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伊豆天城山「ハ丁池・紅葉めぐり」の思い出

2021年03月14日 | 旅行記

火口湖「八丁池」への初のハイキングにいった時の思い出

”平成14(2002)年11月15日~17日の紅葉シーズンに親友と行く”

(参考に、旧天城トンネル付近からの展望イラストが描いてありましたの・イメージ

・旧天城トンネル頭上には”八丁池方面・湯ヶ島方面”案内板あり”

・あの歌唱:石川さゆり”天城越え”、そして主演映画:吉永小百合”伊豆の踊り子”で有名ですネ

・昭和40年材前半に、旧天城トンネルの”湯ヶ島口”小さな広場のトンネル脇から登ると、ブナ林の間から「キジ」(大きな美しい鳥)が鳴きながらバタバタット舞い上がる姿がたまらない(めったに見ることはありませんでした)

・昭和41年開局「電電公社・天城無線中継所の鉄塔(パラボラアンテナ2基)」がありましたが(今は撤去されています)

南伊豆伊豆七島方面が一望に見える展望(絶景ナリ)

・下田港湾内を「黒船」でめぐるコースあり

 伊豆東海岸に生まれ、社会人となり名古屋に転勤した昭和44年までその生家に住んでいた。

その生家を約30年前頃から宿代わりに利用し、磯釣り仲間とカサゴ釣りに行き楽しんでいる。

しかし、その生家の裏手の天城山の山頂付近にある「八丁池」には、一度も行ったことがなかった。

 毎回磯釣りに行くメンバーの中には、若い頃から磯釣よりも山歩きが大好きな2名の友人たちがいました。

その仲間の一人が、是非「天城・八丁池の紅葉」を見たいとのことから、私はその友人と2人で生まれて初の「八丁池」めぐりを実現することができました。

それは、平成14(2002)年11月15日~17日の紅葉シーズンであった。

紅葉の見頃までには、2週間程早すぎたが、それでも少し紅葉気分を味合うことができたので感激しました。

八丁池は、標高1,125m、周囲八丁(約870m)、水深約1.5mの火口湖である。この池名の由来は、周囲が八丁あるところからつけられたとのこと。

6歳上の私の兄は、昭和30年代冬にその八丁池に「スケート」を滑りに行った・・・と言う話しを聞いたことがありました。

今まで、なんで生家からこんなに近かったのに行かなかったと後悔。

振りかえってみると、私は”山人派”よりも”海人派”だったからだと思う。

 生家で磯釣りをした2泊目・平成14年11月16日の朝9時頃、親友(Hさん)の自家用車に同乗した私は、国道135号線を下田・川津方面に向け走らせた。

 東海岸のシーサイドハイウェイを北川温泉、熱川温泉、片瀬白田温泉、そして稲取温泉を通過、更に進むと河津に到着

河津の川沿いに植樹し成長した桜の木は、毎年2月中旬頃になると日本本土で最初に満開となるので有名だ

ピンク色の光沢は、気分爽快にしてくれる癒し桜である。その桜は「寒桜」と「大島桜」による自然交配された原木から植樹に成功し「河津桜」と命名され、“河津桜まつり“には毎年全国から約100万人もの観光客で大にぎわいする

その桜並木を横目で見ながら国道414号を進むと”河津温泉郷”に到着

更に、観光的に有名な河津七滝ループ橋へ。

ハンドルを固定しグルグル廻りいっきに進むと”新天城トンネル”に到着

この先は天城湯ヶ島・修善寺だ。

この”新天城トンネル”を抜け少し進んだところにバス停「天城峠」があり、ここを右折し、旧道を登っていくと「旧天城トンネル」の入り口広場に到着

この広場の公衆トイレの横にワゴン車を駐車しておき、このトンネル右脇の細い登山道を約15分かけ、いっきに登りきったところで一休みした

案内板「八丁池方面lと反対「湯ヶ島方面」に少し歩くことにした。

「天城無線中継所」の鉄塔に”2基のパラボラアンテナ”があるはず・・・」と思ったが、何か変だ??ぞ

存在するはずの“パラボラアンテナ”が見えない

絨毯のように生えた緑色の苔を踏みしめ高台をめがけ、階段をいっきにかけ登った。

そこ一面は、枯れた草木で覆われていた

無線中継所の“鉄塔の上のステージに取り付けられていた2基のパラボラアンテナ“も全てが撤去されていた

いったい何時頃に撤去されてしまったのだろうか?

