六人掛けのテーブル席に座っている。
窓際の席だ。
ややお洒落なレストラン?という感じもするが、さりとてそれほど高級な店でもない。店内は人がいっぱいでどのテーブルも賑やかだ。だけど煩いわけでもなく落ち着いた雰囲気と雑多な空気感が程好く混ざり合っていて居心地が良い。
三人ずつ並んで向き合う形で座っているが同じテーブルには知らない人ばかり。しかしずっと前から知っていた様な気もする。お互いがそれぞれのことを理解しあっていて、それでいて初対面の新鮮さがある。
窓に向かって手前の真ん中の席に座っている僕は目の前に座っている青年と主に会話をしていた。青年の背後から眩しい太陽光が差し込んでいる。屈託のない笑顔に好感が持てるその青年と過去にあった出来事や思い出話に花を咲かせていた。青年は笑いながら話しを聞いてくれる。その楽しさのせいでについつい饒舌になり「あ、そうや、この話し知ってる?」と次の話題を切り出そうとしたその時、左隣に座っている僕よりやや若い男が「この本見てください」と言って一冊の写真集を目の前に差し出した。微妙なタイミングで会話を遮られてしまったので空気を読まない奴だなと思ったが邪険に扱うほどのことでもない。逆に上から目線になるが他の人の話も平等に聞いてあげなければならないと思うし、なるべく皆と会話をするべきだと思っていた。自分ひとりで喋るだけが能ではない。
その男が差し出したのはある人気お笑いコンビの写真集だった。写真集というかステージでの写真とレポやインタビュー記事を各時代ごとに綴ったヒストリーブックといった装いだ。全編モノクロ写真で構成された重厚な体裁でファン必読の一冊なのだろうなと思った。最初のページを捲ると何かのイベントに出演する前の楽屋で準備をしているコンビの写真があった。その写真の中の二人を見て「あ、この子ら知ってる」と思わず口から出た。そのコンビと僕は古い知り合いだったのだ。左隣の男はさもありなんとでも言いたげな顔で笑っている。
更にページを捲っていくとステージやスタジオのカメラの前でコントをしている二人の写真が続く。どれも初めて見る写真ばかりだ。それもそのはずでこの二人と交流があったのは彼らが有名になる前のことだった。当時の僕は駆け出しの役者で箸にも棒にも掛からない不遇の時代を過ごしていた。不遇の時代を過ごしていたというかその後もずっと日の目を見ない人生だったけど。とにかくそんな若い頃に彼らと出会ったのだ。勿論その頃の彼らもまだ売れない無名の若手漫才コンビだった。彼らとは長く行動を共にしていた訳ではない。狭いようで広く、広いようで狭い業界の片隅で一時だけすれ違ったのだ。反りが合わずに疎遠になった訳でもないが長く連絡を取り合うほどの仲でもなかった。そうこうしているうちに彼らはテレビに出るようになりいつしか人気タレントの仲間入りをした。そのことは知っていたけどテレビを見る習慣のない僕はその後の彼らのことをよく知らなかった。ページを捲るにつれ僕の知らない二人になっていく。人生は色々だと思った。
そんな彼らの写真に見入っていると右斜め前に座っている女性が「懐かしいでしょ?」と声を掛けて来た。声の方に目を向けると僕よりやや若くも見えるがおそらく同年代であろう女性が笑ってこちらを見ていた。とても親しげに笑ってはいるがやはり知らない顔だった。でもどこか懐かしい。もしかしたら同級生かも知れないと思った。彼女はきっと僕のことをよく知っているなずだと直感的に確信した。彼女に返事をしようとした時、今度は右隣に座っている男が口を開いた。
