ふくちゃんの素顔

 たまに父が用事で家を訪ねてくると、決まってみゆちゃんふくちゃんに会っていく。みゆちゃんは、以前、長男が生まれたときに3ヶ月ほど実家で預かってもらったことがあって、それをちゃんと覚えているのか、自分から挨拶に出てきて、お腹をなでてもいいよと言うように、父の前でごろんと横になる。
 ふくちゃんはというと、押入れの中に隠れて出てこない。まだ小さな子猫だった頃、お母さん猫や兄弟たちと一緒に捨てられた公園で暮らしていたときにも、もちろんうちに来てからも、何度か父とは遊んでいるはずなのに、近頃はちっとも出てこないのである。
 おもちゃやおやつで釣って、ようやく押入れから顔を出したふくちゃんを見て、父は「いつ見ても面白い顔だなぁ、ドロボウみたいだなぁ」と言う。
 普段一緒に暮らして見慣れていると何も思わないけれど、改めてそういわれてみると、面白い顔かもしれない。今までにいた白黒猫は、デビンちゃんもポチも、おでこから目のあたりを通るラインで、左右対称にきれいに黒と白に分かれていたけれど、ふくちゃんは鼻の下まですっぽり黒くて、覆面をかぶっているようである。
 ふくちゃんの黒い毛の部分の面積がもっと小さかったら、どんな顔だろうと思う。10年以上前にはじめてデジタルカメラを買ったとき、撮った画像をパソコンでどんな風にでも加工できるのが面白くて、いろいろ切り貼りしたりして遊んだが、あるとき、デビンちゃんの鼻のひげ模様を消してみたことがある。母が、デビンちゃんは女の子なのにちょび髭がついているね、それさえなかったら、おかめさんみたいな髪型で可愛いのにね、と言うので、「猫エステ」と称して、画像上で鼻のぶち模様を白く塗ってみたのだけれど、ちょび髭のデビンちゃんに見慣れている所為か、鼻が白くなると、なんだか間が抜けているように思えた。
 ふくちゃんのお母さんは三毛猫で、賢く、近くに来た犬を追いかけて追い払ってしまうほど気の強い猫だけれど、ふくちゃんの顔を、柄を無視して眺めていると、その三毛母さんの顔に似てきたような気がする。ちょっと釣り目で、身体も大きい上に黒覆面だから、ぱっと見た感じ、怖いように見えるかもしれない。でも中身は、母猫のような気の強いところも怖いところもこれっぽっちもなくて、未だ見たことのないお父さん譲りの性格なのか、おっとりしていて怖がりで、今のところとりわけ賢いという印象もなくて、無邪気で甘えん坊のお人(猫)よしである。だから私は、子猫のときのイメージのままに、ふくちゃんの目を丸く描いている。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

ひつじちゃんたち

ひつじのCD/DVDレーベルを作ってみました。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夏の名残

 もうずいぶん涼しいのに、裏の庭のほうから、季節外れの蝉の声が聞こえてきた。おそらく一匹で鳴いているのだろうけれど、暑い夏らしい大きな声で、それまで鳴いていたこおろぎなど秋の虫の小さな声はかき消されてしまった。まだ暑さが残っている頃からもう蝉の声は止んでしばらく経つけれど、遅れて羽化してきたのだろう。やっとのことで地上に出てきたと思ったら、もう誰も仲間はいないなんて、秋空に響く一匹だけの蝉の声は切ない感じがした。
 季節外れといえば、きょうすいかを買った。下の子と一緒にスーパーへ行ったら、入ってすぐの青果売り場の冷蔵の棚にすいかを見つけて、「かー!」(すいかのこと)と言って飛んでいった。季節に関係なく、次男はすいかが好きなのである。売り場の真ん中には、なしやりんごやぶどうなど、秋の旬の果物がにぎやかに並んでいたけれど、数少なくなって隅っこに追いやられた夏のすいかは寂しい感じがした。私はすいかがあまり好きでなく、自分からは買わないので、夏に食べ足りなかったかもしれないと思って次男に買ってやった。
 子供の頃はすいかが苦手だった。幼稚園の就園前に通っていた幼児教室のおやつにすいかが出て、母が迎えに行ったとき、見るからに嫌そうな顔をして、でも食べないといけないから、渋々食べていたらしい。そのときの情景は、すいかの種が散らばった、夢の中のように曖昧な映像として思い出されるけれど、本当に自分の見た場面なのか、あとから聞いて作り上げた記憶の風景なのか、はっきりしない。
 私に似てすいか嫌いだと思った長男も、今年からはすいかを食べるようになって、この夏、私以外の家族が、身体の大きさに合わせて大小に切ったすいかを並んで食べる食卓の様子を、夏らしい風情を感じながら眺めた。
 しばらくすると、表のほうからも蝉の声がしてきたので、おや、ほかにも蝉がいるのかしらと思ったけれど、さっきの蝉が、表に飛んでいっただけなのかもしれない。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

