田中悟の片道旅団

大阪で芝居と弾き語りをしています。

夢の中で夢を消された

2025年02月09日 | 日記
六人掛けのテーブル席に座っている。
窓際の席だ。
ややお洒落なレストラン?という感じもするが、さりとてそれほど高級な店でもない。店内は人がいっぱいでどのテーブルも賑やかだ。だけど煩いわけでもなく落ち着いた雰囲気と雑多な空気感が程好く混ざり合っていて居心地が良い。
三人ずつ並んで向き合う形で座っているが同じテーブルには知らない人ばかり。しかしずっと前から知っていた様な気もする。お互いがそれぞれのことを理解しあっていて、それでいて初対面の新鮮さがある。
窓に向かって手前の真ん中の席に座っている僕は目の前に座っている青年と主に会話をしていた。青年の背後から眩しい太陽光が差し込んでいる。屈託のない笑顔に好感が持てるその青年と過去にあった出来事や思い出話に花を咲かせていた。青年は笑いながら話しを聞いてくれる。その楽しさのせいでについつい饒舌になり「あ、そうや、この話し知ってる?」と次の話題を切り出そうとしたその時、左隣に座っている僕よりやや若い男が「この本見てください」と言って一冊の写真集を目の前に差し出した。微妙なタイミングで会話を遮られてしまったので空気を読まない奴だなと思ったが邪険に扱うほどのことでもない。逆に上から目線になるが他の人の話も平等に聞いてあげなければならないと思うし、なるべく皆と会話をするべきだと思っていた。自分ひとりで喋るだけが能ではない。
その男が差し出したのはある人気お笑いコンビの写真集だった。写真集というかステージでの写真とレポやインタビュー記事を各時代ごとに綴ったヒストリーブックといった装いだ。全編モノクロ写真で構成された重厚な体裁でファン必読の一冊なのだろうなと思った。最初のページを捲ると何かのイベントに出演する前の楽屋で準備をしているコンビの写真があった。その写真の中の二人を見て「あ、この子ら知ってる」と思わず口から出た。そのコンビと僕は古い知り合いだったのだ。左隣の男はさもありなんとでも言いたげな顔で笑っている。
更にページを捲っていくとステージやスタジオのカメラの前でコントをしている二人の写真が続く。どれも初めて見る写真ばかりだ。それもそのはずでこの二人と交流があったのは彼らが有名になる前のことだった。当時の僕は駆け出しの役者で箸にも棒にも掛からない不遇の時代を過ごしていた。不遇の時代を過ごしていたというかその後もずっと日の目を見ない人生だったけど。とにかくそんな若い頃に彼らと出会ったのだ。勿論その頃の彼らもまだ売れない無名の若手漫才コンビだった。彼らとは長く行動を共にしていた訳ではない。狭いようで広く、広いようで狭い業界の片隅で一時だけすれ違ったのだ。反りが合わずに疎遠になった訳でもないが長く連絡を取り合うほどの仲でもなかった。そうこうしているうちに彼らはテレビに出るようになりいつしか人気タレントの仲間入りをした。そのことは知っていたけどテレビを見る習慣のない僕はその後の彼らのことをよく知らなかった。ページを捲るにつれ僕の知らない二人になっていく。人生は色々だと思った。
そんな彼らの写真に見入っていると右斜め前に座っている女性が「懐かしいでしょ?」と声を掛けて来た。声の方に目を向けると僕よりやや若くも見えるがおそらく同年代であろう女性が笑ってこちらを見ていた。とても親しげに笑ってはいるがやはり知らない顔だった。でもどこか懐かしい。もしかしたら同級生かも知れないと思った。彼女はきっと僕のことをよく知っているなずだと直感的に確信した。彼女に返事をしようとした時、今度は右隣に座っている男が口を開いた。
「俺、これでも若い頃はモテたんやで」声につられてその男に目をやる。椅子にだらしなく座りテーブルに肩肘付いて遠くを見るような目で投げやりなため息をついている。僕より少し年上に見える。がたいが良くて身長も高い。白髪交じりで顔も老けてはいるが若い頃は美男子であったであろう面影を漂わせている。決して仕立てが良いとは言えないがチェック柄のジャケットにチノパンという風貌だった。この男が言う若い頃とはおそらく80年代から90年代に入った頃のことではないだろうかと推測した。メンズノンノのモデルのようだとまでは言わないが、メンズノンノのモデルを参考にしたファッションを身に纏えばそれなりに外すことなく着こなせていたに違いない。コンパにでも行けばそこそこのアベレージで女性から評価されていたのだろうなと思う。「しかも俺、早稲田出てるんやで」と男は続ける。まさに高学歴、高身長、高収入の三拍子揃ったバブル世代の貴公子だ。しかし彼の口調から察するにそれは学歴を自慢するための言葉ではなく、寧ろどこか自虐的な意味合いを込めての発言に思えた。きっとその後の人生は彼が思っていたよりもパっとしないものだったのであろう。どこか残念そうでもあるが、まるで既に悟りの境地にでも入ったかのような愛嬌のある佇まいだった。彼の言葉に対して「へえ、早稲田ですか?」と返したものの、ちょっと誇張しすぎて逆に嫌味になっていないだろうかと心配したが、彼の瞳の奥を覗くとまんざらでもないようだった。
もう一度右斜め前の女性と話しがしたいと思い彼女の方に目をやると彼女もこちらを向いて柔らかく微笑んでくれた。「俺のこと知ってるやんな?」と尋ねると更に柔らかく口角を上げて「知ってるよ」と少女のような顔で頷いた。やっぱり。きっと彼女は元同級生だ。もっと色んな話がしたい、が、そこで目が覚めた。