「俺、これでも若い頃はモテたんやで」声につられてその男に目をやる。椅子にだらしなく座りテーブルに肩肘付いて遠くを見るような目で投げやりなため息をついている。僕より少し年上に見える。がたいが良くて身長も高い。白髪交じりで顔も老けてはいるが若い頃は美男子であったであろう面影を漂わせている。決して仕立てが良いとは言えないがチェック柄のジャケットにチノパンという風貌だった。この男が言う若い頃とはおそらく80年代から90年代に入った頃のことではないだろうかと推測した。メンズノンノのモデルのようだとまでは言わないが、メンズノンノのモデルを参考にしたファッションを身に纏えばそれなりに外すことなく着こなせていたに違いない。コンパにでも行けばそこそこのアベレージで女性から評価されていたのだろうなと思う。「しかも俺、早稲田出てるんやで」と男は続ける。まさに高学歴、高身長、高収入の三拍子揃ったバブル世代の貴公子だ。しかし彼の口調から察するにそれは学歴を自慢するための言葉ではなく、寧ろどこか自虐的な意味合いを込めての発言に思えた。きっとその後の人生は彼が思っていたよりもパっとしないものだったのであろう。どこか残念そうでもあるが、まるで既に悟りの境地にでも入ったかのような愛嬌のある佇まいだった。彼の言葉に対して「へえ、早稲田ですか?」と返したものの、ちょっと誇張しすぎて逆に嫌味になっていないだろうかと心配したが、彼の瞳の奥を覗くとまんざらでもないようだった。
もう一度右斜め前の女性と話しがしたいと思い彼女の方に目をやると彼女もこちらを向いて柔らかく微笑んでくれた。「俺のこと知ってるやんな?」と尋ねると更に柔らかく口角を上げて「知ってるよ」と少女のような顔で頷いた。やっぱり。きっと彼女は元同級生だ。もっと色んな話がしたい、が、そこで目が覚めた。
夢か。
ベットの中でぼんやりしているとなぜだか脳裏にCOMPLEXの「BE MY BABY」が流れてきた。
「愛しているのさ狂おしいほど」申し訳ないが、なんてダサい歌詞なんだろうと思う。だけど否定しているのではない。寧ろそれが良い。作曲した布袋寅泰も偉大だし、この歌詞を口にしてここまで格好良くなる吉川晃司も偉大だ。くどいようだがもう一度言う。決して否定しているのではない。特に吉川晃司は大好きだ。憧れている。
続いてBOØWYの「B・BLUE」が流れてきた。この曲はとにかく秀逸だ。この曲に全てが詰まっているように思う。イントロのドラムでもう全てが決まる。そして歌い出しの「乾いた風にかき消されて」のメロディと声で時代が一瞬にして変わった。氷室京介は偉大だ。80年代の中高校生にフィットする全てがここに凝縮されているように思える。
ちなみに自分はBOØWYのファンではない。だけど当然アンチでもない。リアルタイムではあまり熱心に聴かなかったが、それでもほとんどの曲を知っているし、聞けば懐かしいし、今も心が突き動かされる。ファンという訳ではないが好きなのだ。この面倒くさくて偏った拘りこそが少年の「なげやりなアイロニー」だ。
それはそうとしてなぜ唐突に寝起きの頭の中でCOMPLEXやBOØWYの曲が流れてきたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b9/9d36c313f5140936dcc44ec59d2b1e50.png)
次第に目が覚めていく。
あの夢は天国もしくはそれ以外のあの世のどこかに行く前に立ち寄るであろう場所での邂逅を予知していたのかも知れないと思った。
誰もが時折人生を振り返るが生きている限りは無情にも次の朝がやって来る。そして一日が始まり良かれ悪しかれ日常に埋没していく。何かを得るために何かを手離し、どこかに行くためにどこかに留まり、生きるために自分を活かすことを諦める。
ベッドから出ようとした時「B・BLUE」のB面に収録されていた「WORKING MAN」が頭の中で流れてきた。うろ覚えの歌詞を心の中で呟いた。「犬のように走るunderground パンを食わえくわえ飛び乗るworking man」好きな曲だ。BOØWY解散後の松井常松が歌っている「WORKING MAN」が特に好きだ。勿論、氷室京介が歌う「WORKING MAN」も好きだ。
夢の中で夢を消された
Oh no,oh no 哀れな worker bee
BとかBEとかBEEとか。
バビブベボの響きが老いた少年の心をほんの少しだけ躍動させる。
Hey man, hey man
そのまま Fight to the end
