“安倍ロス”を乗り越えよう
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」80/通算512 2022/8/12/金】夏バテなのか、図書館に行って本を返却し、いつものように「軍事・戦争」コーナーの棚を物色したのだが、今一つ戦意が高揚せず手ぶらで帰宅した。前日、換気扇掃除などでハシャギまくったため、心技体が萎えて戦意喪失なのかと思ったが・・・これはどうも“安倍ロス”のせいかも知れない。ポスト安倍が全然見当たらないというのは、やはり不安である。
帰宅して産経新聞を開いたら国家基本問題研究所・櫻井よしこ理事長の「意見広告:岸田首相よ 安倍晋三の遺志を継げ」があった。
<安倍晋三元首相が亡くなったあとの日本にはぽっかり大きな穴があいています。岸田文雄首相に安倍さんの遺志を継いで前進するとの気概が感じられないからです。
いまにして思えば、安倍さんは「戦後レジーム」からの脱却を堂々と唱え、支持率を大幅に下げながらも平和安全法制を実現しました。自由で開かれたインド太平洋戦略という大旗の下に安全保障、外交を展開し、内政では経済成長政策を果敢に進めました。最終目標が戦後レジームの元凶である憲法改正にあったのは言うまでもありません。
国民にはわかっていました。逝去を悼み、弔事に参加した人々がどれだけ多かったことか。
核保有国の中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた我が国は非常時にあります。最新の防衛白書も、いまの安全保障環境を「戦後最大の試練」と形容しました。軽武装の経済大国などという無意味な古証文は全く通用しません。だからこそ岸田首相は米国との間で、防衛費の相当な増額を公約したのでしょう。
岸田首相は安倍さんの唱えた戦後レジームからの脱却をいまこそ実現し、大きな穴を埋めるべきです。新時代に沿った安倍路線の実現を求めます>2022/8/10
“安倍ロス”・・・♪娘盛りを渡世にかけて 張った体に緋牡丹燃える、のお竜さんみたいな櫻井先生でも「同志喪失」の悲しみ、無念の想いは深い。
安倍氏は60年安保騒動の際、祖父の岸信介の膝の上で当時の流行語「アンポはんたい、キシをたおせ」と言ったら、岸が「安保賛成と言いなさい」と苦笑いしたと回顧していた。
<1960年1月、岸信介はワシントンに赴き、日米旧安保条約の問題であった部分を明確化した日米相互協力及び安全保障条約と日米地位協定に調印した。これを一般に日米新安保条約という。
内容は、日米経済協力と日本の防衛力強化の協調/共同防衛義務/在日米軍の重大行動に関する事前協議制/国内争乱への米軍出動条項削除/条約期限は10年(自動延長)。
これに対して、革新団体や全学連などは安保改定阻止国民会議に結集。国会の周りでデモ隊と警察官のぶつかりあいがおこり、5月20日に10万人、5月27日は17万5000人が国会を包囲したとも言われる。
1960年6月19日、衆議院の優越に加えて、採択から1ヶ月が経ったので、新安保条約は自然成立。岸内閣はその責任を負うかたちで総辞職した>(歴史総合.com)
岸が新・日米安保条約を結ぶことで日本はカネのかかる国防・軍事を米国に依存し、経済成長にひたすら励むことができた。
<(岸の後継に就任した池田隼人は)軍事費をできる限り節約して、経済で身を立てる――これはまさに、師匠・吉田茂が夢見た「通商国家・日本」だ。池田はその実現に向けて精力的に政策目標に取り組み、経済立国に必要な成長基盤を築き上げた。その結果、日本経済は池田退陣後も成長を続け、わずか4年で名目GNPを2倍増、10年でなんと4倍増を達成した>(ダイヤモンドオンライン2015.8.10「蔭山克秀:今、戦後史から知っておきたい日本を「経済の国」へと変えた男)
かくして日本は米国の軍事力に依存して自由世界第2位の「経済大国ニッポン」にのし上がったが、一方でオバマ政権は「最早米国は世界の警察官ではない」と宣言した。それでも日本は「共産主義独裁の中露を刺激せずに友好を深めれば熱戦にはならないだろう」と、軍事力の強化を控えてきた。一方で米国をなだめるような「思いやり予算(在日米軍駐留経費負担、2021年から同盟強靱化予算)」で茶を濁してきた。
安倍氏も首相在任中は「米国のオバマ、トランプ政権との友好強化」、同時に「中露を刺激せずに友好を深める」ことに努めていたが、2020年9月に持病の悪化ため辞任すると、3日後の9月19日には靖国神社に参拝した。英霊に長の無沙汰を深く詫びたのだろう。
