家族が増えました

4月の終わり、近くの公園に6匹兄弟で捨てられてきたのを父が拾ってきて、そのうちの2匹をうちで迎えることになりました。
茶白のラテちゃんとサバのタピちゃんです。
めちゃくちゃかわいいです。
まじで天使です。
みにゃさまどうぞよろしく。

タピちゃん


ラテちゃん


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ホットマットに完全敗北した話

 猫と同じで寒いのが嫌いだ。寒いくらいなら暑いほうがよっぽどいい。だから冬は嫌いなのだけれど、冬にも3つだけだがいいところがある。
 ひとつは、夏のあいだ、それぞれが好きな場所で伸びて寝ていた猫たちが集まって、丸くなって眠ることだ。猫の集合体はとてもかわいい。ふたつめは、床暖房をつけると猫たちが床の上で溶けること。暖かい部屋で猫とごろごろすると、もう動けなくなる。
 そして三つ目が、夜、みゆちゃんが布団の中に入ってくることだ。みゆちゃんは布団の中でゆっくり方向転換して、私の腕に頭を乗せて眠る。朝、布団をちょっと持ち上げて見てみると、福福とした顔で目を閉じて、私の腕の中で香箱を組んでいる。みゆちゃんが眩しくないようにすぐ布団を閉じるのだけれど、可愛い顔が見たくてまたちょっと開けてしまう。陳腐な表現だが、この時間が永遠に続いてほしい、そう願うほどの幸福を感じる。
 ところがこの冬は、みゆちゃんが一緒に寝てくれなくなった。理由はわかっている。「ホットマット」だ。電気の力で無限の暖かさを生み出すことができる魔法の座布団。猫たちが喜んでくれるだろうと思ってミニサイズのホットマットを買ってみたところ、喜びすぎた。
 まさに文字通り24時間、水、食事、トイレ、ときどき私にマッサージを要求するとき以外は、みゆちゃんはずっとホットマット上で過ごすようになってしまった。当然夜もホットマットでぬくぬくしているので、私の布団へ寝に来ることはない。
 みゆちゃんに捨てられてひとりで寝るようになった結果(正確には、布団の上に1~3匹いる)、よく寝られるようになったという面は確かにある。腕枕をしていると腕が痛くなるし、寝返りもできない。トイレや水で夜中に何度も布団を出入りするので、そのたびに目が覚める(もっとも、慣れてくるとほぼ覚醒せずに布団の開け閉めができるようで、気がついたらみゆちゃんが布団の中にいた、ということもよくある)。しかしそのような短所があってもなお、あの幸福感には代えがたいのだ。
 それに、薄々は分かっていたことだけれど、みゆちゃんが寝に来るのは私が好きなためではなく、ただ暖かい寝場所を求めているためだという事実をはっきりと突きつけられたことで、私は傷ついた。私は暖房器具としてホットマットに敗北したのだ。

 それが先日、久しぶりにみゆちゃんが布団に入ってきた。みゆちゃんも少しは私のことを恋しく思ってくれたのかもしれない。私は嬉々として、みゆちゃんに腕枕を提供し、夜中に何度もみゆちゃんのために布団を開け閉めした。
 翌朝、理由が分かった。なんのことはない。ホットマットの電源コードをさし込んでいるコンセントのスイッチが、何らかの拍子で切れていたのだった。

↓ホットマットに敷いたムートン風ラグと一体化して寝るみゆちゃん。
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猫愛

ぼんはロナちゃんが大好きなのですが、今日ロナちゃんがちょっと咳をしていたら、ぼんはすぐに駆けて行ってロナちゃんの背中をなめてあげていました。人間でいえば背中をさすってあげている感じかな。素晴らしき猫愛。
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ゆく猫くる猫2019