夢か。

ベットの中でぼんやりしているとなぜだか脳裏にCOMPLEXの「BE MY BABY」が流れてきた。
「愛しているのさ狂おしいほど」申し訳ないが、なんてダサい歌詞なんだろうと思う。だけど否定しているのではない。寧ろそれが良い。作曲した布袋寅泰も偉大だし、この歌詞を口にしてここまで格好良くなる吉川晃司も偉大だ。くどいようだがもう一度言う。決して否定しているのではない。特に吉川晃司は大好きだ。憧れている。
続いてBOØWYの「B・BLUE」が流れてきた。この曲はとにかく秀逸だ。この曲に全てが詰まっているように思う。イントロのドラムでもう全てが決まる。そして歌い出しの「乾いた風にかき消されて」のメロディと声で時代が一瞬にして変わった。氷室京介は偉大だ。80年代の中高校生にフィットする全てがここに凝縮されているように思える。
ちなみに自分はBOØWYのファンではない。だけど当然アンチでもない。リアルタイムではあまり熱心に聴かなかったが、それでもほとんどの曲を知っているし、聞けば懐かしいし、今も心が突き動かされる。ファンという訳ではないが好きなのだ。この面倒くさくて偏った拘りこそが少年の「なげやりなアイロニー」だ。
それはそうとしてなぜ唐突に寝起きの頭の中でCOMPLEXやBOØWYの曲が流れてきたのだろうか。




次第に目が覚めていく。
あの夢は天国もしくはそれ以外のあの世のどこかに行く前に立ち寄るであろう場所での邂逅を予知していたのかも知れないと思った。
誰もが時折人生を振り返るが生きている限りは無情にも次の朝がやって来る。そして一日が始まり良かれ悪しかれ日常に埋没していく。何かを得るために何かを手離し、どこかに行くためにどこかに留まり、生きるために自分を活かすことを諦める。
ベッドから出ようとした時「B・BLUE」のB面に収録されていた「WORKING MAN」が頭の中で流れてきた。うろ覚えの歌詞を心の中で呟いた。「犬のように走るunderground パンを食わえくわえ飛び乗るworking man」好きな曲だ。BOØWY解散後の松井常松が歌っている「WORKING MAN」が特に好きだ。勿論、氷室京介が歌う「WORKING MAN」も好きだ。

夢の中で夢を消された
Oh no,oh no 哀れな worker bee


BとかBEとかBEEとか。
バビブベボの響きが老いた少年の心をほんの少しだけ躍動させる。

Hey man, hey man
そのまま Fight to the end


最後まで生きるとしよう。


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次回最終回

2025年02月06日 | 日記
何がなんだか分らなくのはしょっちゅうだ。
物語を放置していると知らない間に話が進んで気がつけば何もかもが終っている。
巻き戻して観れるのは映画かドラマの類であって現実はそうもいかない。
その癖、恋はまるでドラマのように人を登場人物に仕立て上げてしまう。
それを知って演じていれば結末とは関係なく勝者になれる。
俺は分かってないからいつも敗者になるのがお決まりのパターンだ。
そうやっていつの間にが戦っている。

戦わずに勝つ者が強いってこと。

君は無手勝流。
いつも自分勝手に物語を進めて、
いつも自分勝手に物語から姿を消す。

決まって夜。
このままが朝が来ないんじゃないかと思うような、
そんな夜に限って君は部屋に戻らない。
その時点でやっと寂しくなる俺も俺だけど。

このシナリオは誰が書いているんだろう。
予定調和じゃ面白くないから君はいつも途中で姿を消してしまう。
たぶんこれは喜劇なんだろうけど、
一応、俺はピエロを演じるつもりはなくて、
だから余計に虚しくなる

さて、

この物語に続きはあるのだろうか。





次回最終回

話をしたくても
どこにもいないから
それじゃ仕方ないねと
割り切れないから
性質が悪いよね
きまぐれ子猫みたい

嫌な予感ほど当るって
君はよく言っていたね
誰もいない部屋で君を待つ
まるで
次回最終回の予告みたいだ

チェックのテーブル
コーヒーにはミルク
煙草に火をつけて
いつか観た映画の真似
気取ったところで
一人じゃ芝居も出来ない

好きな物にだけ囲まれて
生きてみたいと思うけれど
それじゃすぐにドラマは終るね
まるで
次回最終回の予告みたいだ

シナリオどおりじゃ
主演女優は気が乗らないみたいだ
確かに予定調和じゃ
君は輝かないタイプだよね
だけど

夜になるほどに
朝が遠くなる
そんな気分にやられて
クランクアップした
フィルムじゃあるまいし
ラッシュも見たくない

次の場面になればどんな顔で
恋を演じるの
願うならばせめて口づけを
これで終わりだとしても

君に捧げる花束なんて
俺は用意してないけれど
誰もいない部屋で君を待つ
まるで
次回最終回の予告みたいだ
次回最終回の予告みたいだ

抱きしめたいけど
台詞を忘れた
恋の物語の続きを見せて

君の物語の続きを見せて




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彼女によれば

2025年01月27日 | 日記
素肌が毛布に触れると自由を感じる。
ただしその自由は極めて小さい。
極めて小さいその自由は極めて巨大なんだけど。
しかし人間、あるいは自分はそれを抑えてしまう。
抑えてしまうのか、それとも自然に抑えられてしまうのか。
本能を抑制するのは理性じゃない。
本能が本能を抑制する。
そんなことを実感するけど、
そんなことを実感するよりも早く納得している。
納得するよりも早くそれを知ってしまう。
いや最初から知っている。
あるいは知っているという気になっている。
知っているということは罪だ。
自分にとっても自分以外の誰かにとっても。
たとえそれが知っているという気になっているだけのことだったとしても。
冷めているわけでもないのに燃えあがることがない。
もう限界だ。
だから本能的に本能を抑えるんだ。

動いたらこぼれそうになる衝動なんてものは、
さっさとこぼしてしまったほうが楽なはずなのに。
どうしてそれを抑えるのだろうか。
勿論そんなことをいつも考えている訳じゃないし、
今この瞬間も考えていないけど。

