今日は、朝から体が痛く、おぢばから帰ってきている息子に、朝一番から揉んでもらった。
少し楽になって、先のブログを書いてから休んだ。
昼過ぎに起きてから、支部内への連絡を作ってからボーっとしていた。
ふと、先日『教史点描』を紹介した時の註釈に(飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」『復元』第3号所収)というのがあったことを思い出した。
実は、去年の半ばころだったか、私のホームページか、ブログを見られたのか分からないが、突然『復元』を貸して欲しいと言われる方が訪れた事があった。愛町の信者さんと言われたが、初めての方で良く分からず、また私が所有している物でもないので、「大教会へ相談されて、史料集成部にあるかどうか尋ねられたらどうでしょうか」と話をさせてもらった。
私が『復元』に目を通したはじめは、ホームページを作りかけてからである。
資料を調べれば調べるほど、『復元』所収という言葉を目にして、読みたくて、天理図書館にも通ったりした。最終的には史料集成部に尋ねにも行った。
当時の史料集成部では、バックナンバーで現在あるものであれば、大教会長さんの署名をもらってくれば分けれくれるとの事だった。
そうこうしているうちに、うちの大教会の資料室にある事が分かった。一番身近にほとんどの号が揃っていたのである。
それで、ホームページにリストを作成したのであった。
この資料室にある『復元』は、青年時代から、大教会の4代会長さんに使えて、ずっと資料に携わっておられた先生が、大切に保存しておいて置かれた本の、その中の一つである。
ありがたい事に、それで必要なところを一通り読ませてもらった。
なかなか、読みずらいものであるが、教祖のお話を求めるには大切な本だと思っている。
そして、スキャンしておけば、必要な時にPCで読めると思ってはいるのだが、なかなかできない。
以前、大教会の青年に「スキャンしてみるか?」と言ったこともあったが、あまり興味のないようで、そのままになっており、昨年から、時間が出来たら自分でスキャンしようと、そばに持ってきている。
そこで、思い立ったら吉日と、先ほど、飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」をスキャンした。(40Mbほどある。)
これからゆっくりと読んでみようと思う。
書いていたら思いついたので、『復元』1号にある、「序」と「編集後記」を掲載しておく。
「序」では、真柱様が復元の意味について書かれておられる。
この事は、よく講話などで引用される。
すべてが元に復る旬が来ました。
新日本、新発足、新建設、新時代、新入等と、あらゆる面に新の字が時代の寵児然と巾を利かす様になりましたが、その新は必ずしも木に竹を継いだ様に現れ来るものとは思はれません。必ず生れ出る旬があり、生れるに至る努力があつて始めて現れるものであります。根のない新生命は決して出現せないものであります。
革新の数年を経て、戦争の終結と共に復元の時代となりました。すべては一新されて、革新以前の事々を思ひ返す様になりました。一見恰も夏来ると共に不必要となつた冬仕度を、冬と共に、再び恋ひしたふて、探し求める様に、革新以前をあこがれる様にも見えますが、去年の春は決して今年の春ではない如く、復元は決して革新以前に復する事を意味するのではありません。
蓋し復元と復旧とは決して同じ事を意味せないのであります。以前の姿に復し、又懐旧の情に遊ぶのは決して復元ではありません。あくまでも、元を極め、根源をたづねる所に復元の意義があり復元の活力があると信ずるのであります。
いかほどにみゑたる事をゆうたとて
もとをしらねばハかるめハなし 四
と教祖様もお教下されてゐますが、元は尋ねてもたづねても、尋ね尽きないものであり、又探ぬれば探ねる程、新しい活力のわくものと信ずるのであります。復元こそ新天地、新文化の母であるとさへ云ひたいのであります。
昭和二十一年新春
中山正善識
次に、「編集後記」でこの『復元』の資料を扱う上に、重要と思えるところをマーカーしておきました。
赤は、主旨などですが、
紫色で囲んだ、「取り扱い」についてと、青のラインにした、配布した関係者、協力者についてが、とても重要かと思いました。
編輯後記(『復元』創刊号)
○今度、真柱様の特別のお力添によりまして、集成部から「復元」を刊行することになりました。その主眼とするところは、教義や史料に関する研究乃至調査の素材を少しづつでも纏めて行かうとするにあります。斯うして纏めて行けば、他日の集大成に役立つだらうといふのが、其の主なる目的であります。
