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過度の福祉が国家を弱める

2022-08-09 07:09:54 | 戦争
過度の福祉が国家を弱める
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」78/通算510 2022/8/9/火】拙稿2022/7/29の「行き過ぎた福祉は亡国を招く/下」で「次回は『行き過ぎた福祉政策は地縁血縁家庭崩壊の元凶』を書く」と予告したが、このまま進めば日本のみならずG7など先進諸国は沈没へ向かうのではないかと不安になる。まずは温故知新、歴史を振り返ってみよう。

我が街界隈の小生の散歩コースである多摩丘陵の頂上には縄文遺跡が2つある。東高根遺跡(東高根森林公園内)、長尾台遺跡(ふじやま遺跡公園内)だ。いずれも富士山を含めて見晴らしがいい。

なぜ頂上にあるのか? 麓なら渓流も多摩川もあるから便利で、何も水がない頂上で暮らすのは不便ではないか。青森県の三内丸山遺跡も丘の上にあり、500人ほどの縄文人が暮らしていたらしい。なぜ山上に暮らすのか・・・

狩猟採集時代は縄張り争いが絶えなかったろう。戦争では山城が有利で、麓から山城を攻めるには4倍の軍勢が最低必要だと言われる。難攻不落の要塞だ。三内丸山を象徴する高さ17m×直径1mのクリの巨木を用いた大型掘立柱建物(3階建てタワー)は神事用とか穀物貯蔵用かと思っていたが、敵の動向を知り対処するための「物見やぐら・戦争指揮所」ではなかったか。この監視塔などを含めた軍事力があったればこそ、今から5500年から4000年前に至る1500年間も三内丸山人が住み続けることができたのではないか。

部族は安全保障のために遠交近攻を繰り返すが、大きな敵に出会うと中小部族は連合したり合従連衡で軍事力を高めたり、大きな敵の傘下に入ったりする。水田耕作が始まって平地に暮らすようになっても、やはり水争いや狩猟採集など縄張りを巡る戦争はあるから、村の囲いを砦のように頑丈にしたようだ。

「水争い」と言うと古い話のように思われるが、我が町村一帯は家康が秀吉に関東移封され(1590年以降)用水路と田畑の開墾整備を進めて以来、農業が主体だったから、多摩川の洪水と日照りによる水不足は大きな問題だった。

この水を巡る争いは、今からたった80年前、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られ4つのエリアに公平に水が分配されるまで死者を伴う地域紛争が頻発し、慰霊碑(お地蔵さま)まであり献花が絶えない。

文明は、水と土地と気候温暖に恵まれ、農業など食糧事情が良くなるにつれて徐々に発展する。それに比例して人口も増えるのだが、少数の支配階級は満腹しても、圧倒的多数の被支配階級である庶民は衣食住に苦労し続けることになる。

特に農業は気候に左右されやすいから、江戸期の250年間は人口が4000万人前後のままで全然増えなかった。コメの物納という納税≒収奪が厳しい上に生産性が低いままで、このために特に東北では干ばつや冷夏で餓死者が続出、死屍累々だった。一方で全国的には少数ながら豪農や大商人が生まれたものの、貧富の格差は非常に大きくなった。

明治維新前の数十年は農民一揆が頻発し、治安出動した藩士に対し、他国へ逃れようと越境を目指す農民は「座して死を待つくらいなら、殺された方がマシ、道をあけなされ!」と抵抗を強めたケースも記録されている。

士農工商など身分制度=社会秩序が揺らぎ始めた幕末から、豪農や大商人、進取の武士階級が「郷土の志ある若者」を私塾に受け入れ、教育していった。松陰先生の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」などはその代表格だろう。文科省「幕末期の教育」によると、

<幕末の私塾は、幕府や藩などの制度によるものではなく、自由に開設されたものであり、また、藩校や寺子屋とちがって身分上の差別も少なく、多くは武士も庶民もともに学ぶ教育機関であった。幕末の私塾は、近代の学校の一つの源流をなすものであり、特に近代の私立学校の前身あるいは母体として重要な意義をもっている>

これが主に地縁・血縁を主体にした民間の門閥、私党、郷党の「○○会」になり、シナの互助組織「宗族」より緩やかな繋がりになったようだ。週末になると漱石の家に集ったお弟子さんのサークルも一種の門閥のようである。

郷党や門閥は明治時代が最も盛んで、1917年のロシア赤色革命以降の大正デモクラシーで個人主義、秩序破壊、伝統否定の風潮が始まり、絆は弱まり始め、1945年の敗戦以降はさらに弱体化したが、今でもビジネス、就職、結婚などで人脈として辛うじて残っているようだ。

1960年頃まで大企業は公募しなくても人脈で人材を確保できた。できる社員が「息子が今年、学校を出ますので使って下さい」、上司も「君の倅なら安心だ、来週から来てくれ」、息子も「親父が勧めるのだから余程いい会社だろう」てなものだった。

1960年以降は高度成長で、郷党や人脈を頼らなくても就職に困らないから個人主義的になり、今では○○県人会のようなものはあるものの、いずこもパッとしないようだ。地縁血縁のネットワークに頼らなくてもいいし、以前は「一人暮らしできつくても所帯を持てばそこそこ暮らせるものさ、馬には乗ってみよ、人には添うてみよっていうでしょ、私がいい人探してあげるから」という近所や職場の縁結びのオバサンもいなくなってしまった。