ところで、

いつからだろうか、
自由がこんなに怖くなったのは。





彼女によれば

彼女によれば
俺じゃ駄目らしい
噂によれば
多分そうらしい

狭いベッドの上
足を組んでほどいて
ちらりと見えるハートの
形が刺激的で

彼女によれば
どうでもいいらしい

彼女によれば
恋はいらないらしい
噂によれば
愛も邪魔らしい

パツンと前髪
短く切って揃えて
紫色のリップが
いかにも誘惑的で

彼女によれば
わざとじゃないらしい

どうして今頃
俺を呼び出したんだろう
気まぐれ 悪戯
まさか情緒不安定

狭いベッドの上
足を組んでほどいて
ちらりと見えるハートの
形が刺激的で

彼女によれば
ちょっと淋しいらしい

彼女によれば
俺じゃ駄目らしい
噂によれば
多分そうらしい

彼女によれば
彼女によれば
彼女によれば

そういうことらしい
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ノルウェイのエガちゃん

2025年01月23日 | 日記
安いなと思った。
それは単純に金額が低いとか可処分所得に対して余裕があるという意味ではない。
完成までの時間、能力、労力、関わった人の数、
流通における営業力、経費、エネルギー、
小売店での販売努力、
などなど。
それら費やされた全てのエネルギーを想像すると「安い」と思ったのだ。
それは書籍に対してである。
スーパーやコンビニなど身近な所で感じる物価高。それに比べて本の適正価格は安すぎるのではないかと思った。とは言えこれ以上高くなると購入を躊躇ってしまうだろう。というか買わなくなるだろう。申し訳ないけれど。

そんなことをあらためて思ったのは、そもそも本を読む習慣がない自分が珍しく書店に足を運び久しぶりに書籍を購入したからだ。先日書いたブログ『知らない街』の中で触れていた「ネットで見つけた面白そうな本屋さん」に行ったのがきっかけだった。
お正月が終わって最初の週末。「あの本屋に行ってみようと」突然思いついて出掛けた。出不精の自分が衝動的に出掛けるのも珍しいことだったし、何より目的地が書店というのが珍しかった。
昨年末より諸事情で生活に少し変化が出て家に居る時間がやや増えることになり「たまには本でも読んでみようかな」なんて思ったのも一因であったがそれだけではない。その書店の店主さんがユニークな方で「こんな本を探してるんですけど」と言うとお勧めの本を紹介してくれるとのことだった。一応これでも多少は恥かしがり屋で遠慮屋なつもりでいるがネットで拝見する限りとても人の良い店主さんに思えたので一度行ってみようという気になれたのだった。
とは言えやはりお店の前まで来ると緊張してしまう。何気なく立ち寄るのではなくそれなりのミッションを自分に課していたからだ。ミッションなんて言うとほんと大袈裟なんだけど。何気なく入って、何気なく本を物色して、やっぱり帰ろうと思えば何も買わず帰ればいいし、欲しい本があれば買えばいいし、話し掛けられそうだったら店主さんに声を掛けてみればいい。ただそれだけのことだった。

「あの、ネットで拝見したんですけど…」
結局、店に入って数秒で店主さんに話しかけている自分がいた。
ネットで拝見したとおり物腰が柔らかく親切な店主さんだった。
本のこと以外にも色々と話をした。
印象に残ったのは、
「うちは話題の書籍や売れ筋の本を扱ってないんですよ。というか扱えないんですよ。うちみたいな個人経営の本屋にはなかなか卸して貰えなくて。町の小さな本屋はどこも厳しいですし、大型書店でさえも今は厳しい時代ですからね」
「だったら売れ筋の物や地域の人達のニーズに合わすのではなく、私が読んで『これは良い本だ』と思ったものを揃えるようにしたんです。そしたら遠方からわざわざうちに本を買いに来てくれるお客様が増えたんです」
という話しだった。まさに自分がその中の一人だ。

本当はビジネス書が目当てだったし、そのこともちゃんと伝えたのだが、
「うーん、お話を聞いている限りビジネス書よりもヒントになるかなと思う本が今3冊思い浮かんでまして…」
と店主さんの解説とともに推してくださったのが2冊の小説と1冊の詩集だった。なんと大胆なセレクトだろうか。こちらとしても店主さんに本を推薦して貰う為にここまで来たのだから素直にその3冊を購入することにした。1冊が単行本で2冊が文庫本。「本を一度に3冊も買うだなんて自分としてはなんと珍しいことだろうか」と思いつつレジで支払うと思ったよりも金額は大きくなかった。そこで冒頭に書いたように「安いなと」思った次第だ。
とは言え我が懐事情からすると「お正月だしたまにはいっか」な感覚だったけど。

単行本は一気に読めたし、詩集もちょっとだけ読んだ。詩集は日々の気分によってページを開きたいという欲求が高まって少しずつ読むことにした。文庫本の小説はまだ読んでいない。今後の楽しみだ。



それから数日立ったある日。
また本が読みたくなった。お正月に買った文庫本がまだ一冊残っているけど今すぐ読みたいという衝動が湧き上がってきたのだった。それはとある2作の小説。ともに発刊されてから数年立っているので近所の本屋さんにあるかな?とかジュンク堂にでも電話して在庫確認や取り寄せをお願いしようかなと思ってみたり。ここでネットで買う選択が出てこないのが昔の人間というか個人的な性格というか本の購入に慣れていない人って感じだと思った。

「そうや、古本屋に行ってみよう」
と思い近所のブックオフを思い浮かべたけれどネットで調べてみたら昨年夏に閉店していた。やはり書店の経営は厳しいということなんだろう。本を買う習慣があまりなかったので今までは気にかけることもなかった。そう言えばなんばウォークにあった本屋さんもなくなったっけ。
(※出版社の「業績悪化」企業 過去最大の66.1% 物流費の高騰が響く YAHOO! NEWS 2025.1.23 )

