蝋梅

 蝋梅の花を見に、植物園へ行った。蝋梅という名の由来は、花の見た目が蝋細工に似ているからだとか、陰暦の12月を意味する蝋月に、梅に似た花を咲かすからだとか言われている。
 比較的過ごしやすい日だという予報であったが、それでも10度は上回らず、どんよりとした冬の空で、植物園に人はまばらであった。
 北門の券売所で職員の人に蝋梅の木の場所を尋ねたら、さあ、もう見頃は過ぎたかもしれないということだったけれど、梅林にあると聞いて、そちらへ向った。
 寒々しく吹き上がる噴水の横を折れて、前日の雨でまだしっとりと濡れているような針葉樹が、高く空をさえぎる並木道を進むと、右手に梅林が見えてくる。梅の木は枝に丸いつぼみをつけながらも、未だ開花の時期を待って、じっと静かにたたずんでいた。その粛々とした梅林の中央あたりに、唯一、黄色い花をいっぱいにつけた蝋梅の木が、薄明かりのようにぼんやりと見えた。同時に、微風が、黄色い香りを運んできた。
 静かな梅林に入って、蝋梅の木のそばまで行くと、一段と強く匂った。果たして見頃がもう過ぎているのかどうか私には判然としないけれど、十分にきれいであった。名前の通り、蝋細工のように透き通った黄色い花びらが、雨の滴をまとって、冬の空に凛と光っていた。

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「猫は犬より働いた」須磨章著

 子供の頃に読んだ井上ひさし著「ドン松五郎の生活」の中で、犬のドン松五郎が、犬と猫のどちらが人間の役に立っているかというテーマで、隣に住む嫌な猫を言い負かす場面がある。無論、もともとこのテーマでは勝敗は明らかなので、はじめ猫はのってこないのだが、そこが機転の利くドン松五郎、人を暖めるという分野に限るというので、猫もそれならとまんまと土俵に乗せられ、いかに猫族が人にぬくもりを提供してきたかということを力説するのだけれど、あいにく公式なデータがない。それに対しドン松五郎は、遭難した人が犬を抱きかかえて暖を取ったおかげで命拾いをしたといういくつかの実例を挙げて、結局猫を黙らせてしまう(「ドン松五郎の生活」を読んだのは20年くらい前のことだから、細かい点は違っているかもしれない)。
 当時の私は犬派で猫なんか好きでもなんでもなかったので、そうだそうだと利口なドン松五郎の勝利を小気味よく思ったのだけれど、すっかり猫派になってしまった今、この「猫は犬より働いた」という興味深いタイトルの本を手にとって、その「ドン松五郎」の一シーンを思い出した。
 警察犬や盲導犬、介助犬など、人と一緒にさまざまな仕事をこなす犬に比べて、猫は、まさに「猫の手も借りたいほど」と言われるように、何の役にも立たないイメージが強いし、猫好きにとっては、そういう猫の役に立たなさというのがまた猫の魅力のひとつであるように感ぜられていたから、このタイトルはとても意外であった。
 本書のプロローグによれば、猫派の著者に送られてきた「猫にも犬のような功績があれば教えて欲しいものだ」というある犬派の人からの手紙が、本書を書くきっかけになったのだという。猫の名誉挽回のために、猫だって負けずに仕事をしたのだということを立証しようというわけだ。
 したがって、本書には古今東西の働く猫のエピソードが紹介されている。猫の仕事で主だったものといえば、やはりねずみを狩ることで、特に、幕末から昭和初期にかけて最盛期を迎えた日本の養蚕業が猫によって守られたということが協調されている。当時の日本経済を猫が支えていたという記述は、猫好きな読者なら決して悪い気はしないだろう。
 また、壱岐地方ではかつて猫を湯たんぽ代わりに飼っていて、「湯猫」という言葉まであるというから、ドン松五郎と井上ひさしと、犬派だった自分を見返してやった気分だ。
 働く猫とはあまり関係のないエピソードも多く載せられているので、本書の全体的なイメージとしては、歴史上の猫と人との係わり合いというような印象である。それはそれで面白いが、中世ヨーロッパの魔女狩りで多くの猫が殺された事実など、目をそむけたくなるような話もある。
 膨大な数の文献に当たって、よくこれだけの猫話を拾い上げたものだと感心するが、それに対する著者の主張にはあまりぴんと来ないものが多い。たとえば、中世ヨーロッパで広く行われた魔女狩りにともなう処刑よりも、同時期にパリの一印刷工場で起きた虐殺事件を「信じられない事件」として大きく扱っているのは、問題のとらえ方がずれているように思われるし、犬や猫が地震を予知する能力についての項では、遺伝子に関する理解の程度があまり高くないとうかがわせるような記述もある。
 もっとも、エピローグで著者が、現代の人と猫との関係について、猫を人間の枠にはめるばかりでなく、少しは人間を猫のほうに合わせてみるのも悪くないと述べている点については、私も大いに賛成である。

