いつの時代も歌は勝手に耳に入って来る。
ラジオ、テレビ、レコード、カセットテープ、商店街のスピーカー、喫茶店の有線…
僕が自ら好んで歌を聞くようになったのはいつの頃からだろう。
レコード屋さんへ行く時のドキドキ、
商品棚からレコードを引き出す時のドキドキ、
LPを小脇に挟んで家に帰る時のドキドキ、
針を落とす瞬間のドキドキ、
歌は耳で聞くだけではなく嗅覚も刺激するし視覚にも飛び込んでくる。
友達にダビングして貰ったテープをラジカセで聞く。
ウォークマンを手に入れて好きな場所で好きな歌を聞く。
スナックで歌うカラオケ、
カラオケボックスで歌うカラオケ、
今ではインターネットで色んな歌が聞けようにもなった。
先日のライブの日。
いつものようにジャンカラに寄って声を出していた。
ドリンクバーに行くために廊下へ出たら、
店内に流れるBGMが耳に入った。たぶん今流行っているのであろう曲。
それっぽい声、それっぽい歌詞、それっぽいメロディ。
今時のヒット曲にはあまり関心がないのだけれど、
その時なぜか強く心に訴えかけられた気がした。
きれいな旋律、きれいな言葉、きれいな声、それだけでも音楽は人を癒す。
「それだけでも」なんて言い方はそもそもおかしいかも。
それだけのことをクリアした作品を作ることがどれだけ難しいことであろうか。
そう思って聞きこめば、その創作の豊かさに気付かされる。
「だから人は歌を聞くんだな」
いつの時代にも多くの人が共通して好む「声」がある。
それは時代とともに移り変わってゆく。
流行り廃りなんて言われ方もする。
万人受けしそうなものほど万人に軽くあしらわれたりもする。
だけどそうやって歌は流れる。
ありがちと普遍の境界に君臨する、歌詞、タイトル、コピーライト、
誰もが理解し得る記号のような、画像、色、デザイン、
分かっていながらも気付かぬうちに引っかかるフック、
優しさに裏打ちされた痛み、
自浄作用でうっかりこぼす涙、
実体験が伴わぬともあたかもリアルに生ずる共感、
それらを演出してこその流行り歌であるならば、
素晴らしき大衆歌は今もいつでも世に溢れている。
「そんな歌を作りたいし歌いたい」
いつの時代も歌は勝手に耳に入って来る。
僕の歌はいつか誰かの耳に届くだろうか。
ラジオ、テレビ、レコード、カセットテープ、商店街のスピーカー、喫茶店の有線…
僕が自ら好んで歌を聞くようになったのはいつの頃からだろう。
レコード屋さんへ行く時のドキドキ、
商品棚からレコードを引き出す時のドキドキ、
LPを小脇に挟んで家に帰る時のドキドキ、
針を落とす瞬間のドキドキ、
歌は耳で聞くだけではなく嗅覚も刺激するし視覚にも飛び込んでくる。
友達にダビングして貰ったテープをラジカセで聞く。
ウォークマンを手に入れて好きな場所で好きな歌を聞く。
スナックで歌うカラオケ、
カラオケボックスで歌うカラオケ、
今ではインターネットで色んな歌が聞けようにもなった。
先日のライブの日。
いつものようにジャンカラに寄って声を出していた。
ドリンクバーに行くために廊下へ出たら、
店内に流れるBGMが耳に入った。たぶん今流行っているのであろう曲。
それっぽい声、それっぽい歌詞、それっぽいメロディ。
今時のヒット曲にはあまり関心がないのだけれど、
その時なぜか強く心に訴えかけられた気がした。
きれいな旋律、きれいな言葉、きれいな声、それだけでも音楽は人を癒す。
「それだけでも」なんて言い方はそもそもおかしいかも。
それだけのことをクリアした作品を作ることがどれだけ難しいことであろうか。
そう思って聞きこめば、その創作の豊かさに気付かされる。
「だから人は歌を聞くんだな」
いつの時代にも多くの人が共通して好む「声」がある。
それは時代とともに移り変わってゆく。
流行り廃りなんて言われ方もする。
万人受けしそうなものほど万人に軽くあしらわれたりもする。
だけどそうやって歌は流れる。
ありがちと普遍の境界に君臨する、歌詞、タイトル、コピーライト、
誰もが理解し得る記号のような、画像、色、デザイン、
分かっていながらも気付かぬうちに引っかかるフック、
優しさに裏打ちされた痛み、
自浄作用でうっかりこぼす涙、
実体験が伴わぬともあたかもリアルに生ずる共感、
それらを演出してこその流行り歌であるならば、
素晴らしき大衆歌は今もいつでも世に溢れている。
「そんな歌を作りたいし歌いたい」
いつの時代も歌は勝手に耳に入って来る。
僕の歌はいつか誰かの耳に届くだろうか。