それでも近所に別の書店がある。営業時間を調べるとわりと遅くまでやっていたので夜になってから散歩がてら出掛けてみることにした。



結局お目当ての小説は置いてなかったが、エガちゃんねるのDこと藤野義明さんの『下品の流儀』の表紙が目に飛び込んで来た。「これは運命!」と思い手に取った。前作『エガちゃんねる革命』 は読んでいない。順序が逆になるがまたいずれ読みたい。

『下品の流儀』を手にしながらもう少しだけ本棚を物色しようと店内を歩いていたら、今度はなぜか『ノルウェイの森』の表紙が目に飛び込んで来た。なぜこの本に自分が反応したのかが分らない。タイトルぐらいなら何となく知っている。『村上春樹』さんも名前だけは何となく知っているというぐらいの認識しかない。知り合いの中に何人かハルキストはいるが小説を読むことのない自分にとっては話しを聞いてもちんぷんかんぷんだし、そもそも誰も僕にそんな話しをしてこない。
買おうかどうしようか考えるよりも先に手に取っていた。不思議だ。こんなこともあるのか。まさか自分が本の衝動買いをするだなんて。結局また単行本1冊と文庫本2冊を購入することに。無駄遣いにならぬようちゃんと読まねば。


それにしてもエガちゃんと村上春樹。
我ながらなんと大胆なセレクトだろうか。






ちなみに下の写真が最初のお店で店主さんに推薦して頂いた本です。






【ちょいだし!こんぶ店長】vol.1 お手紙を書く編~商品の発送に必ず手紙をつける理由とは~


ブックランドフレンズHP
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もらい煙草

2025年01月18日 | 日記
ミナミも随分と変わった。

とは言え若い頃はミナミに遊びに出ることはあまりなかった。
通勤や帰宅のルート、住んでいた場所の都合でキタに出ることのほうが多かったのだ。

大阪ミナミと言えばまず道頓堀がイメ-ジされるかも知れない。
でもその場合は御堂筋の東側、道頓堀川沿いのグリコの看板がある辺りをイメージすることが多いのではないだろうか。
道頓堀は御堂筋の西側にもまだ少しだけ続く。『道頓堀』の大きな電飾が目印だ。
その電飾をくぐり最初の角を右に曲がると橋がある。その橋のたもとに「出世地蔵さん」がおられ、その向かい側には喫茶店がある。時流に即さず店内に煙草の煙が漂っている懐かしい匂いの喫茶店だ。

煙草を吸わなくなったのは30代後半。
記憶が正しければ2回目の値上げがあった頃だ。そのタイミングで禁煙をして以来喫煙はしなくなった。
煙草を吸わなくなったからと言って喫煙者に嫌悪感を抱くことはないが、なぜか突然体質が変わったのか副流煙により唇が痙攣するようになり、時には体が痙攣するようになってしまった。そんな訳で煙草の煙を避けている。

煙草に思い入れがあるのかと言えばそれなりにはある。だけど大した思い入れではない。今ではその味や匂いもすっかり忘れてしまっている。
それでも煙草は人生やストーリーにとかく寄り添うアイテムだと思う。それがフィクションであったとしてもノンフィクションだったとしても。映画の中にも生活の中にも煙草は自然に溶け込んでいる、いや溶け込んでいた。
さて、これからの時代はどうなるのだろうか。

「何を吸っていたのか?」と問われると返答に困る。
やはり大して思い入れがないのだ。その時々の気分でころころと変わった。
喫煙をしていても愛煙家ではなかったってことだ。
煙草の銘柄がころころと変わる男は恋愛に対しても軽薄だなんてことを若い頃よく耳にした。
断じて否定したいところだが、いなめないのもまた事実だ。





もらい煙草

とっくにやめた煙草を今でも
持ち歩いているのは
せこいあいつがあたしの煙草を
いつでも欲しがるからさ

わりと良い男だと思ってた
あたしがつまり馬鹿だった
やめられない煙草とおんなじで
手の届く場所に
いつでも置いている

火をつけてくゆらせて
あとは灰になるだけ
くわえても束の間の
あいつのもらい煙草

コーヒーと煙草だけが二人を
テーブルに繋ぎ止める
昔は嫌だと言ってたくせに
平気で吸うメンソール

わりとお似合いだねと思ってた
あたしがほんと甘かった
使い捨てのライターみたいにさ
手の届く場所に
置き忘れられてる

火をつけてくゆらせて
あとは灰になるだけ
くわえても束の間の
あいつのもらい煙草

火をつけて抱きあって
二人ハイになるまで
口うつし繰り返す
あいつのしけた煙草

火をつけてくゆらせて
あとは灰になるだけ
くわえても束の間の
あいつのもらい煙草

あたしがあげた煙草
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知らない街

2025年01月10日 | 日記
お正月も終わり、そろそろ世間の空気も日常に戻り始めたとある週末。久しぶりにちょっと出掛けることにした。
個人的な気分を優先して何気なく自由に出掛けるのは本当に久しぶりだった。特別何かに拘束されている訳ではないが、そもそも出不精ということもあって昨年後半あたりからは個人的な行動が減っていた。

この日は朝起きてすぐ「今日はちょっと出掛けてみよう」と珍しく思ったのだ。前に投稿した『知ってる街』と違って今回は目的があった。それは本屋さんだ。ネットで面白そうな本屋さんを見つけたのでそこに行ってみようと思ったのだ。本を読む習慣はあまりないが時々書店に立ち寄ることもあるし、たまには本を購入することだってある。とは言え数年に一度か二度といった感じだけど。とりあえずその本屋さんに行ってみてぶらりと店内を歩きそのまま気分次第ですぐに店を出るもよし、欲しい本が見つかれば購入するもよし。そんな軽い気分で出掛けた。目的地である本屋さんに行くことが目的ではなく出掛けること自体が目的だったのかも知れない。前回は「時間潰し」で今回は「暇潰し」と言ったところだろうか。

