田中悟の片道旅団

大阪で芝居と弾き語りをしています。

お知らせ

2025年12月31日 | 日記
ライブ、イベント、公演のお知らせです(^-^)

【YouTube】 田中悟チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCL0ULudfT9HIG-dRljBsF9A?view_as=subscriber
【HP】 田中悟WEBSITE
https://tanakasatoru.wixsite.com/home-1#
【X】
https://twitter.com/tanakasatoru713


【スケジュール】

ロージーABENO

【日時】4/12(土)オープン19:00/スタート19:30
【料金】2,000円(別途オーダー要)
【場所】ロージーABENO
【出演】田中悟 まる 他


ロージー心斎橋NEO

【日時】4/19(土) 19:00オープン 19:30スタート
【料金】2.000円(ドリンク別)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】川内聡一朗 田中悟 ぱむぷきん 他


八尾 ナッシュビル

【日時】4/26(土) 17:00オープン 17:30スタート
【料金】1000円+ドリンク代
【場所】ナッシュビル
【出演】チカラ 海野かえる 田中悟 Lizard Hazard


瓢箪山MK2

【日時】5/23(金)19:30スタート
【料金】900円+1drink
【場所】弾き語りLive Bar MK2
【出演】田中悟 他
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ロージーABNEOオープンマイク

2025年03月19日 | 日記
友人からお誘いを頂き4月後半にイベント出演させて頂くことが決まりました。
ならばそれまでにオープンマイクで歌っておこうと思い3月12日にロージーABENOへ。
バーで歌うのは久しぶりだったしロージーABENOさんに行くのも久しぶりで喜びもあるし緊張もあるしで色んな思いが自分の中で交差してました。





もともと「春頃にはライブ活動を再開したい」と思っていたので順調な運びであることは確かです。でもきっかけとなった4月のイベントがなかったら具体的に踏み切ってなかったかも知れないし、もしかしたらこの時期にオープンマイクにさえ行ってなかった可能性だってあります。やっぱり縁ですね。自ら動くこともあれば周囲の人に運ばれていくこともあるんだなって再認識しているこの頃です。





いざ歌ってみると、思っていたよりも声が出たり出なかったり、感覚的にも鈍っていたりそのままだったり、正直なところ「よく分らん」というのが本音です。だけど3ヶ月のブランクがあったのは事実だし、ここからもう一度仕切りなおしと思って取り組むのがベストだと思っています。

ブランクの間に新曲も何曲か出来ましたし、今後も作りかけの曲を徐々に仕上げていきたいなと思っています。練習もマイペースで行っていたので発声にもまた変化が生まれてきたような気がしますし曲もパフォーマンスも良い方向に変化出来るよう精進したいです。



3月12日ロージーABENOでのオープンマイクの様子を動画にしました。
新曲も収録しておりますので是非ご覧くださいませ。

【ロージーABENOオープンマイク+お知らせ!!】




次の日曜(3/23)ロージーABENOにて活動休止してから初のブッキングライブも決まりました。
4月以降のライブスジュールも徐々に入りつつあります。
再スタート頑張りたいです。



【LIVEスケジュール】
ロージーABENO
【日時】3/23(日)オープン16:00/スタート16:30
【料金】2,000円(別途オーダー要)
【場所】ロージーABENO
【出演】田中悟 shuw う~さん Yoshino chiaki(ウクレレ)
ロージー心斎橋NEO
【日時】4/19(土) 19:00オープン 19:30スタート
【料金】2.000円(ドリンク別)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】川内聡一朗 田中悟 ぱむぷきん 他
八尾 ナッシュビル
【日時】4/26(土) 17:00オープン 17:30スタート
【料金】未定
【場所】ナッシュビル
【出演】田中悟 他
瓢箪山MK2
【日時】5/23(金)19:30スタート
【料金】900円+1drink
【場所】弾き語りLive Bar MK2
【出演】田中悟 他
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ライブ活動復帰のお知らせ

2025年03月09日 | 日記
X、ブログ、YouTube、各SNSに投稿するタイミングにより時系列が多少前後してしまいますが、この度ライブ活動復帰の運びとなりました。

まず友人からの誘いがあり4月後半にイベントに参加させて貰うことになりまして、それまで少し期間があるのと急に本番復帰というプレッシャーもあって3月中にオープンマイクから復帰しようと思いました。で、どうせならその勢いでブッキングライブにも復帰しようと腹をくくりまして3月後半から本格的にライブ活動復帰となった次第です。

昨年秋頃からちょっと色々ありまして「とりあえず暫くはライブ活動休止やな」と思い、お世話になっている各ライブバーの店主様に相談してスケジュールを調整しつつ昨年12月8日のライブを一旦最後にしてにここまで活動を休止していました。長いのか短いのか3ヶ月ちょっとのブランクとなります。
でもこの間、練習は続けておりましたし新曲も作っていました。そしてなんとなく「春頃から復活やな」と思っていたらそのとおりになったので、まずはこれで良しといった感じです。

