12/29に墓参りへ。
天気も良かったので運動がてら歩いて行く事に。
年の瀬ということもあり自宅周辺はやけに静かで犬の散歩をしている人と一度すれ違った以外はほとんど人の姿を見かけないほどだった。「ゴーストタウンか?」なんて思いつつ歩いていたが、それでも国道沿いの駅前付近まで出ればいつもと変わらぬ風景がそこにあった。
いつもと変わらぬ風景を歩いているとひとつの違和感に気付いた。交差点の植え込みに座った酔っ払いが通行人に向って何やら叫んで威嚇している。その風景に違和感があったのではない。その酔っ払いの風体に違和感を覚えたのだった。いわゆる普通の格好をした普通の人(おっさん)だった。「普通の格好の普通の人」という表現はある意味では一種の差別かも知れない。差別というのが大袈裟だったとしても個人的なバイアスによる偏見であることには違いない。見た目は60代半ばぐらい。頭髪も乱れておらず寧ろ散髪したてのような清潔感さえある。服も汚れておらず靴も綺麗だしメガネも掛けている。手にはウイスキーの瓶。それをラッパ飲みしながら道行く人達に言葉にならぬ言葉で罵声を投げかけている。
こんな時ついつい勝手な想像をしてしまう。プロファイリングとまではいかないが人間観察をしてしまうのだ。身なりや雰囲気から察するにこのおっさんは真の意味でやさぐれてはいない。むしろ堅実な人生を歩みしっかりと社会のレールを走って来た人のように見える。性格や能力に難あれど若い頃から中高年に至るまでレールの上から外れることなく歩いてきた人間には特有の雰囲気がある。うがった言い方をするなら「レールの上を歩くことしかしか知らない人間」とも言える。だから普通の人だと思ったのだ。たまたま年の瀬に羽目を外して酒癖の悪さを露呈しているのか、それともよほどの酷い出来事があり自暴自棄になっているのか。しかしその表情にはどこか自己満足を感じさせるものがあった。それはまるでグレたふりした子供のようでもある。どうあれ誰もそのおっさんのことを見向きもしないし気にもしていないけど。
そんなことを考えているうちに信号が青に変わった。五差路の横断歩道をせわしなく渡り始める頃には下手な人間観察も終了しおっさんのことはどうでもよくなる。そんなことよりも目の前には次なる情報が大量に待ち構えている。次から次に何かが目や耳に飛び込んでくる。信号が青だからと言って油断は出来ない。まるで仮想現実の世界を歩いているかのような気分になった。
墓は生まれ育った町にある。
今住んでいる町からそこそこ距離はあるが自分としては歩いて行ける範囲だと自負していた。しかし実際は思っていたより遠かった。後日ネットで測定したら自宅から約4.7kmの道のりだった。
件の交差点から国道163号線をひたすら真直ぐ歩く。途中でさすがに「思ってたより遠い」と心の中で呟いてしまったが歩みを進めるほどに懐かしい景色の中に埋没していく喜びがあったのも事実だった。地元に近づいていく。
時間は見てなかったけど体感としては2時間以上は歩いただろうか。ようやく地元の墓地の前に辿り着いた。「なんて寂れた町だろうか」そんなことを考えながら周辺を見渡した。墓地の前にボロボロの道路標識が一本立っている。今にも倒れてしまうんじゃないかと思うほど錆びついてひどく老朽している。ふと見あげると今住んでいる町の名前が表示されている。まったくの偶然だが墓地からほぼ1本のルートで結ばれた町で今は暮らしている。こんなことにふと繫がりを見出して感慨深くなってしまうのはやはり年齢のせいなんだろうか。
墓参りを滅多にしない。というか全くしないと言ってもいい。前に訪れたのがいつなのか記憶にない。記憶にないだけで実はわりと最近来ていたかも知れない。その時のことは覚えているのだが、それがいつだったか分らない。去年かも知れないし、2、3年前かも知れないし、もしかしたら今年のことかも知れない。
とにかく墓参りが苦手だ。墓参りに得意も苦手もないかも知れないが、例えば線香になかなか火がつかない。チャッカマンでもマッチでもすぐに消えてしまう。毎回この作業で手こずってしまうのだった。先祖の前で己の不器用さに苛立っている自分が少し情けなく思えてしまう。
やっとこさ線香に火がついたところで墓前にて手を合わせ「めったに来んとごめんなさい」と心の中で謝るのが通例となっている。
帰りはさすがに徒歩を諦めて電車を使うことにした。と言っても墓地から最寄り駅までそこそこ距離がる。ここからはディープなマイホームタウンだ。
やっぱり懐かしい。所々変わってはいるが時間が止まっているのかと思うほど当時の面影を残している部分がある。まるで時代のコラージュ。過去が点在しているのだ。
寂れた町を歩いていると同級生とすれ違わないかと思ってしまう。もしすれ違ったとしてもお互い年を取っていて気付かないだろうけど。
最寄り駅に着く。その駅は幼い頃の家のすぐ近くにある。
とてもベタな感傷だが夕焼けが切ない。
本当はこの町で穏やかに大らかに育ちたかったと今でも思っている。
そしてこの駅からわずか十数分で今生きている町に繫がる。
時間も道路も線路も繫がっている。記憶も。
年末にセンチメンタルな時間を過ごした。
もうすぐ新しい年を迎える。
昔小さい頃の思い出は
右へ左へと街をかけめぐった
今もあの川は流れてるけど
俺は別に流れてゆこう
(ARB/淋しい街から)