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“安倍ロス”を乗り越えよう

2022-08-12 19:50:03 | 戦争
“安倍ロス”を乗り越えよう
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」80/通算512 2022/8/12/金】夏バテなのか、図書館に行って本を返却し、いつものように「軍事・戦争」コーナーの棚を物色したのだが、今一つ戦意が高揚せず手ぶらで帰宅した。前日、換気扇掃除などでハシャギまくったため、心技体が萎えて戦意喪失なのかと思ったが・・・これはどうも“安倍ロス”のせいかも知れない。ポスト安倍が全然見当たらないというのは、やはり不安である。

帰宅して産経新聞を開いたら国家基本問題研究所・櫻井よしこ理事長の「意見広告:岸田首相よ 安倍晋三の遺志を継げ」があった。

<安倍晋三元首相が亡くなったあとの日本にはぽっかり大きな穴があいています。岸田文雄首相に安倍さんの遺志を継いで前進するとの気概が感じられないからです。

いまにして思えば、安倍さんは「戦後レジーム」からの脱却を堂々と唱え、支持率を大幅に下げながらも平和安全法制を実現しました。自由で開かれたインド太平洋戦略という大旗の下に安全保障、外交を展開し、内政では経済成長政策を果敢に進めました。最終目標が戦後レジームの元凶である憲法改正にあったのは言うまでもありません。

国民にはわかっていました。逝去を悼み、弔事に参加した人々がどれだけ多かったことか。

核保有国の中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた我が国は非常時にあります。最新の防衛白書も、いまの安全保障環境を「戦後最大の試練」と形容しました。軽武装の経済大国などという無意味な古証文は全く通用しません。だからこそ岸田首相は米国との間で、防衛費の相当な増額を公約したのでしょう。

岸田首相は安倍さんの唱えた戦後レジームからの脱却をいまこそ実現し、大きな穴を埋めるべきです。新時代に沿った安倍路線の実現を求めます>2022/8/10

“安倍ロス”・・・♪娘盛りを渡世にかけて 張った体に緋牡丹燃える、のお竜さんみたいな櫻井先生でも「同志喪失」の悲しみ、無念の想いは深い。

安倍氏は60年安保騒動の際、祖父の岸信介の膝の上で当時の流行語「アンポはんたい、キシをたおせ」と言ったら、岸が「安保賛成と言いなさい」と苦笑いしたと回顧していた。

<1960年1月、岸信介はワシントンに赴き、日米旧安保条約の問題であった部分を明確化した日米相互協力及び安全保障条約と日米地位協定に調印した。これを一般に日米新安保条約という。

内容は、日米経済協力と日本の防衛力強化の協調/共同防衛義務/在日米軍の重大行動に関する事前協議制/国内争乱への米軍出動条項削除/条約期限は10年(自動延長)。

これに対して、革新団体や全学連などは安保改定阻止国民会議に結集。国会の周りでデモ隊と警察官のぶつかりあいがおこり、5月20日に10万人、5月27日は17万5000人が国会を包囲したとも言われる。

1960年6月19日、衆議院の優越に加えて、採択から1ヶ月が経ったので、新安保条約は自然成立。岸内閣はその責任を負うかたちで総辞職した>(歴史総合.com)

岸が新・日米安保条約を結ぶことで日本はカネのかかる国防・軍事を米国に依存し、経済成長にひたすら励むことができた。

<(岸の後継に就任した池田隼人は)軍事費をできる限り節約して、経済で身を立てる――これはまさに、師匠・吉田茂が夢見た「通商国家・日本」だ。池田はその実現に向けて精力的に政策目標に取り組み、経済立国に必要な成長基盤を築き上げた。その結果、日本経済は池田退陣後も成長を続け、わずか4年で名目GNPを2倍増、10年でなんと4倍増を達成した>(ダイヤモンドオンライン2015.8.10「蔭山克秀:今、戦後史から知っておきたい日本を「経済の国」へと変えた男)

かくして日本は米国の軍事力に依存して自由世界第2位の「経済大国ニッポン」にのし上がったが、一方でオバマ政権は「最早米国は世界の警察官ではない」と宣言した。それでも日本は「共産主義独裁の中露を刺激せずに友好を深めれば熱戦にはならないだろう」と、軍事力の強化を控えてきた。一方で米国をなだめるような「思いやり予算(在日米軍駐留経費負担、2021年から同盟強靱化予算)」で茶を濁してきた。

安倍氏も首相在任中は「米国のオバマ、トランプ政権との友好強化」、同時に「中露を刺激せずに友好を深める」ことに努めていたが、2020年9月に持病の悪化ため辞任すると、3日後の9月19日には靖国神社に参拝した。英霊に長の無沙汰を深く詫びたのだろう。

安倍氏は多くの言葉を遺した。「台湾有事は日米の有事」は50年前から台湾を兄弟と思っている小生は「よくぞ言ってくれた」と溜飲が下がる思いだった。産経2021/12/1「『台湾有事は日米同盟の有事』安倍元首相が講演」から。

<安倍晋三元首相は1日、台湾の研究機関が主催するイベントでオンライン講演し、軍備増強と海洋進出を進める中国と台湾の間で高まる緊張関係について「台湾への武力侵攻は地理的、空間的に必ず、日本の国土に重大な危険を引き起こさずにはいない」との認識を示した。「台湾有事は日本有事だ。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と指摘した。

また、安倍氏は台湾が目指すTPPへの加入やWHOへの参加について全面的に支援する考えを示した。「台湾の国際的地位を一歩一歩向上させるお手伝いをしたい」と語った>(以上)

「名言・語録・格言」サイトによると、安倍氏は1回目の総理の時は体調不良のため政権を投げ出す形で辞任したが、民主党政権の無責任な政治を見て、昭恵夫人にこのように語ったという。

「今、日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題を見ろ。北方領土問題を見ろ。北朝鮮の拉致問題を見ろ。政治家として、このまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。俺は出るよ。もし今回失敗しても、次の総裁選に出馬するよ。負ければ、また次に挑戦する。俺は、自分の名誉や、体のことなんて構いはしないんだ。国のために、おれは戦い続けるよ」

以下のような言葉も遺している。

「私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは『闘う政治家』と『闘わない政治家』である。内閣が崩壊するときは、内部から崩れることが多い。闘わない政治家とは、『あなたの言うことは正しい』と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。私は常に『闘う政治家』でありたいと願っている」

「『闘う政治家』とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである」

「未来に思いをはせれば、戦後生まれの世代が、今や人口の8割を超えています。あの戦争には何の関わりのない子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく。その責任を果たしていくこと(が私たちの使命)だと考えています」「戦後レジームからの脱却を」「自由で開かれたインド太平洋」「日本は戻ってきた」「美しい国へ」・・・

古森義久先生は日本戦略研究フォーラム(JFSS)最高顧問も務めているが、安倍氏へ改めて弔意を表して「安倍晋三氏と日本、そして世界」の講演をした。とても感動的だが長いので、ごく一部を転載する。

<[著名なエコノミストの武者陵司氏が主宰する「武者リサーチ」が2022年7月21日、安倍元首相追悼セミナーを赤坂・紀尾井フォーラムで開催しました。その際に当JFSS顧問の古森義久氏が基調講演をしました。安倍氏はJFSSの最高顧問でした。その安倍氏への改めての弔意を表する意味でも、本フォーラムとして武者氏のご了解を得た上で、この古森氏の安倍晋三論の内容を紹介いたします]
・・・・・・・・・・・・・・・・
【アメリカでの安倍評価の急上昇】安倍さんのアメリカでの評価は少しずつ少しずつ変わっていきました。彼自身も何回もワシントンにいってアメリカの議会で戦後70年の談話を発表した。日本の民主主義を強調し、対米協調路線を明示して、戦争についても単に謝るという態度はもうみせなかった。

