これまでに、「先人の遺した教話1・3」「正文遺韻(抄)」「「ひながたの陰に」を紹介してきた。
もう一冊、紹介したい本がある。それは、「先人の遺した教話(5)誠真実の道・増井りん」である。
この本に出合うきっかけは、教祖120年祭であった不思議な出来事が元にある。
この本に出合って、他の「先人の遺した教話」を読むようになった。
まずは、教祖120年祭の時の話をしたい。
教祖120年祭の団参で、一軒の家から、婿さんが原因不明の身上で、開頭手術をしければならないかも、という話を聞いた。
他にも2件ほどの身上の方のおたすけに悩んでいた時だった。
後日、どのような話をさせて頂いたら良いか、全く分からなくなり、おぢばへお願いに出かけた。
昼頃に到着して、北礼拝場でおつとめをして、教祖殿・祖霊殿と参拝をした。
これとしたことが思い浮かばない。そこで、今一度と同じようにおつとめをして、教祖殿・祖霊殿を廻った。
何も思い浮かばない。また、同じことをした。それしか、自分にできる事、自分で思える事はなかった。
3回目をしても、何も浮かばず、「これはだめかなぁ」と思いながら、教会へ帰ることにした。
駐車場に向かう道、段々と右足が痛みだした。
「なんだろう」と思いつつ、名阪道へ入った。すると、右足の痛みが激しくなってきた。
「この痛みのままで、名古屋までアクセルは踏み続けられない」と思った。
そして、ふと「お屋敷から家へ戻る途中に、身上になり、またお屋敷へ戻ろうと思ったら、御守護を頂いた」という話を思い出した。
「ひょっとしたら、おぢばへ戻れということか?」と思い、すぐのインターを降りた。
すると、痛みが少し楽になった。じゃぁと思い切って引き返した。
おぢばに戻ると、丁度夕づとめの呼び太鼓が聞こえた。
「夕づとめか。参拝させて頂こう」と、また北礼拝場に戻った。
するとそこには、第二専修科時代の先生がおられた。
事情を話すと、「教祖120年祭に際して、一日6回のおつとめの心定めを実行された方があった。6という数字は良い数字だ。それを信者さんに話してはどうか。」と話をして下さった。
その日は、朝づとめをして教会を出て、おぢばで3回おつとめをして、この夕づとめ、そしてこの後教会にも戻っておつとめをすれば、丁度6回することになると思い。
信者さん方には難しいかなぁと思いつつ、「そうさせて頂きます。」と答えた。
夕づとめが終わったら、足の痛みはすっきり無くなっていた。
そして、信者さん方にこの話をした。けれども素直に聞いて下さるわけもなく、自分だけでもと21日間心を決めて、一日6回のおつとめをした。
結果だけを簡単に話すと、この3件の信者さんは、その後も色々な事情を見せられながらも、今現在も結構に信仰を続けて下さっている。
こうした事があった後、「お屋敷から家へ戻る途中に、身上になり、またお屋敷へ戻ろうと思ったら、御守護を頂いた」という話はどこで聞いた話だったのだろうか。とずっと気になっていた。
大教会の世話人先生が、増井先生に代わられて、神殿講話を聞かせて頂く中に、「お屋敷から家へ戻る途中に、身上になり、またお屋敷へ戻ろうと思ったら、御守護を頂いた」という話が出て来た。
ひょっとしたらと伺うと、その話は増井りん先生の話で、「誠真実の道」に書いてあると教えて頂いた。
そして読んでみると、その通りであった。
そして、教祖の時代の様子が偲ばれ、そして親神様のお導きの様子、そして信仰をする上には、話をするだけではなく、自分自身がその話を身に行う事の大切さを感じさせて頂いた。
また、「かしもの・かりもの」や「八つのほこり」を詳しく理解する上にも大切な本だとも思った。
この本は、先の本と同様に、身近な若い人に渡している本でもある。
お道を求める人には、ぜひとも読んでいただきたい。と思う。
WEBストアでは、著者を「道友社」で検索して、探して見て下さい。
親神様・教祖、どうぞ結構にお導き下さませ。
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