安倍氏は多くの言葉を遺した。「台湾有事は日米の有事」は50年前から台湾を兄弟と思っている小生は「よくぞ言ってくれた」と溜飲が下がる思いだった。産経2021/12/1「『台湾有事は日米同盟の有事』安倍元首相が講演」から。
<安倍晋三元首相は1日、台湾の研究機関が主催するイベントでオンライン講演し、軍備増強と海洋進出を進める中国と台湾の間で高まる緊張関係について「台湾への武力侵攻は地理的、空間的に必ず、日本の国土に重大な危険を引き起こさずにはいない」との認識を示した。「台湾有事は日本有事だ。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と指摘した。
また、安倍氏は台湾が目指すTPPへの加入やWHOへの参加について全面的に支援する考えを示した。「台湾の国際的地位を一歩一歩向上させるお手伝いをしたい」と語った>(以上)
「名言・語録・格言」サイトによると、安倍氏は1回目の総理の時は体調不良のため政権を投げ出す形で辞任したが、民主党政権の無責任な政治を見て、昭恵夫人にこのように語ったという。
「今、日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題を見ろ。北方領土問題を見ろ。北朝鮮の拉致問題を見ろ。政治家として、このまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。俺は出るよ。もし今回失敗しても、次の総裁選に出馬するよ。負ければ、また次に挑戦する。俺は、自分の名誉や、体のことなんて構いはしないんだ。国のために、おれは戦い続けるよ」
以下のような言葉も遺している。
「私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは『闘う政治家』と『闘わない政治家』である。内閣が崩壊するときは、内部から崩れることが多い。闘わない政治家とは、『あなたの言うことは正しい』と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。私は常に『闘う政治家』でありたいと願っている」
「『闘う政治家』とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである」
「未来に思いをはせれば、戦後生まれの世代が、今や人口の8割を超えています。あの戦争には何の関わりのない子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく。その責任を果たしていくこと(が私たちの使命)だと考えています」「戦後レジームからの脱却を」「自由で開かれたインド太平洋」「日本は戻ってきた」「美しい国へ」・・・
古森義久先生は日本戦略研究フォーラム(JFSS)最高顧問も務めているが、安倍氏へ改めて弔意を表して「安倍晋三氏と日本、そして世界」の講演をした。とても感動的だが長いので、ごく一部を転載する。
<[著名なエコノミストの武者陵司氏が主宰する「武者リサーチ」が2022年7月21日、安倍元首相追悼セミナーを赤坂・紀尾井フォーラムで開催しました。その際に当JFSS顧問の古森義久氏が基調講演をしました。安倍氏はJFSSの最高顧問でした。その安倍氏への改めての弔意を表する意味でも、本フォーラムとして武者氏のご了解を得た上で、この古森氏の安倍晋三論の内容を紹介いたします]
・・・・・・・・・・・・・・・・
【アメリカでの安倍評価の急上昇】安倍さんのアメリカでの評価は少しずつ少しずつ変わっていきました。彼自身も何回もワシントンにいってアメリカの議会で戦後70年の談話を発表した。日本の民主主義を強調し、対米協調路線を明示して、戦争についても単に謝るという態度はもうみせなかった。
安倍氏の英語はかなり上手です。流暢ではないけれども自分で英語で話す時は事前に十二分の準備をして、本当に一生懸命に話します。普通の英米のネイティブの人たちによく通じる英語です。
(米国)議会の合同会議で語った戦後70年談話は、歴代の日本の首相の同じような談話と違って、戦前の日本が全部悪かったというようなことはもう一切言わなかった。それからもう謝ることはもうこれで終わりにしようと。日米両国は全力で戦い、アメリカが勝ったのだ、という素直な総括を示しました。だからもう決着はついているのだ、というような表現でした。