安倍氏の英語はかなり上手です。流暢ではないけれども自分で英語で話す時は事前に十二分の準備をして、本当に一生懸命に話します。普通の英米のネイティブの人たちによく通じる英語です。

(米国)議会の合同会議で語った戦後70年談話は、歴代の日本の首相の同じような談話と違って、戦前の日本が全部悪かったというようなことはもう一切言わなかった。それからもう謝ることはもうこれで終わりにしようと。日米両国は全力で戦い、アメリカが勝ったのだ、という素直な総括を示しました。だからもう決着はついているのだ、というような表現でした。

この率直なメッセージは意外なほどアメリカ側で好感を招きました。その種の前向きな安倍氏への反応はどんどん広がっていきました。

時代を少し前に戻しますが、安倍氏は2007年に体調を悪くして総理大臣を辞めるわけです。そして野党の領袖となる。実はアメリカでの安倍晋三評というのが大きく変わり始めたのは、この安倍氏の在野時代からだったのです。

安倍さんが野党の代表としてアメリカへ行っていろいろな人と話す。アメリカ側ではちょうど二代目ブッシュ政権の時ですけども、まず保守派の人たちが安倍氏のよいところを見て、民主主義そして日米同盟という共通項によって共存していくよきパートナーは安倍晋三なのだという認識を明らかに深めていきました。政権の座にいない安倍晋三を快く丁重に迎えてくれたのです。

二代目ブッシュ政権にいたチェイニー副大統領とかラムズフェルド国防長官とか、民間ではハドソン研究所のワインシュタインという所長、彼はトランプ大統領に次の駐日大使に任命されたけれども大統領選挙でトランプ氏が負けたため実現しませんでした。しかしそうした要人たちが、在野の安倍さんを招いて非常に丁重に扱うということが何度もありました。

そうした共和党側に多かった安倍氏への高い評価や温かいもてなし、さらには安倍氏自身のワシントンでのアメリカ一般への語りかけが、アメリカ官民で好感の輪を広げ、民主党側にも波及していきました。

その間、日本では民主党政権の鳩山由紀夫首相らが米側の民主党オバマ政権を失望させる言動を重ねたことも在野の安倍晋三評価を米側で高める要因の一端になったと言えます。

【安倍氏の「インド太平洋」構想がアメリカの主要政策に】安倍晋三氏が国際的にはっきりと評価を上げたのは、彼が他の諸国の誰よりも早く説いた「インド太平洋構想」です。この構想は安倍氏自身の説明によると、日本と中国との緊迫した状態を、側面から、あるいはもっと高い次元から変えようというような発想で打ち出したそうです。この点は今年4月の私との対談でも彼自身、はっきりと述べていました。

安倍氏は実際に、2つの海、つまり太平洋とインド洋はやはり2つ一緒に考えるべきだということを2006年から主張していました。最終的には2016年のアフリカでの経済開発関連の国際会議で明確に「自由で開かれたインド太平洋」という表現を使い、その構想を国際的に公表したわけです。

この「自由で開かれた」という部分に、中国に対するかなり露骨なメッセージが入っています。中国が一帯一路とか、その他のインフラ構想で国際的な膨張に努めているが、その内容は自由でも開かれてもいない、という意味を込めて「自由で開かれた」と言ったわけです。

トランプ政権がこれはいいということで、中国の独裁制や排他的慣行を非難するときの材料に使い始めました。

そのトランプ政権を一貫して非難をしてきたバイデン政権が登場した時に、どうするかな、と私は興味津々に考察していました。バイデン政権には前のトランプ政権がやったことはほとんど全部排除していくという傾向があったのですが、結局バイデン政権もトランプ政権と同じ「自由で開かれたインド太平洋」という安倍さんが言い始めた言葉を使って現在に至っています。

中国に対してインド太平洋へと地理的に広げる地政学的において、インドという存在に焦点を当てる。インドは非常に微妙な存在だけれども中国に対しての警戒とか不信がものすごく強い。それを引き込んでとくに中国への加重の圧力とする。そんな総合的な戦略をプッシュしていくという部分がアメリカ側にすごくアピールしたようです。ちょうどオバマ政権の終わりから、中国がどうしてもアメリカにとってはこれほど敵視せざるを得ない存在となりました。

その結果、トランプ政権になって、歴代政権がずっと一貫してとってきた中国に対する関与政策というのは間違っていたという宣言が出された。中国に向かっての対決対立の政策になった。

バイデン政権もほぼそれと同じ政策をとっています。ただしところどころに“穴ぼこ”があります。中国とはやはり協調しなければ、仲良くしなければいけない部分もあるのだと、中国に対する「まだら外交」もバイデン政権の特徴ではあります。しかしいずれにしても安倍晋三という人物のインプットはバイデン政権にもはっきりとうかがえるのです。

【安倍氏の最後の笑みへの痛恨】私は長年にわたり、安倍さんを国際的な角度から見ていて、今から思うとなんとなくこの人がいる限り、日本国がある程度の水準以下に落ちていくことはない、日本が奈落に落ちていくことはないだろうと、心の中で感じてきたことをいまになって意識しました。簡単にいえば、わが日本は安倍晋三氏が健在な限り、大丈夫だろうと思ってきた、ということです。その希望の星のような安倍さんが亡くなってしまった。

前記の安倍氏との対談で最後の最後に私が彼に告げたことは日本の世間には「やはり安倍さんだ、という声が多く、それを無視はできないでしょう」という言葉でした。その意味は、もう一度総理大臣やってもいいんじゃないかっていう趣旨です。

その言葉に対して安倍氏はなんとも言えない笑みを浮かべて、「いや、いまは岸田政権を全力で助けていく、それに尽きます」と、答えたのです。私は勝手に、この人はいざという時はまた国政のトップに就く意欲はあるなと解釈しました。しかしいまやその期待も虚しくなりました。返す返すも残念だという思いです。痛恨であります。

最後にワシントンでの安倍さんへの礼讃を報告します。日本の中でいろいろ毀誉褒貶があるけれども、ワシントンではびっくりするぐらいネガティブな反応はありません。私自身も、リベラルで安倍さんに対して無関心とか、批判的に見えたような友人知人からお気の毒だなとか、日本にとっての重大な悲劇だというメッセージが多数届いたので、びっくりしました。

世界での安倍晋三の悲劇ということのインパクトの巨大さは、おそらく皆さん日本のマスコミでみられている以上に大きいのだと、私は実感します。

最後に、安倍さんのご冥福を祈りつつお話を終わらせていただきます。ご静聴どうも有難うございました>(以上)

“安倍ロス”で喪に服しているからと言ったところで中露北は「それでは我々もしばらくは矛を収めましょう」とはならない。それどころか「安倍なき日本は恐れるに足らず、日本攻略のチャンスだ」と襲いかかるのが共産主義者なのだ。

1917年のロシア革命でウクライナ人は「ロシア帝国が崩壊した、二度と独裁政府は御免だ、自由な地方自治を基礎とした小さな中央政府の国を創ろう」と喜び勇んだが、レーニンとトロツキーは一党独裁の敵だとして無慈悲に弾圧した。アカは敵が隙を見せれば一気に本性を現し強殺するのが常套手段である。油断大敵。