 春に、通い猫の太郎が亡くなりました。通い猫といっても毎日来るわけでもなく、そもそも触れるほど慣れていないので、うちの周辺で生活をしていた野良君というのが正しいかもしれません。
 太郎との付き合いは、正確には覚えていませんが、6、7年前からだったと思います。出会った最初の頃から毛に艶がなくて、すでに若くはないように見えました。
 野良猫の雄らしいエラの張った顔に、ふてぶてしそうな細い目をして、時々、おでこや鼻柱にひっかき傷を作っていました。肩に大けがをしてきたこともありました。
 鼻の傷が化膿して、クリスマスのトナカイのように赤く腫れてしまったときには、抗生剤をちゅ~るに混ぜて与えました。それが効いたのか数日でもとの顔に戻りましたが、次に来たときにいつも通りのドライフードを出してやると、お皿を一瞥し、私を見上げて、「にゃあー」とさも不満そうに鳴きました。これじゃない、美味しいちゅ~るをくれということだったのでしょう。撫でさせてくれもしないくせに、厚かましいやつだと笑ってしまいました。
 撫でさせてくれないどころか、何年もうちでご飯を食べているくせに、私がキャットフードを持って近づくと、毎回お約束のように、シャーッとかフーッとか威嚇をします。そのたびに私が「なに言うてんの、偉そうに」と冗談で叱ると、「ごめん、つい癖で」というつもりなのか「なに、このおばさん、怖っ」というつもりなのかわかりませんが、耳を倒して上目遣いに私を見返しました。
 ほとんどの時間をうちの敷地内で過ごしていた時期もありました。買い物などで外へ出ると、たいていガレージや外階段の上で寝そべっている太郎の姿を見かけました。冬には、父が発泡スチロールの箱で作った猫ハウスを愛用していて、透明なアクリル板の扉の内側が、太郎の体温で曇っていました。私が外に出ると、猫ハウスからのっそり出てきて、お皿の前に座ってご飯を催促しました。暖かい寝床とご飯で、その頃の太郎はだいぶ毛並みもよくなり、ふっくらとしているように見えました。ご飯のときの威嚇は相変わらずでしたが、太郎がいつも家にいるのは嬉しいことでした。
 そのままうちに住みついてくれるものだとばかり思っていましたが、そうはなりませんでした。次の年の冬には、家にいない時間のほうが長くなって、時々ご飯を食べにくるだけになりました。猫ハウスを使うこともなくなり、いつのぞいてみても、からっぽで寒々としていました。
 あまり長いこと訪ねてこないときには、漠然ともうどこかで死んでしまったのではないかと思い、そのあとひょっこり現れた姿を見ては、ほっとするのでした。
 今年の春も、長いこと太郎は来ませんでした。ある日、ふと庭をのぞいてみると、猫ハウスの上に太郎がうずくまっているのが見えました。痩せて、顔は目やにで汚れ、よだれをたくさん垂らしていました。日差しの暖かい日で、散り始めた庭の桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちていました。抗生剤を混ぜたちゅ~るを小皿に入れてやると、少しだけ食べました。
 それからまた太郎は、ほとんどうちの敷地内で過ごすようになりました。一日に何度も様子を見に行って、抗生剤と痛み止めのステロイド入りのちゅーるを食べさせようとしましたが、口の中が痛むのか、少し食べてくれたり、まったく口をつけようとしなかったりの繰り返しでした。
 一時、痛み止めが効いたのか缶詰をがつがつと食べてくれて、これはもしかしたら持ち直すかもしれないと明るい気持ちになりましたが、それも続かず、だんだんと悪くなって弱っていくのがわかりました。
 私の姿を見ると、また使い始めた猫ハウスから出てきて、にゃーにゃ―鳴きながら先導するようにご飯のお皿のところへ行きましたが、ちゅーるや缶詰を入れてやっても、口元にスプーンで運んでやっても、もう食べることができませんでした。お腹が空いているのに食べられないのかと思うと、可愛そうでいたたまれませんでした。今まで見たことのない訴えるような様子でにゃーにゃー鳴いて、きっと私に助けを求めているのに、なにもしてあげることができず、悔し涙が出ました。太郎は、しゅーしゅーと苦しそうな息をしながらお皿の前で長いことうずくまっていました。
 毎朝起きると、箱の中や庭で死んでいるのではないかとどきどきしながら見に行きました。それと同時に、もう助からないのであれば、せめてこの我が家の猫ハウスで誰にも邪魔されず静かに最期を迎えてくれたらとも思いました。
 それなのに、もうふらふらの状態であるにもかかわらず、太郎はまた家を空けるようになりました。半日いなくなり、一日いなくなり、そして、太郎は戻ってきませんでした。
 私に迷惑をかけないようにと思って出て行ったのなら―もしそうだとしたらなんて水臭いやつなんだと、太郎の気配の消えた庭で私は悲しい気持ちでいっぱいになりました。
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ちょびひげのデビンちゃん

 デビンちゃんは、きれいなハチワレの女の子でしたが、ピンク色の可愛い鼻の下に、ちょうど「ちょびひげ」のような黒いブチがついていました。
 デビンちゃんがうちに来たのは90年代の半ばで、ちょうど家庭向けのデジタルカメラが市場に出始めていた頃だと思います。新しい機械が好きな(しかしある程度値下がりしないと買わない)父が、ある日フジフィルムのfinepixを買ってきました。
 デジカメで撮った写真を画像処理ソフトで加工するという、今までになかった楽しい遊びに、私はすっかりはまっていました。家の車の運転席にやんちゃな茶トラのネロを乗せてみたり、ソファに座っている父の写真を切り取って、電信柱のてっぺんに座らせてみたり。
 デビンちゃんのちょびひげについて、母は、このブチさえなければもっときれいなのにねえ、と言っていたので、私は早速デジカメでデビンちゃんの写真を撮って、画像ソフトでちょびひげを消してみました。どんなにか美猫になるだろうと思いながら、鼻の下の黒いブチを白で隠していったのですが、それがどうもおかしいのです。
 「エステ for キャット」と題して、ちょびひげをとる前と後の写真を「before」「after」で並べてみると、 エステ後のデビンちゃんの顔はなんとなくのっぺりとして、しまりがなく落ち着かない感じでした。
 こうして、一見余計なように思えるちょびひげやしょうゆのシミ、ハナクソのような模様も、その猫のチャームポイントになっているのだということを、当時まだ猫歴の浅かった私たちは知りました。どの猫も、その子が最大限かわいく見えるような柄をつけて、生まれてきているのでしょう。
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布団の中のねこ