このブログを書いている時点で既にオープンマイクにも復帰しています。その時の様子は次回の動画で見て頂ければなと思ってます。予定どおりに編集してアップ出来るかどうか?頑張ります。




上の写真は今回の動画の一場面に登場した猫。
猫が横切ると何かが起きる…というのは映画『マトリックス』の話し。映画では黒猫という設定ですけど。
スタジオからの帰り道、目の前を横切った猫はきっと幸運をもたらしてくれたのだと思います。

春に向けてぼちぼち進めて行きます。



【雑談&弾き語り】嬉しいお知らせ+ちょっと弾き語り






【LIVEスケジュール】
ロージーABENO
【日時】3/23(日)オープン16:00/スタート16:30
【料金】2,000円(別途オーダー要)
【場所】ロージーABENO
【出演】田中悟 shuw う~さん Yoshino chiaki(ウクレレ)
ロージー心斎橋NEO
【日時】4/19(土) 19:00オープン 19:30スタート
【料金】2.000円(ドリンク別)
【場所】総持寺チェンノガット
【出演】川内聡一朗 田中悟 ぱむぷきん 他
八尾 ナッシュビル
【日時】4/26(土) 17:00オープン 17:30スタート
【料金】未定
【場所】ナッシュビル
【出演】田中悟 他
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バンド

2025年03月05日 | 日記
先月半ば頃に久しぶりのライブ鑑賞に行きました。
久しぶりというかライブ鑑賞ってほとんどしないので珍しくって言ったほうがあっているかも。
お店は日本橋にあるLIVE BAR GreenDragon さん。初めて行くお店でした。
お目当ては友達のバンド “The Avocadology”。
普段弾き語りのライブに参加している自分はバンドのライブを観る機会があまりないのでとても新鮮で楽しかったです。

昨年末あたりからちょっと生活リズムが変わり年明け以降は遊びに出掛けるようなこともあまりなかったのでそういう意味でも新鮮な時間でした。
地下鉄恵比須町駅で降りて日本版方面へ向いウラ難波へ。この辺りに来るのも久しぶりだったので何だか懐かしい気分になりました。
恵比須町といえばやっぱり個人的には芝居の思い出が多い土地です。
インデペンデントシアターさんにもよくお世話になりました。
あっという間に年月が流れ、時代が変わり、僕自身も今では音楽活動のほうがメインになりました(役者は引退してませんよ) 。そんな流れの中でこうして新たに知り合った人達のライブを懐かしい土地にある初めてのお店に観に行く。素晴らしき人生かと思います。





刺激を貰い、温かい気分にもなれて、自分もライブ復帰へと意欲が高まりました。
街の様子や“The Avocadologyのライブ、帰り道のひとりごとなど動画にまとめましたので是非ご覧下さいませ。



【雑談】ライブを観に行きました。大阪日本橋
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近況 春に向けて

2025年02月21日 | 日記
どこに向っているのか分らなくなるのは目的地が定かでないからだ。
すると座標もなくなっていく。
そんな時間が長く続くにつれて自分がどこにいるのかも分らなくなる。
そして何をしているのかも分らなくなる。
そこで考える。
何がしたいのか?
しかしそんな状況でそんなことを考えると答えは大抵、
「何がしたいのかさえ分らない」
ということになる。
大袈裟に言えばそうやって人は人生を見失うのだ。
つまり自分を見失うのだ。
一人でスタジオにいるとまるで孤島にいるような気分になる。
でもそこは島ではない。
海もなければ空もなく風さえ吹いていない狭い箱の中だ。
その狭い箱の中にあるのは時間だけ。
時間というのは距離によって生まれるのではないだろうかと思う。
物理的な距離がなければ時間は存在しない。
狭いスタジオの中にはその空間に収まりきれない量の時間が詰まっている。
いや、詰まっているように感じるだけだ。
つまりここは三次元だ。
ギターを鳴らして声を出す。
何度も何度も歌った歌、今まさに作りかけの歌、それらは自分の中にある。
自分の中は三次元だろうか?
たぶん三次元じゃない。
三次元の制約の中に歌を搾り出す。
この行為から得られるのは幸福感だろうか、それとも苦痛だろうか。
あるいはその両方か。
歌っていると意識がぼんやりする。というか外側の世界が消えて意識だけの状態になる。
極限まで意識だけの状態になると自分の中で時が壊れる。
しかし外側では時は止まらずに流れている。
この世は無常だ。
そして無情だ。




ライブを休止して2ヶ月と少しの時間が過ぎた。
そろそろ精神は悲鳴を上げつつある。
しかしそれは精神的なストレスからくる悲鳴ではない。
もっと物理的なストレスだ。
アクセルを踏んだままブレーキを踏んでいる。
誰にでもよくあることだろう。
人生を振り返ればブレーキを踏んでいる時間の方が長いような気がする。
もう少年でもなければ青年でもなければ中年でもない。
それでも苦痛からは逃れられない。
それが三次元で生きるということだ。