海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ

さあ、涙をぬぐったら中露北との前線に戻ろう。
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「至誠の日本インテリジェンス」を読む

2022-08-10 08:32:58 | 戦争
「至誠の日本インテリジェンス」を読む
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」79/通算511 2022/8/10/水】一夜明けたら9日は再び三度の猛暑でチャリ散歩不可。それならと、早朝の読書・執筆後、台風に備えて屋上メンテナンス、さらにカミサンと一緒に2Fキッチンの換気扇を掃除した。まったく多動児だ。

2日ほど前に岡部伸(のぼる)著「至誠の日本インテリジェンス――世界が称賛した帝国陸軍の奇跡」を読了した。地元の図書館から借りた本だ。岡部氏の「あとがき」によると脱稿は2022年1月、初版発行は2022/2/22で、プーチン・ロシアがウクライナ侵略を開始した2月24日の直前だ。

岡部氏は産経新聞論説委員。版元はワニブックスで、「なんで産経系列の出版じゃないのだろう」と思ったが、「プーチンの侵略前に発行する!」という、多分、過労死寸前の大車輪、戦場のような編集作業だから産経出版や扶桑社ではなくワニブックスになったのかもしれない。

もっとも作業現場は小生の起業したような編集プロダクションが下請けで地獄の思いをするのだが、出版社の担当者も発行が遅れると減点になるから大変だ。好きな仕事だからやれるようなもので、無事発行に至ればケロッとして苦労は忘れ、出版社が打ち上げの宴席を設けてくれたりする。今度生まれても出版業界を選ぶだろう。

図書館から同書入荷のメールが来たのは4月あたりで、数人待ちのために入手できたのは7/28、返却は8/11だから焦りまくって読んだが、終活で「本は増やさない」ようにしているものの、とても勉強になったのでアマゾンでポイント利用し税・送料込1500円で中古品を発注した。

ネットで検索したらユーチューブ2022/3/18で「宮崎正弘の生インタビュー #19」で岡部氏が登場していた。78:41という数字を見て“視聴能力”が5分ほどに劣化している小生は諦めたが・・・

「至誠の日本インテリジェンス」は座右の書にしたいくらい初心な小生には発見、驚愕の連続で、目が覚めるようだった。

小生は「1917年のロシア共産主義革命により、大正デモクラシー以降の日本はマルクスボーイだらけ。大卒など高学歴の若者の多くはアカにかぶれ、戦前の政府が反共法(治安維持法)で収監したら刑務所がいくつあっても足りないので、“転向”を表明したら保釈し身元引受人に預けるしかなかった」と解釈していた。

が、戦中の政権中枢にも“隠れマルキスト”がウジャウジャいたことを知って「一度アカ、一生アカ」が普通で、小生のような「アカに懲りてアカを叩く」キャラは極めて異端と知って、かなりショックを受けた。

以下は同志諸君に是非とも知って欲しい、拡散して欲しいと思って同書から転載した部分である。

<【日ソ中と連合する終戦処理案】当時の日本の中枢に、共産主義者の影響はどの程度及んでいたのでしょうか。

陸軍は1945年4月下旬から、ソ連仲介による和平工作に動き出しますが、参謀本部戦争指導班長、種村佐幸が4月29日付で作成したのが「今後の対ソ施策に対する意見」と「対ソ外交交渉要綱」です。

種村は前者で「ソ連と結ぶことによって中国本土から米英を駆逐して大戦を終結させるべきだ」と全面的に対ソ依存して、「日ソ中(延安の共産党政府)が連合せよ」と主張し、後者でも「対米英戦争完遂のため、ソ連と中国共産党に、すべてを引き渡せ」「米英の世界侵略の野望に対して、日・ソ・支三国が善隣友好相互提携不侵略の原則の下に結合し、相互の繫栄を図るため、ソ連との交渉役として外相あるいは特使を派遣し、乾坤一擲」を下せと進言していました。

同じ頃(1945年4月)種村の前任の戦争指導班長で鈴木貫太郎首相の秘書官だった松谷誠は有識者を集め、国家再建策として「終戦処理案」を作成しましたが、そこには驚嘆するほどのソ連への傾斜ぶりが書かれていました。松谷の回顧録「大東亜戦収拾の真相」(1980年)によると、「ソ連が7、8月に(米英との)和平勧告の機会をつくってくれる」と、ソ連が和平仲介に乗り出すことを前提に「終戦構想」を考えていたのです。

【スターリンは人情の機微がある】こうした記述からは、事前にソ連側から何らかの感触を得ていたことがうかがえます。すでに対日参戦の腹を固めていたソ連は、最初から和平を仲介する意図はありませんでした。にもかかわらず、日本政府が、それが可能であると判断したのは、ソ連の対日工作が巧妙だったからでしょう。

松谷が説明した「ソ連に頼って和平を行う理由」(以下の★)を読むと、親ソ国家を目指した、国際状況に疎い当時の中枢の崩壊が透けて見え、情けなくなります。

★スターリンは独ソ戦後、左翼小児病(現実を見ず融通の利かない教条主義)的態度を捨て、人情の機微があり、左翼運動の正道に立っており、おそらくソ連は日本に対し国体を破壊し赤化しようとは考えられない。

★ソ連の民族政策は寛容。白黄色人種の中間的存在としてスラブ民族特有のもので、スラブ民族は人種的偏見少なく、その民族政策は民族の自決と固有文化とを尊重し、共産主義化しようとする。ソ連は、国体(天皇制)と共産主義とは絶対に相容れざるものとは考えない。

★ソ連は国防・地政学上、日本を将来、親ソ国家にしようという希望がある。東アジアの自活・自戦体制の確立のため、満州、北支を必要とし、さらに海洋への外核防衛圏として日本を親ソ国家にしようと希望している。

★戦後、日本の経済形態は表面上、不可避的に社会主義的方向を辿る。この点より見ても対ソ接近は可能である。

★米の企図する日本政治の民主主義化よりも、ソ連流の人民政府組織の方が将来、日本的政治への復帰の萌芽を残す。

ここまでソ連に傾斜していれば「日本政府が共産主義に降伏している」と米OSS(戦略情報局)に判断されても不思議ではなかったことでしょう>(以上)

岡部氏は「スターリンが異常なまでの猜疑心と権力への強い執着心から粛清を繰り返す恐怖政治を行う悪名高き独裁者だったことは論をまちません。1930年代後半から始まった大粛清で処刑・獄死したのは700万人とも1000万人とも言われています。そんな残酷な独裁者のどこに『人情の機微』があるのでしょうか」とも言うが、それはスターリンの死後、1956年の「スターリン批判」までタブー、極秘情報であり、世界中でほとんど誰も知らなかったのだから、戦前の日本のアカを叩くのにそれを利用するのは不適切ではないか。

歴史の真実に迫るのに現在のメガネ、価値観で上からの視線で解釈するのは避けた方がいいと思うが・・・

蛇足ながら最近、日共のしんぶん赤旗みたいに猫なで声式「です・ます調」で書く人が増えているが、軽佻浮薄な、媚びているような感じがして小生は嫌いだ。気持ち悪い。生理的嫌悪感を催す。夏彦翁曰く「国家とは国語である」。日本語を壊すな!とも言いたい。

