自分にとってのブログ

 ブログを始めたきっかけは、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」である。この本はとても面白くて、無限に広がるネット世界の可能性を前に、自分も何かできるのではないかという気分にすっかり乗せられてしまった。そうして、読み終えると、思い立ったが吉日と、腰の重い自分には珍しく、さっさとブログを開設したのである。
それからもうすぐ一年が経つ。いまやブログは、自分の生活の中で、かなり大きな比重を占めるものとなった。
 生来の飽き性である。だから、一年近く続いたことに、自分で驚いている。今までは、絵を描こうと思ったら、しばらくは根を詰めて描き続けるけれど、ひと月もせず飽きてしまう。文章も同じ。日記を毎日つけようと張り切るけれど、幾日も持たない。それが、ブログのおかげで、絵も文章も、毎日続いている。
 ブログという場で発表するということは、家の中でひとりで何かをして、自分の中で終わらせてしまうことと、張り合いが全然違う。見に来てくれる人の数は少しずつ増えるし、自分の書いたものにコメントをしてくれる人がいるというのはとても嬉しい。ちょっと完璧主義的なところがあるから、カレンダーに並んだ更新日の列に、穴が開くのも我慢ならない。
 こう書いたら、これから休みにくいけれど、あまり気負わずに続けたい。
(トラックバック練習板:テーマ「自分にとってのブログとは」)
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メロンというもの

 お中元だかなんだかで、大きな夕張メロンが、家に転がり込んできた。
 夕張メロンを食べるのは、初めてである。このあいだ、夫が北海道土産に買ってきてくれたドライフルーツのメロンは、「夕張限定」などと紛らわしい文句を並べておきながら、その実、タイのカンタロープとか言うメロンの干物であった。
 今度は正真正銘の、生の夕張メロンである。夕張メロンは食べ頃が二、三日だけとかで、もらったメロンも、もう熟れきって、部屋の中に芳香があふれた。
 包丁を入れると、オレンジ色の汁がまな板の上にどんどん流れ出て、もったいないことこの上ない。一口食べると、赤い果肉が口の中でふわっととろけるようで、芳醇という言葉は、まさにこういうことを言うためにあるのだと思った。思わず頬が緩んでしまうような、幸せな味のメロンであった。
 もちろん、普段からこんな贅沢なメロンは食べていない。いつも買うのは、スーパーで数百円程度で売っている、アンデスメロンとか、なんとかメロンとか、いろいろあって覚えきれないけれど、そういうメロンである。
 安価な種類のメロンというのは、最近出回り始めたものなのだろうか。昔は、メロンといえば、高級な果物というイメージがあった。たとえば、「ドラえもん」のスネ夫はいつもおやつにメロンを食べている。「スネちゃま、おやつざます。」とかいって、ママが切ったメロンを、応接間に運んでくるのである。
 もったいないことに、子供の頃はそのメロンがあまり好きではなかった。あるとき、友達のうちに遊びに行っていたら、おやつにメロンを出してくれたのだけれど、子供ゆえの無遠慮さでメロンは好きじゃないと言ったから、友達のお母さんは、せっかくのメロンなのにねえという顔をしていた。ちょうどそこに友達のお父さんがたまたま早くに帰宅したから、じゃあ、お父さんが食べたらいいわと、結局お父さんがそのメロンを食べた。
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ハチの隠れ家