春頃には何らかの形で歌いたい。
まずはスタジオという小さな箱から出て自分の内側にある歌を外側に出したい。

もうちょっとの我慢。
春はそこまで来ている。



【雑談&弾き語り】心機一転 春に向けて



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サブウェイの森

2025年02月19日 | 日記
今日は珍しくお酒を飲みながらブログを書いてみることにした。
いつにも増して長文で乱文になりそうだけど、よろしかったらお付き合いのほどお願いします。

いつの頃からかブログに思いっきり長文を書くようになった。
でも文章を書くのが好きなだけで文章を書くこと自体は苦手だ。書きながら「こんな書き方で良いのかな?」なんていつも思っている。
何事も好きだからと言って得意だとは限らない。例えば料理をすることも好きだけど料理が得意という訳ではないし、人前で喋るのも好きだけど喋りが達者な訳でもない。芝居だってそうだし音楽もそうだ。得意だと思ったことは一度も無いし実際に何もかも上手くない。だけど好きなのだ。止まらない。

ブログに長文を書くようになったのは「下手な文章でも良いからとにかく書きたいように書こう。文章の長さも気にせずに書きたいだけ思う存分書こう」とある時から思うようになったからだ。
自分の周囲にほんの一握りだが自称活字中毒者が何人かいた。台本や参考資料以外は基本的に自ら好んで文字を読む習慣がない自分にとっては全くもって不思議な人種だ。自分はどちらかと言えば活字恐怖症、あるいは拒読症かも知れない。
だが先述のとおり文章を書くのは好きだ。もう少し正確に言うなら文字を書くのが好きなのだ。極端に言えば単語の羅列を書くだけでも楽しめる。そして究極はオートマティズム(自動書記)だ。完全に自動で書く訳ではないが極力その領域に近づきたいという願望がある。目的を持って書くのでもなく、何かを考えて書くのでもない。ただひたすら勝手に手が動いて結果的に文章になっているというのが理想だ。作詞作曲をする時はそんな感じだ。(※『ラブ』2025.2.11 参照)
しかし考えようによってはこれも一種の活字中毒かも知れない。読むことへの中毒ではなく書くことへの中毒だ。聞くところによると活字中毒者は文面の内容が何であろうと目の前に活字があったら読まずにいられないらしい。だったら自分が書くこの長文で乱文のブログも活字中毒者にとっては充分に読む対象と成り得るのではないだろうかと思ったのだ。それも長文ブログを書くようになった動機のひとつだ。もしかしたら自分のブログもそんな人達へのサービスになっているのかも知れない。そうだとしたらとても嬉しかったりする。



そんな自分ではあるけれど最近読書に挑戦している。
自分にとって読書は挑戦の領域に入る行為だ。一度に読める量は文庫本の5ページぐらい。それ以上読むと休憩が必要となる。普段あまり運動しない人がいきなり長距離走に挑むようなものだ。人間の脳に読書ニューロンというものがあるのかどうかは知らないが、とにかく読書に対して脳が未発達なのだと思う。だからだろうか本を読むとやたらと空腹になる。血糖値が下がるのかも知れない。

そんな感じで読書に対しての耐性が極端に低いくせに先日本屋さんで衝動買いしたのが「ノルウェイの森」だからちょっととち狂っている。タイトルは何となく知っていたが作品に対しての予備知識はまったく無い。作者の村上春樹さんについても同様でお名前ぐらいは知っているがそれ以外は何も知らない。
まず読み始めて最初に思ったのは「本の選択を誤ったかも」ということだった。勿論作品が悪い訳ではない。本と読者との間には確実に相性というものがあると実感したのだった。自分と村上春樹さんとではどうやらその相性があまりよろしくないように感じた。とにかく文章がややこしい。なんでひとつのことを語るのにわざわざそこまで遠回しでまどろこしい口調になるのだろうかと思ったのだった。そして登場人物達がいちいち小難しい思考回路を持っていて実に面倒くさい性格をしている。主人公は冷めた目で周囲のハイソな友人達を傍観しているようだが1970年代初頭に十代を過ごしている主人公の暮らしぶりや感覚も充分ハイソな人間だと思った。それとも思う以上に当時の社会は平均的に誰もが裕福だったのだろうか。ちょうど1970年に生まれた自分の肌感覚や今となっての時代考察があやふやなのかも知れないけれど。それにしても下町情緒がなく(そもそもこの作品には必要ないのかも知れないが)、一般庶民は全て下世話なモブキャラとして扱っている印象がありシンパシーを抱けない。ややバイアスがかかっているのかも知れないが、そんなことにアレルギーを感じてしまうのは僕の中にある強固なルサンチマンのせいだ。