それはさて置き、アマゾンの読者評価で同書は「5つ星」がとても多い。以下の2022年3月4日の読者レビュー「少しタイムリーすぎないか?」には大いに共鳴した。

<77年前、終戦のどさくさに中立条約を破棄して一方的に侵攻してきたソ連。樋口将軍をはじめとする部隊が頑張らなければ、下手すると北海道から東日本がソ連に占領され、東日本自治共和国になって日本は分断国家になっていたといわれる。1945年8月15日以後にこんな戦争が起きていたという事実を多くの日本人が知らない。というか忘れている。

2022年3月、北京オリンピックの終わりを待ってロシアがウクライナに侵攻。現在、侵攻中である。まさに歴史は繰り返す。日本人にとっては、歴史を大いに学びなおす時期が来ているのではなかろうか。この本はインテリジェンスを中心に解説したもので、特に今の日本には必要なものだと思う>

版元のワニブックスによる本書のポイントは――
<ヤルタ密約をキャッチした小野寺信、2万人のユダヤ人を救い、北海道を守り日本分断を防いだ樋口季一郎、F機関を率いてアジアを解放した藤原岩市。3人の帝国陸軍軍人の共通項は“至誠”の諜報活動だった。

かつての日本のインテリジェンス能力は世界屈指。世界が称賛し、そして脅威に感じた、戦前の知られざるインテリジェンスヒストリーに学ぶ!

▼小国の情報士官と協力、連合軍を震撼させた小野寺信:「枢軸国側諜報網の機関長」と連合国に恐れられる/ポーランド士官を庇うため英国の欺瞞工作に騙されたフリ/共産党転向者ら梁山泊の「小野寺機関」

▼ユダヤ人を救い、日本分断を防いだもう一人の「東洋のシンドラー」樋口季一郎:ユダヤ人救済したもう一人の人道的な軍人/白系ロシア人エージェントをソ連に潜入させる/スターリンの野望を見抜き、独断で自衛戦争

▼F機関を率いてアジアを解放した藤原岩市:諜報大国イギリスが脱帽した日本の完璧なインテリジェンス/「独立できたのは日本が勇敢に戦ってくれたからだ」/連合国の戦勝史観から脱却してボース再評価>(以上)

有事の時代には有事の人材が登場すると言うが、第3次世界大戦・・・ポスト安倍は誰になるのだろう、と不安が募る。習近平による最初の一発は明日かも知れない。
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過度の福祉が国家を弱める

2022-08-09 07:09:54 | 戦争
過度の福祉が国家を弱める
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」78/通算510 2022/8/9/火】拙稿2022/7/29の「行き過ぎた福祉は亡国を招く/下」で「次回は『行き過ぎた福祉政策は地縁血縁家庭崩壊の元凶』を書く」と予告したが、このまま進めば日本のみならずG7など先進諸国は沈没へ向かうのではないかと不安になる。まずは温故知新、歴史を振り返ってみよう。

我が街界隈の小生の散歩コースである多摩丘陵の頂上には縄文遺跡が2つある。東高根遺跡(東高根森林公園内)、長尾台遺跡(ふじやま遺跡公園内)だ。いずれも富士山を含めて見晴らしがいい。

なぜ頂上にあるのか? 麓なら渓流も多摩川もあるから便利で、何も水がない頂上で暮らすのは不便ではないか。青森県の三内丸山遺跡も丘の上にあり、500人ほどの縄文人が暮らしていたらしい。なぜ山上に暮らすのか・・・

狩猟採集時代は縄張り争いが絶えなかったろう。戦争では山城が有利で、麓から山城を攻めるには4倍の軍勢が最低必要だと言われる。難攻不落の要塞だ。三内丸山を象徴する高さ17m×直径1mのクリの巨木を用いた大型掘立柱建物(3階建てタワー)は神事用とか穀物貯蔵用かと思っていたが、敵の動向を知り対処するための「物見やぐら・戦争指揮所」ではなかったか。この監視塔などを含めた軍事力があったればこそ、今から5500年から4000年前に至る1500年間も三内丸山人が住み続けることができたのではないか。

部族は安全保障のために遠交近攻を繰り返すが、大きな敵に出会うと中小部族は連合したり合従連衡で軍事力を高めたり、大きな敵の傘下に入ったりする。水田耕作が始まって平地に暮らすようになっても、やはり水争いや狩猟採集など縄張りを巡る戦争はあるから、村の囲いを砦のように頑丈にしたようだ。

「水争い」と言うと古い話のように思われるが、我が町村一帯は家康が秀吉に関東移封され(1590年以降)用水路と田畑の開墾整備を進めて以来、農業が主体だったから、多摩川の洪水と日照りによる水不足は大きな問題だった。

この水を巡る争いは、今からたった80年前、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られ4つのエリアに公平に水が分配されるまで死者を伴う地域紛争が頻発し、慰霊碑(お地蔵さま)まであり献花が絶えない。

文明は、水と土地と気候温暖に恵まれ、農業など食糧事情が良くなるにつれて徐々に発展する。それに比例して人口も増えるのだが、少数の支配階級は満腹しても、圧倒的多数の被支配階級である庶民は衣食住に苦労し続けることになる。

特に農業は気候に左右されやすいから、江戸期の250年間は人口が4000万人前後のままで全然増えなかった。コメの物納という納税≒収奪が厳しい上に生産性が低いままで、このために特に東北では干ばつや冷夏で餓死者が続出、死屍累々だった。一方で全国的には少数ながら豪農や大商人が生まれたものの、貧富の格差は非常に大きくなった。

明治維新前の数十年は農民一揆が頻発し、治安出動した藩士に対し、他国へ逃れようと越境を目指す農民は「座して死を待つくらいなら、殺された方がマシ、道をあけなされ!」と抵抗を強めたケースも記録されている。

士農工商など身分制度=社会秩序が揺らぎ始めた幕末から、豪農や大商人、進取の武士階級が「郷土の志ある若者」を私塾に受け入れ、教育していった。松陰先生の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」などはその代表格だろう。文科省「幕末期の教育」によると、

<幕末の私塾は、幕府や藩などの制度によるものではなく、自由に開設されたものであり、また、藩校や寺子屋とちがって身分上の差別も少なく、多くは武士も庶民もともに学ぶ教育機関であった。幕末の私塾は、近代の学校の一つの源流をなすものであり、特に近代の私立学校の前身あるいは母体として重要な意義をもっている>

これが主に地縁・血縁を主体にした民間の門閥、私党、郷党の「○○会」になり、シナの互助組織「宗族」より緩やかな繋がりになったようだ。週末になると漱石の家に集ったお弟子さんのサークルも一種の門閥のようである。

郷党や門閥は明治時代が最も盛んで、1917年のロシア赤色革命以降の大正デモクラシーで個人主義、秩序破壊、伝統否定の風潮が始まり、絆は弱まり始め、1945年の敗戦以降はさらに弱体化したが、今でもビジネス、就職、結婚などで人脈として辛うじて残っているようだ。

1960年頃まで大企業は公募しなくても人脈で人材を確保できた。できる社員が「息子が今年、学校を出ますので使って下さい」、上司も「君の倅なら安心だ、来週から来てくれ」、息子も「親父が勧めるのだから余程いい会社だろう」てなものだった。

1960年以降は高度成長で、郷党や人脈を頼らなくても就職に困らないから個人主義的になり、今では○○県人会のようなものはあるものの、いずこもパッとしないようだ。地縁血縁のネットワークに頼らなくてもいいし、以前は「一人暮らしできつくても所帯を持てばそこそこ暮らせるものさ、馬には乗ってみよ、人には添うてみよっていうでしょ、私がいい人探してあげるから」という近所や職場の縁結びのオバサンもいなくなってしまった。

