ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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願わくば傍らに猫を
お酒はてんで飲めないし、交友関係も広くないので、お花見宴会などには縁がない。花見はもっぱら散歩でするから、花見の持ち物は何もなくていい。明るい時間の、青空の下の桜でも、夜空に白く花が浮かぶ夜桜でも、桜の枝の下をゆっくりと歩いて、花を眺める。そのほうが、純粋に花を観賞できる。
春の暖かないいお天気の日に、花の下でお弁当を広げるのは悪くないが、できることなら、お弁当よりも、傍らに眠る猫がいればもっといい。猫の柔らかい毛を撫でながら、草をそよがせる春風に吹かれていれば、きっと時間を忘れていつまでも花を見ていられるだろうと思う。
(トラックバック練習板:テーマ「お花見の必需品は?」)
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春の暖かないいお天気の日に、花の下でお弁当を広げるのは悪くないが、できることなら、お弁当よりも、傍らに眠る猫がいればもっといい。猫の柔らかい毛を撫でながら、草をそよがせる春風に吹かれていれば、きっと時間を忘れていつまでも花を見ていられるだろうと思う。
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桜の季節
花開き始めた桜を見ると、何となく憂鬱な気分になる。それはまったく馬鹿馬鹿しい理由からで、花が満開になれば一生懸命眺めなければならない、しかしどんなに眺めても眺めつくす前に花は散って、桜の季節はもう終わってしまう、そういう心配が先にたって、憂鬱になるのである。いざ旅行へ行ってしまえば楽しいのだけれど、実際に行くまでは、あれやこれやと心配事ばかりが気になって気が重くなる、私はそういうタイプの人間である。
しかしそれと同じで実際に花が咲くとやはりうれしくて、よその庭の塀の向こうに、大きな早咲きの桜の木が満開になっているのを見るや否や、憂鬱な気分はどこかへ消えてしまった。
川端通の染井吉野も目に見えるように開花が進んで、夕方ふたたび通ったときには、薄いピンク色の夕靄の中に、開いた花は朝よりもずっと増えたようである。
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糺の森のポニー馬車
駐車場に車を止めて表参道に向ったが、どこにも案内は見当たらないし、ちらほらと表参道に入っていく人々はゆったりと散歩でもしているようで、馬車を目当てに人だかりが出来ているわけでもなく、第一、肝心の馬車そのものがどこにいるのかわからない。
本当にやっているのか心配になったが、しばらく歩いていくと、道の左端に、「ポニー馬車乗り場」とマジックで手書きされた写真つきの小さな看板があった。それでポニーはどこかしらと眺めると、森の中をまっすぐに伸びた参道の、神社に突き当たる手前の鳥居の前を横切る道に、茶色い馬の影が木の間に遠く見えた。
そのあたりでうろうろしているようだから、早足になって近くまで行ってみた。ポニーというのは子供が乗るくらいの小さな馬だと思っていたので、それに馬車を引かせて大丈夫なのかなと心配していたのだけれど、実際のポニーは思っていたよりもだいぶ大きくて、頑丈な体つきをしていた。そして、やっぱり馬だから、とても優しい目をしている。瞬きすると、まるでブラシみたいなまつ毛がぱちぱちした。
やがて、お客を乗せないまま、馬車は森の道のほうへゆっくり移動していった。馬の首に下がった白いたてがみが、まっすぐに切り揃えられて、さらさらしていた。
(昨日ミッキーマウスが犬を飼っていることを非難した手前、その翌日に猫が馬車に乗る絵を描くのは何となく気が引けます…。絵を描こうと、撮った馬車の写真をよくよく見ると、馬車を引かされるポニーはベルトをぐるぐる巻きにされていて、なんとも気の毒な感じがします。)
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ネズミの飼い犬
