ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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最高にお得な拾い物
2007年06月29日 / 猫
が、ひとつだけ、すぐさま思いつくものがある。猫のみゆちゃんである。
猫について損得勘定なんかをすると、私の愛猫心が疑われかねないし、猫をもの扱いする気もさらさらないのだが、ひとつのたとえ話としてすると、事故で怪我をしたみゆちゃんを拾って、本当に得をした。
みゆちゃんが家に来てくれたことで、毎日がどんなに楽しくなったか。どれほど心が癒されたか。家族はみんな、みゆちゃんがそばに丸くなって眠っているだけで幸せになれるし、幼い息子は、みゆちゃんとの暮らしの中で、小さな動物を愛する優しさを身につけてくれると思う。まさにお金では換えられないものをタダで拾ったのだから、これほどの得はない。
捨て猫を拾ったらものすごい得をしますよと言ったら、少しは不幸な猫たちが減るだろうか。
(トラックバック練習板:テーマ「得したと思うこと」)
※本日は、シリーズ「めだか三代物語(3)」はお休みします。
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めだか三代物語(2)
2007年06月28日 / 魚
家に帰って、いざ金魚鉢に入れてみると、ホテイアオイがあまりにも大きすぎるために、二つは鉢に入らなかった。仕方がないので、余った方はバケツに水を張って入れておいた。新しい水草が入って嬉しいかいと水の中を覗くと、二匹の金魚は、何かしきりに、毛深い根っこを突付いていた。
次の日になって、ホテイアオイをよけておいたバケツの中で、何かが動いたように思った。最初は錯覚かと思ったのだけれど、目を凝らして見てみると、すい、すい、と可愛らしい赤ちゃんめだかが泳いでいる。よく見ると、一匹だけではない。五匹、六匹と、水面近く、それぞれが好き勝手な方向に、幼い動きで泳いでいた。
ホテイアオイの根っこに、たくさんのめだかの卵がついていたのである。卵はどんどん孵って、その次の朝に、十匹ほどに増えた子めだかは、夕方には二十匹を越えて、最終的に、正確な数を数えるのは至難の業であるけれど、だいたいで四十匹以上にもなった。
予期せず、家の水槽が可愛い赤ちゃんめだかでいっぱいになったので、とても喜んだのだけれど、いったいこのホテイアオイは、どういう環境で育てて売っていたのか、他にも、赤い糸ミミズみたいなのや、水中に棲むダンゴムシみたいなのまでがくっついていた。金魚が根っこをしきりに突付いていたのは、これらの付随物を一心に食べ漁っていたのであって、金魚鉢に入れたほうも一応引き上げて見てみたけれど、根っこはもうすっかりきれいになっていた。
しかし、この不純物だらけの水草のおかげで、金魚は白い斑点のできる病気になってしまった。食塩浴をさせて、治ったのでよかったけれど、彼らにとってはとんだとばっちりであった。(つづく)
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めだか三代物語(1)
2007年06月27日 / 魚
先日、そのめだかの鉢を覗いたら、五匹のおとなのめだかに混じって、生まれたばかりの小さな赤ちゃんめだかが三匹、すいすいと、水面近くを無邪気そうに泳いでいた。
子めだかは、体長が二、三ミリばかり、透き通った糸のようなからだの端の両側に、丸い目玉がついている。
めだかというのは馬鹿な魚で、放っておくと親が自分の卵や稚魚を食べてしまうので、この新しく生まれた子めだかを、別の水槽に移すべきかと思案していたら、水の底からすうっとあがってきた親めだかが、あっという間に一匹の子めだかを口に吸い込んでしまった。もう迷う余地はなく、金魚のために汲み置いていた水を、余っていたガラスの水槽に入れて、残った二匹の子めだかを急遽移し、水草についていた卵も、いちいち取って移し変えた。その卵が今では孵って、たくさんの子めだかが、水槽の中を泳いでいる。