目的地の最寄駅はJRしかない。という訳で梅田に出てまずはJR大阪駅に向った。
梅田もある意味では随分久しぶりな気がする。地下鉄谷町線東梅田駅を降りて阪急電車に向うか、あるいは地下街を歩いて駅ビル方面に行くことはたまにあるが、JR大阪駅方面に出るのがかなり久しぶりだった。
大阪駅の北側、通称「梅田北ヤード」が新しくなってどれほどの年月が経ったのだろうか。このブログを書くにあたり調べてみたら先行開発区域である「グランフロント大阪 」が2013年4月に開業し、後発開発区域「グラングリーン大阪」が2027年春に全面開業の予定らしい。知らんけど。
新しい物を柔軟に受け入れられなくなって久しい。頭も固ければ感受性も乏しくなってそれがもう当たり前になってしまっている自分がいる。新しい物を否定するつもりはない。ただ変化に付いていけないだけだ。そして興味も持てなくなったのだ。自分としては自然な成り行きでそうなっているだけで頑ななポリシーであったり拘っている訳でもない。ただ何となくそんな感じなのだ。

地下街も変わった。いつも生活の中でほぼ決まったルートしか移動しないのだが、たまたまそのルートは今も昔のままだったりする。だからたまに違う場所に行こうとするとまったく見覚えのない世界に入り込んでどっちに行けばいいのか分らなくなってしまう。少し大袈裟かも知れないが実際にそんな感覚だ。この日は谷町線東梅田駅から御堂筋線梅田駅方面へ。全然違う。そう言えば工事をしているという話を随分前に聞いたことを思い出した。
「こんなふうになったのか」
暫く柱の前に立って周辺を見渡してから階段を上がりJR大阪駅方面へと向う。昔はこの場所に立ち食いのうどん屋があった。外に出ると大阪駅の東口、今は御堂筋口がある。

大阪駅周辺が新しくなってから梅田に行くことがなくなった。新しい梅田を拒絶している訳ではない。たまたまその頃に生活習慣が変わり仕事に行く際のルートが変わっただけだ。それに伴いプライベートでも出掛ける方向も変わっていった。久しぶりに訪れてあらためて大阪駅周辺の変貌ぶりを実感する。「浦島太郎やな」と心の中で呟きながら「もし他府県の人に大阪案内を頼まれても自分が迷子になってまうがな」なんてことも思った。

混雑する人混みの中でそんなことをのんびり思っていられるのも「暇潰し」を目的に出かけて来たからだ。先を急ぐ必要ははい。観光客にでもなった気分で駅前の歩道に上ってみることにした。



「大阪ももう変わっちゃったね…」 川村カオリの『金色のライオン』を勝手に替え歌にして頭の中で流しながら階段を上る。そこは知らない街だった。記憶の中の風景と違う。阪急百貨店も阪神百貨店も違う外観になっている。何度も言うが新しい梅田を拒絶するつもりはない。ただそこにあったはずの思い出が消された気分になった。ノスタルジックになれない。まだ人生は続くのだからこれから新しい思い出を作ればいいのかも知れないが少なくともこの時はそんな気分になれなかった。何が悪い訳でもないし誰のせいでもないけれど。

梅田の思い出を探ってみる。
梅田に出てドキドキと楽しめたのは中学生ぐらいの頃までだったかも知れない。ローカルの地元の町から電車に乗って大きな街に出るドキドキ。大人達に紛れて歩くドキドキ。友達と映画館で観た「ゴーストバスターズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は今でも楽しい思い出だ。
しかし10代後半頃からは自分にとっての梅田は通勤と帰宅の途中に通過するだけのストレスだらけの場所に変わった。それでも当時は梅田の街を歩きながらノスタルジックな思いにふけったりもしていた。1960年代から70年代ぐらいに掛けての文化の名残が街の片隅の至る所に見受けられたのだ。駅の改札や階段や天井、地下の食堂街、映画館、居酒屋、大人になるということはある意味で時間を遡ることでもあると感じていた。自分が成長するにつれて「昔」に遭遇してゆくような感覚だ。職場の人達や友人達と東通商店街あたりに飲みに行った楽しい思い出もある。いつしか時間に追い抜かされてしまったのかも知れない。勝手な感傷だが全てが愛おしく思えた。




それにしてもだ。
新しくなったとは言うものの、大抵は今までそこに在った物にあれこれ何かを付け足しているだけのように見える。歩道橋から見下ろす風景に圧迫感を覚えてしまう。大阪駅も狭いスペースにごちゃごちゃとパーツを付け足しただけのように思える。
空間がない。空が見えない。街から余白が消えてゆく。
しかし変わったのは街だけではない。かつての若者だった私は心に余裕のないおっさんになってしまった。気付けば文句ばかりだ。ひとつ言えるとすればいつの時代も街には古い物と新しい物が混在していてそれは今更ではないということだ。




梅田、とりわけJR大阪駅周辺に足が向かないのにはもうひとつ理由がる。
単純に人混みが苦手なのだ。これは個人的な性格の問題であって街や時代が悪い訳ではない。
駅構内も新しくなった。目的地の駅へ行くためにどのエスカレーターを使えばいいのか少し戸惑う。
「たぶんここでええやろ」
そう。今日はそんな適当さを味わいたいだけの「暇潰し」だ。
他のホームと比べてJR宝塚線のホームは人が少ない気がした。
車内もガラガラだった。
やがて静かにゆっくりとホームを出る。

流れる車窓を見つめながらのんびりと電車に揺られるのも久しぶりだった。







新宿ももう変わっちゃったね
僕らが出会ったあの頃は
ネオンサインだってもう少し
優しかった気がする

君も僕もヒッピーだった
魂の行き場をさがして
あてもなく歩き疲れては
ひとつの毛布の中

金色のライオン 川村カオリ
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2025.1.6 トランプ大統領 認定

