あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

昔のブログを見て見た。。。過去を振り返ってみると。。

2021年12月04日 11時40分49秒 | 思った事

いよいよ寒くなって来て、例年の如く、常時背中にカイロを張るようになった。

張るカイロが発明されていて本当にありがたいと思う。

世界情勢を見ればまだまだ治まらない。

世界大戦になる可能性も無きにしも非ず。。というか、もうすでに日本は戦争の最中にあるのだが、それに気がついていない人々が多く、民意が出来ていないだけだと思えるようになった。

もう2年になるだろうか、教祖の予言として、戦争についての事を書いたのは、、、

時旬があり、その時を迎えるに当たり事情が起きる。

「事情がなければ治まらん」のお言葉からすれば、人間の成人のための事情といえるだろう。

その事情の中、少しでも軽く通らせたいと、色々な情報を親神様は色々な人を通して流し教えてくれている。

スピリチュアルで霊などと交信される人々は、そこから情報が入るのかもしれないが、そうした能力の無いものに対しては、今言ったように、「人が神」との言葉からも推察できるように、周囲の人々の行動や言動から悟るようにと導かれている。

「合図立てあい」という言葉があるが、これは何もお道と世界という事だけではない。

道の中でも、世界の中でも、「同時に同じような事が起きる。」「申し合わせていないのに、そうなってくるのである。」それからも悟る事が出来るのである。

この事を知らないと、同じような事が起きた時、それすべて一人の人が策略してそのような事が起きて来たと勘違いする場合もある。これは、人間の考え中心だとこうした考えになる。とても注意が必要だと思う。

今、平然とこんな普通では考えられない事を、実名をあげて書くようになったのだが、昔はそうではなかった。

今日以下の投稿に出合った。

・・・・・・

匿名アカウント(ショコラさん)の弱さ!名前を出してる言論人と比べられないですね
https://www.youtube.com/watch?v=E-k2fQmkVFA
名前と顔がバレると黙ってしまう、匿名アカウント(ショコラさん)
石の当たらない場所で、好き勝手言ってる人たちと
名前と顔をさらして言論している人間と比べちゃ駄目ですよ
・・・・
というものである。
 
タイトルの通り、ちょっと昔を振り返ってみたい。
 
私がこのネットの世界に入ったのは、
2003年の春頃だったと思う。
今から18年も前になる。
当時は「今一度お道の勉強をせねば」と思っているころであった。
そうした中に、こうしたサイトがありますよと知り合いの人から、「天理教オーソドックス」というサイトを紹介された。
当時はまだ、動画は主流ではなく、掲示板に書き込むことが主であった。
 
そこへお道の上で疑問になる事を書き込みながら勉強しようとしていた。
今でもあるかと思うが、天理教の体制に批判的な方々が、2チャンネルなどでとても沢山情報をやり取りしていた。
教会事情の内訳など、どんどん出ていたのである。
私としては、当時そうした事情には興味は無く、神様の教えを求めたいと、教理に関する勉強の上に、そのサイトで書き込みをしていた。
 
疑問に思うと突き詰めて考えるたちなので、結構活発に書き込みをして、とても勉強になった。
というか、それまで専修科で習ったことを復讐しているようなものであり、やはり公刊されている資料を元に勉強する事、話し合いをする事が重要だと思ったのである。
 
というのは、今でもそうだと思うが、自分の持っている資料から、自分の解釈で話を進める人が多く、その資料の信憑性がまず問われなければならないのに、それを題材にするから訳が分からなくなる。
そこで、話し合いの元となる資料が出来れば良いのではないかと、資料のホームページを作った。