最後まで生きるとしよう。
窓際の席だ。
ややお洒落なレストラン?という感じもするが、さりとてそれほど高級な店でもない。店内は人がいっぱいでどのテーブルも賑やかだ。だけど煩いわけでもなく落ち着いた雰囲気と雑多な空気感が程好く混ざり合っていて居心地が良い。
三人ずつ並んで向き合う形で座っているが同じテーブルには知らない人ばかり。しかしずっと前から知っていた様な気もする。お互いがそれぞれのことを理解しあっていて、それでいて初対面の新鮮さがある。
窓に向かって手前の真ん中の席に座っている僕は目の前に座っている青年と主に会話をしていた。青年の背後から眩しい太陽光が差し込んでいる。屈託のない笑顔に好感が持てるその青年と過去にあった出来事や思い出話に花を咲かせていた。青年は笑いながら話しを聞いてくれる。その楽しさのせいでについつい饒舌になり「あ、そうや、この話し知ってる?」と次の話題を切り出そうとしたその時、左隣に座っている僕よりやや若い男が「この本見てください」と言って一冊の写真集を目の前に差し出した。微妙なタイミングで会話を遮られてしまったので空気を読まない奴だなと思ったが邪険に扱うほどのことでもない。逆に上から目線になるが他の人の話も平等に聞いてあげなければならないと思うし、なるべく皆と会話をするべきだと思っていた。自分ひとりで喋るだけが能ではない。
その男が差し出したのはある人気お笑いコンビの写真集だった。写真集というかステージでの写真とレポやインタビュー記事を各時代ごとに綴ったヒストリーブックといった装いだ。全編モノクロ写真で構成された重厚な体裁でファン必読の一冊なのだろうなと思った。最初のページを捲ると何かのイベントに出演する前の楽屋で準備をしているコンビの写真があった。その写真の中の二人を見て「あ、この子ら知ってる」と思わず口から出た。そのコンビと僕は古い知り合いだったのだ。左隣の男はさもありなんとでも言いたげな顔で笑っている。
更にページを捲っていくとステージやスタジオのカメラの前でコントをしている二人の写真が続く。どれも初めて見る写真ばかりだ。それもそのはずでこの二人と交流があったのは彼らが有名になる前のことだった。当時の僕は駆け出しの役者で箸にも棒にも掛からない不遇の時代を過ごしていた。不遇の時代を過ごしていたというかその後もずっと日の目を見ない人生だったけど。とにかくそんな若い頃に彼らと出会ったのだ。勿論その頃の彼らもまだ売れない無名の若手漫才コンビだった。彼らとは長く行動を共にしていた訳ではない。狭いようで広く、広いようで狭い業界の片隅で一時だけすれ違ったのだ。反りが合わずに疎遠になった訳でもないが長く連絡を取り合うほどの仲でもなかった。そうこうしているうちに彼らはテレビに出るようになりいつしか人気タレントの仲間入りをした。そのことは知っていたけどテレビを見る習慣のない僕はその後の彼らのことをよく知らなかった。ページを捲るにつれ僕の知らない二人になっていく。人生は色々だと思った。
そんな彼らの写真に見入っていると右斜め前に座っている女性が「懐かしいでしょ?」と声を掛けて来た。声の方に目を向けると僕よりやや若くも見えるがおそらく同年代であろう女性が笑ってこちらを見ていた。とても親しげに笑ってはいるがやはり知らない顔だった。でもどこか懐かしい。もしかしたら同級生かも知れないと思った。彼女はきっと僕のことをよく知っているなずだと直感的に確信した。彼女に返事をしようとした時、今度は右隣に座っている男が口を開いた。