 これまで寒い季節でも滅多に布団の中に入ってくることのなかったみゆちゃんが、最近はよく入ってきます。人間カイロ付き布団が暖かくて心地いいということにようやく気づいた、ということかもしれませんが、賢いねこはそんなこと最初からわかっていると思いますので、たぶん違う理由でしょう。みゆちゃんは長いあいだ、一番上のお姉さんとして、クールで大人っぽいキャラを演じてきましたが、ここ数年は「もういいや」と思ったのか、ほかのねこの前でも従来の甘えん坊な姿を見せるようになりました。それで寝るときも、お母ちゃん一緒に寝ようよ!ということなのかな、と思ったりもします。みゆちゃんが布団に入ってくると、暖かくて可愛くて、それはもう至福の眠りと言いたいところなのですが、時々暑くなりすぎて怖い夢を見てしまったりもします。
 布団の中でぽかぽかするみゆちゃんをなでながら思い出すのは、20年くらい前に―もう20年もたつのかと改めて驚いてしまいましたが―一緒に暮らしていたデビンちゃんというねこのことです。デビンちゃんは黒白ハチワレの小柄なねこで、鼻にちょびひげのような模様がついている女の子でした。
 デビンちゃんも寒い季節はよく布団の中に入ってきました。みゆちゃんと同じように、私のお腹のあたりまでもぐってきて、そこにもたれて寝るのです。
 ただ、デビンちゃんにはおかしな癖がありました。布団に入ってしばらくすると、突然、何の前触れもなしに私のお腹に噛みつくのです。それも甘噛みとかじゃれて噛むとかいうようなものではなく、本気かと思うような結構きつい一撃でした。
 そういうわけで、可愛いデビンちゃんと一緒に寝るのは幸せなのですが、いつ噛まれるかとお腹のあたりが緊張して、ちょっぴりスリリングでもありました。
 寝るときはすっかり布団にもぐっているデビンちゃんですが、そのうち暑くなるのか息苦しくなるのか、朝目が覚めると、私の横で、布団からちょっと顔を出し枕の上に頭を載せて寝ていました。
 人間の何分の一くらいの身長しかないのに、一人前に人用の枕と布団で寝ているところがなんとも可愛らしく、毎朝萌え死にしそうでした。
 みゆちゃんも枕で寝てくれたら可愛いと思うのですが、布団の中に飽きると、ねこの気まぐれでぷいと出て行ってしまいます。


↓20年くらい前の携帯電話で撮った写真なので小さなサイズしかありませんが、起きたところのデビンちゃんです。
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人面ねこ?

 先月、家の前の自転車置き場の、小石をたくさん埋め込んだコンクリートの上にスマートフォンを落としてしまい、液晶ガラスがルパン三世のタイトル画面みたいになってしまいました。
 一応正常に動作はするけれどさすがに使いにくいし、少し前からそろそろ新しいスマホが欲しいという気持ちにもなっていたので、これを機に買い替えることにして、少々奮発して中の上くらいの機種を注文しました。
 美しい画面の新しいスマホが届いて、心楽しくカメラでいろいろなものを試し撮りしていたときのことです。夕飯のおかずの一品にレンズを向けると、画面の右上に小さくナイフとフォークのマークが表示されました。そのままシャッターを押して、撮った画像を確認すると、驚いたことに、適当に作ったじゃがいもとソーセージのチーズ焼きが、温かな色合いでさも美味しそうに写っているではありませんか。ソーセージはつややかでジューシー、じゃがいもに掛かったチーズはとろけて、香ばしく焼けています。
 よく知らなかったのですが、最近のスマホカメラにはAIの機能が付いていて、AIが被写体を分析し、最適な撮影モードを選択してくれるそうです。
 今まで、いかにもインスタ映えしそうなおしゃれなカフェのランチでも、私が撮るといまいちな写真になってしまっていたのですが、AIカメラを使えば、うちのいい加減な料理でもインスタ映えしてしまうというわけです。
 料理のほか花や空など、16種類の撮影モードの中には猫もあって、猫にカメラを向けると猫マークが出ます。AIが被写体を判断する材料の一つに三角の耳があるようで、たまたま三角形が三つ並んだパッケージデザインの洋菓子にカメラを向けると、一瞬猫マークが出ました(すぐに間違いに気づいて、食べ物マークになりましたが)。
 ところがです。みゆちゃんを撮ろうとすると、かなりの確率で猫と認識されません。人間マークが出ます。うちの猫たちの中でも、みゆちゃんの耳はとくにきれいな可愛い三角形であるのに、私のAIカメラはそれも無視して、みゆちゃんの顔を人間に分類してしまうようです。AIに人間判定されて、改めてみゆちゃんを見てみると、鼻筋が通っているのや目の位置や口元が何となく人っぽいような気になってきました。おまけに顔は白いし、前髪みたいな模様まであります。
 そういえば以前、カメラが趣味の弟も、みゆちゃんのポートレート写真を撮ってくれた時に、なんとなく人面っぽいね…と言っていたのを思い出しました。


