晴れた冬の朝は凛として身が引き締まるような感じがする。2月も中旬を過ぎ、後期試験もひと段落つく頃に北野の梅林が花盛りとなる。ちらほらと雪の残る参道沿いの垣の葉の間を、メジロが見え隠れして遊んでいる。まだ寒いけれど春の気配のようなものに少しほっとする。北野天満宮の西側には御土居(おどい)という豊臣秀吉によって作られた土塁の跡が残っている。その堀として利用されていたという紙屋川(現在は天神川に統一されているそうですが、北野天満宮の西側に『紙屋川町』の地名が残るので、ここでは紙屋川とします)にかかる小さな橋があって、そこを渡ると川に沿って周囲よりも一段低い位置に細い歩道があり、今出川通の一筋北の道まで続いている。御土居跡の木立の緑が覆いかぶさるようになっていて、夏には見た目も涼しげな水辺の木陰になり、冬には木々がざわめく中に深閑とした雰囲気があって、雪が降れば木立の深い色合いに明るい雪の白が映えて、色彩を失ったように見える。暑い時期でも寒い時期でも静かな落ち着いた場所で、わずか数十メートルしかないけれども気に入りの場所だったので知らない人にはあまり教えず、のんびりと過ごしたい相手とだけぶらぶらと歩いた。早い話が手近なデートコースにしておったちゅうこっちゃ。
その寒いけれど雲のない晴天の日もふたりで梅見がてら北野のあたりをぶらぶらしていると、関脇君に声をかけられた。関脇君は福島県出身、会津磐梯山のふもとからやってきた後輩で、色が白い。それがまた透き通るような白さで、和風のハンサム顔である。どこかお昼を食べられるところを知らないかという。そんなモン、もう何か月も住んでんねやから、昼くらいどこナと好いたところで食たらええやん。何を今更…と言いかけたところで後ろにいる二人に気がついた。おばあさんと妹が福島から訪ねてきていて、大学周辺を案内しているという。高校生の妹は翌年受験を控えているので、北野天満宮におまいりしてきたところだそうだ。そういうことなら、早よ言わんかい。そら、普段行くような学生相手の店でないほうがいいわな。あわてて挨拶をした「はじめまして、松田といいます」「どうも、大変お世話になっております」深々と頭を下げられた。いえいえ、いうほどお世話はようしません、ごもったいない、お顔を上げてくださいな。横で妹がちょっと緊張気味に立っている。やっぱり透き通るように白い肌で、ぺこっと頭を下げてくれた。おばあさんに好みを尋ねると何でもいいという。そこで恋人が妹に尋ねると「お好み焼きが食べたい」と言う。ちょうど今出川通を渡ったところに落ち着いた感じのお好み焼き屋があって、そこを案内した。「どうぞごゆっくり」一泊して帰られるというおばあさんと妹に挨拶をして立ち去ろうとすると、おばあさんはぜひご一緒に、と言う。ご家族水入らずのところを邪魔するのも悪いと思ったが、関脇君も妹もニコニコ笑ってうなずいてくれている。ちょうどどこかでお昼を食べようかと話していたところだったので、ご一緒することにした。ボックス席の片側に関脇一家が並び、それと向かいあって二人で座るという妙なレイアウトになった。そこはテーブルが鉄板になっていて、客が自分で焼くようになっている。聞けばどこを案内するかまだ決めてないということなので、待っている間妹の好きそうな店、おばあさんの好みそうな場所について彼女と二人あぁでもない、こうでもないと話をした。妹はころころと笑い、おばあさんはにこにことその様子を見ていて、時折質問をしてこられる。ネタが来て焼き始めたのはいいがおばあさんも妹もあまり経験がないのだそうで、そうならばと向かいに座るふたりでお手伝いをした。その横で関脇本人ももたついていたが、そこまでは手が回らない、お前は適当にやっとれ。その店では焼くときのための大きなコテと、一人ずつに取皿と割り箸と小さなコテをつけてくれる。自分たちの分も焼き上げて、普段どおりに箸を使わずコテで食べ始めると、それまで箸で食べていた妹は何かにピンときたような表情をしてコテで食べ始めた。
「熱っ」
大丈夫か?火傷してぇへん?「はい、大丈夫です」といいながらなんだか嬉しそうに食べている様子がかわいらしい。
ビールを飲んだかどうか、定かでない。彼女は飲めないが嫌いではないそうで、付き合うのどうのこうのとなる前、はじめて食事に行ったのは夕方二人とも用がなく、たまたま顔を合わせて飯でも食いに行くかぁ、となったときのこと、行ったところが白梅町のお好み焼き屋で、飲み物はビールでいいと言うので一杯注いだけれど、飲んだとたんにリトマス試験紙のように真っ赤になって、そのうち紫色になってきた。飲まれへんねやったら、先に言うとけ!フラフラになってバスに乗り込む姿を見送るのも気が気ではなかった。それでもつきあっているうちにいくらか飲めるようになったようで、その頃には居酒屋でぽちぽちとつまみながら少しずつ呑んでいた。酒の「手があがる」とはこういうことなんだろう。そんな二人と関脇でお好み焼きとくればコレはたぶん飲んだだろうと思われる。大学の様子を話して福島の様子を聞かせてもらって、いろいろと話をしてサテお勘定となったとき、おばあさんはこちらの分まで払うと言ってくださった。イヤな予感はしていたが、やっぱりそうなるか。「デエトの途中でお付き合いさせてしまったから」とおっしゃるのだが、こちらも楽しく過ごさせてもらったのに、そういう訳にもいくまい。彼女と二人全力で断ったが聞き入れてもらえない、結局それ以上断るのも失礼かと思われたので、お言葉に甘えることにした。それから関脇君にいくつか食事どころを伝えてバス停まで送っていった。おばあさんはバスに乗るときに再度深々と頭を下げてくださり、なんだか面映い気がした。