今ではあちこちにコンビニはあるし、一人暮らしでも生活に不自由はしない。家庭を持ったところで、夫唱婦随、夫は外で働きカネを稼ぎ(戦争、攻撃、防衛)、妻は家を守り子を育てる(家政、守備)という、古事記(神話、建国伝説)で文書化された伝統的な役割分担は今や消滅しつつある。

「私だって働いているんだから保育園に預けるのはアナタがやってよ、専業主婦でいいって言うなら私が家のことは全部やるけど、そうはいかないでしょ?・・・明日から見送り、ちゃんとやってね、まったく甲斐性なしなんだから・・・返事は? ハイと言いなさいよ・・・何、その態度は? もう許せない、出て行って!」

ニコニコ離婚講座・・・亭主はマイホームから追放され、住宅ローンを負担し、慰謝料を払い、月1回だけ子供と面会・・・「狭いながらも楽しい我が家、ホームスイートホーム」・・・遠い夢になったよう。

国が発展する、国民が豊かになる、消費が伸びる、物欲は高まる、経済は発展する、政治家は人気取りのために福祉を拡大する、GDPが上昇する、国がさらに発展する・・・これを繰り返して経済成長で豊かになっていったのがG7やG20の諸国だったろう。

で、どうなったか。豊かになって、弱肉強食を忘れ、亡びようとしているようである。エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」からざっくり引用すると、

<【戦争から生まれたダイナミックなヨーロッパ】ヨーロッパとは、常に戦争が行われてきた場所である。戦争はヨーロッパ文化の核心に関わっている。ヨーロッパの偉大なる創造性、ダイナミズム、エネルギーのすべては、戦争が常に発生するヨーロッパの土地柄から生まれてきたのだ。だからこそ、世界の大部分を植民地化できたのである。

当時のヨーロッパの人々の思想にとって、根本的な位置を占めていたのは、ギリシャのホメロスの著作とされている「オデュッセイア」と「イーリアス」だ。前者は個人主義、後者は戦士の美徳を教えている。これらの思想の土台の上に、キリスト教的な情熱と戦闘的な要素が加わって、ヨーロッパが世界を制覇したのである。

注目したいのは「イーリアス」で、「男は戦いを好む」「女は戦士を好む」と説いている。今日のヨーロッパでは、このような思想は否定されており、大多数の人々は平和主義を肯定し、戦争を否定し、暴力を嫌悪し、敵を殺すのを嫌っている。男も女も戦争を嫌悪し、戦争を避けるようになった。

それによりヨーロッパの女たちは愛すべき戦士を失い、子供もあまり産まなくなった。ヨーロッパ文化の「非戦闘化」によって少子化が生じているのだ。

「男は戦いを好み、女は戦士を好む」という「生命の法則」(マーチン・レヴィ・ファン・クレフェルト)を拒否する国、戦いを嫌う国では少子化が起きている、即ち子供があまり産まれていない。女性一人当たり1.1人程度の出生率では人口は半減を繰り返しどんどん減っていき、いずれは消滅する。

戦争を「野蛮」「原始的」「後退的」とみなされれば子供は生まれなくなる。「男は戦いを好み、女は戦士を好む」という文化を失った国はいずれ消滅するのだ。

【イスラエルの「戦士の文化」】イスラエルのテルアビブを訪れてみるといい。大卒の女性たちも当然のように子供を3人産んでいる。イスラエルは「戦士の文化」を社会的に維持しているのだ。欧米などの破壊的・自滅的なイデオロギーに毒されていない。18歳の若者はスマホで遊ぶよりは軍隊への入隊を望んでいる。そこで彼らは男らしさ、勇敢さ、チャレンジ精神を鍛える。女性も半分以上が入隊し、戦闘部隊に参加する者もいる。

しかもイスラエルではハイテク産業が盛んだ。小国ながら数多くのノーベル賞受賞者を輩出している。「ノーベル平和賞」ではない! 「戦士の文化」を持った国が、創造的なハイテク産業を擁し、しかも世界への探求心も強い。

たとえば、イスラエルから多数のバックパッカーが世界中に出掛けている。人口は860万人の国なのに、まるで8000万人の人口規模の国ような存在感だ。それほど若者は冒険心に満ちている。

我々は皮肉な現象を目撃している。ヨーロッパ文化が最後に花を咲かせているのが中東のイスラエルなのである>(以上)

政治家の人気取りのような「行き過ぎた福祉政策」は、国民の地縁・血縁・家庭という伝統的な互助組織・絆、努力すれば良い暮らしが得られるという人間の向上心・自立心、余裕ができれば国家・同胞、さらに世界のために尽くそうという愛国心・義侠心などを棄損し、国家・国民・民族を軟弱、惰弱に導き、やがては国家崩壊を導くのだ。

マルコムXを元祖とする米国の黒人運動家は「産めよ増やせよ、ブタ(白人)が育てる」と言い、欧州への偽装難民は「夢は生活保護」だと言っていた。日本でも在留外国人の生活保護受給者は10年で倍増している。

<数ベースでみても外国人が世帯主の世帯による生活保護の受給は大幅に増えている。平成28年度は月平均7万2014人と、18年度の4万8418人から48.7%多くなった>(産経2018/5/3「生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も」)

これがモラルか? 単純労働の外国人受け入れや、過度の福祉が国家を弱め、やがては亡国を招くのではないかと警鐘を鳴らしたい。
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安倍夫妻と静岡新聞・大石家の縁

2022-08-07 16:06:39 | 戦争
安倍夫妻と静岡新聞・大石家の縁
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」77/通算509 2022/8/7/日】先日の暑さは強烈だった。猛暑は続くよ、どこまでも・・・北半球は燃えっぱなし、「もうクーラーなしでは生きていけない!」、小生は3日もチャリ散歩に行けなかった。諸悪の根源はプーチンと習近平だ! 中露北を封じ込めるべし! 一方で中露北は「腐敗した米欧日を叩くべし!」。

戦争の時代へ世界史は着実に向かっている。同志諸君、歴史を創れ、万国のヂヂイ、団結せよ! それにしても暑い夏、緊張の夏・・・2022年は「戦後の冷戦体制が終わり熱戦の時代になった年」と記憶されるのではないか。熱戦間近で冷戦時代が懐かしい。

屋山太郎日本戦略研究フォーラム会長/政治評論家「東西融和の終わり『中国・国防七校』に協力している日本の国公立・私立大学」から。

<東西冷戦の頃、西側から東側に売ってはならない軍需品のリストがあった。ココム(対共産圏輸出統制委員会)リストと言われたこのリストを見ながら商売をしていれば問題はなかった。

当時、日本は高度成長期で「売れるものは何でも売れ!」という雰囲気に包まれていた。天下の東芝が海軍では「それだけは売ってはいけない」と言われた潜水艦のスクリュー音を小さくするための工作機械をロシアに売った。この時は、官民揃って米国に謝罪した。

この後、登場したクリントン大統領は「国が豊かになれば柔軟化する」という方針に転換し、中国をWTOに引き入れた。

かつてメルケル首相も「自由貿易が平和をもたらす」という考えに基づき旧東側世界に「貿易による変革」を呼びかけたという。本来ドイツは、NATOの軍事力を際立たせる役割のところ、ドイツの軍事力は各国平均のGDP比2%にも満たない1%台で長年推移してきた。またドイツ経済は中国に密着し、自動車、スマホなど様々な製品の生産の半分近くを中国に依存してきた。