この率直なメッセージは意外なほどアメリカ側で好感を招きました。その種の前向きな安倍氏への反応はどんどん広がっていきました。
時代を少し前に戻しますが、安倍氏は2007年に体調を悪くして総理大臣を辞めるわけです。そして野党の領袖となる。実はアメリカでの安倍晋三評というのが大きく変わり始めたのは、この安倍氏の在野時代からだったのです。
安倍さんが野党の代表としてアメリカへ行っていろいろな人と話す。アメリカ側ではちょうど二代目ブッシュ政権の時ですけども、まず保守派の人たちが安倍氏のよいところを見て、民主主義そして日米同盟という共通項によって共存していくよきパートナーは安倍晋三なのだという認識を明らかに深めていきました。政権の座にいない安倍晋三を快く丁重に迎えてくれたのです。
二代目ブッシュ政権にいたチェイニー副大統領とかラムズフェルド国防長官とか、民間ではハドソン研究所のワインシュタインという所長、彼はトランプ大統領に次の駐日大使に任命されたけれども大統領選挙でトランプ氏が負けたため実現しませんでした。しかしそうした要人たちが、在野の安倍さんを招いて非常に丁重に扱うということが何度もありました。
そうした共和党側に多かった安倍氏への高い評価や温かいもてなし、さらには安倍氏自身のワシントンでのアメリカ一般への語りかけが、アメリカ官民で好感の輪を広げ、民主党側にも波及していきました。
その間、日本では民主党政権の鳩山由紀夫首相らが米側の民主党オバマ政権を失望させる言動を重ねたことも在野の安倍晋三評価を米側で高める要因の一端になったと言えます。
【安倍氏の「インド太平洋」構想がアメリカの主要政策に】安倍晋三氏が国際的にはっきりと評価を上げたのは、彼が他の諸国の誰よりも早く説いた「インド太平洋構想」です。この構想は安倍氏自身の説明によると、日本と中国との緊迫した状態を、側面から、あるいはもっと高い次元から変えようというような発想で打ち出したそうです。この点は今年4月の私との対談でも彼自身、はっきりと述べていました。
安倍氏は実際に、2つの海、つまり太平洋とインド洋はやはり2つ一緒に考えるべきだということを2006年から主張していました。最終的には2016年のアフリカでの経済開発関連の国際会議で明確に「自由で開かれたインド太平洋」という表現を使い、その構想を国際的に公表したわけです。
この「自由で開かれた」という部分に、中国に対するかなり露骨なメッセージが入っています。中国が一帯一路とか、その他のインフラ構想で国際的な膨張に努めているが、その内容は自由でも開かれてもいない、という意味を込めて「自由で開かれた」と言ったわけです。
トランプ政権がこれはいいということで、中国の独裁制や排他的慣行を非難するときの材料に使い始めました。
そのトランプ政権を一貫して非難をしてきたバイデン政権が登場した時に、どうするかな、と私は興味津々に考察していました。バイデン政権には前のトランプ政権がやったことはほとんど全部排除していくという傾向があったのですが、結局バイデン政権もトランプ政権と同じ「自由で開かれたインド太平洋」という安倍さんが言い始めた言葉を使って現在に至っています。
中国に対してインド太平洋へと地理的に広げる地政学的において、インドという存在に焦点を当てる。インドは非常に微妙な存在だけれども中国に対しての警戒とか不信がものすごく強い。それを引き込んでとくに中国への加重の圧力とする。そんな総合的な戦略をプッシュしていくという部分がアメリカ側にすごくアピールしたようです。ちょうどオバマ政権の終わりから、中国がどうしてもアメリカにとってはこれほど敵視せざるを得ない存在となりました。
その結果、トランプ政権になって、歴代政権がずっと一貫してとってきた中国に対する関与政策というのは間違っていたという宣言が出された。中国に向かっての対決対立の政策になった。
バイデン政権もほぼそれと同じ政策をとっています。ただしところどころに“穴ぼこ”があります。中国とはやはり協調しなければ、仲良くしなければいけない部分もあるのだと、中国に対する「まだら外交」もバイデン政権の特徴ではあります。しかしいずれにしても安倍晋三という人物のインプットはバイデン政権にもはっきりとうかがえるのです。
【安倍氏の最後の笑みへの痛恨】私は長年にわたり、安倍さんを国際的な角度から見ていて、今から思うとなんとなくこの人がいる限り、日本国がある程度の水準以下に落ちていくことはない、日本が奈落に落ちていくことはないだろうと、心の中で感じてきたことをいまになって意識しました。簡単にいえば、わが日本は安倍晋三氏が健在な限り、大丈夫だろうと思ってきた、ということです。その希望の星のような安倍さんが亡くなってしまった。
