が、好きだ。『お母さんも、赤ちゃんも、助けるよ。』あの言葉が、本当に好きだ。何故か幸せになるのです。あの言葉を、鴻鳥先生がそう言うと。でもね、ふと、さっき想ったのです。でもあの言葉を、言ったあとに、その両方を、助けられない日も、きっとあったろう。そしてこれからも。其れなのに...それでもきっと、鴻鳥先生は、あの言葉を、きっとこれからも仰有られるだろう。それは、わたしたちの為に。わたしたちを、強く、安心させる為に。」
そう言うと、鴻鳥先生は、ふっと息を吐いて、俯いてまた小さく笑った。
鴻鳥先生は、穏やかに仰有られた。
「『最初に、言葉が在った。』『言葉は、神であった。』『言葉のうちに、命が在った。』そう、この世界のすべては、本当に、言葉によって、創られたのだと、そう感じるのです。『光が在るように。』神がそう言うと、『すると、光が在った。』ふと気付けば在った。そんな風な世界なのだろうなって。この世界とは、普く、神が言葉を発したその時の、息が吹き掛けられている。世界に存在するすべて、神のBabyなのです。赤ちゃんの誕生が奇蹟で、年を取れば、奇蹟ではなくなる。そんなことは誰が考えたのでしょう。赤ちゃんの誕生が奇蹟なら、その後もずっとずっと、生命は奇蹟なのです。一秒、一分、一時間、一日、わたしたちは奇蹟の連続を生きている。赤ちゃんの誕生の瞬間の、あの喜びが、感動が、絶える瞬間も来ないほど、本当はわたしたちは奇蹟の時間を生きている。でも人は、時に絶望もするのです。何故、助けることができなかったのか。何故、彼らは助かり、彼らは助からなかったのか。何故、ぼくは助かり、彼らは助からなかったのか。何故...」
虫の音が、気付くと鳴っていたのだった。
車の通り過ぎる音、ひっそりと、生命が息をしている音。
鴻鳥先生は、言葉をまた発せられた。
「そう、言葉とは、神の息吹きであり、そして、その音。例え聴こえなくとも、神は音を発しつづけている。とても、とても、優しい音を。まるで子守唄のような。音楽。言葉とは、神の願いなのです。神の切実な、願いが詰まっている。『光が在るように。』神がそう強く、強く、願って、すべては存在するようになった。」
ふと気付くと、今度は雨の音がしてきた。雨が降ってきたのである。
わたしたちは雨に濡れながら、まだ此処に座っている。
雨は激しくなってくる。
すると鴻鳥先生が、深く息を吐いて、言われた。
「ぼくは今日、言ったんです。いつものように。『お母さんも、赤ちゃんも、助けるよ。』って。不安そうな、お母さんの目を見つめて...それはぼくの、願いだから。どちらか片方じゃなく、両方を助けたい。そう強く願って、お母さんの御腹を切って、お母さんの子宮のなかから、赤ちゃんを取り出した。お母さんはとても、とても、嬉しそうに、涙を流しながら微笑んでくれました。...でもその、一分ほど後、お母さんは静かに息を引き取った。実は赤ちゃんは、死産でした。ぼくはお母さんを騙したんです。赤ちゃんが、無事に、生きて産まれたように、赤ちゃんを取り出した。お母さんは末期の、癌でした。無事に出産できる確率は、10%以下でした。ぼくはお母さんから、死んだ赤ちゃんを取りだし、お母さんに向かって微笑んだ。『おめでとう。元気な男の子ですよ。』そう言って...」
気付けば雨は、やんでいた。
わたしは、夜空を見上げた。
ふと、右隣を見ると、鴻鳥先生は、いつの間にか、何処かへ消えていた。