そこに図書室を作り、2003.10.15 に「あつたかい資料一覧」をつくり、

まずはその時に出回っていた、「教祖のお言葉」という資料を掲載した。

そこには、これは公刊されていないものであることをチャンと明記しておいた。

それは、公刊されていないけれども、出回っているという事を知ってもらうためであり、それを元に話しをされる場合もあるからである。

今、当時のホームページに記載した履歴を見ると、

2007.02.03 「稿本天理教教祖伝逸話編」目次及び年月日対照表・本文作成 001~050

が最後になっており、約3年半もやっていた事になる。

その内、そのサイトは重箱の隅をつつくような批判の投稿が続くようになり、結局そのサイトは閉鎖に追い込まれた。

後日そのサイトを見ており、2チャンネルもよく見て情報に精通している人から、他宗教からの攻撃だったよ。
との話を聞いた。
 
なるほど、そういう事もあるとそこで理解した。
その時は匿名で書いていた。
自分に自信もなく、このような事を書いていて良いのだろうか。という気持ちがあったのである。
 
ある時、専修科の先輩から連絡があった。
私にとってその人は雲の上の人で、当時の事がフラッシュバックして、恐怖感に襲われたのである。
数日全く眠れなかった。
 
同じくして、サイトでの攻撃が激しく、対応も難しくまともに考える事も出来なくなって来たのである。

これと、サイトの閉鎖と重なった。

多くの人が見るようになり、このサイトを通してお道の教えが広まれば良いと思っていたのだが、そうは行かない現状、文字による理解の難しさもはっきりと分かったのがこの時である。

そして

この時の自分を救ってくれたのが、恐怖を感じた先輩と同窓会で直接話をした事であった。

過去の自分と今の自分をしっかりと区別できた時でもあった。

このフラッシュバックの恐怖と精神的な疲労のためか、元々記憶力が良くないものが余計に悪くなった。

精神を病むという事はこういう事かと思い、そこで、ネットから離れることにした。

 

それから数カ月がたって、やはり何かを発信したい思いが出て来たのだと思う。

同級生の紹介でブログを始めることにした。

ブログ記事一覧-ブログあつたかい (goo.ne.jp)

その一番最初の投稿が下記のものである。

・・・・・・・

木々が栄え - ブログあつたかい (goo.ne.jp)

木々が栄え

2007年06月26日 20時09分29秒 | 思った事
木々が栄えて、ありがたい。

木々が水を呼ぶ。

そして、生き物が育つ。

森は、大海と同じかも・・・
 
・・・・・・
 
である。
何とか天理教を世界に伝えたい。教会を大きくしたいと思って、これまでやって来たのだが、自分の精神がおかしくなり、それを自覚した時、教団がどうこうではなく、親神様に生かされている事のありがたさを感じた時でもあった。
 
この時のコメントを以下に記しておく。
・・・・・・・・・
紹介します (たんぽぽ)
2007-06-29 01:30:27
あなたがこのよにうまれた その瞬間から
かけがえのない宝物 たった ひとつの命

みつめあって 微笑みかわし 育ちゆく姿
ともにに見守り 一緒に喜び 
今日まで支え合ってきた

とってもいい曲なんです
メロディも紹介したいけど・・
・・・
Unknown (鯉太郎)
2007-06-29 06:54:20
いよいよ復活ですか?

私が知らないだけでしたか?
・・・
まだまだです。 (きたろう)
2007-06-29 18:59:15
たんぽぽさん。
鯉太郎さん。

コメントありがとうございました。

後一日で、本部のひのきしんも終わりです。
どうなるだろうか?と思っていた身上も結構にしていただいて、つとめさせて頂きました。
運びも無事に終わり、うれしくてついつい書いてしまいました。

でも・・・
このコメントを書いていて、ダンダン肩が詰まってきている感じがしています。。
復活はまだまだのように感じます。

どうぞよろしくお願いします。

・・・
無理しないで (たんぽぽ)
2007-06-29 22:19:11
無理しないでね・・・

私は必要に迫られて、最近は毎日PCと格闘してます。
多分、他の人だったら1時間でできることも子どもが寝てから夜中まで・・でもできあがらず、御用から帰ってきた主人にヘルプ、あらら、もうできたの?(くやし~)