2025年01月08日 | 日記
2025.1.6 アメリカ連邦議会にてトランプ大統領の当選が正式に認定された。
これによりアメリカのみならず世界が平和に向かってまた一歩前進したと言えるだろう。

今回は正常に会議が進行されたようで何よりだ。前回(2021.1.6)の連邦議会は酷かった。前年の大統領選からバイデン陣営の問題は山積であったがアメリカや日本のメディアはこぞってトランプのネガティブキャンペーンに注力していた。連邦会議でも前代未聞のトラブルが起きたが、それをトランプ支持者らの反抗とするフェイクニュースまでが連日TVに流されていた(※あの日のテレビ1月6日を振り返る 参照)。
今回、日本のメディアはどうするのだろうか。





もうひとつ注目すべきこがある。
このアメリカ連邦会議とタイミングを合わすかのようにカナダのトルドー首相が辞任を表明した(※BBC NEWSカナダのトルドー首相辞任の意向表明 参照)。
カナダと言えばバイデン民主党政権のアメリカと同じくここ数年の国政が酷かった(※フリーダムコンボイを知らない日本人 参照)。これにて漸くトルドー政権の幕引きとなる。

この時期にカナダに変化が起きることは非常に意味が大きい。明らかにトランプ大統領の影響が伺える。現時点ではまだ何も具体的に動いていないがもし仮にカナダとアメリカが今後ひとつの国になるようなことがあれば歴史的な出来事となる。まさに世界地図が変わる。

次は1/20にトランプ大統領の就任式が行われる。
昨年の大統領選から着々と事が進んでいるように見えるが、
ここまで日本のメディアがフェイクニュースを流し続けていたという事実は歴史から消すことは出来ない。
そのメディアにも徐々に変化が見受けられるが果たして今後どうなるだろうか。いまだにメディアに騙されたままの日本人が多数いることもまた事実だ。

いずれにせよ世界の動きに注目せずにはいられない。







【当ブログ内 関連記事】
2021/5/30 それはアリゾナから始まった
2021/5/30 あの日のテレビ 1月6日を振り返る
2021/6/4 あの壁の向こうにいるのは誰だ?
2022/2/5 フリーダムコンボイを知らない日本人
2024/11/7 トランプ大統領
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知ってる街

2025年01月07日 | 日記
2025年になりました。
いつも有難うございます。今年最初のブログとなります。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
という訳で新しい年となりましたがいきなり去年の出来事を振り返る文章となります。



知ってる街

日にちまでは覚えていないが12月の半ばを少し過ぎた頃だったと思う。その日はとある事情があり午後から街中で4時間ほど時間を潰さなければならなくなった。特に行くあてはなかったが行くあてがない時にふらりと訪れるならまずここに行くという場所がある。それは天満橋。

京阪電車に乗って天満橋駅で降りる。昔からこの場所が好きだった。幼い頃の記憶、恐らく4歳頃の記憶にまで遡る。今は京阪シティモールと名づけられた商業施設がこの場所にあるが昔は松坂屋というデパートだった。最上階に食堂があってたまに連れて来られた。母親が店頭で食券を買っているうちに「席取っといでぇ」(席を取りに行って)と言われ空いているテーブルを探してそこに陣取る。決まって窓際のテーブルだった。その窓から大川が流れる景色を見下ろすのが楽しみだった。記憶とともにクリームソーダの色と味が蘇る。




時は流れ昭和から平成になり松阪屋から京阪シティモールへと変わった。
外装や内装は多少変わったが恐らく大掛かりな改修工事はされておらず旧松坂屋のビルをほとんどそのまま使用していると思われる。京阪天満橋駅の改札を出て地下一階の入り口から入るとフロアの天井が低く感じられてエスカレーターも短い印象がある。このあたりに当時の名残を感じてほっとする。
京阪シティモールとして開業してからも随分と年月が流れた。
20代から30代の頃はジュンク堂書店によく行ったものだ。この日も久しぶりにジュンク堂で時間を潰そうと思ったが読んでみたい本も購入しようと思う本もとくになかった。ジュンク堂と言えば店内に椅子やテーブルが設置されていて「どうぞゆっくり読んで本をお選びください」というスタイルだったと思うが椅子やテーブルは全て撤去されている。これも時代の流れだろうか。今はもう令和である。
結局わずか数分で書店を出てそのまま最上階へ上がった。

最上階のフロアには飲食店が並んでいる。どの店も自分には高級に思えて大人になってからはここで食事をすることはない。幼い頃の思い出が詰まった食堂があった場所は今では展望スペースになっている。
暫くそこから大川を眺めていた。左を覗くと中之島を挟んで北側の堂島川と南側の土佐堀川に別れる。自分が立っている場所の向かいのビルの屋上には風車のようなものが設置されていて微妙な速度で動いている。「あれは風で動いているのだろうか?それとも電気で稼動しているのだろうか?」しばらく観察していたがどうでもいいことだ。暇つぶしというのは難しい。忙しい時は何もせずにぼうっとしていたいと思うが、何もすることがなく数時間過ごさねばならなくなると途端に時間の速度が遅く感じられる。

退屈を持て余し展望スペースからも数分で離れそのまま屋上に出た。
天候が良くて風も吹いておらず開放的な気分になれたがベンチが見当たらない。施設側としてはあまり長時間滞在して欲しくないのだろうな思った。文句を言うつもりは毛頭ないが何となくどこにも居場所のなさを感じてシティモールを後にした。




大川沿いに出てみる。北側の川沿いの公園は昔からあったが南側の遊歩道はもともとはなかった。旧松坂屋から京阪シテイモールへと変わった頃に広くて綺麗な遊歩道が出来て今では船着場から水上バスに乗ることも出来る。
大阪と言えば「水の都」「八百八箸」(はっぴゃくやばし)という言葉がある。確かに川も橋も多い。しかし大阪の人間は大抵そんなことを意識していないと思う。日常の中の見慣れた風景がただそこにあるだけだ。