○素材でありますから、中にはまだ/\検討を要すべき点、精査を要すべき点も多々あります。従つて、本誌に発表されたことを以て、一から十までを全部其のまゝ正鵠なものとされるのは、各筆者の甚だ迷惑とするところであります。と申したからとて、無責任なことを書かうといふのではなく、要はお互ひに激励し合ひ叱正し合つて、少しでも啓発されやうといふ真摯な気持からの執筆であることは勿論であります。
○故に本誌の配布についても、如上の主旨をよく理解して読んで頂ける人、また自ら進んで書いて頂ける人といふことに限定いたしました。最初からしかつめらしい規約を拵へるのも如何かと思ひますので、先づ斯うして見当でやつて行くうちには「復元」の同人といふか会員といふか、よい協力者がだん/\出来てくることを念願して止まない次第であります。
○創刊号は主として集成部員の手になる原稿で編輯しましたが、今後は多くの協力者を得て、益々内容の充実を期したい所存であります。どうか、全幅の御支援のほどを切にお願ひ申します。(やまさわ)
一、本誌は集成部の史料集成を第一の目的といたします。史料と申しましても、長持や倉の底に入つてゐるのもあれば、古老の頭の中にだけ残つてゐるのもあります。それは集めなければ散逸するし、筆にせねばそのまゝ消えて了ふ事もあります。之を集めて印刷刊行して置けぱ、まづ大体に於て永遠に残ります。どうか、そのお積りで御保存願ひます。
一、次に本誌は本教の指導者の方を同人として、読んで頂く方は必ず三月や半年に一度は書いて頂いてお互に勉強さして頂かう、教へられたり教へたりさして頂かう、と言ふのが第二の目的であります。この事は、一般の教信徒へのお話の材料集にも成りませう。この趣旨で皆様方の御寄稿を切望いたします。
では之にて「復元」の健かな発育を祈り乍ら。(うへだ)
再版に際して
復元の初の頃の巻、特に創刊号に対する再版の希望は、以前から度々ありましたが、この度、その手初めとして先ず創刊号を再版させて頂きます。漢字は、将来の若い人々にとつて読みやすいように、すべて新漢字といたしました。 昭44・9・26 編者誌
皆さんは、どう思われるでしょうか?
さて、
信仰の代も、初代から2代、3代となり、現在は6代7代の方もあると思う。
生まれ変わりを考えるならば、4代目の人には初代の生まれ変わりの人がいてもおかしくはない。
先日、「前生言葉で喜ばせてあれば・・・」と書いたが、前生で信仰をしていれば、そういう人は今世で少しの話を聞いても早く理解できることと思う。
もし、(飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」)を読みたい人があれば、連絡をくださいませ。
親神様・教祖 ありがとうございました。
・・・・・・・・・
以下に目次を表にしておきます。
・・・・・・・・・
全 巻 目 次
【立教169年現在で48号まで発刊】
号数
|
著者
|
題名
|
頁数
|
発行日
|
備 考
|
|
|
|
|||
創刊号
|
中山正善
|
序 |
|
昭和21年4月18日発行
|
|
上田嘉成
|
古老聞書 |
1
|
|||
諸井慶徳
|
別席教話の古記録 |
16
|
|||
山沢為次
|
教弟列伝素材(その1) |
32
|
|||
梶本楢治郎
|
教祖様の思ひ出 |
40
|
|||
上田嘉成
|
教理概説稿案 |
53
|
|||
By Prof.S. Yoshida
|
"The Trial Translation Of The OFUDESAKI" |
89
|
|||
2号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(1) |
1
|
昭和21年7月26日発行
|
|
上田嘉成
|
古老聞書(2) |
80
|
|||
吉田清一
|
おふでさき英文試訳 |
89
|
|||
3号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(2) |
1
|
昭和21年9月26日発行
|
|
上村福太郎
|
管長奥様御歌集其の1 |
84
|
|||
飯降尹之助
|
永尾芳枝祖母口述記 |
115
|
|||
4号
|
諸井慶徳
|
原初天理教に於ける表明文書 |
1
|
昭和22年1月26日発行
|
|
上村福太郎
|
管長奥様御在学当時の御作品(其の1) |
44
|