一太郎で広報誌(ニュース)を作ってるのですが、レイアウトむずかしいです・・
・・・
広報誌 (きたろう)
2007-07-01 20:08:38
たんぽぽさん。へ
広報誌ご苦労様です。

私、目の身上から決心して、WINノートを購入。
レイアウトのソフト「パーソナル編集長」も購入して、先月の会報は作成しました。

一太郎は使ったことが無いのですが、ワードで作るよりも絶対に楽で、簡単だと思います。
わざわざ印刷プレビューで確認することもなく出来ます。
一寸値段は高い?(1万3千円から1万7千円)かも知れませんが、プロが使うソフト(4万円から10万円ほど)なみの事が出来ますよ。(エクセルの表をそのまま貼り付けることも出来ます。)

マックならば、付属アップルワークスで結構簡単に出来るのですが・・・(エクセルの表を貼り付ける事は出来ませんが・・・)

ではまた。
・・・・
とあります。
全く顔も知らない方々の心配して下さった方々の温かいコメントに励まされて、ありがく思ったのです。
この時、大教会の会報を一人でテープほどきから編集まですべてを行い、それもまた、使い慣れたアップルからウィンドウズへ変えた時だったのだと思います。
まだまだ若かったから出来たのでしょうが、今では出来ませんね。
この時の眼の痛みは、どんどん進み、最後は、肩も痛み出し、ツボにはる張り薬で痛みを止めながらの作業でした。
ところが、この痛みも後縦靭帯骨化症の首の手術をした時に治まりました。神経が圧迫されての痛みだったのだとその時分かりました。
そして、この大教会報も、東日本大震災前に親神様から身上のお知らせを頂き、編集作業はしない事になりました。
 
その次の投稿は、1カ月後で

自然の中、そして人間の中

2007年07月04日 11時01分58秒 | 思った事
我々は自然の中に生かされている。

そして、それぞれのいんねんにあった人間同士の中に、これまた生かされている。

人間は一人では生きていけない。

いかに心を通わせて、共々に歩いてゆくか。
気の合う者だけならばよいが、そうはいかない。

気の合う者ばかりではないから、進歩できる。成人できる。

しかし、それには結構力が必要。また、思いこみも必要なのかも・・・・
 
・・・・・・
おひさしぶり (鯉太郎)
2007-07-14 16:30:04
月1ペースですね。時々のぞいています。

体調はいかがですか?無理せず、気長にやりましょうね
・・・
ご心配おかけします。 (きたろう)
2007-07-14 16:48:33
ご心配おかけします。
12日。無事に月次祭・遷座祭がおわりました。

13,14日と教区少年会からアチコチランド設営のひのきしんに出かけましたが、台風接近のため、作業が無く、詰所にてこどもおぢばがえりの準備をして、昼前に帰会しました。

体調は、ボチボチと言ったところです。

>無理せず、気長にやりましょうね

はい!なるよう。行くよう。
要らぬ心を湧かさぬように、注意したいと思います。
・・・・
とコメントしています。
この心配して下さっている鯉太郎さんが先輩です。
 
先日、鯉太郎さんのページを除きに行き、元気にしておられると思っていたら、何とこの鯉太郎さん、今月の「陽気」に記事が出ているとの事を耳にしました。。。(^^)
 
そして、このブログは
・・・・・

大難は小難にとお連れ頂ける事を願って。

2013年08月11日 06時47分52秒 | 思った事
昨日、癌の方のお見舞いに行かせて頂き、おさづけをさせて頂いてきた。
 
・・・・・
と6年余り続きました。日常に戴いて来た親神様の不思議を記してきたものでした。
 
そして、現在のブログを書き始めるのが
・・・・・

三度目?のなんとやら・・・。

2015年07月02日 12時10分43秒 | 思った事
あつたかいのブログとして書いていましたが、事情で新たにここで初めます。
不定期になるかと思いますが、よろしくお願いします。
・・・・・
です。
 