この子めだかたちは、うちのめだかの三代目に当たる。初代のめだか、すなわち、この子めだかたちの祖父母のめだかを、どうやって手に入れたかというと、買って来たのでも捕って来たのでもない、一風変わった方法で、彼らは我が家にやって来た。(つづく)
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蛍の川
2007年06月26日 / 虫
通りから遠ざかるように川沿いを歩いて行くと、闇が濃くなるにつれて、二つ三つ、五つ六つと、川面に幻想的な緑色の明かりが灯り出した。街灯の光を避けるように、木々の陰や草むらに、蛍の数は増えていく。しばらく行くと、川の土手が少し開けたような場所があって、そこに、いくつもの蛍が、ふわふわと光の尾を引くように、飛び交っていた。蛍の乱舞とまではいかないけれど、たとえば蛍の名所として知られる哲学の道なんかよりも、たくさん飛んでいた。
たよりげない光の粒が、ぼうっと明滅しながら、ただ静かに闇を舞う光景は、なんとも、浮世離れしているように感じられる。もっとも蛍にとってみれば、雄と雌のあいだで光の言葉を交わすこの夜は、まさに浮世そのものであるはずなのだけれど。
蛍を捕まえて、かごに入れている子供がいた。子供の手の中で、二つほどの明かりが、ゆっくりと瞬いている。
一緒に蛍を見に来た人たちは、可哀相に、捕まえるなんて酷い、放してやればいいのに、と怒っていたが、私は曖昧に相槌を打って、黙っていた。
子供の頃、海でキャンプをしたときに、星の降るような砂浜で、一匹の蛍を捕まえた。ビニール袋に入れて枕元に置いておいたら、明かりを消した車の中で、弱々しい光を放っていた。
袋に空気穴をあけておいたのに、次の朝に蛍は死んでいた。胸の上で足を折りたたんで、袋の内側をつるつると滑った。朝の明るい光の中に、蛍はただの甲虫となった哀れな姿を晒していた。とても悪いことをしたと思った。なんて儚い虫だろうと思った。
あの子供も、家に帰る前に、蛍を夜の闇に逃がしてやっていればいいのだけど、と思う。
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猫に名前をつけすぎると
2007年06月25日 / 猫
その本のことを、なぜか、最近思い出した。十年経って、猫に名前をつけすぎたらどうなるのか気になって、あの時、買っておけばよかったと思った。ネット書店で調べてみたら、著者は阿部昭、知らなかったのだけれど、きれいな文章を書く人だそうである。「猫に名前をつけすぎると」は品切れ、重版未定の状態で、いよいよ、十年前に買わなかったことを後悔した。
猫が別名を持つことは、特に外飼いの場合では、そうめずらしいことではない。家ではミミちゃんでも、通い先の別宅ではタマちゃん、通りの向こうの顔馴染みの店ではミケちゃん、というふうである。
完全室内飼いの猫でも、家の者によって呼び名が違うことがあって、実家のデビンちゃんも、父には「ぷーちゃん」、「ぷーちん」などと呼ばれている。駆け出したり椅子から飛び降りたりするときに、気合が入るのか、よくデビンちゃんは「ぷう」という声を漏らすのである。
我が家では、まだ言葉の上手く喋れない息子が、最近、みゆちゃんのことを「みんま」と呼ぶようになった。自分のことだとわかっているのかわかっていないのか、「みんま、みんま」と慕ってくる息子に、ともかくみゆちゃんは目を細めて応じている。
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猫の夏、猫の冬
2007年06月22日 / 猫
「猫はこたつで丸くなる」という童謡はほぼ正しいと思う。だけど、雪が降って庭を駆け回るのは犬だけではない。めずらしく大雪が降って、小さな庭が雪景色となった朝など、開けた窓から吹き込む寒気もものともせず、好奇心いっぱいで白い世界へ踏み出していく。小さな柔らかい肉球が、しもやけにならないのだろうかと心配になる。もっとも、やはり猫だから、駆け回って遊ぶようなことはせずに、しばらくすると、ああ寒かったという顔をして、家の中に戻ってくる。
暑いのは、あまり苦手ではないのかもしれない。夏の日には、板敷きの廊下でからだを目一杯だらりと伸ばして、だらしなく寝そべっているかと思えば、窓を閉め切った南向きの部屋の、冬のために作った断熱材つきの段ボール箱の中で、暑そうな顔をして寝ていることもある。