|||
吉田清一
|
おふでさき英文試訳(3) |
63
|
|||
5号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(3) |
1
|
昭和22年3月26日発行
|
|
高野友治
|
天輪王講社名簿調査報告(上) |
28
|
|||
吉田清一
|
おふでさき英文試訳(4) |
74
|
|||
6号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(4) |
1
|
昭和22年6月26日発行
|
|
上田嘉成
|
みかぐらうた注釈稿案 |
44
|
|||
上田嘉成
|
陽気勤年表 |
75
|
|||
橋本清
|
天理教会由来略記(明治24年稿) |
84
|
|||
吉田清一
|
おふでさき英文試訳(5) |
95
|
|||
7号
|
管長様 ※
|
辻忠作手記本教祖様御伝について |
1
|
昭和22年7月26日発行
|
|
上田嘉成
|
おふでさき年表 |
55
|
|||
吉田清一
|
おふでさき英文試訳(6) |
74
|
|||
8号
|
宇田川文海
|
天理教教祖御略伝(明治33年稿) |
1
|
昭和22年8月26日発行
|
|
山澤為次
|
教祖様御伝編纂史(前半) |
39
|
|||
上村福太郎
|
管長奥様御在学当時の御作品(其の2) |
88
|
|||
9号
|
中西牛郎
|
教祖御伝記(明治35年稿) |
1
|
昭和22年10月26日発行
|
|
諸井慶徳
|
教義学概論(1) |
41
|
|||
10号
|
山澤為次
|
教祖様御伝編纂史(後半) |
1
|
昭和22年11月26日発行
|
|
山澤為次
|
教祖様御伝に関する文献一覧表 |
58
|
|||
上村福太郎
|
管長奥様御在学当時の御作品(其の3) |
79
|
|||
11号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(5) |
1
|
昭和23年2月10日発行
|
|
高野友治
|
天輪王講社名簿調査報告(下) |
19
|
|||
桝井孝四郎
|
お屋敷建物変遷について 自元治元年 至明治21年 |
48
|
|||
山澤為次
|
みかぐらうた字句考 |
56
|
|||
12号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(6) |
1
|
昭和23年4月18日発行
|
|
諸井慶徳
|
教義学概論(2) |
45
|
|||
13号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(7) |
1
|
昭和23年7月26日発行
|
|
柏原源次郎
|
教祖様のお話 |
34
|
|||
上田嘉成
|
教祖様の世界観 |
37
|
|||
14号
|
山澤為次
|
教祖様御伝稿案(8) |
1
|
昭和23年10月26日発行
|
|
清水由松
|
教祖様にお目にかゝった頃 |
40
|
|||
山澤為次
|
和歌体”此世始まりの御話”控え対照表 |
50
|
|||
15号
|
吉川萬壽雄
|
神の古記対照考 |
1
|
昭和24年4月18日発行
|
|
小西定吉
|
教祖様に救けて頂いた話 |
20
|
|||
大竹芳松
|
入信の頃 |
33
|
|||
白藤義治郎
|
梅谷四郎兵衛先生教話 |
45
|
|||
16号
|
諸井政一
|
正文遺韻補遺 |
1
|
昭和24年10月26日発行
|
|
柏原源次郎
|
因縁と戦う |
31
|
|||
上村福太郎
|
古老話 |
39
|
|||
17号
|
松村吉太郎
|
教会設置当時の思い出 |
1
|
昭和25年7月26日発行
|
|
柏原源次郎
|
因縁と戦う(2) |
2
|
|||
ー
|
天理教教典・教典稿案対照表 |
19
|
|||
18号
|
梶本宗太郎
|
教祖様の思い出その他 |
1
|
昭和26年1月26日発行
|
|
柏原源次郎
|
因縁と戦う(3) |
27
|
|||
村上英雄
|
元初話星象論 |
39
|
|||
吉田清一
|
天理教教典英訳(1) |
72
|
|||
19号
|
中山正善
|
教祖の立場 |
1
|
昭和27年4月18日発行
|
|
深谷忠政
|
「おさしづ」に於ける「一」について |
67
|
|||
上村福太郎
|
教祖様の奈良監獄御苦労余聞 |
91
|
|||
20号
|