 いつも夏の初めの頃に、アシナガバチが飛んできて家の軒下に巣を作ろうとするのを、まだ巣が小さいうちに私が取ってしまい、またハチが別の場所に作るのを私が取るといういたちごっこがしばらく続くのだけれど、七月になって、梁のうしろの見えないところに作った巣を見逃していたことに気がついた。
 一匹で作り始めた巣が相当大きくなって、すでに9匹もの家族になっていた。ハチの巣の各部屋には、幼虫もたくさん入っていただろうけれど、普段通る庭のすぐ上に大きなハチの巣があるというのは少し怖いから、気の毒だけれど、大人のハチを忌避剤で追い払って、巣を取って捨ててしまった。
 巣がなくなったから、みんなどこかへ飛んでいってしまうだろうと思っていたら、意外にも家族の結束と、場所への執着が強くて、すぐ近くの壁に9匹がかたまってとまっている。これからどうしようかと家族会議を開いているかのようだ。
 しばらくしたらいなくなるかと思ったらその逆で、次の日にはさっそくあたらしい巣を作り始めていた。またそれも取ったけれど、やっぱり同じようなところで9匹がいつまでもうろうろして、次の日には小さな巣を作っている。そんなことを繰り返して、やがてハチの姿が見えなくなったので、ようやくどこかへ行ったものと思っていた。
 ときどき、庭にハチの姿を見ても、よそから飛んできたのだろうとあまり気にかけなかったのだけれど、ある日、一匹のハチが、余った人工芝を巻いて置いてある、その巻き始めが緩んでできた隙間の中へ入っていくのを見た。
 まさかと思って、人工芝の巻いてある隙間を、したからそっと除いてみたら、そこに大きなハチの巣が出来て、大人のハチが、巣の表面でせっせと働いていた。
 一本取られたと思った。狡猾にも私の目をあざむいて、見事に復興を成し遂げたハチの巣を、また忌避剤を撒いて取る気にはなれなかった。もう夏も終わりである。巣を取るのは、秋が来て風が寒くなって、ハチたちが自然に姿を消してからにしようと思う。
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「長新太展ナノヨ」!

 絵本作家で漫画家の長新太さんは、2005年の6月、惜しくもがんのために亡くなった。長さんの訃報を知ったとき、子供のときに読んだ、長さんの「おなら」という絵本を思い出した。たくさん読んだ絵本の中で特に覚えているから、インパクトが強かったのだろうと思う。最近、長さんについて書かれた月刊誌の記事に、「ごろごろにゃーん」という絵本が紹介されていたから買ってみたら、長さん特有のナンセンスな本で、長さんって、すごいなあと思った。
 そんなこんなで、大丸ミュージアムKYOTOの「ありがとう!チョーさん 長新太展ナノヨ」という展覧会に、興味しんしんで行ってみた。
 展示されている作品のいろんなところに、長さんを思わせる鼻の大きなおじさんがいた。それが長さん独特の絵だと私は思っていたのだけれど、長さんの描く絵というのは、それだけではなくて、とても幅が広いということを知った。淡い色彩の洗練された絵があるかと思えば、子供の落書きみたいなものもある。色使いや線のタッチもさまざま。小さい頃に読んだこの絵本も長さんだったのかと、発見がいっぱいあった。
 長さんの遺作となったのが、「ころころにゃーん」(「ごろごろにゃーん」ではなくて、「ころころにゃーん」。展覧会に出されていた試作の表紙にも、「『ごろごろにゃーん』ではありません」と手書きされている。)。「ごろごろにゃーん」がナンセンスな内容だったのに対し、「ころころにゃーん」は、猫の家族の団欒を描いた微笑ましい作品である。この本が欲しくてネットで探したりしたけれどなかなか見つからなかったのが、今回の展覧会の販売コーナーにたくさん積まれていたので、嬉しく思って、一冊買って帰った。
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猫は知っている

 先日、ある人に会ったときに、その人が、みゆちゃんのためのお土産をくれた。黒猫の顔のついたピンク色の可愛い巾着の中に、猫の好きそうなおもちゃやおやつがいろいろ入っている。プラスチックの棒の先にふわふわの毛のついた猫じゃらしが二本、袋に入りきらないで、紐で絞った巾着の口からとび出している。
 家に帰ったら、豪華なお土産をみゆちゃんの前にぱっと出して驚かそうと思っていたのに、ほかの手荷物と一緒にいったん玄関に置いたすきに、みゆちゃんがお土産を目ざとく見つけて、白い毛の猫じゃらしを一本すっと引き抜くと、さっさとあっちの居間へ持っていってしまった。さっそくひっくり返って噛んだり蹴ったりして遊んでいる。みゆちゃんにもらったものだからいいのだけど、子供と一緒で、猫も自分のおもちゃにはすぐ気がつくものなのだなあと感心した。
 一度にたくさんのおもちゃを出して、どれもすぐに飽きてしまってはいけないから、少しずつ渡そうと思って、あとのおもちゃはピンクの巾着袋の中にしまっておいたのだけれど、しばらくしてみると、みゆちゃんが前足を袋の中に突っ込んで、またたびの実の入ったボールを勝手に出して転がしている。
 つくづく、猫はよく知っているのだなあと思う。
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ミーちゃんとケイ君その2