私はといえば、昔は暑いのが嫌であったが、今では寒いのがより嫌いである。もっとも、夏になれば寒いほうがまだましだと考え、冬が来れば暑いほうがよかったのにと不平をもらすのだから、勝手なものである。
(トラックバック練習板:テーマ「苦手な気候はなんですか」)
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小林光「エコハウス私論」
地球温暖化が深刻な問題だといわれて久しいが、日本では、温暖化による顕著な影響はまだあまり見られないから、一般市民にはぴんと来ないというのが実情だろう。温暖化により南極の氷が解けて、ペンギンの営巣地が水浸しになっている映像なんかをテレビで見ると、そのときは、何とかしなければ、と思うけれど、それでも日々、平穏な生活が続いて、切羽詰ったことなどなにも起こっていなければ、未来の危機というのは想像しにくいし、そのための行動も起こしにくいというのが人情だと思う。
しかし、家庭から出る二酸化炭素の量は年々増加傾向にある。私たち一般市民が、何らかの行動を起こすということは、温暖化防止にとって大きな意味がある。むしろ、行動を起こさなければならないというべきである。
その対策のひとつが、本書で紹介されているエコハウスである。著者の小林氏は、基本的な家の構造から電気機器といった設備まで、徹底したエコを目指しているけれど、そこまではしなくても、たとえば断熱性や気密性を高めたり、太陽熱を利用する設備を取り付けたりということだけでも、家庭から排出される二酸化炭素の量はずいぶん削減される。
エコハウスは住み心地の点でも優れているという。小林氏は、立替前のエコでない家と比較して、エコハウスが環境に優しい家であると同時に、そこに住む人間にとっても優しい家であるということを強調している。これは大事なことだ。自分にとってもいいものでなければ、エコへの努力は長続きしない。身近なところで、環境に優しい行いが、実は自分にとってもいいことなのだということがわかれば、人々の意識は少し違ってくるのではないかと思う。
本書を読んで、著者の、環境に対する真摯な姿を目の当たりにすると、自分も何か、たとえば、こまめに消灯するとか、レジ袋を持参するといった小さなことからでも、はじめなければならないという気にさせられる。そういう点で本書には、環境意識を向上させる啓蒙書的な役割も見出せると言えるかもしれない。
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にゃんともうらやましい名字
調べてみると、「大仏」を「おさらぎ」と読むようになった由来については、いくつか説があるようである。
ひとつは、北条時政の子・時房が、鎌倉大仏の近くに住まいを構えたことから苗字を「大仏」とし、その土地の名前が「おさらぎ」であったため、「大仏」と書いて「おさらぎ」と読むようになったという説。
また、仏様の供物を載せる皿を「さらけ」と言ったことから、それがそのまま仏様を意味するようになったという説。
あるいは、大仏は新しい木材である「さらき」で作ることから、「おさらぎ」という呼び方ができたという説。
とすれば、大佛次郎は、北条一族の末裔なのかと思いきや、「大佛次郎」とはペンネームで本名は野尻清彦、デビュー当時、鎌倉大仏の裏に住んでいたことにちなんで、そういう名前をつけたということである。
その大佛次郎の随筆集「猫のいる日々」によれば、フランスにはル・シャ(猫)という名字の家があるらしい。大佛次郎がフランスのある墓地を訪れたときに、「猫」と刻まれたその家の墓標を発見したそうだ。「猫家」だなんて、猫好きなら誰もが憧れそうな姓である。
日本にもそんな姓があるだろうかと調べたら、一文字で「猫」というのはないようだけれど、猫のつく名字なら結構あった。
猫石(ねこいし)、猫沖(ねこおき)、猫実(ねこざね)、猫島(ねこしま)、猫田(ねこた)、猫塚(ねこづか)、猫戸(ねこと)、猫西(ねこにし、こにし)、猫平(ねこひら)、猫羽(ねこま)、猫俣(ねこまた)、猫宮(ねこみや)、猫本(ねこもと)、猫屋敷(ねこやしき)、猫遊軒(びゆうけん)
