2024年4月「ブリが相模湾定置網漁で大漁のニュース」で思い出す
4月上旬、夕方のテレビを視ていたら
「相模湾で春ブリが大漁・約5,000匹が水揚げされて地元の鮮魚店も住民が嬉しい・・・と」興奮した笑顔が映されていました
それは”小田原漁港の定置網漁の大漁ニュース”だったと思います
寒ブリ定置網漁のお話は以前このブログで
私の生家がある伊豆東海岸(相模湾)でも昭和30年代前半の幼少の頃、
約1km沖合に設置した大規模定置網の大漁記事を掲載したことを思い出しました
・・・以下、関連記事を以前掲載した(2011/05/29)再掲です・・・
子供の頃の思い出(その2)「ねこさい(定置網)」
子供の頃の思い出(その1)「サイの神と大漁祈願」の続きです。
小学生(6年)までの男の子達は、「サイの神(道祖神)」(石像物)の頭を、「青竹」で叩きながら、「ねこさい(定置網)に、寒ブリが大漁にとれるように祈る」話をしました
伊豆半島でも、昭和20年代後半から30年代中頃までは、天然の寒ブリが「ねこさい」に大漁にとれました。
漁師(若い衆)達は、大きな寒ブリ(10Kg前後)の尾びれを片手でつかみ、木船の中に投げ込む姿は、頼もしかったですネェそのときの様子をトッシーがイラストに描いて見ました
←若い漁師達の寒ブリのツカミとり絵
また、発動機(赤玉ポンポン)船には、大きなタモ(網)で一度に多くの寒ブリを積み込みました。
大漁の時には、次から次に寒ブリが「ねこさいに」に入り、朝から深夜までとることもありました(数千尾)
(1万尾近くの時もあった記憶があります)
<最近昔の写真を整理していたら>
昭和30年代後半、地元の「ねこさい(定置網)」に大漁に「寒ブリ」がとれた時、漁船に乗船させてもらい撮影した「モノクロ・ベタ焼き」が出てきました。(はじめて写真機を買った嬉しさで、記念にしようと撮りに行った記憶がよみがえりました)
(トッシー撮影)
←昭和30年代後半の地元定置網・寒ブリ
←懐かしい漁師サン達です
以上。
<ひとコト>
寒ブリが少なくなった(いなくなったに等しい)本当の原因は今でも説明されたことを聞いたことはありません教えてほしいですね
ブリが大好物の餌・イワシや小魚が少なくなった(海岸に近寄らなくなった)?
海岸線海面スレスリに突き出した”大きな盆栽のような松の葉”等の下で魚たちがリラックスできる場が少なく(なくなったのか)?
海岸線の建物が太陽で海面に反射される(魚類はビックリで近寄らない)?
黒潮の流れが海岸からはるか沖のほうを流れている(寒い潮が流れ込んできた)?
海岸線の道路の振動や騒音?
山からながれる川の養分がなんらかの原因で少なくなり、プランクトンの餌が不足?
・・・等々のウワサを聞いたことがありますがナンダロウ
幻の高級魚(12月から1月頃の寒ブリ)を安価で食べたいですね
ブリ・ちなみに出世魚(ご参考に)
・ワラサ(8kg未満)➤・ブリ(8kg以上)といわれていますね
以上。