日曜の夕方に大阪駅に架かる陸橋で地べたに写真を並べて売っているまだ少女と呼んでもおかしくない若い女性が居た。
興味深く眺めていたら彼女は僕がたすき掛けしている黒のDONKEを見取って写真をやっているのですか?と親しく話しかけてくれた。
どうやら彼女は自分でも話すようにカメラのことや写真のことはあまり詳しくないようで独学でデジカメで撮影しながら世界を旅しては日本に戻ってこうして道端で発表しているのだった。
僕のカメラにも興味を示したからバックからローライを出して手渡してあげた。
まるで子どものようにはしゃいでスクエアが映しだす夕方の雑踏を覗いていた。
聞けば成田から大阪までヒッチハイクで来たそうでいきなりシャツをめくって二の腕に太いマジックで書かれた『大阪までhitch hike』の文字を見せてくれた。
彼女の写真を2枚と外国の旅先で知りあった隣の彼女の写真を1枚買った。
3枚で450円と言う。
500円玉を渡してお釣りはいいからと言うとたいそう喜んでくれた。
夜の茶屋町あたりを2時間ばかりM2で撮ってまた陸橋にもどってきたら、もうすっかり夜風は冷たくなっていて、まだ居たなら阪神デパート地下で熱いたこ焼きでも買って差し入れてあげようと探したけれどもう彼女たちは居なかった。
僕がいま彼女たちと同じ年齢で生まれていたとしたらあんなふうに自由に躊躇うことなく生きていただろうか?
キラキラ輝く目にもういちど会ってみたかった。
その夜は夕暮れの陸橋の薄明かりのなかで僕にちょっぴり自慢気に見せてくれた二の腕のマジック書きがなんども浮かんできて、なぜあれを撮影しなかったんだろ…と悔やみながら眠れずに結局3時すぎうとうとして眠りについた。。。
興味深く眺めていたら彼女は僕がたすき掛けしている黒のDONKEを見取って写真をやっているのですか?と親しく話しかけてくれた。
どうやら彼女は自分でも話すようにカメラのことや写真のことはあまり詳しくないようで独学でデジカメで撮影しながら世界を旅しては日本に戻ってこうして道端で発表しているのだった。
僕のカメラにも興味を示したからバックからローライを出して手渡してあげた。
まるで子どものようにはしゃいでスクエアが映しだす夕方の雑踏を覗いていた。
聞けば成田から大阪までヒッチハイクで来たそうでいきなりシャツをめくって二の腕に太いマジックで書かれた『大阪までhitch hike』の文字を見せてくれた。
彼女の写真を2枚と外国の旅先で知りあった隣の彼女の写真を1枚買った。
3枚で450円と言う。
500円玉を渡してお釣りはいいからと言うとたいそう喜んでくれた。
夜の茶屋町あたりを2時間ばかりM2で撮ってまた陸橋にもどってきたら、もうすっかり夜風は冷たくなっていて、まだ居たなら阪神デパート地下で熱いたこ焼きでも買って差し入れてあげようと探したけれどもう彼女たちは居なかった。
僕がいま彼女たちと同じ年齢で生まれていたとしたらあんなふうに自由に躊躇うことなく生きていただろうか?
キラキラ輝く目にもういちど会ってみたかった。
その夜は夕暮れの陸橋の薄明かりのなかで僕にちょっぴり自慢気に見せてくれた二の腕のマジック書きがなんども浮かんできて、なぜあれを撮影しなかったんだろ…と悔やみながら眠れずに結局3時すぎうとうとして眠りについた。。。