しかし、読むにつれどんどん作品世界に取り込まれてゆく。
もしかしたら案外、相性が良いのかも知れない。


先月後半のある日、月に一度の通院のために大阪市内の自宅から宝塚の病院へと向った。最寄の地下鉄の駅に入ると何やら様子がおかしい。何かの事故により全線運転見合わせということだった。そこから一番近い私鉄の駅まで行き通常とは違うルートでの移動となった。いつもより遠回りで時間も掛かる。そこで鞄から「ノルウェイの森」を取り出し読みふけることとなった。病院の待合室でも帰りの電車の中でも夢中で読んだ。
とは言え読むスピードはかなり遅いし、その日以降は読書の時間を設けるのも週に一度か二度ぐらいだけど。このままでは一向に読破出来そうにないがそれでもかまわない。じっくりと味わいながら読んで行きたい。

ちなみにこの文章の冒頭に「今日は珍しくお酒を飲みながらブログを書いてみることにした」とあるが、実際この文章を書くのに何日も掛かっているのでアルコールが入っていたのはほんの数行だけあることを文末にで記述しておく。
駄文であれ素面でなければ書けないようだ。
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夢の中で夢を消された

2025年02月09日 | 日記
六人掛けのテーブル席に座っている。
窓際の席だ。
ややお洒落なレストラン?という感じもするが、さりとてそれほど高級な店でもない。店内は人がいっぱいでどのテーブルも賑やかだ。だけど煩いわけでもなく落ち着いた雰囲気と雑多な空気感が程好く混ざり合っていて居心地が良い。
三人ずつ並んで向き合う形で座っているが同じテーブルには知らない人ばかり。しかしずっと前から知っていた様な気もする。お互いがそれぞれのことを理解しあっていて、それでいて初対面の新鮮さがある。
窓に向かって手前の真ん中の席に座っている僕は目の前に座っている青年と主に会話をしていた。青年の背後から眩しい太陽光が差し込んでいる。屈託のない笑顔に好感が持てるその青年と過去にあった出来事や思い出話に花を咲かせていた。青年は笑いながら話しを聞いてくれる。その楽しさのせいでについつい饒舌になり「あ、そうや、この話し知ってる?」と次の話題を切り出そうとしたその時、左隣に座っている僕よりやや若い男が「この本見てください」と言って一冊の写真集を目の前に差し出した。微妙なタイミングで会話を遮られてしまったので空気を読まない奴だなと思ったが邪険に扱うほどのことでもない。逆に上から目線になるが他の人の話も平等に聞いてあげなければならないと思うし、なるべく皆と会話をするべきだと思っていた。自分ひとりで喋るだけが能ではない。
その男が差し出したのはある人気お笑いコンビの写真集だった。写真集というかステージでの写真とレポやインタビュー記事を各時代ごとに綴ったヒストリーブックといった装いだ。全編モノクロ写真で構成された重厚な体裁でファン必読の一冊なのだろうなと思った。最初のページを捲ると何かのイベントに出演する前の楽屋で準備をしているコンビの写真があった。その写真の中の二人を見て「あ、この子ら知ってる」と思わず口から出た。そのコンビと僕は古い知り合いだったのだ。左隣の男はさもありなんとでも言いたげな顔で笑っている。
更にページを捲っていくとステージやスタジオのカメラの前でコントをしている二人の写真が続く。どれも初めて見る写真ばかりだ。それもそのはずでこの二人と交流があったのは彼らが有名になる前のことだった。当時の僕は駆け出しの役者で箸にも棒にも掛からない不遇の時代を過ごしていた。不遇の時代を過ごしていたというかその後もずっと日の目を見ない人生だったけど。とにかくそんな若い頃に彼らと出会ったのだ。勿論その頃の彼らもまだ売れない無名の若手漫才コンビだった。彼らとは長く行動を共にしていた訳ではない。狭いようで広く、広いようで狭い業界の片隅で一時だけすれ違ったのだ。反りが合わずに疎遠になった訳でもないが長く連絡を取り合うほどの仲でもなかった。そうこうしているうちに彼らはテレビに出るようになりいつしか人気タレントの仲間入りをした。そのことは知っていたけどテレビを見る習慣のない僕はその後の彼らのことをよく知らなかった。ページを捲るにつれ僕の知らない二人になっていく。人生は色々だと思った。
そんな彼らの写真に見入っていると右斜め前に座っている女性が「懐かしいでしょ?」と声を掛けて来た。声の方に目を向けると僕よりやや若くも見えるがおそらく同年代であろう女性が笑ってこちらを見ていた。とても親しげに笑ってはいるがやはり知らない顔だった。でもどこか懐かしい。もしかしたら同級生かも知れないと思った。彼女はきっと僕のことをよく知っているなずだと直感的に確信した。彼女に返事をしようとした時、今度は右隣に座っている男が口を開いた。
「俺、これでも若い頃はモテたんやで」声につられてその男に目をやる。椅子にだらしなく座りテーブルに肩肘付いて遠くを見るような目で投げやりなため息をついている。僕より少し年上に見える。がたいが良くて身長も高い。白髪交じりで顔も老けてはいるが若い頃は美男子であったであろう面影を漂わせている。決して仕立てが良いとは言えないがチェック柄のジャケットにチノパンという風貌だった。この男が言う若い頃とはおそらく80年代から90年代に入った頃のことではないだろうかと推測した。メンズノンノのモデルのようだとまでは言わないが、メンズノンノのモデルを参考にしたファッションを身に纏えばそれなりに外すことなく着こなせていたに違いない。コンパにでも行けばそこそこのアベレージで女性から評価されていたのだろうなと思う。「しかも俺、早稲田出てるんやで」と男は続ける。まさに高学歴、高身長、高収入の三拍子揃ったバブル世代の貴公子だ。しかし彼の口調から察するにそれは学歴を自慢するための言葉ではなく、寧ろどこか自虐的な意味合いを込めての発言に思えた。きっとその後の人生は彼が思っていたよりもパっとしないものだったのであろう。どこか残念そうでもあるが、まるで既に悟りの境地にでも入ったかのような愛嬌のある佇まいだった。彼の言葉に対して「へえ、早稲田ですか?」と返したものの、ちょっと誇張しすぎて逆に嫌味になっていないだろうかと心配したが、彼の瞳の奥を覗くとまんざらでもないようだった。
もう一度右斜め前の女性と話しがしたいと思い彼女の方に目をやると彼女もこちらを向いて柔らかく微笑んでくれた。「俺のこと知ってるやんな?」と尋ねると更に柔らかく口角を上げて「知ってるよ」と少女のような顔で頷いた。やっぱり。きっと彼女は元同級生だ。もっと色んな話がしたい、が、そこで目が覚めた。

