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デジタルよりアナログが好き

2025-02-20 19:14:06 | 戦争
デジタルよりアナログが好き
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」368/通算799 2025/令和7年2/20 木曜】 小生の座右の銘は「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」で、簡単に言えば物欲を控える、清貧を良しとする、ということだ。時々書物は買うけれど、自分のために衣服を買うことはほとんどない。それどころか息子のお下がりがどんどん増えて収納庫はぎっしり、下着以外は20年、30年分はありそうでウンザリさせられる。

昔から「男子辺幅を飾らず」を良しとしてきたからお洒落とはほとんど縁がないものの、起業してからは顧客に名前を覚えてもらうのが大事のためド派手な服装をしていた。「“シーチンさん?”ああ、チンドン屋さんみたいな服の人ね」と取引先の女性からも名前を覚えてもらった。小生が飯の種とした海外旅行業界は欧米などでの国際見本市で海外出張が多いので、地味な黒のスーツと落ち着いたネクタイの格好は「ダサイ」と敬遠されていたのだ。海外旅行は1964年に解禁されたから業界自体も若かったので、海外ではノーネクタイのラフながらお洒落な格好、女性は反対に高級ブランドのド派手な格好が多かった。イケイケドンドン、皆元気で今の仕事が大好きで誇りを持っていたものだ。ところが良き時代は終わり始めていく・・・デジタル化が始まったのである。

「1985年あたりまでのアナログ時代の昔は良かったなあ、仕事はハードでも経験や人脈で商売できたのに・・・」と50歳の“シーチン”社長はローンばかりが増える急速なデジタル化に困惑していたものである。そんなところに2001年9月11日、イスラム過激派テロ組織アルカイダにより「アメリカ同時多発テロ事件」が起き、小生の会社は売上激減、蓄財も少ないので年末に廃業せざるを得なかった。

クライアントに迷惑をかけないように懇意にしていたプロダクションに業務を移管するのに1年かかり、ホッとしていたら胃癌で胃袋喪失。抗癌剤の副作用もあり、まったくもって絶望的な療養生活だったが、「禍福は糾える縄の如し」、たまたま渡部亮次郎氏の「頂門の一針」に寄稿させていただくなど、多くの人の善意で少しづつ回復していった。後にナースのカミサン曰く「あなたがとても辛そうなので死んだ方がマシ、と副作用の大きい抗癌剤治療をストップさせたのよ」。
福岡県の友人を含め多くの人のお陰で生きながらえて74歳・・・紆余曲折あるものの「終わり良ければ総て良し、我が人生に悔いなし」の観がある。

ところで冒頭の「欲少なく足るを知る、足るを知りて分に安んずる」。たまたま中村元(はじめ)先生の「原始仏典」を読み直していたら「足るを知る」という小見出しに赤丸がしてあった。すっかり忘れていたが、小生は同書により釈尊(お釈迦さま、通称ゴータマ・ブッダ(シャカ族の聖者の意)、本名ゴータマ・シッダッタ)の教えを受けていたのだ! 「慈悲について」などをざっくり引用すると――

<◎:慈しみの経▶ 釈尊の教えを一貫する精神は何か。人々に対する暖かい気持ち、慈悲、純粋な愛と言えるでしょう。南アジアの人々はいつもこの「慈しみの経」を唱えています。スリランカでは毎朝宗教放送があり、この聖典を読みます。 

◎:足るを知る▶ 究極の理想である平安の境地に達してなすべきは以下である。「直(なお)く正しく言葉優しく、柔和であること。思い上がってはいけない」「足ることを知り、わずかの食物で暮らし、生活も簡素で、落ち着いて、聡明で高ぶることがないこと」
「足ることを知り」と言うのを日本では「知足」と言いますが、仏典ではしばしば出てくる教えです。「老子」では「自ら勝つ者は強し、足るを知る者は(心が)富めり」とあります。西洋ではことにストア(派)の哲人が人生の理想として「足るを知る」「満足せよ」とよく説いています。「簡素で昂(たかぶ)ることなく貪るな」という教えは現代の生活でも通じる面があるでしょう。

◎:慈悲の精神▶ 「識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない」「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」「何人も他者を欺(あざむ)いてはならない、軽んじてはならない。怒りの思いで他者に苦痛を与えたいと望んではいけない」「母が子を命懸けで守るように、生きとし生けるものに対しても無量の慈しみの心を起こすべし」
あらゆる人々、あらゆる生きものに、恨みなく敵意なき慈しみの心をしっかり持ちなさい。それを崇高な境地と呼ぶ>以上抜粋
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良き教えである。「いかに生きるべきか」というのは人それぞれだが、息子の母校の経済学系大学のトップによるOB向け新年の挨拶に「株式相場」の話があったのには驚いた。曰く――
<恒例の株式相場での格言は「辰巳(たつみ)天井、午(うま)尻下がり」、「戌亥(いぬい)の借金辰巳で返す」となります。昨年は7月11日に日経平均株価、東証初の4万2千円台を記録し、その後は乱高下、難しい判断を迫られます。念のため、本学の資産運用は安全第一、株式への直接投資は行っていません、云々>

大学のトップがナント株式相場に一喜一憂・・・学問って何なんだ? 高度成長が始まった1960年あたりから我が父も、本家の総領も一時期、株式相場に手を出していたが、「儲かるのはいいが、本業の方が忙しいので、安定している優良株だけにして寝かしている」と言っていた。
マネーゲームのように株売買を繰り返す人は多いが、小生の知っている一人は夜逃げ。もう一人は中堅旅行会社の社長で、中共幹部の息子を自宅に引き受けて留学の面倒を見、中共幹部の支援を得て日本人の中国旅行を成功させたやり手である。しかし、彼の本業は薄利の旅行業ではなく、株の売買であり、汗水流さずに金儲けしていると旅行業が疎かになり、結局、旅行業から身を引き、中国株売買の証券アドバイザーになった。中共幹部からの情報提供があるので当初は順調だったが、やがてインサイダー取引が禁止になり、「裏情報があるから商売になったが、裏情報を得れば刑務所行き・・・」とボヤキながら事業をやめた。その後の消息は聞かないが、しっかり蓄財していたし、息子さんも株売買に通じていたから晩年の心配はなかったろう。

株式を「安く買って高く売る」ことで利益を生む株式投資。株の売買で稼ぐというのは、お釈迦様を尊敬している゛清貧教”の小生から見れば゛ナンカナー“である。「学問のすすめ」の福沢諭吉先生はこう言っている。
<人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴(おもむく)ことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛(からき)と寛(ゆるやか)なるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪(にくむ)者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。

今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易(やす)く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり>

1901/明治34年に福沢諭吉先生が亡くなると、慶應義塾は野球部を作り、2年後の1903/明治36年に第1回早慶戦が開催された。学問の場にスポーツ・・・慶應義塾で教鞭をとっていた永井荷風は心底軽蔑していたが、今でも諭吉先生は天国で困惑しているのではないか。
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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