ネットを見ている人ならば、政治も医療も何が本当か分からない状態だと思う。
これまでの価値観で見るとそのようになる。
これまでの価値観とは、個人の善悪であったり、偉い人や功績のある人は正しい、また法律は正しいという価値観であると思う。
これは教祖のお話しに沿った、正しい価値観なのだろうか?と思うのである。
そして、性同一性障害、多動性障害、精神障害など、心と体のバランスが取れない人々が増えてきている。
そして、世間ではそれらを、薬や身体の改造で解決をしようとしている。
これらの事について、親神様の「かしもの・かりもの」から思案するとどうなるだろうか。
すべては心通りに体を借りている。それは、思い通りではない。
人との縁も、心通りに与えられている。望み通りではない。
望み通りというのは、自分の好き嫌いを土台としている。
好き嫌いの度が過ぎると、どうなるのか、「八つのほこり」で分かると思う。
「ほこり」ではなく、「いんねん」となるのである。
「いんねん」となれば、自分の心に苦しまねばならない。
「いんねん」となれば、気になって仕方がない、心からその事が離れなくなるのである。
気が付けば、それを自覚して、切り替える手段が取れるが、自覚していないから、厄介なだけである。
そしてどんどん深みにはまっていく。
その厄介をより厄介にしているものが、知恵・力・財力などではないかと思う。
これは、公然と説かれている話である。
後は悟りであろう。
身近に現れる前に、周囲に話しで知らせてくれるのである。
起こって来た事、見せられてきた事から、悟ってどのように実行するか。それによって、変わってくる。
親神様に守られる道、安心な道、それを通るためには、それを習得、悟るためには、
自らの「いんねん」を自覚して、「たんのう」を目指して、教祖が歩まれた道、先人が歩まれた道を手本に、
火の中も、渕中も、剣の中も超える心で歩む事が大切だと思う。
苦難があると思って歩めば、起こったとしてもさほど気にならずに、大難は小難と喜べるものである。
これは、親神様のお話しを、信じての事であるから、うそだと思う人には関係の無い話である。
ただし、お話しを聞いている人も、そうした世の中に生かされている事を心しておく必要がある。
「ほこりはよけて通れよ」である。
今日も『復元』をスキャンします。
親神様・教祖、大難は小難にとお守りくださいませ。