日本国中に光ファイバー網が張り巡らされ敷かれている今日、保守や運用費用にコストがかかった無線の時代は終わったんだよね、非常用の無線局以外は””になったんだネェ

 

確かに冷静に考えてみると、IT技術革命によりデジタル化が図られ、負の資産となってしまったクロスバ交換機がルータに変わり、アナログ電話からIT電話に移行。

また一般電話からIP電話や携帯電話時代への移行を考えると、撤去されても当然か。

と私は思った。

その無線中継所が建っていた枯れた草の間には、鹿やタヌキと思われる糞が点々と転がり、最高の遊び場になっているようにみえた。

さて今回の目的「八丁池紅葉めぐり」に行くことにします

 旧天城トンネル上から細いハイキングコースを約2時間歩いた所に「八丁池」がある。

 崖沿いに造成されたハイキングコースを進み、”旧天城トンネル”を左眼下に見下ろし原生林の中に点々と生えている”ヒメシャラブナの木”を見ながら歩くと「向峠」に到着。

ここまでは、ほぼ平らなコースのため体力的には問題無く歩くことができ、空気も美味しく気持ち良さを味合うことができた

更に進むと左眼下からかすかに沢の音が聞こえてきた、そして「ワサビ田」が見えてきた。

この辺になると、最近スポーツをしていない私にとっては疲労感が襲いかかり厳しくなってきた。

速足の親友(Hさん)の後を、私は走るように追うがかなわない

この「ワサビ田」から先は登り道のため心臓に悪い

そして、森林浴を味わう余裕もなく苦しかった

ワサビ田」の上側の林の紅葉は、まだ30%程度であった。

山登り愛好家の親友(Hさんは疲れも見せず黙々と進んでいく

ツイテいけない

更に「ヒメシャラ」や「ブナ」が群生しているコースを登ると、”旧天城トンネル”から約1.7Kmの「大見分岐点」に到着。

それにしても驚いた。

当時私と同年齢と思われる”50歳過ぎのご夫婦2、”老いた10人程度の山登りグループ”が、すれ違う度に「今日は……」と元気に挨拶するのである

その度に、私は体力の無さに恥ずかしさを感じた

本当に元気な老人が多いいのにビックリした

さらに歩くと「展望台」付近に到着

この場所は、八丁池紅葉見物観光客でにぎわっていた。

観光バスによる観光客と合流するためだった。

順番を待ちながら「展望台」の上に到着

箱根連山、伊豆半島全域、伊豆大島、そして眼下に紅葉30%程度の「八丁池」のパノラマが展開

あいにく、南アルプスや富士山は見ることができなかった。

しかし私は、この景色の素晴らしさで疲労感は吹き飛んでしまった

いよいよ今回の目的地「八丁池」が目と鼻の先にあります・・・。

展望台から下り道を少し歩くと大きな「昭和天皇・行幸記念碑」があり、私達は「八丁池」休憩舎前の芝生の上で休憩した。

時計を見ると12時だ。

”旧天城トンネル”から約2時間かけて歩いてきたことになる

早速、早朝私がつくった「おにぎり」を食べた。

そして、風が吹いていない枯れ草の影で、太陽光線を浴びながら、1時間程横になり休憩。

 標高約1,125m、天城原生林の真ん中に円く開いた火口湖である「八丁池」は、水深1~1.5mで周囲八丁(約870メートル)あり、その周辺の原生林紅葉は2週間程早すぎて、紅葉としては余り美しくないが空気は旨い…。

