「もしかして人生には制限付きの選択肢しかないのではないだろうか?」
最近ふとそんなことを思った。なんでそんなことを思ったのか、そのきかっけや思考のプロセスは覚えていない。
「選択肢しかないのでは?」という問い掛けは巷でよくある自由意志のあるなし論に通ずるところもあるような気がする。自由意志は明らかに存在していて人間は自身の行動を自身の意志で決定している(と思われている場合が多い)。何かを選ぶ時もそうだ。自由に選べない場合もあるが選べる限りは自分の意志で好きなものを選ぶ。だからそこに自由意志が存在すると思う訳である。
だがちょっと待て。幾つかの選択肢を前に自由に好きなものを選んでいいと言われても選択肢は用意されたものであり、その選択肢の中から選ぶという制限内で選択を迫られている。つまり「制限付きの選択肢」しかないのである。
しかし自由がまったく無い訳ではない。仮に人生が「制限付きの選択肢」しかないものだったとしてもそこで行使出来る自由がある。その自由とは「拒否」である。やがて別の選択肢が目の前に現われるのを待つかあるいは自力で別の選択肢を探せばそこにかろうじて自由意志を感じることが出来るのかも知れない。
自分で選択肢を探し出す方法として考えられるのが制限を上手く利用して自分が望む選択肢を自分で用意するということではないだろうか。例えば思いつくのがちょっと古い話になるが元プロ野球選手江川卓の空白の一日(ウィキペディアWikipedia参照)だったりする。プロ野球のドラフト制度の盲点をついて希望球団への入団を自ら選択したことになる。他にも元プロレスラー獣心サンダー・ライガー(ウィキペディアWikipedia参照)は身長制限のため新日本プロレスのテストを受けられなかったが単身でメキシコへの渡航を選択肢し、メキシコでプロレスラーを目指しながら現地にて日本のプロレス関係者に直談判するという逆輸入ルートを選択して新日本入りを果たしている。
私もそうだが大抵の場合人は与えられた制限の中から選択肢を選び、結果が駄目だった場合は諦めるしかないと考えている。なぜならそれが現実的な生き方であると思い込んでいるからだ。勿論潔く全ての結果を受け入れて残った道が自分の人生であると腹をくくることも間違いではない。そしてなぜかそんな生き方が賞賛される傾向にある。それは恐らくほとんどの人が「制限付きの選択肢」の中で妥協しながら生きているからであろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/50/b4abe8556588fdc68d64323ea5209877.jpg)
悪い頭であれこれ考えあぐねている今日のブログです。
僕はあらゆる制限の中で抗うことも出来ず「保留」「保留」「保留」で偽りの自由を演じながら、そのことに気付いているのに気付いていないふりをして時間を引き延ばして生きている。
そうまでして何を手にしたいのか?
どこに辿り着きたいのか?
「自由意志と神の無限性が論理的には両立しないことを認めながら、自由意志の経験と神の認識が両立の事実を明らかにしている」
とはデカルトの言葉らしいのですが、
どういう意味なんでしょう?
言い訳なんて口惜しいことばかり
これと言って欲しいものもない
気がつけば人生の春はとっくに過ぎている
「春先雪」です。
お聞きくださいませ。
春先雪
夜になったなら逢いましょう
なんて約束をする訳もなく
何か話でもしたいねと
言ってみたけれど何もない
夜化粧そっと色添えながら
冷たい体寄せあう
淋しさの言い訳なんて
口惜しいことばかり
気がつけば弥生も終わり
春先雪を見ていた
うまいお酒でも飲みましょう
なんて口説くのも飽きたでしょう
何か欲しい物訊かれても
これと言う物は何もない
口癖を耳に遊ばせながら
寝落ちするのがいいね
優しさにつけこみながら
意地悪したくなる
折々にうつろう季節
桜に雪が舞った
淋しさの言い訳なんて
口惜しいことばかり
気がつけば弥生も終わり
春先雪を見ていた
桜に雪舞い散り消えた
【LIVEスケジュール】
ロージー心斎橋NEO
【日時】5/28(土)19時オープン19時半スタート
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】葛野雅之 田中悟 まる ぱむぷきん
ロージーABENO
【日時】6/4(土)19時オープン19時半オープン
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージーABENO
【出演】田中悟 いちご ぽいずん メジェド hajime the end
ロージー心斎橋NEO
【日時】6/19(日)19時オープン19時半スタート
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】きりん 田中悟 Uma ハルキゲニア
チェンノガット
【日時】6/24(金)※詳細未定