東西融和を一発で終わらせたのはトランプ大統領だ。ファーウェイ(華為技術)が何十年もかかって市場拡大してきた製品をいきなり「貿易禁止」と号令をかけた。世界で最も売れていたファーウェイの通信機器は今や、欧州でも入手が不可能になっている。

ドイツはロシアからノルドストリーム2を敷いて、天然ガスの45%を輸入している。ロシアから止められるのか継続できるのかの瀬戸際にあるが、自国産業の致命傷になる程の量を一国から買うようになったのは失敗だった。60年代イタリアはロシアからガスを輸入するかどうか議論したが「赤いガスで玉子焼きができるのか」といった反対が多かった。相手の国を信用できるかどうかは、相手のお国柄、過去の歴史に依る。このご時世に、隣の国を手に入れようと占領してみせる国があるとは、誰も思わなかった。

中国は、西側技術の窃盗を目的に人材を派遣している。現代における戦は「知能化戦争」と呼ばれ、主に人工知能(AI)や高速インターネット通信、自動運転技術といった最新技術が兵器に活用されている。日本学術会議が「軍に関与しない」などと格好の良いことを言っているが、中国に行けば、日本の学者が軍に関与してもいいのか。

中国には人民解放軍が使用する兵器や装備品の開発を担う「国防七校」と呼ばれる大学がある。日本では45もの国公立、私立大学が協定を通じて国防七校から留学生を受け入れており、その中には東北大助教授の肩書もある。

今年2月22日、読売新聞は「経済安保、見えない脅威」とのタイトルで、中国が開発した極超音速ミサイルについて、日本の技術が流用された可能性があると報じた。公安調査庁によると、日本で働く中国人技術者が中国軍部に協力しているケースは多いという。(令和4年7月27日付静岡新聞『論壇』より転載)>(以上)

警鐘を鳴らしても、圧倒的多数の危機感がない人には馬耳東風で、ただただ時代に流されていくのだろう。主体性をもって「時代を創る」方が面白いと小生は思うのだが・・・そういう人はいつの世でもごく少数派、ほんの数パーセントらしい。夏彦翁曰く「それが健康である、健康とは嫌なものである」。

屋山先生のこの連載は小生のお気に入りだが、先生はなんと御年90歳、1932/昭和7年生まれ! 凄いパワーだなあ。お弟子さんがネタ集め、下書きしているのかもしれないが、WIKIによると「2019年に2回、静岡新聞コラム『論壇』で、個人を特定しての虚偽報道を行い、いずれも静岡新聞が謝罪・訂正した」とある。

それにしても、なぜ地方紙の静岡新聞なのか。調べると、静岡新聞社初代社長は大石光之助。2代目社長は嗣子(養子)大石益光、3代目社長は義弟(夫人の弟)松井純、4代目社長は孫にあたる大石剛。静岡新聞は大石家の「家業」のようだ。

<大石剛(おおいし ごう、1969/昭和44年~)は、日本の実業家。1992年、成蹊大学法学部卒業、電通に入社し6年勤めた。1998年、静岡新聞社・静岡放送入社。2009年、静岡新聞社取締役。2011年常務、2012年社長。2021年3月(不倫疑惑で)社長を辞任、静岡新聞社代表取締役顧問並びに静岡放送非常勤取締役に就いた>(WIKI)

とは言え、依然として静岡新聞社、静岡放送は大石家の支配下にあるだろうし、大石剛氏はまだ53歳だから“謹慎”が解けたら社長に復帰するだろう。(浮気しない男っているのか? 先人曰く「毛を見てせざるは勇無きなり」)

この大石剛氏は安倍晋三氏と同じ成蹊大学法学部卒だ。同大は「入るのは容易だが卒業は難しい」らしい。屋山太郎氏の著作には「安倍外交で日本は強くなる」「それでも日本を救うのは安倍政権しかない」もあるから、当然、大石剛氏は読んでいるだろう。さらに昭恵夫人はカトリック系の聖心女子専門学校卒後、電通社員だった。大石剛氏にとって安倍夫妻は共に大先輩であり、その人脈で屋山氏が静岡新聞に寄稿するようになったのかも知れない。

静岡県と言えば、リニア中央新幹線工事を巡り川勝平太知事がごねている。<川勝知事は中央新幹線の工事を巡って、大井川の水量減少対策が示されていないとして着工の許可を認めていない。そのため、中央新幹線の静岡工区については本格着手の見通しが立たず、2027年の開業に影響が出ている>(WIKI)

ルートが決定される前に交渉すべきことで、小生にはただの嫌がらせにしか見えない。静岡新聞も知事にはウンザリしているのではないか。静岡空港ができた頃、小生は「羽田や成田、中部空港があるのだから税金の無駄」と思っていたが、産経2019/10/28は「静岡空港10年連続赤字 県費投入は累計51億5000万円」と報じている。

静岡に限らず都道府県知事は「国家・国益」という大所高所から見て地方自治を運営すべきではないか。視野狭窄では、やがては知事制度の撤廃(政府による直轄など)を招くのではないかと小生は思うのだが・・・
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安倍の有事は日台の有事

2022-08-02 07:42:29 | 戦争
安倍の有事は日台の有事
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」76/通算508 2022/8/2/火】今回も「福祉の行き過ぎ」について書くつもりだったが、喫緊の課題である「日本の生命線」台湾について思うところを書く。

小生は1971年、二十歳前後の頃、横浜市大で「現代史研究会」を立ち上げた。メンバーは「バイトでスト破りしていた」右翼(小生と下宿をシェアした親友、極右と極左は相性がいいと言っていた。父親は広島大学教授)、結果的にベトナム赤化を支援してしまったベ平連シンパ(好青年が多い)、サナダムシ戦略で労組や組織を乗っ取ろうという革マル派シンパ(狡猾、上から目線、父親は早稲田大学教授)までいた。

当時、小生は何かの縁があったのか、台湾人の林景明氏の「知られざる台湾」を読み、大ショックを受けた。当時の台湾は蒋介石独裁政権の時代で、蒋介石・国民党一派は毛沢東・中共との内戦に敗れて台湾に逃げ込み、抵抗する台湾人を殺しまくっていた。

林景明氏は蒋介石政権の弾圧から日本に逃れてきたが、自民党政権は蒋介石の言いなりに強制送還を進めており、それに抵抗する氏を支援するために氏の2冊目の著書「台湾処分と日本人」の普及に協力した。

宮崎茂樹(1925~2016年)明治大学教授(法学者、1992~1996年は明治大学総長)著「出入国管理 現代の鎖国」所載「送還を拒否する林景明の叫び」(1970年11月刊)から要点を咀嚼する。

<林景明は1929/昭和4年、両親と同様、日本国民として生まれた。彼の祖父の時に台湾は日本領土となり、日本政府は同化策として日本式の行政、日本人としての教育を進め、姓も日本風に改めることを推奨した。林景明は「林田」姓を名乗っていた。

戦時情勢が緊迫すると、中学3年以上は学徒出陣したが、林景明も台湾第13863部隊に入隊し、日本軍の一員となった。

彼が15歳の時に敗戦となり、陸軍一等兵として復員すると間もなく、台湾は蒋介石軍の占領下におかれた。中国軍は「台湾人は敗戦した日本国民ではなく、戦勝国の中国国民だと宣伝し、台湾人も次第に玉音放送で流した涙を払って“祖国”の軍隊の到着を待った。

