あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

八つのほこり。。3.。「かわいい」

2021年01月24日 11時35分51秒 | 八つのほこり

 可愛いというほこりは、
 可愛いという愛情のないものは無い。しかし、その愛情に引かされたり、おぼれたりする愛着心と、今一つだれ彼の隔てをして、その者に限り別段に可愛いという偏愛心とがほこりでございます。
 例えば、我が子の愛情におぼれて、身の仕込みも十分せず、心のしつけも厳しくせず、気まま勝手に育てて、成人した後に後悔するような事もしばしばあることでございましょう。また、我が子のあやまちを人の子に塗り付けたり、人の子の手柄を我が子に横取りしたりするような、目のくらんだ親も無いとはいえません。また、我が子の愛情に引かされて、自分のつとめを怠ったり、身分不相応なものを求め与えて、罪を作ったり、はなはだしい事には、我が子可愛いために、人の物に手をかけたり、悪い了見をおこしたりする者もしばしばありましょう。
 また、この愛情は、子供の上ばかりではありません。女の愛におぼれて、大事なことも打ち捨てて、家をつぶし、身を反故にするものも、しばしばございましょう。
 大きく申せば国家のために忠義をつくす人でも、一夜の間にも、女の愛にほだされて、不忠不義の人となったためしも少なくはないでしょう。これらは、ただ我が身を反故にするのみではありません。家をつぶせば、家内の者を困難の淵に沈めるのであります。国家のためにあやまれば、国の人びとに災いを及ぼすのであります。どれだけ大きい罪とも知れません。
 また、この可愛いという凡人の心のために、前申しましたような行いは致さなくとも、可愛い可愛いの心から我が心を苦しめ、先あんじや、嘆き、口説きを重ねて、自ら我が心や身上を病む親も沢山ございます。こういう凡人の心が、お話しの理によって自らのいんねん、事情を聞き分けて、神様にもたれるという安心を定めて、発散しなければなりません。
 また偏愛というのは、例えば大勢の子供を預かっても、皆同じように心をかけずに、その中の一人二人を別段に愛すると言うような事や、または、我が子のある中へ人の子を預かって育てたり、まま子を育てる事があった時に、我が子のみを可愛がり、我が子にはよいものを与えて楽をさせ、預かり子やまま子には悪いものを与えて、辛い事をさせるというような、へだてて可愛がるのがほこりでございます。
 そういうふうに致しますと、皆心がひがみ、心がいがんで、絶えず争い事が生じて、互いにむつまじく通ることは出来ません。そこで多くの人間を悪く仕込むことになってしまいます。それはどれだけの罪とも知れないでしょう。第一に、こういう隔ての心は、天の理にかないませんので、偏った愛情は心にもたず、一列同様の愛情をもって、愛着心を生じないよう通らせてもらわなければなりません。

 
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