先日、田中悟メールマガジン俳優詩人を配信致しました。
今年は今のところ月1回のペースで配信出来ています。
今回のメルマガでは僕が10代の頃に書いた歌詞の一部を紹介させて頂きました。
歌詞…と言っても、まだまだ歌詞とは呼べない内容ですけどね(^^;
中三の夏休みぐらいから詩を書き始めて、
その後20歳過ぎまで書き溜めたノートは200冊越え(苦笑)
詩や歌詞というよりは、
思い浮ぶ言葉をひたすら書きなぐっていた感じです。
時々言葉にならず、変な絵が続いているページもあったり。
10代後半ぐらいから、
自分なりに「歌詞」を意識するようになったのですが、
今になって読み返してみると、
駄目だこりゃって思うようなものばかりです。
当時からも駄目だって自覚はあって、
ほんと辛かったですけどね。
作曲もまったく出来なかったので、
自分で書いた歌詞に適当な「節」をつけてみたり。
中には今の自分の原型とも思えるようなフレーズもあったりしますけど、
15歳からスタートして、
とりあえず作曲出来るようになったのが26歳頃でしたから、
苦しい10年でした。
でも、その10年があったから今があるんですけどね。
1曲お気に入りの作品がありまして、
当時歌詞につけた出鱈目な「節」もかろうじて今なら編曲出来そうな範囲の歌です。
17歳頃に書きました。
良かったら読んでください。
国道一号線
国道線を流れる寂しい車の光
誰かを後に残してきた誰かが走る光
この道を渡れば何かが変るはずだと
男達は噂をするが何も変りはしない
友達は今夜家を出る
何の理由も持たずに
ありきたりな夢を使い果たし
ありきたりに諦めるまで今夜
信じあえることのない嘘つきなお前と俺
最後の言葉は使わずに寄り添いあっていた
土のないガレージで野良犬は遠吠えする
絶望なんて誰も彼も当たり前と思ってる
俺達は今夜街を出る
ひとつも明日を持たずに
衝動が胸を駆り立てる
黙り込むお前の手をひいて
もうもとへは戻れないと
抱締めようとしたら
お前は俺の手を離し
一人で空を見ていた
もうこれでわかったでしょと
言いたそうな顔して
お前は街へ戻った
何もなかったかのように
何もなかったかのように
国道線を流れる寂しい車の光
一人きりで見つめるには寂しすぎる気がする
後ろも前も踏み出せない
今日も明日もこのまま
一号線を流れてゆく
光のように寂しい今夜
めっちゃ暗い(^^;
人生に希望を見出せなかった10代の言葉。
まあ、暗いとかさておき単純に文章力の低くさとか、
大人ぶって空回りしてる言葉使いが恥ずかしい…
(文章力は今もさほど変わりませんけど)
けどそれなりに苦労して書いていた当時の記憶がありますので、
よく頑張ってたねと自分に言ってあげたいとも思います。
ノートを捲ると同じタイトルで中味の違う詩が何通りもあって、
それぞれ1編が物凄く長いんです。
今回ブログに書くにあたっては一部抜粋をしました。
でも書き換えはしてません。あえて原文のままです。
出鱈目な「節」も、
今ならギターでコードをつけて一応メロディも成立します。
当時はそこまで出来なかったんですけど、
この曲がある意味僕が最初に作れた曲かも知れません。
最初に“作った”ではなく、
最初に“作れた”ってところが重要ですね。
いつか『第三木曜部』で歌おうか?
いやちょっと無理かな(^^;
次回のメルマガでが、如何にして僕が作曲にチャレンジしていったのか?
そのあたりのエピソードをご紹介致します(^-^)
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今回のメルマガでは僕が10代の頃に書いた歌詞の一部を紹介させて頂きました。
歌詞…と言っても、まだまだ歌詞とは呼べない内容ですけどね(^^;
中三の夏休みぐらいから詩を書き始めて、
その後20歳過ぎまで書き溜めたノートは200冊越え(苦笑)
詩や歌詞というよりは、
思い浮ぶ言葉をひたすら書きなぐっていた感じです。
時々言葉にならず、変な絵が続いているページもあったり。
10代後半ぐらいから、
自分なりに「歌詞」を意識するようになったのですが、
今になって読み返してみると、
駄目だこりゃって思うようなものばかりです。
当時からも駄目だって自覚はあって、
ほんと辛かったですけどね。
作曲もまったく出来なかったので、
自分で書いた歌詞に適当な「節」をつけてみたり。
中には今の自分の原型とも思えるようなフレーズもあったりしますけど、
15歳からスタートして、
とりあえず作曲出来るようになったのが26歳頃でしたから、
苦しい10年でした。
でも、その10年があったから今があるんですけどね。
1曲お気に入りの作品がありまして、
当時歌詞につけた出鱈目な「節」もかろうじて今なら編曲出来そうな範囲の歌です。
17歳頃に書きました。
良かったら読んでください。
国道一号線
国道線を流れる寂しい車の光
誰かを後に残してきた誰かが走る光
この道を渡れば何かが変るはずだと
男達は噂をするが何も変りはしない
友達は今夜家を出る
何の理由も持たずに
ありきたりな夢を使い果たし
ありきたりに諦めるまで今夜
信じあえることのない嘘つきなお前と俺
最後の言葉は使わずに寄り添いあっていた
土のないガレージで野良犬は遠吠えする
絶望なんて誰も彼も当たり前と思ってる
俺達は今夜街を出る
ひとつも明日を持たずに
衝動が胸を駆り立てる
黙り込むお前の手をひいて
もうもとへは戻れないと
抱締めようとしたら
お前は俺の手を離し
一人で空を見ていた
もうこれでわかったでしょと
言いたそうな顔して
お前は街へ戻った
何もなかったかのように
何もなかったかのように
国道線を流れる寂しい車の光
一人きりで見つめるには寂しすぎる気がする
後ろも前も踏み出せない
今日も明日もこのまま
一号線を流れてゆく
光のように寂しい今夜
めっちゃ暗い(^^;
人生に希望を見出せなかった10代の言葉。
まあ、暗いとかさておき単純に文章力の低くさとか、
大人ぶって空回りしてる言葉使いが恥ずかしい…
(文章力は今もさほど変わりませんけど)
けどそれなりに苦労して書いていた当時の記憶がありますので、
よく頑張ってたねと自分に言ってあげたいとも思います。
ノートを捲ると同じタイトルで中味の違う詩が何通りもあって、
それぞれ1編が物凄く長いんです。
今回ブログに書くにあたっては一部抜粋をしました。
でも書き換えはしてません。あえて原文のままです。
出鱈目な「節」も、
今ならギターでコードをつけて一応メロディも成立します。
当時はそこまで出来なかったんですけど、
この曲がある意味僕が最初に作れた曲かも知れません。
最初に“作った”ではなく、
最初に“作れた”ってところが重要ですね。
いつか『第三木曜部』で歌おうか?
いやちょっと無理かな(^^;
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