前記の安倍氏との対談で最後の最後に私が彼に告げたことは日本の世間には「やはり安倍さんだ、という声が多く、それを無視はできないでしょう」という言葉でした。その意味は、もう一度総理大臣やってもいいんじゃないかっていう趣旨です。
その言葉に対して安倍氏はなんとも言えない笑みを浮かべて、「いや、いまは岸田政権を全力で助けていく、それに尽きます」と、答えたのです。私は勝手に、この人はいざという時はまた国政のトップに就く意欲はあるなと解釈しました。しかしいまやその期待も虚しくなりました。返す返すも残念だという思いです。痛恨であります。
最後にワシントンでの安倍さんへの礼讃を報告します。日本の中でいろいろ毀誉褒貶があるけれども、ワシントンではびっくりするぐらいネガティブな反応はありません。私自身も、リベラルで安倍さんに対して無関心とか、批判的に見えたような友人知人からお気の毒だなとか、日本にとっての重大な悲劇だというメッセージが多数届いたので、びっくりしました。
世界での安倍晋三の悲劇ということのインパクトの巨大さは、おそらく皆さん日本のマスコミでみられている以上に大きいのだと、私は実感します。
最後に、安倍さんのご冥福を祈りつつお話を終わらせていただきます。ご静聴どうも有難うございました>(以上)
“安倍ロス”で喪に服しているからと言ったところで中露北は「それでは我々もしばらくは矛を収めましょう」とはならない。それどころか「安倍なき日本は恐れるに足らず、日本攻略のチャンスだ」と襲いかかるのが共産主義者なのだ。
1917年のロシア革命でウクライナ人は「ロシア帝国が崩壊した、二度と独裁政府は御免だ、自由な地方自治を基礎とした小さな中央政府の国を創ろう」と喜び勇んだが、レーニンとトロツキーは一党独裁の敵だとして無慈悲に弾圧した。アカは敵が隙を見せれば一気に本性を現し強殺するのが常套手段である。油断大敵。
海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ
さあ、涙をぬぐったら中露北との前線に戻ろう。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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【雀庵の「大戦序章」80/通算512 2022/8/12/金】夏バテなのか、図書館に行って本を返却し、いつものように「軍事・戦争」コーナーの棚を物色したのだが、今一つ戦意が高揚せず手ぶらで帰宅した。前日、換気扇掃除などでハシャギまくったため、心技体が萎えて戦意喪失なのかと思ったが・・・これはどうも“安倍ロス”のせいかも知れない。ポスト安倍が全然見当たらないというのは、やはり不安である。
帰宅して産経新聞を開いたら国家基本問題研究所・櫻井よしこ理事長の「意見広告:岸田首相よ 安倍晋三の遺志を継げ」があった。
<安倍晋三元首相が亡くなったあとの日本にはぽっかり大きな穴があいています。岸田文雄首相に安倍さんの遺志を継いで前進するとの気概が感じられないからです。
いまにして思えば、安倍さんは「戦後レジーム」からの脱却を堂々と唱え、支持率を大幅に下げながらも平和安全法制を実現しました。自由で開かれたインド太平洋戦略という大旗の下に安全保障、外交を展開し、内政では経済成長政策を果敢に進めました。最終目標が戦後レジームの元凶である憲法改正にあったのは言うまでもありません。
国民にはわかっていました。逝去を悼み、弔事に参加した人々がどれだけ多かったことか。
核保有国の中国、ロシア、北朝鮮に囲まれた我が国は非常時にあります。最新の防衛白書も、いまの安全保障環境を「戦後最大の試練」と形容しました。軽武装の経済大国などという無意味な古証文は全く通用しません。だからこそ岸田首相は米国との間で、防衛費の相当な増額を公約したのでしょう。
岸田首相は安倍さんの唱えた戦後レジームからの脱却をいまこそ実現し、大きな穴を埋めるべきです。新時代に沿った安倍路線の実現を求めます>2022/8/10
“安倍ロス”・・・♪娘盛りを渡世にかけて 張った体に緋牡丹燃える、のお竜さんみたいな櫻井先生でも「同志喪失」の悲しみ、無念の想いは深い。
安倍氏は60年安保騒動の際、祖父の岸信介の膝の上で当時の流行語「アンポはんたい、キシをたおせ」と言ったら、岸が「安保賛成と言いなさい」と苦笑いしたと回顧していた。