ところが、やって来たのは、自分たちとは言葉も通じない新たな征服者で、その人たちが行政機関、民間企業の主要なポストを独占し、台湾人は依然として下働きを強いられた。

1947年2月28日の反占領軍闘争(2.28事件)に一斉に蜂起した台湾人は、大陸から差し向けられた大軍によって数万人も虐殺され、1948年には戒厳法が施行され、1949年には刑法の内乱罪に該当するものは一切死刑とする旨の懲治叛乱条例が施行された・・・

林景明は言う。「牢獄には思想犯が充満し、逮捕の自由、拷問の自由、脅迫の自由、殺人の自由」はあっても、抗議の自由はおろか、言論の自由すらなく、特務警察網が徹底的に張り巡らされた警察政治、特務政治、専制政治、独裁政治、暗黒政治の“島獄”だ」

林景明は、島全体が監獄で、島民全体が自由を奪われた囚人のような台湾から脱出し、1962年、酪農を日本で研究するという名目で渡日し、台湾独立運動に参画するようになった・・・

1969年の暮れが迫った頃、林景明の訪問を受けた。まだ仮綴じにもなっていない、印刷所から刷り上がったばかりの見本刷り「知られざる台湾」を手にしてページを繰りながら、私は様々な感懐をいだいた。

戦前、満州、中国、台湾を訪れ、戦後、台湾から日本を訪ねる留学生の青年たちから台湾の状況を聞き、1967年の暮れには再び台湾を訪ねた狭い体験からも、日本人が「人間らしく生き」他の人々を「人間として扱う」という点で、本質的に誠実だったろうか、という疑いを持った。

戦前の満州、中国大陸、台湾、朝鮮などでの出稼ぎ根性をあらわにした行動、終戦時やサンフランシスコ平和条約締結時の沖縄、千島、台湾、朝鮮の人々に対する冷淡な態度、最近エコノミックアニマルとして東南アジアで現地の人達から非難されつつある行動などに共通するものとして、日本人には人間の尊厳、人間の平等、人間の尊重という国際人権の意識において欠けるところがあるのではなかろうか、そしてそれは、国内政治や社会生活の中にも共通の弱点となっているのではないか、と恐れずにはいられない。

この弱点は、強者にへつらい、弱者に高圧的となる心情である。日本人がこのような心理、心情を克服して、いかなる場合にも「人間らしく生き」、他人を「人間として扱う」人権意識を体得し、具体的行動でそれを表すことのない限り、世界で真の信頼を獲得し、名誉ある地位を占めることは永久に不可能ではないかと私は考えた。

林景明の著作を読んで感銘を受けたのは、その著者がこのような問題にまで、自己の体験を通じて日本政府(入国管理局)に対して回答を迫ったいることを感知したからである。それは日本国民全体に対する問いかけなのだ>(以上)

小生もその「問いかけ」に敏感に反応した一人だ。義を見てせざるは勇無きなり、三つ子の魂百までも、猪突猛進、吶喊小僧の単純脳・・・「林景明氏を救うべし!」。

しかし、学友の反応は冷たかった。革マル派シンパの奴は「台湾? あれは中国の領土だから日本とは関係ない」、けんもほろろ。人間としての「情」がない。1971年当時の小生は無知蒙昧で反論できなかったが、当時の日本人の多くは高度成長で日本全体が浮かれ、かつての同胞である台湾人への関心も非常に薄かったようだ。

1945年の敗戦で、日本は50年間、心血を注いだ台湾近代化統治を放棄させられたが、当時の台湾人(先住民と主に中国福建省あたりからの移住民の末裔)もまた50年間、日本という異民族の支配の是非に揺れていた頃で、敗戦直後は「中国への復帰」への期待感もあった。結局「良い予感は外れ、悪い予感は当たる」、蒋介石一派に台湾を強奪されてしまった。

なお、WIKIによると、宮崎茂樹氏は1945年陸軍士官学校卒業、1945年近衛歩兵第9連隊入隊(小生の父も近衛兵だった)、陸軍少尉。1947年公職追放(1951年に解除)。

父親の宮崎繁三郎は陸軍中将で、台湾軍高級参謀兼参謀本部附香港駐在武官、台湾軍高級参謀(台北駐在)、ノモンハン事件従軍、インパール作戦従軍、終戦(21日終戦詔勅受領)。「その後ビルマの収容所に収容され、イギリス軍の捕虜となっていた時には、部下が不当な扱いを受けても決して泣き寝入りすることなく、その都度イギリス軍に対し厳重な抗議を行って部下を守った。戦いを終えて捕虜となっても、宮崎は指揮官としての義務を決して放棄しなかった。1947年5月に帰国――とある。

林景明氏が宮崎茂樹氏を頼ったのは、父親の繁三郎が台湾軍高級参謀であったことに寄るのかも知れない。その林景明氏はやがて消息を絶ったが、杳(よう)として行方は知れず、恐らく日本政府により台湾へ強制送還され、蒋介石によって殺されたのかも知れない。王育徳著「台湾 苦悶するその歴史」末尾の台湾史年表の1970年のところに「台湾独立連盟発足(1.3) 林景明「知られざる台湾」出版(1.15) 彭明敏、台湾を脱出(1月) 連盟員黄文雄、鄭自才、訪米中の蔣経国を狙撃(4.24)」とあるのみだ。

ロバート・D・エルドリッヂ政治学者・元米海兵隊太平洋基地政務外交部次長「安倍元首相が『台湾と日本の将来』について最後まで思い詰めていたこと――『台湾有事は日本の有事』」から。

<【第一報】7月8日金曜日、安倍晋三元首相が無残にも暗殺された日、永田町へ出張し、自宅に戻った。安倍晋三元首相が狙撃されたという知らせを受けたのは、閣僚経験者を含む彼の同僚の現・元国会議員たちと一緒の時だった。死亡が公式に発表されたのは5時間後だったが、私たちは直感的に瀕死の状態であることを察知した。

その夜、関西に戻ると、不在中に届いた安倍元首相の参議院選前最後の大演説が掲載された日本語の安全保障専門誌が机の上にあった。ウクライナ戦争、日本の防衛政策、台湾の3つをテーマにしたものである。この3つのテーマは、読者の皆さんもすぐにお分かりのように、非常に密接に関連している。

7月11日に予定されていた自分の講演を前に、名古屋までの新幹線の中でこの雑誌に掲載された彼のスピーチを読んだ。実は、安倍元首相は5月にも同じ会場で基調講演者として講演していた。

講演に先立ち、主催者側が黙祷を捧げてくれた。 多くの人が喪服で出席しており、安倍元首相がとても尊敬されていることがよくわかった。

私は台湾と日米同盟についての講演の中で、安倍元首相について何度も言及した。冒頭で、私は、安倍元首相が、今年2月に出版された渡辺利夫著『台湾を築いた明治の日本人』(産経新聞、2020年)の英訳版(“The Meiji Japanese Who Made Modern Taiwan”, Lexington Books, 2022)の推薦文を快く書いてくれたことにも言及した。

また先月には、安倍元首相を深く悩ませていた、中国に有利なってしまったパワーバランスの変化を踏まえて日米同盟を見直す必要性について書いた私の最新刊(『中国の脅威に向けた新日米同盟』、青林堂、2022年)を、実弟の岸信夫防衛相にも贈った。安倍氏は私の他のプロジェクトにも協力的で、選挙後に一緒に仕事をするのを楽しみにしていた。