今ではあちこちにコンビニはあるし、一人暮らしでも生活に不自由はしない。家庭を持ったところで、夫唱婦随、夫は外で働きカネを稼ぎ(戦争、攻撃、防衛)、妻は家を守り子を育てる(家政、守備)という、古事記(神話、建国伝説)で文書化された伝統的な役割分担は今や消滅しつつある。

「私だって働いているんだから保育園に預けるのはアナタがやってよ、専業主婦でいいって言うなら私が家のことは全部やるけど、そうはいかないでしょ?・・・明日から見送り、ちゃんとやってね、まったく甲斐性なしなんだから・・・返事は? ハイと言いなさいよ・・・何、その態度は? もう許せない、出て行って!」

ニコニコ離婚講座・・・亭主はマイホームから追放され、住宅ローンを負担し、慰謝料を払い、月1回だけ子供と面会・・・「狭いながらも楽しい我が家、ホームスイートホーム」・・・遠い夢になったよう。

国が発展する、国民が豊かになる、消費が伸びる、物欲は高まる、経済は発展する、政治家は人気取りのために福祉を拡大する、GDPが上昇する、国がさらに発展する・・・これを繰り返して経済成長で豊かになっていったのがG7やG20の諸国だったろう。

で、どうなったか。豊かになって、弱肉強食を忘れ、亡びようとしているようである。エドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」からざっくり引用すると、

<【戦争から生まれたダイナミックなヨーロッパ】ヨーロッパとは、常に戦争が行われてきた場所である。戦争はヨーロッパ文化の核心に関わっている。ヨーロッパの偉大なる創造性、ダイナミズム、エネルギーのすべては、戦争が常に発生するヨーロッパの土地柄から生まれてきたのだ。だからこそ、世界の大部分を植民地化できたのである。

当時のヨーロッパの人々の思想にとって、根本的な位置を占めていたのは、ギリシャのホメロスの著作とされている「オデュッセイア」と「イーリアス」だ。前者は個人主義、後者は戦士の美徳を教えている。これらの思想の土台の上に、キリスト教的な情熱と戦闘的な要素が加わって、ヨーロッパが世界を制覇したのである。

注目したいのは「イーリアス」で、「男は戦いを好む」「女は戦士を好む」と説いている。今日のヨーロッパでは、このような思想は否定されており、大多数の人々は平和主義を肯定し、戦争を否定し、暴力を嫌悪し、敵を殺すのを嫌っている。男も女も戦争を嫌悪し、戦争を避けるようになった。

それによりヨーロッパの女たちは愛すべき戦士を失い、子供もあまり産まなくなった。ヨーロッパ文化の「非戦闘化」によって少子化が生じているのだ。

「男は戦いを好み、女は戦士を好む」という「生命の法則」(マーチン・レヴィ・ファン・クレフェルト)を拒否する国、戦いを嫌う国では少子化が起きている、即ち子供があまり産まれていない。女性一人当たり1.1人程度の出生率では人口は半減を繰り返しどんどん減っていき、いずれは消滅する。

戦争を「野蛮」「原始的」「後退的」とみなされれば子供は生まれなくなる。「男は戦いを好み、女は戦士を好む」という文化を失った国はいずれ消滅するのだ。

【イスラエルの「戦士の文化」】イスラエルのテルアビブを訪れてみるといい。大卒の女性たちも当然のように子供を3人産んでいる。イスラエルは「戦士の文化」を社会的に維持しているのだ。欧米などの破壊的・自滅的なイデオロギーに毒されていない。18歳の若者はスマホで遊ぶよりは軍隊への入隊を望んでいる。そこで彼らは男らしさ、勇敢さ、チャレンジ精神を鍛える。女性も半分以上が入隊し、戦闘部隊に参加する者もいる。

しかもイスラエルではハイテク産業が盛んだ。小国ながら数多くのノーベル賞受賞者を輩出している。「ノーベル平和賞」ではない! 「戦士の文化」を持った国が、創造的なハイテク産業を擁し、しかも世界への探求心も強い。

たとえば、イスラエルから多数のバックパッカーが世界中に出掛けている。人口は860万人の国なのに、まるで8000万人の人口規模の国ような存在感だ。それほど若者は冒険心に満ちている。

我々は皮肉な現象を目撃している。ヨーロッパ文化が最後に花を咲かせているのが中東のイスラエルなのである>(以上)

政治家の人気取りのような「行き過ぎた福祉政策」は、国民の地縁・血縁・家庭という伝統的な互助組織・絆、努力すれば良い暮らしが得られるという人間の向上心・自立心、余裕ができれば国家・同胞、さらに世界のために尽くそうという愛国心・義侠心などを棄損し、国家・国民・民族を軟弱、惰弱に導き、やがては国家崩壊を導くのだ。

マルコムXを元祖とする米国の黒人運動家は「産めよ増やせよ、ブタ(白人)が育てる」と言い、欧州への偽装難民は「夢は生活保護」だと言っていた。日本でも在留外国人の生活保護受給者は10年で倍増している。

<数ベースでみても外国人が世帯主の世帯による生活保護の受給は大幅に増えている。平成28年度は月平均7万2014人と、18年度の4万8418人から48.7%多くなった>(産経2018/5/3「生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も」)

これがモラルか? 単純労働の外国人受け入れや、過度の福祉が国家を弱め、やがては亡国を招くのではないかと警鐘を鳴らしたい。
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