ふたたび、mihoさんちの仲良しミーちゃんとケイ君です。
仲良しな猫ちゃんって、見てるだけで幸せです。
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「みんなのドラえもん展」

 こんなとき、「どこでもドア」があったら、「スモールライト」があったら、「タイムふろしき」があったら。ドラえもんのマンガやアニメと共に過ごした子供時代、何度そんなことを思っただろう。私に限らず、きっとドラえもんと一緒に育った子供たちは、同じような願いを心に抱いていたのではないかと思う。
 その「みんなのドラえもん展」を、京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOに見に行った。
 入り口を入ると、まず目に飛び込んでくるのが、きれいに並べられたコミック本の、色鮮やかな表紙絵である。どれも見覚えのあるもので、懐かしい。
 ドラえもんの今までのあゆみを示す資料や、ドラえもんグッズ、海外で出版されたコミックスなどが並んでいるけれど、しかし、なんと言っても展示の目玉は貴重な原画である。ペンのタッチや修正したあとの生々しく残った原画には、一種憧れのようなものがあって、しかもその内容が、子供の頃に読んだものばかりで、ああ、こんな話もあったと、繰り返し読んだマンガの一場面一場面が鮮やかに思い出され、感慨深いものがあった。藤子・F・不二雄の洗練された線から生まれた可愛いキャラクターたちは、連載開始から30年以上が経った今でも、時代を感じさせることはない。
 1970年の連載開始以来、いまも、子供たちに愛され続けるドラえもん。訪れた家族連れの、子供たちはもちろん、お父さん、お母さんもドラえもん世代だろう。まさに、世代を超えてみんなが楽しめる、「みんなのドラえもん展」である。
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雷雨

 夕方、洗濯物を取り込んでいたら、うしろのトタン屋根を何かで、ばん、ばんと叩くような音がして、そのままばらばらと大粒の雨が降り出した。同時に空の向こうで低い雷の音がごろごろと鳴り出して、家の中に入ると、あっというまに雨足が強くなって、外はものすごい土砂降りになった。開けている窓から雨が降り込んでいないか調べて、風向きから言って雨が入ってきそうにない窓は、暑いので開けておいた。しばらくして、あまりにも表がごうごう言うので、心配になってもう一度窓を見に行ったら、いつのまにか風向きが変わった雨が、西の窓から勢いよく降り込んで、ざあざあと窓枠の木に泡が立つほどになっていた。
 やがて、遠くの雷を残し、外が静かになったので、車に乗って出かけたら、止みかけていた雨がまた本降りになり始めた。中くらいの雨粒が、ぽろんぽろんと車の屋根を叩き、その次には、大きな水の塊が、ばちばちと落ちてきた。道路の横を流れる川を見ると、黄色く濁った水がどうどうと流れて、川の中州に生えている背の高い雑草が、濁流の中に先っぽしか見えなくなっていた。
 雨の中を走るバスが停留所に止まって、杖をついた足の悪いおばさんが降りてきた。傘は持っていなくて、頭にかぶった白い帽子が、暗い空の下で目立った。家に辿り着く頃にはきっとずぶぬれになっているだろうと思うと、気の毒だった。
 橋の上には、野球のユニフォームを着た男の子たちが五、六人、自転車にまたがって、信号の変わるのを待っていた。こちらは子供だから、土砂降りの雨に打たれて、ちょっとわくわくしているかもしれない。
 夕立というにはちょっと長い雨が降って、夜にその雨がほとんど止んだあとも、遠くの空には稲妻が光って、ときどき、あたりがぱっと明るくなった。
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木の実連想