川沿いを少しだけ西に移動すると腰掛けるベンチを兼ねた多きな階段(そう解釈して多分間違いでないと思う)がある。漸く落ち着けそうな場所を見つけた。腰を降ろそうとして脚を曲げると膝や腰が悲鳴をあげて「あ痛ててて」と声にしてしまう。ほんと年を取ったものだ。少し離れた場所に若いママさんと2才ぐらいの女の子がいた。幼い頃の自分がそうであったようにこうして天満橋で束の間の時を過ごす親子がいるのだ。階段の中央部分が人工芝になっていて二人で遊んでいる。とても可愛いくて見ているとほっこりとした気分になり癒される。しかしほっこり出来るのはこちら側だけであって、あまりジロジロ見ていると警戒させてしまいかねない。居心地の良い場所ではあったがやはり移動することにした。立ち上がろうとしてまた「あ痛ててて」と声が出る。その声が耳に入ったのか川沿いで語り合っていた20代前半頃の男女のグループがこっちを見たような気がしたがそれは自意識過剰というやつだろう。彼ら彼女らから見てこのおっさんは惑うことなきモブキャラだ。どうあれまだまだまだ時間は余っている。




その後は土佐堀通を歩いて北浜へ移動。交差点に五代様の銅像が立っているがディーンではない。
北浜も天満橋と同じく好きな街だ。しかし商社の大きなビルが建ち並ぶこの界隈に何かしらの目的を持って訪れることは皆無と言っていい。大阪市内の南側あるいは西側で仕事や用事があった時に長距離を徒歩で帰宅する習慣がありその際に通過する街だ。なぜだかこの界隈を歩いていると心が落ち着く。実はいつかは北浜辺りで暮らしたいという密かな夢がある。高級思考なのではない。何となく心が落ち着くのだ。そんな街並みをこの日は珍しく北から南に向かってぶらついた。

本町通に出れば確か本屋さんがあったはずと思っていたら今度は紀伊国屋書店だった。書店に入ると「アート」みたいなコーナーがあり絵本に少し興味を惹かれたが土地柄もあってかビジネス本の類が多い気がした。ビジネス本というかその多くは自己啓発本に近い印象だ。「○○するな、××をしろ!」的な高圧的なタイトルやキャッチコーピーが目に付く。世間一般ではこれぐらいで高圧的だとは思われないのかも知れないけれど。とにかく右も左もコマーシャリズムで溢れている。書籍はキャッチコピーに始まりボディコピーで終る。何なら本文さえもが長いコーピーかも知れない。なんてこと言うと皮肉になるだろうか。皮肉だとしても下手すぎるけど。

同じフロアに100均があったので来年の手帳を買うことにした。しかし店に入って文具コーナーに行っても手帳がない。この時期に手帳が売ってないなんておかしすぎないかと思いつつ店員さんに聞いてみたら丁寧に売り場まで連れて行ってくれた。手帳やカレンダーは店の入り口付近に置かれていた。そこはまさにさっき自分が入って来た場所だった。手帳を隠すなら100均の中。これは盲点だった。いやどんくさいだけだ。棚の商品はもうほとんど売れていて残り少ない手帳はピンクや可愛い絵柄の物ばかりだったがその中から何とか白い表紙の手帳を見つけ出した。レジに行くと同じ店員さんが対応してくれたので「さっきは有難う」と言いたかったが照れくさくて言葉に出来なかった。店員さんも気付いていたかも知れない。いや忙しいだろうからそこまで覚えていないかも知れないし話しかけても何のことだか分らないかも知れない。しかし仮にそうだったとしてもきっとこの店員さんは「いえ」とか言いながら優しい笑顔で受け流してくれるような気がする。なんてことをレジの前で僅かな時間に考えていた。

店を出て「さてこれからどうしようか」と考えてみたが体の疲れが限界に近づいてきたので時間潰しを切り上げて本来の目的地に向うことにした。

何の目的も計画もなく街の中で時間を潰して彷徨う。するといつもの街並みがまるで違った街並みに見えてくる。いや街の風景は同じだ。自分がいつもと違う自分になってしまうのかも知れない。そしてそれが本当の自分なのかも知れない。






※お詫び
昨日書きかけのこのブログを保存したつもりで間違って公開してしまっておりました。
書きかけの文章を公開してしまう恥かしさもありましたが、それよりも読みに来て頂いた皆様に大変失礼なことをしてしまいました。すみません。
下手な長文駄文ですが今年も何卒よろしくお願い致します。
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マイホームタウン

2024年12月31日 | 日記
12/29に墓参りへ。

天気も良かったので運動がてら歩いて行く事に。
年の瀬ということもあり自宅周辺はやけに静かで犬の散歩をしている人と一度すれ違った以外はほとんど人の姿を見かけないほどだった。「ゴーストタウンか?」なんて思いつつ歩いていたが、それでも国道沿いの駅前付近まで出ればいつもと変わらぬ風景がそこにあった。

いつもと変わらぬ風景を歩いているとひとつの違和感に気付いた。交差点の植え込みに座った酔っ払いが通行人に向って何やら叫んで威嚇している。その風景に違和感があったのではない。その酔っ払いの風体に違和感を覚えたのだった。いわゆる普通の格好をした普通の人(おっさん)だった。「普通の格好の普通の人」という表現はある意味では一種の差別かも知れない。差別というのが大袈裟だったとしても個人的なバイアスによる偏見であることには違いない。見た目は60代半ばぐらい。頭髪も乱れておらず寧ろ散髪したてのような清潔感さえある。服も汚れておらず靴も綺麗だしメガネも掛けている。手にはウイスキーの瓶。それをラッパ飲みしながら道行く人達に言葉にならぬ言葉で罵声を投げかけている。