【場所】チェンノガット
【出演】田中悟 他
最近ふとそんなことを思った。なんでそんなことを思ったのか、そのきかっけや思考のプロセスは覚えていない。
「選択肢しかないのでは?」という問い掛けは巷でよくある自由意志のあるなし論に通ずるところもあるような気がする。自由意志は明らかに存在していて人間は自身の行動を自身の意志で決定している(と思われている場合が多い)。何かを選ぶ時もそうだ。自由に選べない場合もあるが選べる限りは自分の意志で好きなものを選ぶ。だからそこに自由意志が存在すると思う訳である。
だがちょっと待て。幾つかの選択肢を前に自由に好きなものを選んでいいと言われても選択肢は用意されたものであり、その選択肢の中から選ぶという制限内で選択を迫られている。つまり「制限付きの選択肢」しかないのである。
しかし自由がまったく無い訳ではない。仮に人生が「制限付きの選択肢」しかないものだったとしてもそこで行使出来る自由がある。その自由とは「拒否」である。やがて別の選択肢が目の前に現われるのを待つかあるいは自力で別の選択肢を探せばそこにかろうじて自由意志を感じることが出来るのかも知れない。
自分で選択肢を探し出す方法として考えられるのが制限を上手く利用して自分が望む選択肢を自分で用意するということではないだろうか。例えば思いつくのがちょっと古い話になるが元プロ野球選手江川卓の空白の一日(ウィキペディアWikipedia参照)だったりする。プロ野球のドラフト制度の盲点をついて希望球団への入団を自ら選択したことになる。他にも元プロレスラー獣心サンダー・ライガー(ウィキペディアWikipedia参照)は身長制限のため新日本プロレスのテストを受けられなかったが単身でメキシコへの渡航を選択肢し、メキシコでプロレスラーを目指しながら現地にて日本のプロレス関係者に直談判するという逆輸入ルートを選択して新日本入りを果たしている。
私もそうだが大抵の場合人は与えられた制限の中から選択肢を選び、結果が駄目だった場合は諦めるしかないと考えている。なぜならそれが現実的な生き方であると思い込んでいるからだ。勿論潔く全ての結果を受け入れて残った道が自分の人生であると腹をくくることも間違いではない。そしてなぜかそんな生き方が賞賛される傾向にある。それは恐らくほとんどの人が「制限付きの選択肢」の中で妥協しながら生きているからであろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/50/b4abe8556588fdc68d64323ea5209877.jpg)
悪い頭であれこれ考えあぐねている今日のブログです。
僕はあらゆる制限の中で抗うことも出来ず「保留」「保留」「保留」で偽りの自由を演じながら、そのことに気付いているのに気付いていないふりをして時間を引き延ばして生きている。
そうまでして何を手にしたいのか?
どこに辿り着きたいのか?
「自由意志と神の無限性が論理的には両立しないことを認めながら、自由意志の経験と神の認識が両立の事実を明らかにしている」
とはデカルトの言葉らしいのですが、
どういう意味なんでしょう?
言い訳なんて口惜しいことばかり
これと言って欲しいものもない
気がつけば人生の春はとっくに過ぎている
「春先雪」です。
お聞きくださいませ。
春先雪
夜になったなら逢いましょう
なんて約束をする訳もなく
何か話でもしたいねと
言ってみたけれど何もない
夜化粧そっと色添えながら
冷たい体寄せあう
淋しさの言い訳なんて
口惜しいことばかり
気がつけば弥生も終わり
春先雪を見ていた
うまいお酒でも飲みましょう
なんて口説くのも飽きたでしょう
何か欲しい物訊かれても
これと言う物は何もない
口癖を耳に遊ばせながら
寝落ちするのがいいね
優しさにつけこみながら
意地悪したくなる
折々にうつろう季節
桜に雪が舞った
淋しさの言い訳なんて
口惜しいことばかり
気がつけば弥生も終わり
春先雪を見ていた
桜に雪舞い散り消えた
【LIVEスケジュール】
ロージー心斎橋NEO
【日時】5/28(土)19時オープン19時半スタート
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】葛野雅之 田中悟 まる ぱむぷきん
ロージーABENO
【日時】6/4(土)19時オープン19時半オープン
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージーABENO
【出演】田中悟 いちご ぽいずん メジェド hajime the end
ロージー心斎橋NEO
【日時】6/19(日)19時オープン19時半スタート
【料金】2000円(1ドリンク付)
【場所】ロージー心斎橋NEO
【出演】きりん 田中悟 Uma ハルキゲニア
チェンノガット
【日時】6/24(金)※詳細未定
【場所】チェンノガット
【出演】田中悟 他