 昨日、今年初めてのイチジクを食べた。子供の頃はイチジクが嫌いで、庭にイチジクの木があったのだけれど、あまり誰も食べる者がいなくて、ほとんどが、熟しきって鳥や虫に食べられてしまった。柿の木もあるのだけれど、柿もあまり好きではなく、あと、実をつける木といったら、観賞用の柘榴くらいで、これは実がなっても、小さくてほとんど食べるところがなく、酸っぱい。だから、友達の家に大きな胡桃の木があったり、隣家の庭の栗の木に大きな青いイガがついているのを見ると、うらやましくてしょうがなかった。
 栗とか胡桃とか、そういう木の実の類には目がなくて、よく父と弟と3人で山へ採りに行った。夏のあいだに木のある場所を見つけておいて、秋になって実がなる頃にまた出かけて採りに行く。柴栗は、山道に落ちたイガを靴で踏んで割って、中に並んだ小さな栗を拾って集めた。山の胡桃は、店などで売っているものに比べるとずいぶん小ぶりで、小さな実が、高い木の枝にブドウのように鈴なりになっているのを、枝を長く継ぎ足した捕虫網で揺さぶって採った。
 柴栗も胡桃もどちらも小さくて、採ったはいいけれど、殻の中から少ない実を取り出して食べるのが一苦労であった。それでも、山で木の実を採ること自体が楽しいし、実を採った日の夜に、新聞紙の上に散らばせた木の実をみんなで囲んで、少しずつ割って食べるのも、楽しいひと時であった。
 胡桃は青い実の中に、しわのよった堅い殻が入っている。山で採った胡桃は小さいので、二つ三つが手のひらに入り、握ってこすり合わせるといい音がした。そのときの小学校の担任の先生に幾つかあげたら、タバコを我慢して手元がさびしくなったときに、そうやって胡桃の音を鳴らすと気がまぎれるのだといって、喜んでもらったことを覚えている。
 大人になった今でも、変わらず木の実が好きで、山道を歩くと下ばかり見て、どんぐりなんかを拾っては喜んでいる。あの背の高い胡桃の木は今もあるのだろうか。中に堅い胡桃を隠した小さな青い実が、今もブドウのようにぶら下がっているかと思うと、見に行ってみたくてしょうがない。
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貴船の川床

 貴船の川床へ連れて行ってもらった。
 納涼とは名ばかりで、たいして涼しくもないという話を聞く鴨川の納涼床とは違い、貴船の川床は、山あいを流れる清流の上にしつらえられた床だけあって、とても涼しい。夏日の照る道路から、階段を下りて、山の木々が陰をつくる川のそばへ行くと、気温がずいぶん違う。川面を渡る風が吹けば、さらに爽やかで気持ちがいい。
 見た目も涼しげな懐石料理を、せせらぎの風を感じながら味わう。ただ、川の音がやたらうるさい。かなり大きな声で話さなければ、卓の向こう側に座っている人との会話はなかなか難しい。もっとも、せっかく貴船の渓流へ来たのだから、話はほどほどにして、川の流れの音や、山の空気をゆっくり堪能するのもいいかもしれない。
 ときどき、堤燈の下がったよしずの屋根の下を、オニヤンマが滑るように飛んでいったり、黄蝶が舞ったりするのも、山の渓流ならではである。しかし、山中のことであるから、やって来るのは見て心地よい虫ばかりではない。足の長い大きな蜘蛛が歩いていたり、アブが飛んできたりする。大蜘蛛くらいは平気であるから、蜘蛛が卓の縁をつたって一周するのを面白がって見ていたけれど、アブは刺すから困る。こっちへ来ないか、始終気がかりだった。もちろん蚊もいるので、脇に置かれた平たい壺から、蚊取り線香の煙が二筋、三筋、白々と立ち昇っていた。
 しかしそういう嫌な虫のことをひっくるめても、渓流に仕立てた床の上に座して、新鮮な鮎の塩焼きをつつくなんて、贅沢なことである。もちろん、値段も贅沢であるけれど。
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