 私は子供のころ兄から聞いていたとおり、水深が浅いので真冬の時期には、水面が氷付きスケートリンクになると理解することができた

 親友(Hさん)と私は八丁池の辺に立ち、池周辺の山をバックに観光客にお願いしシャッターを押してもらった

快晴の青空紅葉が始まったばかりの原生林と、透き通った湖水のコントラストが一層引きたててくれた

そして、パノラマサイズのいい記念写真が取れた…

時計の針は、14時をさしていた。

 往路での細い山道の経験があったので、復路は早足で”旧天城トンネル”めざしていっきに駆け下りた。

復路は往路より30分も早く、1時間30分で着くことができた。

私の腕時計は15時30分だ。

 暗くならないうちに宿泊先の生家へ戻るため、車を走らせた。

河津温泉郷、河津町、そして国道135号線を進み稲取の魚屋さんで地物の金目鯛と鯵を購入した

稲取温泉と金目鯛の水揚げで有名な稲取漁港を右眼下に見ながら進むと片瀬白田温泉に着く

さらに進む

バナナワニ園や細腕繁盛記で知られている熱川温泉を右眼下に見ながらトンネルを抜けると、友人たちと時々入浴する海岸端にある北川温泉の露天風呂が右下に見えてくる

更に進むと海岸線に出たところが大川温泉である。

ここ東伊豆町大川は伊東市との境界に位置する地です。

 大川の海岸線を進むと右方向に”ライオン岩”が見えてくる。

その”ライオン岩”を過ぎると、「ここから伊東市の看板」が見えてくる。

そして、生家に着いたので時計をみると、17時30分の到着で暗くなっていた

 生家に戻った料理大好きな私は早速、夕食の料理にとりかかった。

稲取で購入した「金目鯛」の頭と骨は、ジャガイモを入れた味噌仕立ての鍋料理に、白身は刺身で

更に鯵も叩きに、前日磯釣りで釣り上げた赤カサゴ刺身にし、大きな皿にお造りとして盛りつけを完了

水道管の蛇口をひねると裏手の天城連山からの湧き水がでてくる。

この美味しい水でといだ米を電気釜にセットして夕食の準備完了だ

サテっと!飲み会の準備完了

初体験の天城「八丁池紅葉めぐり」の反省会をしながら美味しいお酒に酔いました

疲れもいっきに吹っ飛んでしまい本当にいい日であったと実感しました

ひとコト>

今回の天城「八丁池紅葉めぐり」の写真が見当たらないのが残念

記念にこの日記が、残せましたのでよしとしました。

一刻もはやく”新型コロナウイルス”が収束して安心して生活ができますよう願っています

 

それから追加です

「河津桜と伊豆の踊子」のイメージをイラストに描いてありました

また、「天城越え・浄蓮の滝・・・」を見学した時のイメージをイラストに描いてありました(こんな感じ)

お土産やさんで食べた(なめた)、美味しい天城名産「わさび」。

わさび入りソフトクリム”の味が忘れられない

以上。

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日本開国の地下田(名所・旧跡めぐり)の想い出

2021年03月12日 | 旅行記

日本開国の地下田(名所・旧跡めぐり)を想い出す

そして過去に描いた”イラスト”を整理しました。

親友二人(K&Hさん)が「伊豆下田の名所&旧跡の案内してほしい・・・」とのことで案内した時のイラストがありました。

昭和41年から4年間この下田でサラリーマンとして働いていたので、ガイド役に自信あり(マカセテおくれ)

そしてその”下田名所&旧跡めぐりは平成10年5月。

Hさんの自家用車に乗車し散策めぐりをしました。

名所&旧跡めぐりで、小説・映画やドラマにでてくる本物の歴史ある下田めぐりは”お勉強”になりました

下田名所&旧跡めぐり・イラストに描いてありました(こんな感じ)

(平成10年5月・”下田市街めぐり”のご案内のイラストで説明します)↓

①伊豆急行線終点・伊豆急下田駅

 駅前の寝姿山(人間が寝ている姿)があり、ロープウェイで上がると”寝姿山自然公園”があります。

展望台からは下田市街や下田湾(下田港)全景を一望でききますね

そしてを臨む「爪木崎自然公園早春の水仙まつり)」、景勝地「爪木崎灯台から伊豆七島を見渡す」・・・

平井製菓(老舗でいろんな銘菓があります・お土産にいいですネェ

 伊豆新聞に連載中の「そうずらくん(作:秋竜山)から生まれた「そうずらまんじゅう」が珍しいので、お土産に3箱買いました

③電電公社からNTTへ・下田統制無線中継所(下田電話局の屋上に設置のパラボラアンテナが懐かしい)

 新設の下田電報電話局の屋上に取り付けた鉄塔(パラボラアンテナ)は、昭和41年開局)しました。

下田~天城山~達磨山~沼津間のマイクロウェーブ(無線)(周波数:11GHz)による全国電話即時通話化に貢献した中継所でした、パラボラが懐かしいです

 光回線時代になった現在は勿論、”無線中継所は閉局”になっています

➃今も歴史あふれるレトロな街並み

(特に明治~大正時代に建てられた洋館や古民家が最高)

下田には知名度が高いお寺や神社」が多くあります。

”散策めぐり”する前に先ず、私(トッシー)が下田で仕事を開始していた”昭和41年(1966)4月からいつも、昼休み休憩時間にいっていた懐かしの「喫茶下田・邪宗門」を確認し入店

この「邪宗門」の開店も私がいきつけた同時期の頃、つまり昭和41年頃かと思います。

私はいつも挽きたての「ウィンナーCoffee」を注文

生クリームがとても美味しい!Coffeeにベストマッチ

その味りが忘れられなくて、下田に行った際には先ず入店と決めていました

レトロな古民家利用で店内は、アンティークな骨董品ランプ等の数々・・・落ち着きますね

親友の2人も満足してくれました

開店当初からの”マスターママ”さんは、元気にしているのかな?

