1996年のダニー・ボイル監督の映画「トレインスポッティング(Trainspotting)」を多分20年振りに昨晩観た。
20年前の1997年時、自分は16歳とかである。
兄がこの映画のLD(レーザーディスク)を買って、兄と一緒に脂汗をたらたら垂らしながら観た記憶がある。
サントラが好きで兄が持ってたのをこっそりとよく聴いていた。
当時はディカプリオの「バスケットボール・ダイアリーズ」やジュリエット・ルイスの出演している「ストレンジ・デイズ」などのドラッグ系洋画を兄とよく一緒に観ていたため自分もドラッグを扱った映画は当時から好きであった。
この映画も兄と一緒に観た懐かしい大切な映画であり、またかっこよくて洗練された一つの自分のなかでの重要な映画として位置していたものの今まで繰り返し観ることはしなかった映画である。
他の映画とは違う複雑な重い後味を自分のなかに残していた映画だったからかもしれない。
あんまりこれまで観たいと想えなかったのである。
それが昨晩ようやく20年振りの二度目に観て、非常にしみじみとした複雑な後味を残している。
なんでかとゆうと、この映画はドラッグを主点に置いた映画というよりも、1980年代に失業保険で暮らす労働者階級の若者たちがドラッグの快楽に逃げるように溺れながらも「普通に暮らす人々」を嘲笑い、嫌悪し、皮肉たっぷりに終る映画だからである。
よう考えたら、その「普通に暮らす人々」って自分の親や姉兄じゃん、ということがわかって非常にやりきれなさを残す映画なのである。
うちの父親も趣味と言えば釣りや映画音楽を聴いたりテレビで時代劇や洋画を観たり、川や池の魚を飼育するくらいの平凡な普通の人であった。
映画のなかで皮肉を言われている日曜大工を楽しんだり、車を大事にして休みは家族で出掛けることを楽しみとする人であった。
姉や兄たちも今ではちゃんと働く人であって、働かないと決めた〈ならず者〉の自分とは違う暮らしを頑張って生きている普通の人たちである。
でも当時は、兄も21歳とかでバイトをしながらロックバンドをやっていて、夢はバンドで生きていくような「普通の人々」とは違う生き方を心から望んでいる人だった。
でも兄はその夢は叶わず、今ではブラック企業で身を削るようにして働いている。
平均睡眠時間は3時間だと言っていた。
こんな暮らしをする人々が世界中にごまんと居る。
そんなきれぎれな生活を送る人にも本当はドラッグが必要なことがわかる。
それぐらい苦しい生活がそこにはあるということだ。
自分の親も姉兄自分も全員が学歴の無い労働者階級の人間である。
上の兄の下の息子は中学は不登校気味でヤンキーらとつるんでいたが、卒業して友人繋がりですぐに土木作業会社に勤めて仕事を真夏も真冬も真面目に頑張っている。
ドラッグや酒の方向に進んでもおかしくはなかったのに、そうはならなかったことにほっとする。
もし、若いうちからドラッグや酒に進んでいたなら、その後立ち直れず破滅してゆく可能性は高かっただろう。
自分の場合が、立ち直れない人間である。
お酒を手放すことが出来ない人間である。
このまま破滅してゆく未来は恐ろしいほどに近づいていると感じる。
ドラッグを目のまえに今置かれてもやる気はさらさらないが、しかしこれから病気などの本格的な苦しみが遣ってきたなら、ドラッグの力を借りたいと想うものかもしれない。
家族や恋人や友人が居たなら乗り越えられるものかもしれないが、自分には姉と兄以外は誰も居ない。
姉や兄に病が苦しいからと言って四六時中付き添ってもらうことなどできない。
病とは独りで闘うしかない。
普通に暮らせている人間だったなら、きっと恋人や夫や子供が傍にいてくれたんだろう。
でも自分にはそんな人間はいない。
世界をニヒルな眼差しで眺めて「闇が深い」と会う人会う人に言われているような自分の傍にいたいと言う人間はどこかにいるのか?