夢か。

ベットの中でぼんやりしているとなぜだか脳裏にCOMPLEXの「BE MY BABY」が流れてきた。
「愛しているのさ狂おしいほど」申し訳ないが、なんてダサい歌詞なんだろうと思う。だけど否定しているのではない。寧ろそれが良い。作曲した布袋寅泰も偉大だし、この歌詞を口にしてここまで格好良くなる吉川晃司も偉大だ。くどいようだがもう一度言う。決して否定しているのではない。特に吉川晃司は大好きだ。憧れている。
続いてBOØWYの「B・BLUE」が流れてきた。この曲はとにかく秀逸だ。この曲に全てが詰まっているように思う。イントロのドラムでもう全てが決まる。そして歌い出しの「乾いた風にかき消されて」のメロディと声で時代が一瞬にして変わった。氷室京介は偉大だ。80年代の中高校生にフィットする全てがここに凝縮されているように思える。
ちなみに自分はBOØWYのファンではない。だけど当然アンチでもない。リアルタイムではあまり熱心に聴かなかったが、それでもほとんどの曲を知っているし、聞けば懐かしいし、今も心が突き動かされる。ファンという訳ではないが好きなのだ。この面倒くさくて偏った拘りこそが少年の「なげやりなアイロニー」だ。
それはそうとしてなぜ唐突に寝起きの頭の中でCOMPLEXやBOØWYの曲が流れてきたのだろうか。




次第に目が覚めていく。
あの夢は天国もしくはそれ以外のあの世のどこかに行く前に立ち寄るであろう場所での邂逅を予知していたのかも知れないと思った。
誰もが時折人生を振り返るが生きている限りは無情にも次の朝がやって来る。そして一日が始まり良かれ悪しかれ日常に埋没していく。何かを得るために何かを手離し、どこかに行くためにどこかに留まり、生きるために自分を活かすことを諦める。
ベッドから出ようとした時「B・BLUE」のB面に収録されていた「WORKING MAN」が頭の中で流れてきた。うろ覚えの歌詞を心の中で呟いた。「犬のように走るunderground パンを食わえくわえ飛び乗るworking man」好きな曲だ。BOØWY解散後の松井常松が歌っている「WORKING MAN」が特に好きだ。勿論、氷室京介が歌う「WORKING MAN」も好きだ。

夢の中で夢を消された
Oh no,oh no 哀れな worker bee


BとかBEとかBEEとか。
バビブベボの響きが老いた少年の心をほんの少しだけ躍動させる。

Hey man, hey man
そのまま Fight to the end


最後まで生きるとしよう。


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ノルウェイのエガちゃん

2025年01月23日 | 日記
安いなと思った。
それは単純に金額が低いとか可処分所得に対して余裕があるという意味ではない。
完成までの時間、能力、労力、関わった人の数、
流通における営業力、経費、エネルギー、
小売店での販売努力、
などなど。
それら費やされた全てのエネルギーを想像すると「安い」と思ったのだ。
それは書籍に対してである。
スーパーやコンビニなど身近な所で感じる物価高。それに比べて本の適正価格は安すぎるのではないかと思った。とは言えこれ以上高くなると購入を躊躇ってしまうだろう。というか買わなくなるだろう。申し訳ないけれど。