5周年

このブログをはじめて、きょうでちょうど5年になります。
記念すべき一番目の記事は、ゴキブリの話を書いていました…
近頃は更新が滞りがちですが、
これからもよろしくお願いいたします。
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

中華街のミケ「SAVA's New 布団」

横浜のファッションブランドROUROUのサイトで連載中の猫マンガ「中華街のミケ」、
更新されました。ぜひご覧ください。
「SAVA's New布団」
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

夢の中の猫

 朝、目覚めたときには思い出すことが出来ないが、起床してだいぶ経ったあと、何かがきっかけで、ふとその朝見ていた夢を思い出すことがある。
 今朝も起きたときには何も覚えていなかったけれど、朝食のあと、床に座って子供のパズルに付き合っていると、遅いお目覚めのみゆちゃんが向こうからやってきて、私たちのそばを横切っていった。その背中をすっとなでたとき、今朝見ていた夢の一場面がフラッシュバックみたいにぱっと現れた。紫がかった薄暗い背景に、細長いからだのみゆちゃんが二足歩行で横切っていく夢である。その前後はわからない。一瞬だけの映像である。みゆちゃんふくちゃんが夢に出てくることはたまにあるけれど、二本足で立っているのははじめて見た。
 前に実家にいたトラ猫のネロは、根は甘えん坊だったが、やんちゃでちっともいうことを聞かなかった。いうことを聞かないというのは猫の特長ではあるけれど、とくにネロの場合、怖いもの知らずで小さな暴君のようなところがあった(だからネロなのである)。母のお気に入りで、母とはうまくやっていたけれど(食事の準備のときには毎回攻防があった)、ときどき父とはもめていたようである。
 そのネロが最盛期の頃、父が見た夢である。夢の中で父は車を運転していた。うしろから追い越していく車があって、父の車の前に出ると、蛇行したり嫌がらせするような走り方をはじめた。父は腹が立って、抜き返そうとしたけれどできないままに、しばらく行くと前の車が止まった。文句を言おうと思って父も車を止めたら、前の車から降りてきたのはネロだった、という夢で、可笑しくて、みんなで笑った。
 近頃では、昨日ちゃめが夢に出てきてね、そのあと目が覚めて寝られなかった、と少し切なそうな声で、ときどき父は言っている。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

猫の当たり年

 私の実家にとって、今年は猫の当たり年のようで、すでに紹介したキキとハルの二匹の子猫が次々とやってきたことをはじめ、また後日に詳しく書こうと思うけれど、春と夏に、それぞれ迷い猫が一匹ずつ訪れた。
 さらに先日、一階の父の部屋からキキとハルが窓の外を眺めていたところ、ちょうど彼らと同じくらいの大きさの真っ黒な子猫が、庭に現れたという。
 少しばかり痩せているようにみえたので、ご飯をあげに外に出ようとしたところ、運悪く、外猫のペロンがやって来た。ペロンは臆病な猫なので、ペロンから子猫に威嚇したり追いかけたりということはなかったけれど、子猫のほうが、自分の背後に現れたずんぐりしたキジ猫に気がついて、そのまま逃げていってしまった。
 キキやハルと同じ年頃の子猫であり、痩せていたから、心配して、父がそのあと家の周りを探してみたけれど、黒猫は見つからなかった。
 子猫が家にやってくるのはとても久しぶりで、このあいだ亡くなったちゃめ以来だと思うから、実に10年振りである。それがこの夏、いっぺんに二匹増え、さらにまた現れた。
 今回の黒猫は、ただ家の庭を通っただけなのかもしれないけれど、もしも住む家がないのなら、二匹も三匹も同じだと、実家では、黒い子猫がまた来てくれるのを待っている。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