この間約3年ですね。そんなにも書かなかったのだと今思います。
 
タイトルにある「3度目の」とは、1度目がホームページを作った頃、2度目が自分の日常と親神様の御守護を綴った初めのブログの事で、それを踏まえて3回目という事なのです。
2度目のブログを止めたのは、前にも書いたと思いますが、教務部長となり、大教会の教会事情を扱うようになったからです。
それまでは、大教会の事をしていても、使いぱっしりで深く考えずに言われた事だけをしており、自分の教会での不思議なありがたい思いで通り、それをそのまま書いていたのですが、我が教会では考えられない事が次々と身に降りかかり、このままでは不足の投稿になってしまうと思われたので、書くのをやめたのでした。
 
今でも、そうした教会事情がない訳ではありませんし、そうなるであろうと思われる向きも感じています。
しかし、3回目のブログを開始するについては、どんな事情もすべて「蒔いる種はみな生える」という事で、理が絶対にあるという事が得心できたからです。
また、丁度、初期のブログのパスワードを忘れてしまい、更には連絡先のメルアドも変更していなかったため、何ともならず、「ブログ2」として一から始めることとなったのでした。
 
また事情を通して思われる事は、おたすけもそうですが、いくら助けてあげたいと助かるための話をしても、本人に聞く耳が無く、自分の我を通している間は無理だという事であります。
 
「信仰は転ばぬ先の杖」と言われますが、信仰は「お守り」の時に書いたように、教祖の話を守らねばならないのです。
その教祖のお話を聞こうともせずに、自分だけの考えで事を進めれば、どうなるかは一目瞭然です。
「八つのほこり」で「ほこりの心を使わぬものは無い」と教えられているのに、それを思わずに「払いもせず」に自分の我で通れば、世間の教祖のお話を知らない人と同じ事です。
 
徳のあるうちは通れるが、その徳が無くなればどうなるか分からないのです。
「いかな大道通りても 先の細道さらにわからん」です。
「次に撒くための種まで食ってしまってはどうもならん」という事です。
 
親神様の存在は、不思議を見せて頂いて知っていても、私たちに「心の動き・天の与えの動きを教えて、良い暮らしにしたい」という親神様の思いに沿えないと思えるのです。
 
この種については、先日それぞれの信仰で、お話しを聞いてなるほどと思ったことが種であると、書きました。
そしてそのお話を実行する事が、修理や肥になる事だという事です。
 
最近は、日々の生活や人に対する行いから、自らを正して、世界が陽気ぐらしになるために、「あの人のようになりたい」「あのような国になりたい」と思える手本になる事が大切だと思うようになりました。
 
しかし、それぞれには「いんねん」があります。
先のブログを始めた時のように、焦ってはならないと思います。
「急いて急かぬ道」「自然になりたつ道」だと思います。
 
そうそう。
先日大教会で聞いた話を書いておきます。
うちの大教会での話ではなく、20年ほど前の話ですが、
別席者を別席場へ連れて行った時に、隣にいた人から声を掛けられて、
「私はこの方の代理で別席を受けに来ました」と席札を見せられたそうです。
「『席札の本人は、初席と満席の時だけ来ればよい』と言われているので代理です。」との事で、
「それはないよね」「そんなことしていてはね」と話をしていました。
別席を受ける時にIDカードを提出する訳ではないので、身代わりなど簡単に出来るのですが、これを当然としてしまっているそうした教会もある、自分の都合で変えて、それが当然になっている事の証だとその時に思いました。
 
長々と書きましたが、最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます。
 
どんな身上もありますが、心ひとつで御守護頂けます。
 
人は鏡です。
 
今日はこれから支部の連絡報を作ります。
 
参考になれば幸いです。
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