そんなことをあらためて思ったのは、そもそも本を読む習慣がない自分が珍しく書店に足を運び久しぶりに書籍を購入したからだ。先日書いたブログ『知らない街』の中で触れていた「ネットで見つけた面白そうな本屋さん」に行ったのがきっかけだった。
お正月が終わって最初の週末。「あの本屋に行ってみようと」突然思いついて出掛けた。出不精の自分が衝動的に出掛けるのも珍しいことだったし、何より目的地が書店というのが珍しかった。
昨年末より諸事情で生活に少し変化が出て家に居る時間がやや増えることになり「たまには本でも読んでみようかな」なんて思ったのも一因であったがそれだけではない。その書店の店主さんがユニークな方で「こんな本を探してるんですけど」と言うとお勧めの本を紹介してくれるとのことだった。一応これでも多少は恥かしがり屋で遠慮屋なつもりでいるがネットで拝見する限りとても人の良い店主さんに思えたので一度行ってみようという気になれたのだった。
とは言えやはりお店の前まで来ると緊張してしまう。何気なく立ち寄るのではなくそれなりのミッションを自分に課していたからだ。ミッションなんて言うとほんと大袈裟なんだけど。何気なく入って、何気なく本を物色して、やっぱり帰ろうと思えば何も買わず帰ればいいし、欲しい本があれば買えばいいし、話し掛けられそうだったら店主さんに声を掛けてみればいい。ただそれだけのことだった。

「あの、ネットで拝見したんですけど…」
結局、店に入って数秒で店主さんに話しかけている自分がいた。
ネットで拝見したとおり物腰が柔らかく親切な店主さんだった。
本のこと以外にも色々と話をした。
印象に残ったのは、
「うちは話題の書籍や売れ筋の本を扱ってないんですよ。というか扱えないんですよ。うちみたいな個人経営の本屋にはなかなか卸して貰えなくて。町の小さな本屋はどこも厳しいですし、大型書店でさえも今は厳しい時代ですからね」
「だったら売れ筋の物や地域の人達のニーズに合わすのではなく、私が読んで『これは良い本だ』と思ったものを揃えるようにしたんです。そしたら遠方からわざわざうちに本を買いに来てくれるお客様が増えたんです」
という話しだった。まさに自分がその中の一人だ。

本当はビジネス書が目当てだったし、そのこともちゃんと伝えたのだが、
「うーん、お話を聞いている限りビジネス書よりもヒントになるかなと思う本が今3冊思い浮かんでまして…」
と店主さんの解説とともに推してくださったのが2冊の小説と1冊の詩集だった。なんと大胆なセレクトだろうか。こちらとしても店主さんに本を推薦して貰う為にここまで来たのだから素直にその3冊を購入することにした。1冊が単行本で2冊が文庫本。「本を一度に3冊も買うだなんて自分としてはなんと珍しいことだろうか」と思いつつレジで支払うと思ったよりも金額は大きくなかった。そこで冒頭に書いたように「安いなと」思った次第だ。
とは言え我が懐事情からすると「お正月だしたまにはいっか」な感覚だったけど。

単行本は一気に読めたし、詩集もちょっとだけ読んだ。詩集は日々の気分によってページを開きたいという欲求が高まって少しずつ読むことにした。文庫本の小説はまだ読んでいない。今後の楽しみだ。



それから数日立ったある日。
また本が読みたくなった。お正月に買った文庫本がまだ一冊残っているけど今すぐ読みたいという衝動が湧き上がってきたのだった。それはとある2作の小説。ともに発刊されてから数年立っているので近所の本屋さんにあるかな?とかジュンク堂にでも電話して在庫確認や取り寄せをお願いしようかなと思ってみたり。ここでネットで買う選択が出てこないのが昔の人間というか個人的な性格というか本の購入に慣れていない人って感じだと思った。

「そうや、古本屋に行ってみよう」
と思い近所のブックオフを思い浮かべたけれどネットで調べてみたら昨年夏に閉店していた。やはり書店の経営は厳しいということなんだろう。本を買う習慣があまりなかったので今までは気にかけることもなかった。そう言えばなんばウォークにあった本屋さんもなくなったっけ。
(※出版社の「業績悪化」企業 過去最大の66.1% 物流費の高騰が響く YAHOO! NEWS 2025.1.23 )

それでも近所に別の書店がある。営業時間を調べるとわりと遅くまでやっていたので夜になってから散歩がてら出掛けてみることにした。



結局お目当ての小説は置いてなかったが、エガちゃんねるのDこと藤野義明さんの『下品の流儀』の表紙が目に飛び込んで来た。「これは運命!」と思い手に取った。前作『エガちゃんねる革命』 は読んでいない。順序が逆になるがまたいずれ読みたい。