ふくちゃんのこだわり

 夏が終わったと思わせるような爽やかな秋空が広がったのは、台風が去ったあとの数日だけで、もう9月も半分過ぎたけど、真夏のような暑さがぶり返して、ぎらぎらした雲が浮かんでいる。
 ふくちゃんは、夏のあいだお気に入りだった寝場所に戻った。浴室の前に置いてある脱衣かごである。天然素材のかごなので風通しがいいのかもしれないけれど、ふくちゃんはさらに寝心地を追及して、脱衣かごの上のタオル掛けに掛かっているバスタオルをいつも引っ張りおろし、かごに敷いて眠っている(一番下の段に掛かっている、家長たる夫のバスタオルがいつも犠牲になる)。
 バスタオルがしょっちゅうかごの中に落ちているので、おかしいとは思っていた。もちろん、そういうことをやるのは誰か決まっているから、犯人(犯猫)の目星はついていたけれど、何のためにタオルを引っ張り落とすのかわからず、ただふざけてやっているだけなのかしらと思ってそのままタオル掛けに戻しておいたら、入浴後にそのタオルを使った夫が、鼻がムズムズすると訴えた。猫毛がついていたらしい。なんとなく、話が読めてきた。
 ある日、浴室の横の廊下を通ったら、まさにふくちゃんがタオルに両手を掛けて引きずりおろしているところだった。私を見ると、しまったという顔をして、そのまま向こうへ行ってしまったので、そのときはふくちゃんの真意までわからなかったが、その後、とうとう脱衣かごの中で昼寝をするふくちゃんを発見した。
 少し小さめの四角いかごなので、大きなふくちゃんの身体はかごの形に四角くなって、ぴったりと納まっている。自らタオルを敷き、気持ちよさそうに、無邪気に眠るふくちゃん。写真を撮ろうと思ってカメラを構えたら、それだけでごろごろとのどを鳴らす人(猫)の良さ。そのふくちゃんから平穏を奪ってタオルを取り上げるなんて、とても出来ない。悪いけれどバスタオルはあとで洗濯することにして、私は可愛いふくちゃんの寝顔をしばらく見てから、その場を離れた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

怖ろしいカマキリ

 12月に2歳になる次男と、庭でトンボやバッタを探したあと、家の周りをまわってきたら、ガレージの車の向こうに、何かがいるのが見えた。なんとなく不気味なような、どきっとするような感じがして、よく見ると、一瞬木の枝のようにも見えたが、やっぱり生き物で、それは大きな茶色のカマキリだった。長い足の上に仁王立ちになって、ガレージの白いコンクリートの上に、不気味な形の陰がくっきりと落ちていた。まるでSFに出てくるロボットか宇宙船のようだった。
 カマキリは嫌いではない。好戦的なまなざしで睨んでくるといった、どことなく怖いところもあるけれど、かまを手入れする様子は、猫が顔を洗う動作に似ていなくもない気もする。
 虫が好きな次男にぜひ見せてやろうと、まだ庭にいる子供をこっちにおいでと呼んだ。
 ほかの虫ならば、目の前に人が近づくと、逃げるのが普通だろうと思う。ところがカマキリは、三角形の顔を傾けて、身をかがめて自分を見ている子供を見据えると、身体を上下に揺すりながら、じりじりと近づいてきた。それは威嚇しているようでもあり、獲物を狙っているようでもあって、なんとなく怖い気がした。
 そのとき、私は自分の足に止まった蚊を叩いていたのでよく見なかったのだが、子供が突然悲鳴を上げて跳び上がり、横に逃げて、尻餅をついて泣き出した。たぶん、カマキリが飛び掛るような動作を見せたのかもしれない。怖がって泣く次男を抱き上げて、見るとカマキリは、今度は私の方に向かってきた。
 まっすぐ靴に近寄ってくるので、まさかと思いながらもどうするのか見ていたら、よける暇もないほどの、迷いのない素早さでカマキリは私の靴にのぼり、私の足を這い上がってきた。
 カマキリは嫌いではないけれど、あまり掴みたい気もしないから、何かで払おうと手近にあった小枝に手を伸ばしているそのあいだに、カマキリは素早く私の身体から抱っこしている息子の太ももに飛び移り、息子が恐怖の叫び声をあげたので、そうもいっていられず、私はカマキリを手で払った。カマキリは、片方のかまでしつこく息子のズボンの裾しがみつきながらも、とうとう羽を半開きにして足元に落ちた。
 子供だけでなく、正直私も怖かった。それにしても、カマキリがどう頑張ったところで、人間相手に百パーセント勝ち目はないだろうに、何を思って立ち向かってくるのだろう。不思議で、怖い虫である。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

中秋の名月(みゃあげつ)

きょうは中秋の名月ですね。
このあたり、いまは少し雲が多いようですが、
夜は晴れるでしょうか。
きれいに見えるといいですね。

月見団子というのは、地域によって形状がさまざまだそうです。
関東ではまんまるいようですが、
関西では里芋型で、月に掛かる雲を表した餡が巻かれています。
うさぎの形の可愛らしい上用饅頭もあるようですね。
(猫耳のついたのとか、肉球マークの焼印入りの上用饅頭もあったら
うれしいです…お月見と関係ありませんが)

また、中国では、中秋節に月餅を食べてお祝いをするそうです。
(猫マンガを描いているROUROUの月餅セットはコチラ

みゆちゃんふくちゃんの月見団子は、猫型に魚型、
ふくちゃんの好みで餡子をのせてます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