『猫は犬より働いた』須磨章

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じっとしてて!

 実家のポチは非常に人懐っこい性格をしていて、呼べば喜んでやってくるし、とにかく身体を触って撫でてもらうことが大好きなので、写真を撮るのはなかなか難しい。可愛いしぐさを写真に撮ろうとカメラを向けても、すぐ足元によってくるから、近すぎてちょっとぼやけた大写しの絵しか撮れないのである。
 数年前に大往生を遂げたクロちゃんという名の猫も、ポチと一緒で写真の撮れない猫であった。クロちゃんはいつも散歩道の途中にいて、道行く人たちの人気者だったのだけれど、一度家のみんなに写真を見せようとクロちゃんの撮影を試みたのだが、離れても離れてもすぐに擦り寄ってくるから、近すぎて顔半分だけの、しかも目が真っ白にとんだ怖い写真しか撮れなかった。
 一方、ネロは擦り寄ってくるわけではないけれど、やっぱりなかなか写真を撮らせてくれない猫で、ボス猫の威厳をたたえてきりっと座っているところを、チャンスとファインダーをのぞいた途端、首をくるっとうしろへ回して背中を舐めたりお腹を舐めたり、ちっともじっとしていない。一種の照れ隠しだったのかしらと思う。
 そんなネロやポチに対し、みゆちゃんはいつもカメラ目線である。いつも注目されたいと思っているから、写真を撮られることが好きなのかもしれない。家族の集合写真を撮ろうと思って、私が息子を、夫がみゆちゃんを膝に抱いてソファに座り、セルフタイマーで撮ったときも、息子よりもしっかりカメラの方を向いていた。
猫の写真に対する考え方も、まったく十猫十色である。


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【猫本】「ネコの気持ちがよ~くわかる本」夢プロジェクト編

 たとえば、みゆちゃんが「遊んでニャー」と言っているのに、適当に返事をして家事をしたりパソコンに向ったりしているとき、ふと振り向くと、みゆちゃんがうずくまってじっとしているので、こっちを見つめる不満げな眼が少々気にはなるけれど、遊んでもらうのを待っているうちにきっと眠くなってしまったんだろうと自分に都合のいい解釈をして、遊び相手になってあげなかったのだが、この「ネコの気持ちがよ~くわかる本」によれば、やっぱりそういうときの猫というのは、「鳴いて騒ぐほどの要求があるわけでもないが、退屈していてなんとなく不満」であるらしく、私はみゆちゃんをほったらかしにせずに、遊んであげるべきであったようである。
 猫は犬に比べると一見表情が乏しく(その無表情な感じがまた猫の面白いところでもあるのだけれど)、一緒に暮らしていても、猫がいったい何を考えているのかよくわからないことがある。そういう疑問に答えようというのが、この本の目的である。
 読み進めていくと、猫の普段の行動のひとつひとつにどのような意味があるのかということがいちいち説明されていて、ああ、だからあのときあんな顔していたんだとか、それでああいう行動に出たのかとか、思い当たる節がいっぱいある。
 またこの本を読んで、猫はその身勝手な素振りからこちらが想像しているよりも、もうちょっと飼い主のことを思っているというような印象も受けた。たとえば猫もちゃんとお礼をするという項があって、ドアを開けてあげたときに猫がすりすりしたり、美味しい食べ物をあげたときに一緒に飼い主の指もぺろぺろ舐めたりするのが、猫の「お礼」に当たるらしい。勝手気ままな動物だと思っていた猫が実は飼い主に対する感謝の気持ちを持っていたという事実(かどうかはわからないが)は、盲目的な猫好きを相当喜ばせるだろう。
 不可解な動物だと思っていた猫について、こんなに行動のすみずみまで意味づけが出来ていたとは、眼から鱗が落ちる気持ちだけれど、ただ、本に述べてあることすべてが本当に事実なのかどうかは疑問を感じる。たとえば、猫が人と一緒に眠りたがるのは、暖かいことのほかに、人の脇の下から分泌されるにおいが母猫の乳首から出るにおいに似ているからだというように、わりと科学的な説明がなされていると納得しやすいが、窓の外の小鳥に向ってつぶやくように鳴いたりするのは、手の届かない鳥に対し、その鳥を狩るところを想像しているからだというような、特に猫の内面的な点に関して、裏づけとなる説明もたいしてされていないものについては、推測の域を出ないのではないかと思う。また自分が猫と生活してきて、そうだろうかと賛同しかねる部分もある。
 そうはいっても、この本をきっかけに、以前よりも猫がどんな気持ちでいるのかと考えることが多くなったし、本の記述と自分の経験とが異なるところは、実際はどうなのだろうと猫をより注意深く観察してみればいい。この本が、猫の気持ちをよ~く理解するためのヒントになることは確かであると思う。