同様に、ウォルトディズニーのミッキーマウスが好きな人も多いようだけど、私は嫌いで、あのネズミのいったいどこが可愛いのかわからない。もっとも、ディズニーのキャラクターが全部嫌なのではなくて、二足歩行していないリスとかウサギとかは可愛いと思う。特にバンビは子供の頃から大好きで、映画を見て、絵本も持っていたし、最近廉価版のDVDも買った。
ミッキーマウスについて奇妙に思うのは、ネズミのくせにプルートという名前の犬を飼っていることである。それでいて、同じイヌ科のグーフィー(たぶんオオカミ?)は、あと足で立ち服を着て、ミッキーと同様、人間らしく振舞っている。
しかし、この問題はミッキーマウスだけにとどまらない。オランダのイラストレーター、ディック・ブルーナが生み出したうさぎのうさこちゃん(ミッフィー)は、単純な線と明るい色ですっきりとした可愛らしさが描かれていて、ミッキーマウスのようなどぎつさがまったくないから好きなのだけれど、このうさぎもやっぱりスナッフィーという犬を飼っていて、ほめたり叱ったり、飼い主然としている。
さらにエスカレートすると、パンも犬を飼うようになる。友人が子供にアンパンマンのビデオを貸してくれたのだけれど、「うさぎくん」とか「ねこちゃん」といったそのままの名前を付けられた動物のキャラクターが、服を着て靴を履いて幼稚園に行って、人間の子供のように振舞っている中で、チーズというアンパンマンの犬だけが、二足歩行こそ許されているものの、服も着ていないし「わんわん」としか言えない普通の犬である。もっとも正確には、チーズはジャムおじさん(人間)の飼い犬かもしれないけれど。
ところで、猫を飼うネズミとか、猫を飼うウサギというのはいまだ見たことがないと思うのだけれど、私が見過ごしているだけなのかしらん。
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卒業式の日の心残り
ところが、ホームルームが終わって、同じく異動になる担任の先生にみんなで花道を作ったあと、仲の良かった友達と話が盛り上がって、どこかに何かを食べに行こうという話になり、私はすっかり、クラブの送別会のことを忘れてしまった。
ドーナツ店で友達と楽しく時間を過ごして、みんなと別れたあと、私はクラブのほうをすっぽかしてしまったことに気がついた。すっかり時間も遅くなって、もう後の祭りである。
顧問の先生とは、一度喧嘩をしたことがあったから、なおさら、行かなかったことを後悔した。美術の先生で、どこかの短期大学の講師として招かれていくということであった。ときどき個展を開かれていたから、今もどこかのギャラリーで個展があれば、行って、そのときのことを謝ろうと思い画廊の案内などを見ているのだけれど、いまだ、果たせずにいる。
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春のメジロ
2008年03月19日 / 鳥
あるいは、もう春になって、ほかにも食べるものがたくさん出てきたから、庭のみかんを食べに来る必要がなくなったのかもしれない。メジロは花の蜜や果物などしか食べないのかと思っていたら、昆虫も食べるらしい。このあいだ、アマチュアの映像大賞か何かをもらった人の作品をニュースでやっていたけれど、メジロの子育てから巣立ちまでを記録したもので、巣の中で大きな口を開けて待つ雛鳥に、親のメジロがバッタのような緑色の虫を与えていた。
そうかと思ったら、その後みずみずしいみかんを庭に出しておいたら、ヒヨドリもメジロも食べに来た。来てくれるのはうれしいけれど、やっぱり春日の庭でみかんをつついている姿は、どこかしら違和感がある。お山へ行って、昆虫や春の花の蜜を食べなくてもいいのかい、と心配になる。
それでもやはり、一日に訪れる回数はだんだん少なくなっていて、今日はメジロもヒヨドリも一度も姿を見せなかった。今朝出したみかんが真新しいまま、明るい陽光の中でしんと木に刺さっているのを見るのは寂しいけれど、でもそれでいいのだと思う。今芽吹こうとしている木の葉がまた散っていくまで、しばしのお別れ、それまでにもときどき姿を見せてくれたら、なおうれしい。
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