ユアン・マクレガー演じるレントンはラストで普通に生きる人々に唾を吐くような形で成功した人間の如くに映画は終るが、レントンの行く末は、わたしではないのか?と想わないではおれない。
自分は確かに普通に生きていくのは耐えられないし、普通の生活には満足できない人間だと感じる。
でも同時にこの生活にもまさか満足などできるはずもない。
人の税金でお酒を飲んで、嫌なことは何一つしない。
それに満足できる日は、もう発狂してしまった日だろう。
もう戻れないかもしれない。人間には。
トキソプラズマ症で死んだケヴィン・マクキッド演じるトミーの最期が自分や兄に重なって仕方ない。
なんで兄にも重なるのかというと、兄の暮らす実家は今や猫11匹の暮らす猫屋敷と化しているからだ。
うちはゴミ屋敷てな感じである。
片付けたり掃除をする気力が兄にも自分にもない。
おまけに独り暮らしである。
誰も助けてくれない。
生きていくだけで精一杯だと言えば自分の場合は罵られるかもしれないが、実際、廊下に落ちている髪の毛を一本拾うことすらしんどさを感じる。
レントンの行く末はやはり自分ではないか?
ドラッグは後遺症で鬱病を発する。
わたしのように便座カバーを半年以上変えなくても平気でいられてしまうような生活をレントンも送るのではないか?
不衛生で病気になるとわかっていても便座カバー一つ変えるのが酷く億劫な暮らしがレントンにも待っているのではないのか?
人の金で手にしたモノとは、一体なんだったのだろう?
わたしの場合は、今のこの自堕落極まりない引籠もりの暮らしである。
ドラッグを遣っていたなら、もう少し早く死ねるのかもしれない?
酒というドラッグでも十分早くに死ねるだろう。
一体どうすればいい?レントンの未来がそう自分に悲痛な声で訴えかけてくる。
一体俺たちはどうすればいい?
このまま死ぬのかな?
誰一人、信じることもできないまま。
嫌だなぁ。そんなのって。
「俺だって普通に生きたかった」
そうつい呟いてしまうレントンの将来がわたしには垣間見えて仕方なくなる。
しかしそんな未来を選んだのは、確かに自分なんだろう。
淵に立つ
日本の映画です
深田晃司監督
これは、僕の今、腹にためている、憤りを表現しています
まとめると
主人公の家族に、出所したばかりの昔の知り合い(浅野忠信)がやってきます
彼は主人公の家族と住み込みで働くようになります
だけど、この二人には、大きな確執があります
主人公の罪まで背負って刑務所暮らしをした
彼は、表情には見せないけど、怒りを抱えて、その家族と接します
そして、
きょうみがあったら見てみてください
ぼくは、確かに何人もの人を救ってきましたが
彼らは覚えていません
そして彼らはSNSで家族の写真を載せたり、笑顔で写真に写っています
ぼくは彼らの世話をしなければ、こんな病気になることもありませんでした
でも、このこと自体を、僕意外だれも覚えていないし、話しても信じてくる人はだれもいません
家族とかそんなもんにすら聞こえません
ぼくは一人で、頭を壁にぶつけ続け、薬を飲みながら、つき11万円の仕事で、生きざるを得なくなりましたが
この病気さえ治れば、怒りも憤りもなくjなるのだろうか?と、22年間笑わずにいきてこさされて、このさきの自分のことがわかりません 復讐すべきなのか それはわからないけど、ぼくはずっと一人で生きてきました
是非近いうちに観ようと想います。
浅野忠信はうちの兄に雰囲気がすごく似ていて、兄に見えて仕方ないんですよね。
うちの兄もね、もんのすごい世界に対しての憤りっていうのを常に持っていて、それを抑えて抑えて生きているような人なんです。
だからその細い細い線が切れると、ほんとに怖いんですよ。
善行っていうのは見返りを求めるものではないと言いますが、俺は別に見返りなんて求めてへんよって言いつつも、御礼や感謝の一言すらもらえなかったとき、悲憤というものが沸き上がるものですよね。
それはやっぱり喜んでもらいたいという気持ちでなんかするので、全然喜んでもらえなかったんだっていうとてつもない深い悲しみからやってくる憤りなんだと想うんです。
どんな小さなことでも、心から感謝できる人もいれば、命懸けで助けられても全く感謝できない人もいます。
感謝できないのは、自分を愛することのできていない人たちだと想います。
そういう人たちっていうのは、喜びが薄くて、浅いのかもしれません。
もし、もしもですよ?ゆうじさんのほうが何百倍と彼らよりも幸福感を知っているとしたら、彼らに対して、どう言いますか?
