これから、教祖の最後のご苦労後の様子について、「山田伊八郎文書」から書こうと思うが、その前に、山田伊八郎文書について、書いておきたい。
しかし、山田伊八郎とは誰なのか知らない人も多いと思うので、先ずその事から進める。
山田伊八郎先生は、心勇組(敷島大教会の前身)の初代講元であり、敷島大教会の2代会長である。
そして、『逸話編』84南半国で、教祖が「嫁入りさすのやない。南は、とんと道がついてないで、南半国道弘めに出す。」と言われた山中こいそさんをもらわれた方であり、
教祖より無言のお仕込みを頂き、教祖へのお伺いは一言一句漏らさずに記録すると心定めて、お言葉を頂けるようになった方でもある。
こうした事から私には、最後のご苦労の時に教祖が「一の筆」と言われた事と重なっている。そして、その伊八郎先生の書かれたものをまとめられたのが、「山田伊八郎文書」である。
先日、敷島の大教会長様に尋ねたところ、大教会には分けるだけは残っていないとの事であった。敷島系統の教会にはあるかと思う。
私には『正文遺韻』と共に、教祖のお言葉を知る上に大事な1次資料と思えている。
以下に、『天理教事典』より「山田伊八郎」と『山田伊八郎文書』より「発刊の辞」を張り付けておく。
『天理教事典』より「山田伊八郎」
『山田伊八郎文書』より「発刊の辞」
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