『下品の流儀』を手にしながらもう少しだけ本棚を物色しようと店内を歩いていたら、今度はなぜか『ノルウェイの森』の表紙が目に飛び込んで来た。なぜこの本に自分が反応したのかが分らない。タイトルぐらいなら何となく知っている。『村上春樹』さんも名前だけは何となく知っているというぐらいの認識しかない。知り合いの中に何人かハルキストはいるが小説を読むことのない自分にとっては話しを聞いてもちんぷんかんぷんだし、そもそも誰も僕にそんな話しをしてこない。
買おうかどうしようか考えるよりも先に手に取っていた。不思議だ。こんなこともあるのか。まさか自分が本の衝動買いをするだなんて。結局また単行本1冊と文庫本2冊を購入することに。無駄遣いにならぬようちゃんと読まねば。


それにしてもエガちゃんと村上春樹。
我ながらなんと大胆なセレクトだろうか。






ちなみに下の写真が最初のお店で店主さんに推薦して頂いた本です。






【ちょいだし!こんぶ店長】vol.1 お手紙を書く編~商品の発送に必ず手紙をつける理由とは~


ブックランドフレンズHP
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知らない街

2025年01月10日 | 日記
お正月も終わり、そろそろ世間の空気も日常に戻り始めたとある週末。久しぶりにちょっと出掛けることにした。
個人的な気分を優先して何気なく自由に出掛けるのは本当に久しぶりだった。特別何かに拘束されている訳ではないが、そもそも出不精ということもあって昨年後半あたりからは個人的な行動が減っていた。

この日は朝起きてすぐ「今日はちょっと出掛けてみよう」と珍しく思ったのだ。前に投稿した『知ってる街』と違って今回は目的があった。それは本屋さんだ。ネットで面白そうな本屋さんを見つけたのでそこに行ってみようと思ったのだ。本を読む習慣はあまりないが時々書店に立ち寄ることもあるし、たまには本を購入することだってある。とは言え数年に一度か二度といった感じだけど。とりあえずその本屋さんに行ってみてぶらりと店内を歩きそのまま気分次第ですぐに店を出るもよし、欲しい本が見つかれば購入するもよし。そんな軽い気分で出掛けた。目的地である本屋さんに行くことが目的ではなく出掛けること自体が目的だったのかも知れない。前回は「時間潰し」で今回は「暇潰し」と言ったところだろうか。

目的地の最寄駅はJRしかない。という訳で梅田に出てまずはJR大阪駅に向った。
梅田もある意味では随分久しぶりな気がする。地下鉄谷町線東梅田駅を降りて阪急電車に向うか、あるいは地下街を歩いて駅ビル方面に行くことはたまにあるが、JR大阪駅方面に出るのがかなり久しぶりだった。
大阪駅の北側、通称「梅田北ヤード」が新しくなってどれほどの年月が経ったのだろうか。このブログを書くにあたり調べてみたら先行開発区域である「グランフロント大阪 」が2013年4月に開業し、後発開発区域「グラングリーン大阪」が2027年春に全面開業の予定らしい。知らんけど。
新しい物を柔軟に受け入れられなくなって久しい。頭も固ければ感受性も乏しくなってそれがもう当たり前になってしまっている自分がいる。新しい物を否定するつもりはない。ただ変化に付いていけないだけだ。そして興味も持てなくなったのだ。自分としては自然な成り行きでそうなっているだけで頑ななポリシーであったり拘っている訳でもない。ただ何となくそんな感じなのだ。

地下街も変わった。いつも生活の中でほぼ決まったルートしか移動しないのだが、たまたまそのルートは今も昔のままだったりする。だからたまに違う場所に行こうとするとまったく見覚えのない世界に入り込んでどっちに行けばいいのか分らなくなってしまう。少し大袈裟かも知れないが実際にそんな感覚だ。この日は谷町線東梅田駅から御堂筋線梅田駅方面へ。全然違う。そう言えば工事をしているという話を随分前に聞いたことを思い出した。
「こんなふうになったのか」
暫く柱の前に立って周辺を見渡してから階段を上がりJR大阪駅方面へと向う。昔はこの場所に立ち食いのうどん屋があった。外に出ると大阪駅の東口、今は御堂筋口がある。

大阪駅周辺が新しくなってから梅田に行くことがなくなった。新しい梅田を拒絶している訳ではない。たまたまその頃に生活習慣が変わり仕事に行く際のルートが変わっただけだ。それに伴いプライベートでも出掛ける方向も変わっていった。久しぶりに訪れてあらためて大阪駅周辺の変貌ぶりを実感する。「浦島太郎やな」と心の中で呟きながら「もし他府県の人に大阪案内を頼まれても自分が迷子になってまうがな」なんてことも思った。

混雑する人混みの中でそんなことをのんびり思っていられるのも「暇潰し」を目的に出かけて来たからだ。先を急ぐ必要ははい。観光客にでもなった気分で駅前の歩道に上ってみることにした。