ネコの気持ちがよ~くわかる本―たとえば、叱られたネコが、あわてて「毛づくろい」をするわけは? (KAWADE夢文庫 761)

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わんにゃん食堂シリーズ「犬猫家」

先週のカイさんのリクエスト(?)におこたえして、わんにゃん食堂シリーズ第3弾「犬猫家」です。
犬と猫の共同経営ですが、一人で料理を受け持ち忙しそうな犬料理長にくらべ、猫は招き猫係でのんびり「いらっしゃ~い」。なんか、不公平??

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今年の目標

 今年の目標というのは、特にない。年が明けて、お正月は一応おせちや雑煮を食べたり、近所の神社へ初詣を兼ねた散歩に行ったりしたけれど、年が変わったこと自体に特別な意識は持っていないから、したがって、あらためて今年の目標を掲げたりもしない。
 もっとも、二十代の頃はもうちょっとやる気があって、年の変わり目とか年度の変わり目ごとに、今年こそはもっと成長しよう、いろんなことをしようと気持ちを高めて、例えばラジオの英会話のテキストを買ったりとか、一週間の細かな勉強スケジュールを立てたりとかしたものだけれど、高揚した気持ちで作ったスケジュールというのはたいてい厳しすぎて3日も達成できない。達成できなくなると、途端にやる気が失せてしまう。
 その点に関してある人が、スケジュールを立てるときは、過剰にやる気満々になっている部分を差し引いて、やろうと思ったことの3割程度を目標にするのが継続のコツだと言ったのを聞いて、眼から鱗が落ちる気持ちがした。ぎゅうぎゅうのスケジュールを作ってもどうせ挫折してやめてしまうのだったら、3割でもいいから続けたほうが力になる。そうやって、その人はずっとトレーニングを続けているのだと言った。
さっそく、私も3割のスケジュールを作ってみた。しかし、眼から鱗が落ちたには落ちたが、それでもやっぱり意志薄弱な私は結局挫折してしまった。
そんなことを繰り返して、ラジオの外国語のテキストの4月号ばかりがたまり、とうとう目標を立てることもやめてしまった今日この頃である。ただ、今年の目標というのはないけれど、もっと自由自在に自然な猫の姿を描けるようになりたいとか、いろんなことを勉強して賢い母親になりたいとかいうことは、一応、常に思っている。
(トラックバック練習板:テーマ「今年の目標は」)