猫島なんて想像しただけで楽しそうだし、猫宮というと、猫の神様を祭ってあるようなありがたいお宮を思い浮かべてしまう。なんともうらやましい名字である。
もっとも、猫屋敷さんが実は猫嫌いだったとしたら、自分の名字についてあまりうれしい気持ちはしないかもしれないけれど。
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長いお別れ
2007年06月20日 / 虫
ハチにはハチの生活があるし、子育てのために、たくさん獲物を狩らなければならないのだろう。しかし、すっかり顔馴染みになった幼虫が、緑色の肉団子にされてしまうのはあまりに忍びなくて、山椒の枝ごと、家の中に入れてやった。
冷蔵庫の横の、みゆちゃんが登ってこられないと思われる棚の上に、枝を差した瓶を置いた。
こうして、アゲハの幼虫と一つ屋根の下で暮らすことになったのだけれど、いつ見ても、幼虫は何を考えているのだか、姿勢を正してただじっとしていた。枝の先からきれいに葉っぱがなくなっていっており、どうも食事はこちらが見ていないときにしているらしかった。
そんなふうにして二日ばかりたった夕方、幼虫が、台所の床の上に降りているのを発見した。なにやら、困っているようであった。山椒の枝に戻してやっても、そわそわとすぐ降りたがって、うろうろ何かを探している。ぴんと来た。蛹になる場所を探しているのであろう。以前、野菜について来たのを育てた蛾の幼虫も、蛹になる前に、潜るべき土を求めてそわそわしていたものである。その様子によく似ていた。期間も、終齢幼虫になってからちょうど六日。ネットで調べた日数と同じである。
アゲハチョウの幼虫は、普通、食草の上では蛹にはならない。では、こんなものはどうですかと、割り箸などを勧めてみると、一応登って少し考え、気に入らないとまた降りてきた。
いろいろ考えてみたけれど、幼虫の好みはわからない。結局、外へ出してやった。
無事に蛹になれただろうか、心配である。蛹の期間は約二週間。羽化して飛び立っていく前に、一目、その見違えるような姿を見せて欲しい。
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週刊朝日編「うちのにゃんこは世界一!」
数々のエピソードを見て思うのは、猫に甘い人が多いということである。障子や襖がぼろぼろ、というお宅も少なくない。猫を飼っているつもりが、見事、猫の策略にはまって、猫の言いなりになっている。もっとも、「猫好き」という人たちは、この私も御多分にもれず、それがわかっていながら、むしろ嬉々として猫に仕えているものではあるが。
ただの猫自慢に終わっているものもあるけれど、変わった癖のある猫の話や、感動する話、我が家の猫を思い浮かべて思わずにやりとしてしまう話など、猫好きとって興味深い話が結構入っている。
その中で、仲良しだった二匹の猫のうちの一匹が、もう一匹の目の前で交通事故にあって死んでしまったという話があった。残った一匹は、その後何日も事故の現場に通っては、じっと、友達の死んでしまった場所を見つめて座っていたという。
この話を読んで思い出したのは、以前に、ある猫おばさんから聞いた話で、喫茶店の女主人である猫おばさんは、店の前で毎日何匹もの野良猫に餌をあげていたのだけれど、ある日、そこへ来ていた子猫が、車にはねられて死んでしまった。その子猫には、少し年が上の仲良しな猫がいて、その猫が、死んでしまった子猫の上にじっと守るようにうずくまって、おばさんが子猫を葬ってやろうと思っても、頑として子猫を渡そうとしなかったそうである。
本書に収録されているさまざまな猫の話を読むと、猫の愛情の深さや、頭のよさにあらためて感心する。もっとも、なんてったってうちのにゃんこが世界一だと思っている人ばかりが書いたものだから、かなり贔屓目なところがあるとは思うけれど、書き手も猫好きなら読み手も猫好き、それで問題ないのである。
うちのにゃんこは世界一! (朝日文庫)
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