こんな時ついつい勝手な想像をしてしまう。プロファイリングとまではいかないが人間観察をしてしまうのだ。身なりや雰囲気から察するにこのおっさんは真の意味でやさぐれてはいない。むしろ堅実な人生を歩みしっかりと社会のレールを走って来た人のように見える。性格や能力に難あれど若い頃から中高年に至るまでレールの上から外れることなく歩いてきた人間には特有の雰囲気がある。うがった言い方をするなら「レールの上を歩くことしかしか知らない人間」とも言える。だから普通の人だと思ったのだ。たまたま年の瀬に羽目を外して酒癖の悪さを露呈しているのか、それともよほどの酷い出来事があり自暴自棄になっているのか。しかしその表情にはどこか自己満足を感じさせるものがあった。それはまるでグレたふりした子供のようでもある。どうあれ誰もそのおっさんのことを見向きもしないし気にもしていないけど。

そんなことを考えているうちに信号が青に変わった。五差路の横断歩道をせわしなく渡り始める頃には下手な人間観察も終了しおっさんのことはどうでもよくなる。そんなことよりも目の前には次なる情報が大量に待ち構えている。次から次に何かが目や耳に飛び込んでくる。信号が青だからと言って油断は出来ない。まるで仮想現実の世界を歩いているかのような気分になった。




墓は生まれ育った町にある。
今住んでいる町からそこそこ距離はあるが自分としては歩いて行ける範囲だと自負していた。しかし実際は思っていたより遠かった。後日ネットで測定したら自宅から約4.7kmの道のりだった。
件の交差点から国道163号線をひたすら真直ぐ歩く。途中でさすがに「思ってたより遠い」と心の中で呟いてしまったが歩みを進めるほどに懐かしい景色の中に埋没していく喜びがあったのも事実だった。地元に近づいていく。

時間は見てなかったけど体感としては2時間以上は歩いただろうか。ようやく地元の墓地の前に辿り着いた。「なんて寂れた町だろうか」そんなことを考えながら周辺を見渡した。墓地の前にボロボロの道路標識が一本立っている。今にも倒れてしまうんじゃないかと思うほど錆びついてひどく老朽している。ふと見あげると今住んでいる町の名前が表示されている。まったくの偶然だが墓地からほぼ1本のルートで結ばれた町で今は暮らしている。こんなことにふと繫がりを見出して感慨深くなってしまうのはやはり年齢のせいなんだろうか。




墓参りを滅多にしない。というか全くしないと言ってもいい。前に訪れたのがいつなのか記憶にない。記憶にないだけで実はわりと最近来ていたかも知れない。その時のことは覚えているのだが、それがいつだったか分らない。去年かも知れないし、2、3年前かも知れないし、もしかしたら今年のことかも知れない。
とにかく墓参りが苦手だ。墓参りに得意も苦手もないかも知れないが、例えば線香になかなか火がつかない。チャッカマンでもマッチでもすぐに消えてしまう。毎回この作業で手こずってしまうのだった。先祖の前で己の不器用さに苛立っている自分が少し情けなく思えてしまう。
やっとこさ線香に火がついたところで墓前にて手を合わせ「めったに来んとごめんなさい」と心の中で謝るのが通例となっている。



帰りはさすがに徒歩を諦めて電車を使うことにした。と言っても墓地から最寄り駅までそこそこ距離がる。ここからはディープなマイホームタウンだ。
やっぱり懐かしい。所々変わってはいるが時間が止まっているのかと思うほど当時の面影を残している部分がある。まるで時代のコラージュ。過去が点在しているのだ。
寂れた町を歩いていると同級生とすれ違わないかと思ってしまう。もしすれ違ったとしてもお互い年を取っていて気付かないだろうけど。







最寄り駅に着く。その駅は幼い頃の家のすぐ近くにある。
とてもベタな感傷だが夕焼けが切ない。
本当はこの町で穏やかに大らかに育ちたかったと今でも思っている。
そしてこの駅からわずか十数分で今生きている町に繫がる。

時間も道路も線路も繫がっている。記憶も。
年末にセンチメンタルな時間を過ごした。
もうすぐ新しい年を迎える。






昔小さい頃の思い出は
右へ左へと街をかけめぐった
今もあの川は流れてるけど
俺は別に流れてゆこう
(ARB/淋しい街から)




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ため息のマイナーコード

2024年12月28日 | 日記
年末。
この時期になると「ああ、今年も何も出来ずに終ってしまった」とため息をついてしまう。それがもう何十年と続いている。何十年と続けているとさすがにいい加減飽きてもくる。だからと言ってやっぱり満足のいく1年ではなかったので心の着地点が見当たらず落ち着かない。ため息をつくことでせめて心が落ち着くのであれば、それもそう悪くはないと思うけれど。

どちらにせよ今年も何も出来なかったという事実だけが自分の中にある。
何かはしたんだけど何も出来なかったという感覚だ。

何が出来なかったのか?その何かとは何だ?

それは自分が一番求めているもの。それが今年も達成されなかった。
それを具体的に言うと…はて何だろう?それが上手く言語化出来ないままこの年齢まで生きて来た。だから何をしたところで何も出来ていないという気分に苛まれるのだ。
言語化出来ないだけで本当は具体的に分かってるのかも知れない。いや分かっているはずだ。分かっていながらもその「何か」ってやつをわざとぼやかしている気もする。つまり何十年にも渡り自分を誤魔化して生きてきたのだ。さすがにいい加減何とかしなければ。





やれば出来ることと、やっても出来ないことがある。
やれば出来るかも知れないこともあるが、それは同時にやっても出来ないかも知れないという曖昧さをはらんでいる。
にも関わらず、やりもしないのに出来てしまうことだってあるから人生は不思議だ。

やっても出来ないこと。それは本当に出来ないことなのだろうか。

そろそろこの自問自答にも飽きてきた。
飽きてきたからやめるのではない。
飽きてきたからやるしかない。
ほんとは自分でぼやかしていただけ。
はっきりさせねば。






【ラジオ】近況報告 年内のライブスケジュール終了致しました!


【雑談】モチベーションとブランクの過ごし方
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