【「力」を「正義」に勝たせてはいけない】安倍元首相の暗殺は、個人的な損失であるだけでなく、国や世界、特に台湾にとって大きな損失である。

台湾が直面している状況は、少なくとも1950年代以降、過去にない深刻なものであることは間違いないだろう。中華人民共和国は、戦略的に重要な第1列島線の中心に位置するこの島国を孤立させようと懸命に努力してきた。

台湾は現在、国連加盟国13カ国、国連総会のオブザーバー国であるバチカン市国としか外交関係を結んでいない。私はよく聴衆に、ウクライナがロシアに侵攻されても戦えるのは、国際社会から国家として認められているからだとよく指摘する。

国際社会が台湾との国交樹立を急がなければ、中国が台湾を支配することになる。「力」が「正義」に勝つのだ。これは誰にとっても悪いことであり、特に日本にとって悪いことだが、日本だけに限定されるものではない。

したがって、台湾を守るための第一歩は、国際社会が台湾との完全な国交を再樹立することである。中国は、台湾を自国の一部とみなし、民主的に選ばれた政府を「分離主義者」で埋め尽くしている台湾を攻撃することは、小さな国だけでなく、世界を攻撃していることを理解する必要がある。連帯が抑止につながる。

もちろん、台湾との安全保障関係は強化されるのも望ましい。防衛協力の強化が必要である。合同演習や多国間演習の実施。インテリジェンスの共有。人的交流も必要だ。しかし、その前提として、台湾は自由で民主的な国であり、地政学的に重要な地域であるため、何としても守らなければならない。米国や日本を含め、台湾を承認している国がほとんどないのに、どうして世界はこのように説得力のある言い方ができるのだろうか。

【台湾だけでなく各国にも打撃】世界が今何もしなければ遅かれ早かれそうなるが、中国が台湾を奪取した場合、その影響は台湾にとどまらない。

米国は「台湾を失った」とみなされ、すでにどん底にあるその信用を打ち砕かれることになる。インド太平洋、少なくとも東アジアから追い出される可能性すらある。

日本は孤立し、貿易ができなくなる。中国の人民解放軍海軍といわゆる海上警察隊が日本の船舶や漁船に嫌がらせをし、船の護衛に派遣された海上自衛隊や日本の海上保安庁にもますます嫌がらせをするようになるからだ。

フィリピンも直ちに脆弱となり、一帯一路構想でますます中国の餌食となっている南アジアや東南アジアの残りの国も同様である。太平洋島嶼国、特に台湾を勇気を持って承認し続けている4カ国はどうなるか想像できるだろう。

安倍首相はこのことも理解していた。だからこそ、「台湾有事は日本の有事」という名言を残したのだ。

それだけではない。台湾の有事は世界の有事でもある。台湾は活気に満ちた、自由で主権ある民主主義国家である。民主的に選出された指導者と議会を持ち、自国の領土を管理し、有能で専門的な軍隊を持ち、独自の通貨、パスポート、文化、言語を持っている。法の支配を尊重している。国民は高い教育を受け、国際的である。経済は先進的で繁栄しており、技術革新が評価されている。

挙げればきりがないが、要するに、台湾は地域経済や世界経済に高度に統合された先進国なのである。台湾を孤立させれば、あるいは関係するすべての国にとって関係拡大が意味する可能性を利用しなければ、台湾だけでなく取り残された各国にも打撃を与えることになるのだ。

【台湾には時間がない】安倍元首相はこの春に発表した論説で、「ウクライナを見舞った悲しくもいたましい人類史の惨劇は、台湾をめぐるわれわれの決意には、そして自由と民主主義、人権と法の支配を大切に思うわれわれの決意と覚悟には、一点の疑いも抱かせる余地があってはならないことを、苦い教訓として与えてくれたのだと思う」と述べた。

中国当局は安倍元首相の寄稿を強く批判したが、これは驚くには当たらない。中国には自由も民主主義もなく、人権も法の支配も尊重されていないからだ。

さらに、安倍元首相は冒頭で紹介した演説や前述の論説で、米国に対し、40年にわたる台湾に対して「戦略的曖昧政策」をやめ、「誤解の余地がない、解釈に幅のない」ステートメントを発出すべきだと呼びかけた。

そして、「同政策は、米国が十分に強く、中国が軍事力で米国に対してはるかに見劣りした間は、極めて有効に働いた。そんな時代は、終わりを告げた。いまや曖昧政策は、北京には米国の決意を見くびらせ、台北にはいたずらな不安を抱かせることで、地域に不安定を育てているといえるのではないか」。

その通りだ。これは勇敢でしかも必要な要求だった。幸い、バイデン米大統領は、その約5週間後に来日した際、安倍元首相の要求に応えたようで、5月23日の岸田文雄首相との共同記者会見で、「米国は台湾を防衛するのか」という記者の質問に答えた。Yesと彼はっきり言った。「それは我々が約束したことだ」と付け加えた。

私は彼がそれを実行することを願っている。バイデンは大統領就任以来にも同じような発言をしている。

安倍元首相は、台湾に時間がないことを知っていた。だからこそ、首相退任後、台湾政府関係者との交流を深め、日本のすぐ南の隣国のために発言することが多くなった。そして今月(7月)にも訪問する予定だったそうだ。

自由で、安全で、豊かな台湾が世界に存在し続けることができるようにするために、安倍元首相が運んだ松明を引き継ぐのは、他の与党議員や世界中の友人や同盟国次第である。松明を絶やしてはいけないと願っている>(以上)

安倍氏の死は「死に体」だった日本のアカどもを喜ばせている。中露北も大喜びだろう。保守派の多くの人が思っているように、安倍氏に代わる人材は今のところ見当たらない。優れた論客、言論人はいるけれど、政治と論壇は別の世界だ。

英国のチャーチルは彼自身が「成功とは意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」と言っているように、戦争や外交でパッとしない政治家だったらしいが、第2次大戦では日本のために多くの植民地を失いボロボロになりながらも、ヒトラー・ドイツの英本土侵略に屈せず戦勝国になり、「危機の時代が産んだ名宰相」と評価された。

「敵に勝ったところで以前のように領土を増やして搾取する時代ではない、敵の牙を抜き、兎にも角にも負けなければ良しとする」というのが第2次大戦後の西側陣営の戦争作法になった。戦勝しても割に合わない。

ところが中ソなど共産主義独裁国は相変わらず領土拡張に意欲を持っている。人権意識ゼロだから敗戦国を奴隷化、植民地化することにまったく抵抗がない。自国の末端の兵士や民の命さえも只の消耗品である。戦争に勝つことで領土が広がり、支配階級の安全が向上し、懐が潤うのであれば開戦に躊躇しない。

台湾は日本の生命線だが、「安倍の有事は日台の有事」になった。習近平とプーチンにとって日台侵略、アジア・太平洋制覇の絶好の機会である。日台侵略の開戦は明日かも知れない。危機の時代には危機感をもった指導者が現れる・・・とドイツ国民はヒトラーに期待し、失敗した。今の日本に中露北の侵略を撃退し、地球から共産主義独裁を一掃するリーダーが現れるか?

一緒に祈りましょう、一口1000万円・・・詐欺師ばっかり。ひとり一人がリーダーになる覚悟、最前線の将兵として戦う覚悟を固めれば道は開けるのではないか。三島は半世紀早すぎた。時代が人材を生むなら、今がいい時期だと思うのだが・・・
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まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」