「俺、これでも若い頃はモテたんやで」声につられてその男に目をやる。椅子にだらしなく座りテーブルに肩肘付いて遠くを見るような目で投げやりなため息をついている。僕より少し年上に見える。がたいが良くて身長も高い。白髪交じりで顔も老けてはいるが若い頃は美男子であったであろう面影を漂わせている。決して仕立てが良いとは言えないがチェック柄のジャケットにチノパンという風貌だった。この男が言う若い頃とはおそらく80年代から90年代に入った頃のことではないだろうかと推測した。メンズノンノのモデルのようだとまでは言わないが、メンズノンノのモデルを参考にしたファッションを身に纏えばそれなりに外すことなく着こなせていたに違いない。コンパにでも行けばそこそこのアベレージで女性から評価されていたのだろうなと思う。「しかも俺、早稲田出てるんやで」と男は続ける。まさに高学歴、高身長、高収入の三拍子揃ったバブル世代の貴公子だ。しかし彼の口調から察するにそれは学歴を自慢するための言葉ではなく、寧ろどこか自虐的な意味合いを込めての発言に思えた。きっとその後の人生は彼が思っていたよりもパっとしないものだったのであろう。どこか残念そうでもあるが、まるで既に悟りの境地にでも入ったかのような愛嬌のある佇まいだった。彼の言葉に対して「へえ、早稲田ですか?」と返したものの、ちょっと誇張しすぎて逆に嫌味になっていないだろうかと心配したが、彼の瞳の奥を覗くとまんざらでもないようだった。
もう一度右斜め前の女性と話しがしたいと思い彼女の方に目をやると彼女もこちらを向いて柔らかく微笑んでくれた。「俺のこと知ってるやんな?」と尋ねると更に柔らかく口角を上げて「知ってるよ」と少女のような顔で頷いた。やっぱり。きっと彼女は元同級生だ。もっと色んな話がしたい、が、そこで目が覚めた。
夢か。
ベットの中でぼんやりしているとなぜだか脳裏にCOMPLEXの「BE MY BABY」が流れてきた。
「愛しているのさ狂おしいほど」申し訳ないが、なんてダサい歌詞なんだろうと思う。だけど否定しているのではない。寧ろそれが良い。作曲した布袋寅泰も偉大だし、この歌詞を口にしてここまで格好良くなる吉川晃司も偉大だ。くどいようだがもう一度言う。決して否定しているのではない。特に吉川晃司は大好きだ。憧れている。
続いてBOØWYの「B・BLUE」が流れてきた。この曲はとにかく秀逸だ。この曲に全てが詰まっているように思う。イントロのドラムでもう全てが決まる。そして歌い出しの「乾いた風にかき消されて」のメロディと声で時代が一瞬にして変わった。氷室京介は偉大だ。80年代の中高校生にフィットする全てがここに凝縮されているように思える。
ちなみに自分はBOØWYのファンではない。だけど当然アンチでもない。リアルタイムではあまり熱心に聴かなかったが、それでもほとんどの曲を知っているし、聞けば懐かしいし、今も心が突き動かされる。ファンという訳ではないが好きなのだ。この面倒くさくて偏った拘りこそが少年の「なげやりなアイロニー」だ。
それはそうとしてなぜ唐突に寝起きの頭の中でCOMPLEXやBOØWYの曲が流れてきたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b9/9d36c313f5140936dcc44ec59d2b1e50.png)
次第に目が覚めていく。
あの夢は天国もしくはそれ以外のあの世のどこかに行く前に立ち寄るであろう場所での邂逅を予知していたのかも知れないと思った。
誰もが時折人生を振り返るが生きている限りは無情にも次の朝がやって来る。そして一日が始まり良かれ悪しかれ日常に埋没していく。何かを得るために何かを手離し、どこかに行くためにどこかに留まり、生きるために自分を活かすことを諦める。
ベッドから出ようとした時「B・BLUE」のB面に収録されていた「WORKING MAN」が頭の中で流れてきた。うろ覚えの歌詞を心の中で呟いた。「犬のように走るunderground パンを食わえくわえ飛び乗るworking man」好きな曲だ。BOØWY解散後の松井常松が歌っている「WORKING MAN」が特に好きだ。勿論、氷室京介が歌う「WORKING MAN」も好きだ。
夢の中で夢を消された
Oh no,oh no 哀れな worker bee
BとかBEとかBEEとか。
バビブベボの響きが老いた少年の心をほんの少しだけ躍動させる。
Hey man, hey man
そのまま Fight to the end
最後まで生きるとしよう。