関脇家ご一行を乗せたバスを見送って、二人とも自分のおばあちゃん孝行をしたような気持ちになって、まだ寒い午後をほっこりと過ごしたことを覚えている。その後関脇君が伝えてくれたところによるとおばあさんはとても喜んでくださったそうで、帰った後でも「あの先輩は」と気にかけてくださっていたらしい。関脇君とも随分無沙汰をしっぱなしだが、今でも寒い冬に雲のない晴天の日があると、あのかわいらしいおばあさんと妹のことを思い出す。
その寒いけれど雲のない晴天の日もふたりで梅見がてら北野のあたりをぶらぶらしていると、関脇君に声をかけられた。関脇君は福島県出身、会津磐梯山のふもとからやってきた後輩で、色が白い。それがまた透き通るような白さで、和風のハンサム顔である。どこかお昼を食べられるところを知らないかという。そんなモン、もう何か月も住んでんねやから、昼くらいどこナと好いたところで食たらええやん。何を今更…と言いかけたところで後ろにいる二人に気がついた。おばあさんと妹が福島から訪ねてきていて、大学周辺を案内しているという。高校生の妹は翌年受験を控えているので、北野天満宮におまいりしてきたところだそうだ。そういうことなら、早よ言わんかい。そら、普段行くような学生相手の店でないほうがいいわな。あわてて挨拶をした「はじめまして、松田といいます」「どうも、大変お世話になっております」深々と頭を下げられた。いえいえ、いうほどお世話はようしません、ごもったいない、お顔を上げてくださいな。横で妹がちょっと緊張気味に立っている。やっぱり透き通るように白い肌で、ぺこっと頭を下げてくれた。おばあさんに好みを尋ねると何でもいいという。そこで恋人が妹に尋ねると「お好み焼きが食べたい」と言う。ちょうど今出川通を渡ったところに落ち着いた感じのお好み焼き屋があって、そこを案内した。「どうぞごゆっくり」一泊して帰られるというおばあさんと妹に挨拶をして立ち去ろうとすると、おばあさんはぜひご一緒に、と言う。ご家族水入らずのところを邪魔するのも悪いと思ったが、関脇君も妹もニコニコ笑ってうなずいてくれている。ちょうどどこかでお昼を食べようかと話していたところだったので、ご一緒することにした。ボックス席の片側に関脇一家が並び、それと向かいあって二人で座るという妙なレイアウトになった。そこはテーブルが鉄板になっていて、客が自分で焼くようになっている。聞けばどこを案内するかまだ決めてないということなので、待っている間妹の好きそうな店、おばあさんの好みそうな場所について彼女と二人あぁでもない、こうでもないと話をした。妹はころころと笑い、おばあさんはにこにことその様子を見ていて、時折質問をしてこられる。ネタが来て焼き始めたのはいいがおばあさんも妹もあまり経験がないのだそうで、そうならばと向かいに座るふたりでお手伝いをした。その横で関脇本人ももたついていたが、そこまでは手が回らない、お前は適当にやっとれ。その店では焼くときのための大きなコテと、一人ずつに取皿と割り箸と小さなコテをつけてくれる。自分たちの分も焼き上げて、普段どおりに箸を使わずコテで食べ始めると、それまで箸で食べていた妹は何かにピンときたような表情をしてコテで食べ始めた。
「熱っ」
大丈夫か?火傷してぇへん?「はい、大丈夫です」といいながらなんだか嬉しそうに食べている様子がかわいらしい。
ビールを飲んだかどうか、定かでない。彼女は飲めないが嫌いではないそうで、付き合うのどうのこうのとなる前、はじめて食事に行ったのは夕方二人とも用がなく、たまたま顔を合わせて飯でも食いに行くかぁ、となったときのこと、行ったところが白梅町のお好み焼き屋で、飲み物はビールでいいと言うので一杯注いだけれど、飲んだとたんにリトマス試験紙のように真っ赤になって、そのうち紫色になってきた。飲まれへんねやったら、先に言うとけ!フラフラになってバスに乗り込む姿を見送るのも気が気ではなかった。それでもつきあっているうちにいくらか飲めるようになったようで、その頃には居酒屋でぽちぽちとつまみながら少しずつ呑んでいた。酒の「手があがる」とはこういうことなんだろう。そんな二人と関脇でお好み焼きとくればコレはたぶん飲んだだろうと思われる。大学の様子を話して福島の様子を聞かせてもらって、いろいろと話をしてサテお勘定となったとき、おばあさんはこちらの分まで払うと言ってくださった。イヤな予感はしていたが、やっぱりそうなるか。「デエトの途中でお付き合いさせてしまったから」とおっしゃるのだが、こちらも楽しく過ごさせてもらったのに、そういう訳にもいくまい。彼女と二人全力で断ったが聞き入れてもらえない、結局それ以上断るのも失礼かと思われたので、お言葉に甘えることにした。それから関脇君にいくつか食事どころを伝えてバス停まで送っていった。おばあさんはバスに乗るときに再度深々と頭を下げてくださり、なんだか面映い気がした。
関脇家ご一行を乗せたバスを見送って、二人とも自分のおばあちゃん孝行をしたような気持ちになって、まだ寒い午後をほっこりと過ごしたことを覚えている。その後関脇君が伝えてくれたところによるとおばあさんはとても喜んでくださったそうで、帰った後でも「あの先輩は」と気にかけてくださっていたらしい。関脇君とも随分無沙汰をしっぱなしだが、今でも寒い冬に雲のない晴天の日があると、あのかわいらしいおばあさんと妹のことを思い出す。