a.下田宝福寺

 「幕末にアメリカが日本で初のて”総領事館”(親条約の交渉場所)として使用されたお寺が「宝福寺」ですね、初めて訪ねてみました(教養をふかめました)

お薦めの「宝福寺」でした。

 弁天島(幕末の志士・吉田松陰が小舟にのり黒船で密航しようとした場所)の近くにある”お寺”さんが「宝福寺」です。

 弁天島の近くにある柿崎の公園(芝生)内には、「吉田松陰金子重輔銅像踏海の朝”」等があります。

写真が残っていました(こんな感じです)

特に故郷想いの”親友のHさんの出身地”は、”山口県萩”でしたので大興奮(Hさんの感動の瞬間をみました

ア、吉田松陰金子重輔先生踏海の企ての跡(説明用案内板)

イ、吉田松陰金子重輔の銅像”踏海の朝”

 遥か米国を指差して建っています

ウ、吉田松陰金子重輔下田湾投錨中の”黒船”に乗船して密航しようと企てた”小舟

 実物と同じサイズの”手漕ぎ櫓・小舟”が展示してありました

 下田湾風が吹くと、湾()が荒れる(波が高くなります

この小舟、しかも”手漕ぎ櫓・小船”では大変です・・・ね

b.下田了仙寺

 1857(安政4年)「和親条約(下田条約)」が締結された場所”お寺”。

この了仙寺は、今まで数回見学していましたので案内しやすかったですね。

ペリー提督引率いる黒船」と”ペリー”が根城としていたところでした

c.下田長楽寺

 1854(安政元年))「和親条約」が締結された場所”お寺”。

今回初めて見学したお寺「長楽寺」でしたが、「和親条約」内容の教養がふかまりました

下田に行ったらお薦めの”お寺”さんでしたね

d.整備された”ペリーロード”と”風情があふれる古民家”

 「おしゃれな”カフェ”&”雑貨店”に立ち寄るのもいいかな・・・」と思いながら、

時間的に無理!次回に入店しましょう・・・

e.下田海中水族館

 下田湾内の入り江を有効利活用した自然重視の水族館

今回は見物できませんでしたが25年前頃に家族サービスで行ったとき、伊豆出身(海好き)の私(トッシー)は興奮し楽しく過ごしたことを思い出しました

特に伊豆の海(海底)に生息する”サメ”たちを目の前で観察できてイイですネェ

また、

イルカやアザラシたちのショー”で、観覧席にてプールの海水を浴びたこともイイ思い出ですね

10年前頃のお話ですが、「知人から家族(子供連れ)で伊豆下田のホテルに宿泊しているのですが、雨のため外出できず”子供”たちがかわいそう・・・」との電話あり

伊豆生まれの私は即、「下田海中水海中」に行くようご案内

後日お礼の電話がかかってきて、「子供たちも大喜びで感謝します」とのことでした

お子様連れ行った際には、お薦めの海中水族館ですネェ

f.下田港内遊覧船めぐり

 ”黒船”に乗って湾内一周コース

乗船してみたいが時間なく、次回楽しみにとっておきます

 柿埼弁天島海沿い街並み、”寝姿山”、”下田海中水族館”や”黒船の船上から遠く見える南伊豆の景色”を観賞するのもいいもんでしょうネ

ひとコト>

平成10年5月の「日本開国の地下田(名所・旧跡めぐり)」のイラストを見て、想い出しながらの日記となりました。

「新型コロナウイルス感染緊急事態宣言」下の現在”伊豆下田の観光事業者”は、どうしているのかな?・・・と思い出しています。

一刻もはやく”コロナが収束しますよう”願っています

以上。

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鯛焼き(小倉あん)

2021年03月08日 | 食・レシピ

久しぶりに「くりこ庵鯛焼き小倉あん)」を2個購入

一年前の1月頃”釣り仲間の親友”と飲んだ帰りに、鯛焼き屋さんのお店の前で「奥さんへのお土産に・・・」と頂いた”鯛焼き小倉あん)”の美味しかったことを思い出し、2個購入し持ち帰りました

食べる前にパチリ写真を・こんな感じ

くりこ庵さんの鯛焼き(小倉あん)”です

・ボリューミーな鯛焼き

・小倉餡が厚い生地に”尻尾の端っぽ”までしっかり詰まっている

・レンジでお好みの温度(適温)にレンジでチン

・甘すぎない丁度いい甘さがたまらない

ひとコト>

たいやき・・・といえば、昭和50年頃?

およげたいやきくん

「まいにちまいにち

ぼくらはてっぱんのうえで・・・・」を思いだしますね

懐かしいですネェ

以上。

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