これが人判定のみゆちゃんです。



ねこ。


ねこ。


ねこ。


ねこ。



アップにしても人間判定のみゆちゃん。
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幸せな朝

 だんだん寒くなって、ねこたちが布団に集まってくるようになりました。
 うちのねこたちは5にゃんとも、滅多に布団の中には入ってきません。みんな布団の上で寝ます。なので、1匹、2匹と布団の上にやってくるねこが増えるたびに、私の可動領域は減っていき、最大数の5匹が乗ると、右横にぼんとロナ、左横にぴったり寄せてくる胴の長いまる、足元にみゆちゃんとふくちゃんというように、ほぼ全方向の布団の上に猫重しが乗せられ、布団で封じ込められたようになって、身動きが取れなくなります。
 ただ、一年に一回か二回くらい、みゆちゃんが布団の中に入ってくることがあります。それはたいてい休日の朝いつもより遅くまで寝ているときで、カーテンの隙間からもれてくる外の光も明るく、もうそろそろ起きようかなというタイミングで布団の中に入ってきて、私の横腹のあたりにもたれて寝ます。
 もちろん起きるのはやめて、もうしばらくみゆちゃんとごろごろするのですが、それはそれは可愛く幸せな時間で、早く起きたいという気持ちなどどうでもよくなります。
 こんなにも至福の時なのですが、先にも書いたようになぜか一年のうちに数えるほどしか来てくれません。
 それが今朝、みゆちゃんが枕元にやってきたので、布団を頭の高さくらいまで持ち上げてやると、そろそろと入ってきて、いつものように私の横腹にもたれて寝ました。
 外はまだ暗く、時計を見ると、起きなければならない時間までまだ1時間半ほどあります。私は安心して、もたれているみゆちゃんの背中をなでながらもう一度目を閉じました。なんという幸福な朝でしょう。
 しかしその幸福感とは裏腹に、みゆちゃんの体温で布団の中が暑くなりすぎたのでしょうか、夢の中で、私は拳銃を持ったマフィアの女に目が覚めるまで追いかけられ続けました。
 やがて、起きる時間が来てしまい、私はみゆちゃんにもっと寝ていていいよと声をかけながら布団を出ようとしましたが、みゆちゃんも一緒に起き上がって、布団から出てきました。布団から出てきたみゆちゃんはぽかぽかでした。
 ところで、ほとんどのねこたちはみんな私が起きると一緒に起きるのですが、ぼんちゃんだけは私たちが起きたあとも、しばらく布団で寝ています。人間が寝坊しているのを見ても、「はよ起きんかい」と思うだけですが、お寝坊さんなねこというのはなんとも可愛らしいです。まあねこは何をしていても可愛いので、当然といえば当然ですが。 
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ねこ漫画「罪悪感」

<これまでのお話>作業の効率化のために液晶タブレット(液タブ)を買ったものの、ふくちゃんのベッドにされてしまいました…

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猫化する父

 猫の忠実なしもべたる私の父は昔から暑がりで、70歳を過ぎているというのに、冬も薄い掛け布団で寝て、年中冷たい飲み物を飲んでいる。もっと若い時分は、冬には熱いほうじ茶を飲んでいたのだけれど、何年か前からは夏も冬も冷たいペットボトルの緑茶だ。年を取ると寒がりになる人が多いと思うのに、逆行している。
 このあいだ実家で父の部屋をのぞいたら、父がステンレスボトルのふたを開けて中の氷水を見せ、「最近は水を飲んでいるんや。ハル(愛猫)が水をうまそうに飲んでいるのを見たら、わしも飲みたくなってな。これがうまいんや」と言って、ごくごく飲んだ。
 そのうち、「猫缶は塩分入ってないから体にいいぞ」などと言って食べ始めないか、心配。
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