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ちょっとひと休み…

今日はちょっとひと休みしま~す。

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みゆちゃんの新しいひも

 あたらしい紅白のひもをみゆちゃんはとても気に入っていて、昼寝から起きると、うーんと伸びをして私の足元までやってくると、「ひもで遊ぼう」という顔をしてこっちを見上げる。あたらしいひもは長さが150センチほどあって長く、ひとりで遊んでからだに絡まったりしては危険なので、人と遊ばないときには机の引き出しの中にしまってある。そのことを知っていて、引き出しに手をかけると、さあひもが出てくるぞとばかり、急いでのぞきにやってくる。ひもをあっちへこっちへと動かしてやると、追い掛け回し、ひもの先っぽを捕まえようと、子猫みたいに両手を広げて飛び上がったり、ピアノの椅子の陰に隠れて狙いを定めてから飛びついたりして遊ぶ。
 前の黒い手提げひものときには、適当に追いかけて、数分もすればもう飽きてしまったのだが、今度の紅白のひもは、こちらがもういいだろうと思って手を止めると、もっとやれと子猫のように目を細めてニャアと鳴いて催促する。姿が見えなくなったからもうやめたのかしらと思って別のことをしていたら、ピアノの椅子の陰で辛抱強く待っていて、ずいぶんたってから控えめに「ナー」とつぶやくように鳴いて、隠れていることをこっそり伝える。あるいは、私の足に絡んでくるので、適当に撫でたりしてごまかしていたら、もう、わかってないんだから、とばかり、向こうからひもをくわえてもってきたりする。
 ひもの先端を追いかけて私の周りをくるくると走るみゆちゃんの姿を上から見ると、おなかが両側にぽこりと出ている。食べては寝てで少々太り気味だから、このお気に入りのひもを使って、しっかり運動させなければならない。

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猫はツートーンカラーがお好き?

 市販のおもちゃよりも、みゆちゃんはひもの類の方がずっと好きで、こげ茶色と薄茶色のツートーンになった、直径3ミリくらい、長さ70センチくらいの髪の毛をくくるゴムひもを長らく愛用していた。そのひもをよく口にくわえて持ち運んでいて、夜中のうちに「遊ぼうよ」というつもりで持ってきたのか朝起きたら寝室にそのひもが落ちていたり、いつもご飯を食べるとき、キャットフードの置いてあるたんすの上までそのひもをくわえて上がって、入れ物の横においてから、食べたりしていた。猫はひもを獲物であるヘビとかトカゲに見立てて遊んでいるというから、狩りごっこのつもりで、捕まえたヘビ(ひも)を、他の猫や動物に食べられないよう木の上(たんすの上)に持って上がり、そこで(実際はキャットフードを)食べるという遊びをしていたのかもしれない。
 そのお気に入りのこげ茶と薄茶のひもがなくなってしまった。たんすのうしろとか、落ちていそうな場所を数箇所探してみたけれど見つからないので、代わりに、どこかで買い物をしたときに商品を入れてもらった紙袋の、手提げ部分に使われていた黒いひもを切り取ってみゆちゃん用としてあげたけれど、太すぎるのか、以前のひもほどは乗ってこない。
 ある日、机の中を探していたら、赤と白のツートーンカラーの細いひもが出てきた。紅白だから、たぶん結婚式の引き出物の箱にでもかかっていたひもなのだろうけれど、ためしにみゆちゃんの前で揺らしてみたら、これが非常にお気に召した。みゆちゃんはツートーンカラーが好きなのかもしれない(というより、たぶん、細さがいいのだろうけれど)。

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早朝の猫時間

 先週、みゆちゃんの朝寝坊は夜中に遊んでいることが原因らしいということを書いたけれど、母によると実家のちゃめも同じで、いつも朝方の4時とか5時にカタコトいう物音がするから母が目を覚まして、なんだろうと耳を澄ましていると、どうやら階下から上ってきたちゃめが隣の部屋で遊んでいるらしく、しばらくあとに母が起きて見てみると、ねずみのおもちゃがぼろぼろになって落ちていたりする。
 最近家の中で寝ることが多くなった外猫ポチも、やっぱり朝の4時とか5時になると、必ず家の者を起こして何の用があるのか外に出て行くし、思い返してみれば、私が実家にいた頃も、当時の半外猫たちがいつも4時5時に外へ出たいといって起こしにくるので、冬などはとても寒い思いをした。
 私が2時とか、たまに3時くらいまで起きていても、そのあいだみゆちゃんは丸まって眠っているから、みゆちゃんが活動し始めるのも、やっぱり4時とか5時あたりなのではないかと思う。
 猫がまだまだ野性的な生活をしていた時代に、その時間帯、なにか狩りやすい獲物がいたとか、そういう習性が残っているのだろうか。皆さんの家の猫は、どうだろう。

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