「あのころの君の笑顔を見たいからひょっとこも踊るピエロにもなる」
「笑えない母を何とか今日こそはどじょうすくいを毎晩おどる」
「脳トレに交換日記始めた日夫の誤字見て涙がにじむ」
NHKハートプロジェクトという奴の介護百人一首というのを夫が頼んで
小さな冊子が届いた。
介護にまつわる句が並んでいる。
読んだその晩は何故か、涙が出て止まらなかった。
今は、読んでも涙は出ない。面白いもんだ、私の心。
上に記したのは涙が出た奴じゃないけど、
私をこの世に発生させてくれた母とのことを思い出した句。
重い脳梗塞で倒れ、そのまま寝たきりの7年を過ごし一昨年亡くなった母。
脳梗塞による失語症、半身まひ、感情失禁、視野狭窄…
他にも20位病名があったみたいだった母。
喋れず、動けず、口から食べれず・・・
そんな母に私もよく踊った。母の所に行く度に踊った。
私の得意なでたらめ踊り。
すると母は笑った。なに、馬鹿なことしてるの・・みたいな笑いの表情を見せて。
何か表現してほしかったんだろうな、わたし。
母の思いを感じたかったんだろうな。
なんでもいいから。
上に引用したもう一つの句は夫が元気だった頃は
字が上手で誤字なんか書かなかったのに、
こんな字に、こんな文を書くようになってしまって・・・
という説明みたいなのがあった奴。
私がまだ東京に住んでた母の最期から数年前のこと、
退屈そうな母に何かしてほしくて娘二人の洋服作りを頼んだことがあった。
そのために私の家にミシンを買い、布を買い、デザインブックを買った。
出来上がったワンピースを見て驚いた。
人から料金をもらって洋裁をしてた母が作ったものだとはとても思えなかった。
母がそんなに衰えていたのかと愕然とした。
せつなくなった。
それでも娘たちは喜んでいたけれど。
でも当時の母は服を作ることが喜びでもなかったようで、
私は深く反省したのだった。
余計な事ばかりしてたな・・・と今では思うよ。