「大阪ももう変わっちゃったね…」 川村カオリの『金色のライオン』を勝手に替え歌にして頭の中で流しながら階段を上る。そこは知らない街だった。記憶の中の風景と違う。阪急百貨店も阪神百貨店も違う外観になっている。何度も言うが新しい梅田を拒絶するつもりはない。ただそこにあったはずの思い出が消された気分になった。ノスタルジックになれない。まだ人生は続くのだからこれから新しい思い出を作ればいいのかも知れないが少なくともこの時はそんな気分になれなかった。何が悪い訳でもないし誰のせいでもないけれど。

梅田の思い出を探ってみる。
梅田に出てドキドキと楽しめたのは中学生ぐらいの頃までだったかも知れない。ローカルの地元の町から電車に乗って大きな街に出るドキドキ。大人達に紛れて歩くドキドキ。友達と映画館で観た「ゴーストバスターズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は今でも楽しい思い出だ。
しかし10代後半頃からは自分にとっての梅田は通勤と帰宅の途中に通過するだけのストレスだらけの場所に変わった。それでも当時は梅田の街を歩きながらノスタルジックな思いにふけったりもしていた。1960年代から70年代ぐらいに掛けての文化の名残が街の片隅の至る所に見受けられたのだ。駅の改札や階段や天井、地下の食堂街、映画館、居酒屋、大人になるということはある意味で時間を遡ることでもあると感じていた。自分が成長するにつれて「昔」に遭遇してゆくような感覚だ。職場の人達や友人達と東通商店街あたりに飲みに行った楽しい思い出もある。いつしか時間に追い抜かされてしまったのかも知れない。勝手な感傷だが全てが愛おしく思えた。




それにしてもだ。
新しくなったとは言うものの、大抵は今までそこに在った物にあれこれ何かを付け足しているだけのように見える。歩道橋から見下ろす風景に圧迫感を覚えてしまう。大阪駅も狭いスペースにごちゃごちゃとパーツを付け足しただけのように思える。
空間がない。空が見えない。街から余白が消えてゆく。
しかし変わったのは街だけではない。かつての若者だった私は心に余裕のないおっさんになってしまった。気付けば文句ばかりだ。ひとつ言えるとすればいつの時代も街には古い物と新しい物が混在していてそれは今更ではないということだ。




梅田、とりわけJR大阪駅周辺に足が向かないのにはもうひとつ理由がる。
単純に人混みが苦手なのだ。これは個人的な性格の問題であって街や時代が悪い訳ではない。
駅構内も新しくなった。目的地の駅へ行くためにどのエスカレーターを使えばいいのか少し戸惑う。
「たぶんここでええやろ」
そう。今日はそんな適当さを味わいたいだけの「暇潰し」だ。
他のホームと比べてJR宝塚線のホームは人が少ない気がした。
車内もガラガラだった。
やがて静かにゆっくりとホームを出る。

流れる車窓を見つめながらのんびりと電車に揺られるのも久しぶりだった。







新宿ももう変わっちゃったね
僕らが出会ったあの頃は
ネオンサインだってもう少し
優しかった気がする

君も僕もヒッピーだった
魂の行き場をさがして
あてもなく歩き疲れては
ひとつの毛布の中

金色のライオン 川村カオリ
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2025.1.6 トランプ大統領 認定

2025年01月08日 | 日記
2025.1.6 アメリカ連邦議会にてトランプ大統領の当選が正式に認定された。
これによりアメリカのみならず世界が平和に向かってまた一歩前進したと言えるだろう。

今回は正常に会議が進行されたようで何よりだ。前回(2021.1.6)の連邦議会は酷かった。前年の大統領選からバイデン陣営の問題は山積であったがアメリカや日本のメディアはこぞってトランプのネガティブキャンペーンに注力していた。連邦会議でも前代未聞のトラブルが起きたが、それをトランプ支持者らの反抗とするフェイクニュースまでが連日TVに流されていた(※あの日のテレビ1月6日を振り返る 参照)。
今回、日本のメディアはどうするのだろうか。





もうひとつ注目すべきこがある。
このアメリカ連邦会議とタイミングを合わすかのようにカナダのトルドー首相が辞任を表明した(※BBC NEWSカナダのトルドー首相辞任の意向表明 参照)。
カナダと言えばバイデン民主党政権のアメリカと同じくここ数年の国政が酷かった(※フリーダムコンボイを知らない日本人 参照)。これにて漸くトルドー政権の幕引きとなる。

この時期にカナダに変化が起きることは非常に意味が大きい。明らかにトランプ大統領の影響が伺える。現時点ではまだ何も具体的に動いていないがもし仮にカナダとアメリカが今後ひとつの国になるようなことがあれば歴史的な出来事となる。まさに世界地図が変わる。

次は1/20にトランプ大統領の就任式が行われる。
昨年の大統領選から着々と事が進んでいるように見えるが、
ここまで日本のメディアがフェイクニュースを流し続けていたという事実は歴史から消すことは出来ない。
そのメディアにも徐々に変化が見受けられるが果たして今後どうなるだろうか。いまだにメディアに騙されたままの日本人が多数いることもまた事実だ。

いずれにせよ世界の動きに注目せずにはいられない。







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