<1960年1月、岸信介はワシントンに赴き、日米旧安保条約の問題であった部分を明確化した日米相互協力及び安全保障条約と日米地位協定に調印した。これを一般に日米新安保条約という。
内容は、日米経済協力と日本の防衛力強化の協調/共同防衛義務/在日米軍の重大行動に関する事前協議制/国内争乱への米軍出動条項削除/条約期限は10年(自動延長)。
これに対して、革新団体や全学連などは安保改定阻止国民会議に結集。国会の周りでデモ隊と警察官のぶつかりあいがおこり、5月20日に10万人、5月27日は17万5000人が国会を包囲したとも言われる。
1960年6月19日、衆議院の優越に加えて、採択から1ヶ月が経ったので、新安保条約は自然成立。岸内閣はその責任を負うかたちで総辞職した>(歴史総合.com)
岸が新・日米安保条約を結ぶことで日本はカネのかかる国防・軍事を米国に依存し、経済成長にひたすら励むことができた。
<(岸の後継に就任した池田隼人は)軍事費をできる限り節約して、経済で身を立てる――これはまさに、師匠・吉田茂が夢見た「通商国家・日本」だ。池田はその実現に向けて精力的に政策目標に取り組み、経済立国に必要な成長基盤を築き上げた。その結果、日本経済は池田退陣後も成長を続け、わずか4年で名目GNPを2倍増、10年でなんと4倍増を達成した>(ダイヤモンドオンライン2015.8.10「蔭山克秀:今、戦後史から知っておきたい日本を「経済の国」へと変えた男)
かくして日本は米国の軍事力に依存して自由世界第2位の「経済大国ニッポン」にのし上がったが、一方でオバマ政権は「最早米国は世界の警察官ではない」と宣言した。それでも日本は「共産主義独裁の中露を刺激せずに友好を深めれば熱戦にはならないだろう」と、軍事力の強化を控えてきた。一方で米国をなだめるような「思いやり予算(在日米軍駐留経費負担、2021年から同盟強靱化予算)」で茶を濁してきた。
安倍氏も首相在任中は「米国のオバマ、トランプ政権との友好強化」、同時に「中露を刺激せずに友好を深める」ことに努めていたが、2020年9月に持病の悪化ため辞任すると、3日後の9月19日には靖国神社に参拝した。英霊に長の無沙汰を深く詫びたのだろう。
安倍氏は多くの言葉を遺した。「台湾有事は日米の有事」は50年前から台湾を兄弟と思っている小生は「よくぞ言ってくれた」と溜飲が下がる思いだった。産経2021/12/1「『台湾有事は日米同盟の有事』安倍元首相が講演」から。
<安倍晋三元首相は1日、台湾の研究機関が主催するイベントでオンライン講演し、軍備増強と海洋進出を進める中国と台湾の間で高まる緊張関係について「台湾への武力侵攻は地理的、空間的に必ず、日本の国土に重大な危険を引き起こさずにはいない」との認識を示した。「台湾有事は日本有事だ。すなわち日米同盟の有事でもある。この認識を習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と指摘した。
また、安倍氏は台湾が目指すTPPへの加入やWHOへの参加について全面的に支援する考えを示した。「台湾の国際的地位を一歩一歩向上させるお手伝いをしたい」と語った>(以上)
「名言・語録・格言」サイトによると、安倍氏は1回目の総理の時は体調不良のため政権を投げ出す形で辞任したが、民主党政権の無責任な政治を見て、昭恵夫人にこのように語ったという。
「今、日本は、国家として溶けつつある。尖閣諸島問題を見ろ。北方領土問題を見ろ。北朝鮮の拉致問題を見ろ。政治家として、このまま黙って見過ごしておくわけにはいかない。俺は出るよ。もし今回失敗しても、次の総裁選に出馬するよ。負ければ、また次に挑戦する。俺は、自分の名誉や、体のことなんて構いはしないんだ。国のために、おれは戦い続けるよ」
以下のような言葉も遺している。
「私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは『闘う政治家』と『闘わない政治家』である。内閣が崩壊するときは、内部から崩れることが多い。闘わない政治家とは、『あなたの言うことは正しい』と同調はするものの、けっして批判の矢面に立とうとしない政治家だ。私は常に『闘う政治家』でありたいと願っている」
「『闘う政治家』とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである」
