おっちゃんは、ずっと眠ったままだ。
緩和ケア病棟に移れるように
少しづつ麻酔薬を減らして様子を見ている。
麻酔薬の濃度が薄くなると
眉間にしわを寄せ苦しそうな表情になる。
息子が見舞いに来たときは、
麻酔の量が少なめの時で、うっすら目を開けたが
認識をしていないようだった。
おっちゃんの兄夫婦も見舞いに来た。
このときはずっと眠ったままだった。
麻酔薬とモルヒネを入れ替える措置を取っていた。
8月30日、昼に突然呼び出された。
呼吸が落ちてきている、というので急いで娘と病院に駆け付けた。
1時間も立たないうちに呼吸が止まり、心臓も止まった。
あまりにも早かったが、最後は痛みも無く
本人は苦しまずに逝けたのだろう。
おっちゃんと、おばちゃんは、1997年臓器移植法が制定され、臓器提供カードが配布されたときに
二人してすべての臓器を提供することにし、互いに署名していた。
おっちゃんは、癌だから、内臓はすべて提供不可だったが、
角膜は提供できた。
大学病院からドクターが来て眼球を摘出した。
遺体の引き渡しを受け、自宅に戻ったのは夜7時頃だった。
息子とワンコたちが出迎えた。
チャコが落ち着かない。
そしておっちゃんのそばから離れない。

緩和ケア病棟に移れるように
少しづつ麻酔薬を減らして様子を見ている。
麻酔薬の濃度が薄くなると
眉間にしわを寄せ苦しそうな表情になる。
息子が見舞いに来たときは、
麻酔の量が少なめの時で、うっすら目を開けたが
認識をしていないようだった。
おっちゃんの兄夫婦も見舞いに来た。
このときはずっと眠ったままだった。
麻酔薬とモルヒネを入れ替える措置を取っていた。
8月30日、昼に突然呼び出された。
呼吸が落ちてきている、というので急いで娘と病院に駆け付けた。
1時間も立たないうちに呼吸が止まり、心臓も止まった。
あまりにも早かったが、最後は痛みも無く
本人は苦しまずに逝けたのだろう。
おっちゃんと、おばちゃんは、1997年臓器移植法が制定され、臓器提供カードが配布されたときに
二人してすべての臓器を提供することにし、互いに署名していた。
おっちゃんは、癌だから、内臓はすべて提供不可だったが、
角膜は提供できた。
大学病院からドクターが来て眼球を摘出した。
遺体の引き渡しを受け、自宅に戻ったのは夜7時頃だった。
息子とワンコたちが出迎えた。
チャコが落ち着かない。
そしておっちゃんのそばから離れない。