上田嘉成
|
教祖存命の理 |
1
|
昭和27年5月26日発行
|
|
21号
|
杉本重雄
|
教祖様のお言葉を頂いての霊救談 |
1
|
昭和28年7月16日発行
|
|
上島かつ
|
みな側の川 ※ |
5
|
※教祖ご在世当時のお屋敷の様子 | ||
深谷忠政
|
「おさしづ」に於ける「矛盾」について |
14
|
|||
ー
|
天理教東京教務支庁年譜表 |
43
|
|||
22号
|
中山正善
|
外冊「おふでさき」の研究1 ※ |
1
|
昭和29年2月26日発行
|
※章立ては次の通り、第1章概説1:外冊の意味。2:種類と所在 附号外のお歌。3:伝譲の由来。4:現在の保存状態 |
山沢為造
|
山沢為造略履歴 |
43
|
|||
梶本宗太郎
|
教祖様のお話 |
54
|
|||
上田嘉成
|
『おふでさき』に於けるにほん・から・てんぢくに就いて |
77
|
|||
23号
|
中山正善
|
外冊「おふでさき」の研究2 ※ 5:正冊との対照 |
1
|
昭和29年8月26日発行
|
※正冊に赤字で外冊の文字を入れた対照表。 |
24号
|
中山正善
|
外冊「おふでさき」の研究3 6:正冊との差違 |
1
|
昭和29年12月26日発行
|
|
25号
|
中山正善
|
外冊「おふでさき」の研究4 7:姿態の比較 |
1
|
昭和30年1月25日発行
|
|
26号
|
中山正善
|
外冊「おふでさき」の研究5 8:用字の特徴 9:各号の特徴 10:疑冊の研究 |
1
|
昭和30年1月26日発行
|
|
27号
|
上田嘉成
|
天理教祖の世界観1 |
1
|
昭和30年2月26日発行
|
|
28号
|
上田嘉成
|
天理教祖の世界観2 |
1
|
昭和30年3月26日発行
|
|
29号
|
教祖伝編纂委員
|
御教祖伝史実校訂本(上) |
1
|
昭和31年3月8日発行
|
|
30号
|
教祖伝編纂委員
|
御教祖伝史実校訂本(中1) |
1
|
昭和32年9月26日発行
|
|
31号※
|
ー
|
神之最初之由来 |
1
|
昭和32年10月26日発行
|
※天理教教祖伝叢書1 |
鴻田忠三郎他共編※
|
最初之由来 |
11
|
※清水与之助・諸井國三郎・増野正兵衛 | ||
辻忠作
|
ひながた |
19
|
|||
32号
|
教祖伝編纂委員
|
御教祖伝史実校訂本(中2) |
1
|
昭和32年11月26日発行
|
|
33号※
|
中山新治郎
|
稿本教祖様御伝 ※原本写真版 |
1
|
昭和33年1月26日発行
|
※天理教教祖伝叢書2 |
中山新治郎
|
教祖様御伝 ※原本写真版 |
105
|
|||
34号※
|
諸井政一
|
道すがら外編 |
1
|
昭和33年6月26日発行
|
※天理教教祖伝叢書3 |
35号※
|
宇田川文海
|
天理教教祖御略伝 |
1
|
昭和33年11月26日発行
|
※天理教教祖伝叢書4 |
36号※
|
中西牛郎
|
教祖御伝記 |
1
|
昭和34年7月26日発行
|
※天理教教祖伝叢書5 |
37号
|
教祖伝編纂委員
|
教祖伝史実校訂本(下1) |
1
|
昭和37年4月26日発行
|
|
38号
|
上田嘉成
|
稿本中山眞之亮伝 |
1
|
昭和38年12月31日発行
|
|
上田嘉成
|
中山眞之亮歌集 |
|
|||
中山正善
|
中山眞之亮手記書目誌 ※ |
|
※初代真柱様手記の目録 | ||
山澤為次
|
稿本中山眞之亮伝年譜表 |
|
|||
(39号)
|
中山真之亮
|
教祖御履歴不燦然探知記載簿 |
|
|
|
(40号)
|
中山正善
|
おふでさき用字考1 |
|
|
|
(41号)
|
中山正善
|
おふでさき用字考2 |
|
|
|
(42号)
|
教義及史料集成部
|
二代真柱中山正善年譜 |
|
昭和47年12月
|
|
43号
|
ー
|
二代真柱の思い出 第1集 |
1
|
昭和52年4月23日発行
|
|
44号
|
ー
|
二代真柱の思い出 第2集 |
1
|
昭和52年5月26日発行
|
|
45号
|
ー
|
二代真柱の思い出 第3集 |
1
|
昭和52年6月26日発行
|
|
(46号)
|
ー
|
二代真柱の思い出 第4集 |
|
|
|
(47号)
|
|
教祖伝史実校訂本(下1) |
|
立教152年
|
|
48号
|
教義及史料集成部
|
二代真柱中山正善年譜 ※ |
|
立教160年11月14日発行
|
※「復元42号」の増補改訂版 |