「未来に思いをはせれば、戦後生まれの世代が、今や人口の8割を超えています。あの戦争には何の関わりのない子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく。その責任を果たしていくこと(が私たちの使命)だと考えています」「戦後レジームからの脱却を」「自由で開かれたインド太平洋」「日本は戻ってきた」「美しい国へ」・・・
古森義久先生は日本戦略研究フォーラム(JFSS)最高顧問も務めているが、安倍氏へ改めて弔意を表して「安倍晋三氏と日本、そして世界」の講演をした。とても感動的だが長いので、ごく一部を転載する。
<[著名なエコノミストの武者陵司氏が主宰する「武者リサーチ」が2022年7月21日、安倍元首相追悼セミナーを赤坂・紀尾井フォーラムで開催しました。その際に当JFSS顧問の古森義久氏が基調講演をしました。安倍氏はJFSSの最高顧問でした。その安倍氏への改めての弔意を表する意味でも、本フォーラムとして武者氏のご了解を得た上で、この古森氏の安倍晋三論の内容を紹介いたします]
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【アメリカでの安倍評価の急上昇】安倍さんのアメリカでの評価は少しずつ少しずつ変わっていきました。彼自身も何回もワシントンにいってアメリカの議会で戦後70年の談話を発表した。日本の民主主義を強調し、対米協調路線を明示して、戦争についても単に謝るという態度はもうみせなかった。
安倍氏の英語はかなり上手です。流暢ではないけれども自分で英語で話す時は事前に十二分の準備をして、本当に一生懸命に話します。普通の英米のネイティブの人たちによく通じる英語です。
(米国)議会の合同会議で語った戦後70年談話は、歴代の日本の首相の同じような談話と違って、戦前の日本が全部悪かったというようなことはもう一切言わなかった。それからもう謝ることはもうこれで終わりにしようと。日米両国は全力で戦い、アメリカが勝ったのだ、という素直な総括を示しました。だからもう決着はついているのだ、というような表現でした。
この率直なメッセージは意外なほどアメリカ側で好感を招きました。その種の前向きな安倍氏への反応はどんどん広がっていきました。
時代を少し前に戻しますが、安倍氏は2007年に体調を悪くして総理大臣を辞めるわけです。そして野党の領袖となる。実はアメリカでの安倍晋三評というのが大きく変わり始めたのは、この安倍氏の在野時代からだったのです。
安倍さんが野党の代表としてアメリカへ行っていろいろな人と話す。アメリカ側ではちょうど二代目ブッシュ政権の時ですけども、まず保守派の人たちが安倍氏のよいところを見て、民主主義そして日米同盟という共通項によって共存していくよきパートナーは安倍晋三なのだという認識を明らかに深めていきました。政権の座にいない安倍晋三を快く丁重に迎えてくれたのです。
二代目ブッシュ政権にいたチェイニー副大統領とかラムズフェルド国防長官とか、民間ではハドソン研究所のワインシュタインという所長、彼はトランプ大統領に次の駐日大使に任命されたけれども大統領選挙でトランプ氏が負けたため実現しませんでした。しかしそうした要人たちが、在野の安倍さんを招いて非常に丁重に扱うということが何度もありました。
そうした共和党側に多かった安倍氏への高い評価や温かいもてなし、さらには安倍氏自身のワシントンでのアメリカ一般への語りかけが、アメリカ官民で好感の輪を広げ、民主党側にも波及していきました。
その間、日本では民主党政権の鳩山由紀夫首相らが米側の民主党オバマ政権を失望させる言動を重ねたことも在野の安倍晋三評価を米側で高める要因の一端になったと言えます。
【安倍氏の「インド太平洋」構想がアメリカの主要政策に】安倍晋三氏が国際的にはっきりと評価を上げたのは、彼が他の諸国の誰よりも早く説いた「インド太平洋構想」です。この構想は安倍氏自身の説明によると、日本と中国との緊迫した状態を、側面から、あるいはもっと高い次元から変えようというような発想で打ち出したそうです。この点は今年4月の私との対談でも彼自身、はっきりと述べていました。
安倍氏は実際に、2つの海、つまり太平洋とインド洋はやはり2つ一緒に考えるべきだということを2006年から主張していました。最終的には2016年のアフリカでの経済開発関連の国際会議で明確に「自由で開かれたインド太平洋」という表現を使い、その構想を国際的に公表したわけです。
