人生を折り鶴に託し平和とふ人の願いよ世界に届け
(犠牲者にはそれぞれの人生があって、一瞬にして断ち切られた人生をどう説明していいのやら)
長崎平和公園の平和記念像
「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。
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長崎市への原子爆弾投下は、太平洋戦争末期の1945年8月9日(木曜日)午前11時02分に、日本の長崎県長崎市に対して米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。
この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。
原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。
長崎県、長崎市を指す「長崎」が「ナガサキ」と片仮名表記される場合は、長崎市への原子爆弾投下に関する言及である。
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ヒロシマ・ナガサキ原爆による犠牲者は約22万人。
アメリカ軍も戦争とはいえ罪なことをしたものです。
長崎は浦上天主堂が爆心地に近いせいもあったのか、キリスト教とも深いつながりがあります。
全国民は長崎の鐘という歌をみんな知っていましたね。
♪こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る
♪召されて妻は 天国へ
別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き 我が涙
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る