自分がしたことよりも、してもらったことに感謝できるほうが喜びって大きいものだと感じませんか?
人にしてもらったことに感謝も出来ない人間の喜びって、一体どれほどのもんなんでしょうね。
ゆうじさんの感じられている喜びに比べて、カスみたいなものかもしれません。
そんなカスみたいな彼らの喜びに対して、ゆうじさんはいつも憤っているのかもしれないわけです。
復讐すべきではないですよ。
何故なら彼らは、ゆうじさんよりは、人に感謝もできないほど幸福ではない人たちだからです。
人に感謝すらできない不幸な人たちに対して、報復すべきではありません。
それに誰かに報復をするとき、それは自分自身に報復するんだとわたしは想いますよ。
の、一点張りで、見返りを求めず、たくさんの人かかわってきました
しかし、僕が40度の熱を出して1ヶ月過ぎ、学校に登校できなくなっても、だれも声をかけてくれませんでした
僕の憤りは、見返りを求めなかったから、ぶつける方向がなくなったことにあります
だれもいなくなった、他人の親のお願いでクラス編成され、僕に問題を押し付けた学校もその親も、その本人も、僕が病院通いで高校辞退する羽目になっても、ひとことも声を抱えてきませんでした
もし、僕が、見返りを求めていたのなら、”そりゃおかしいんじゃねえか”って相手に言ったでしょう
でも僕は、見返りを求めていなかった、寝るのも惜しまず、不登校者の学校の授業分のノートを別に作って毎日、下校時に私にいき、今日はこんなことがあった、たまにはこいよって励まし、朝は、登校を呼びかけに行った何ヶ月jかして彼は、遅刻〔しょうがなくぼくも)しながら登校するようになった 彼は学校では元気そうだった
進学時期も近づいていたから、僕は、僕自身の勉強もしてたら、熱が出て、熱ぐらいなんだ!って学校に通っていた、そのうち、周りの音が雑音にしか聞こえなくなって、休むようになった、 だれも来なかった 僕は見返りを求めていなかったから、当時は憤りも感じていなかった はようようなって、浪人してでも高校いって京大いって、って考えてた 40度の熱が1ヶ月以上続いて、熱は冷めたけど、体調は回復しなかった 僕の未来が終わった あれから22年だれにも助けられず、一人で生きてきた いまもまだなおらない 今は、3週に一度、病院に薬をもらいにいっている 量は増えるばかりで、なんの効果もない
見返りを求めていればよかった
そうしていれば、22年間この地獄をだれのせいにもできず苦しむ必要はなかった
直接行って謝らせてしまえばよかった
もはやだれも覚えていない
ずっと、だれも攻めずに耐えてきた罰
人を救った罰です
相手の為に、相手を救う為にやった、とか考えないと想うんです。
だから、相手が楽になる為に苦労をした、という考えを持っている時点で、それは自分の遣ったことが善行であり、善行にはそれ相応の報いがあるべきだっていう考えを、ゆうじさんは潜在的に感じていることになると想うんです。
見返りを求めていないと想っていたが、実際のところ、ものすごく求めていた自分がゆうじさんのなかに潜在していたので、それが激しい怒りとなって現れているんじゃないでしょうかね。
その怒りを無くすためには、自分の遣ったすべては、善行でもなんでもなかったんだと、心の底から想えるようにならないと駄目なんだと想うのです。
善行でなかったということは、誰も救ってなどいなかったということですから、人を救った罰も当たらなくなりますよね。
そうしてようやく、ゆうじさんは、地獄の苦しみから解放されるかもしれないわけです。
苦しむ必要はなかったんだと考えるより、苦しむ必要がどうしてもあったんだと考えるほうが救われますよ。
それは、苦しみに大きな価値を置く、ということですから。
わたしはこの世界で、自分が最も最悪な罪人だと考えてずっと生きています。
自分が最も悪いなら、誰を責めようが、それは自分の鏡を責めているだけのことで、他者を責めることの罪が全部自分に圧し掛かってきます。
そうやって、すべての罪を自分の罪として贖(あがな)ってゆくことで、ようやく救われようとしているわけです。