この「自由で開かれた」という部分に、中国に対するかなり露骨なメッセージが入っています。中国が一帯一路とか、その他のインフラ構想で国際的な膨張に努めているが、その内容は自由でも開かれてもいない、という意味を込めて「自由で開かれた」と言ったわけです。
トランプ政権がこれはいいということで、中国の独裁制や排他的慣行を非難するときの材料に使い始めました。
そのトランプ政権を一貫して非難をしてきたバイデン政権が登場した時に、どうするかな、と私は興味津々に考察していました。バイデン政権には前のトランプ政権がやったことはほとんど全部排除していくという傾向があったのですが、結局バイデン政権もトランプ政権と同じ「自由で開かれたインド太平洋」という安倍さんが言い始めた言葉を使って現在に至っています。
中国に対してインド太平洋へと地理的に広げる地政学的において、インドという存在に焦点を当てる。インドは非常に微妙な存在だけれども中国に対しての警戒とか不信がものすごく強い。それを引き込んでとくに中国への加重の圧力とする。そんな総合的な戦略をプッシュしていくという部分がアメリカ側にすごくアピールしたようです。ちょうどオバマ政権の終わりから、中国がどうしてもアメリカにとってはこれほど敵視せざるを得ない存在となりました。
その結果、トランプ政権になって、歴代政権がずっと一貫してとってきた中国に対する関与政策というのは間違っていたという宣言が出された。中国に向かっての対決対立の政策になった。
バイデン政権もほぼそれと同じ政策をとっています。ただしところどころに“穴ぼこ”があります。中国とはやはり協調しなければ、仲良くしなければいけない部分もあるのだと、中国に対する「まだら外交」もバイデン政権の特徴ではあります。しかしいずれにしても安倍晋三という人物のインプットはバイデン政権にもはっきりとうかがえるのです。
【安倍氏の最後の笑みへの痛恨】私は長年にわたり、安倍さんを国際的な角度から見ていて、今から思うとなんとなくこの人がいる限り、日本国がある程度の水準以下に落ちていくことはない、日本が奈落に落ちていくことはないだろうと、心の中で感じてきたことをいまになって意識しました。簡単にいえば、わが日本は安倍晋三氏が健在な限り、大丈夫だろうと思ってきた、ということです。その希望の星のような安倍さんが亡くなってしまった。
前記の安倍氏との対談で最後の最後に私が彼に告げたことは日本の世間には「やはり安倍さんだ、という声が多く、それを無視はできないでしょう」という言葉でした。その意味は、もう一度総理大臣やってもいいんじゃないかっていう趣旨です。
その言葉に対して安倍氏はなんとも言えない笑みを浮かべて、「いや、いまは岸田政権を全力で助けていく、それに尽きます」と、答えたのです。私は勝手に、この人はいざという時はまた国政のトップに就く意欲はあるなと解釈しました。しかしいまやその期待も虚しくなりました。返す返すも残念だという思いです。痛恨であります。
最後にワシントンでの安倍さんへの礼讃を報告します。日本の中でいろいろ毀誉褒貶があるけれども、ワシントンではびっくりするぐらいネガティブな反応はありません。私自身も、リベラルで安倍さんに対して無関心とか、批判的に見えたような友人知人からお気の毒だなとか、日本にとっての重大な悲劇だというメッセージが多数届いたので、びっくりしました。
世界での安倍晋三の悲劇ということのインパクトの巨大さは、おそらく皆さん日本のマスコミでみられている以上に大きいのだと、私は実感します。
最後に、安倍さんのご冥福を祈りつつお話を終わらせていただきます。ご静聴どうも有難うございました>(以上)
“安倍ロス”で喪に服しているからと言ったところで中露北は「それでは我々もしばらくは矛を収めましょう」とはならない。それどころか「安倍なき日本は恐れるに足らず、日本攻略のチャンスだ」と襲いかかるのが共産主義者なのだ。
1917年のロシア革命でウクライナ人は「ロシア帝国が崩壊した、二度と独裁政府は御免だ、自由な地方自治を基礎とした小さな中央政府の国を創ろう」と喜び勇んだが、レーニンとトロツキーは一党独裁の敵だとして無慈悲に弾圧した。アカは敵が隙を見せれば一気に本性を現し強殺するのが常套手段である。油断大敵。
海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ
さあ、涙をぬぐったら中露北との前線に戻ろう。
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