
どうも幸介です。本日は大人クラスより、おなじみ寺山さんの作品をご紹介いたします。まずはご本人のコメントからどうぞ!↓
『いつものように自分が撮った写真をベースに描きました。
その写真には一つ前に描いた絵のときのような
エピソードも特に無く、取り掛かる前には
サラッと描いて終わらせてしまおうと思っていたくらいです。
でも結果としては、いつもより時間が掛かり、
出来栄えも予定外の滅茶苦茶具合となりました。
おそらく自分が日々抑えている内なる気持ちが
絵になって現れたのかなぁ、と思ったりもしています。
確かに描いているときは楽しかったですし、
完成のときもちょっとスッキリした気分になりました。
次も色々なものが湧いてきて、
もっと面白い絵にできれば、と思っています。』
いつも描き進めるにつれ、どんどん絵の中に予定外の出来事が増えて行く寺山さん。今回の作品は「日々抑えている内なる気持ちが現れた」とのこと…。では客観的に分析してみましょう。まず具体的にこの作品に描かれている情景ですが、現代的で冷静に見える駅舎の建築や駅前広場のエンバイロメントデザインに対し、荒々しくかつファンシーな空と、何か浸食するかのように光線を放つ街灯。人工物と自然物との対比が、上画面・下画面で分かれています。そんな対比の中、上下をつなぐよう配置された街灯がカギですね。
では、これを「気持ち」に置き換えて考えてみるとどうなるのでしょうか。下画面・つまり地面や土台などの物事の基盤は、これまでに培ってきた寺山さんのアイデンティティと考え、不安定な上画面は、日々変わりゆく空想や妄想などの脳内での「感情」とします。
これを踏まえて絵を分析してみると、寺山さんはカッチリとした駅校舎のように品行方正な生活をこなしてきた一方で、感情面ではフワッフワでファンシーな気持ちも持ち合わせていて、その気持ちが一定にとどまる事無く雲のように常にカタチを変えているということになります。さらに街灯に象徴されているように、実はそのカタチのとどまらない感情や本能が自分の基盤である普段の生活に少しではあるけれども影響を出してきている。もしくは、少しずつカッチリとした生活に感情的だったり本能的な部分を増やす準備段階にある、ということでしょうか。
…というわけで、幸介式心理分析をしてみました。絵に関して、技術的な面での話をする機会はアトリエでは常にありますが、そういえば皆さんと「なんでこの絵がこうなったのか」的な、絵を描く過程やきっかけなどの感情面に関してはあまりお話したことがなかったかもなぁーなんて、今日のブログを書いていて思いました。
そういうところにもっと気づければ、鋭いアドバイスも出来るようになるんでしょうか。いずれにせよ、まだまだ勉強させていただく部分は多そうです。という訳で最終的に自分の話になってしまいましたが、寺山さんのおかげで僕も勉強させていただきました!!次回の作品にもますます期待したいと思います!!
田中幸介