欲しいというほこりは、
分限に過ぎたるものを欲しいと思い、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見ては欲しいと思い、
すべて、我が身分を思わず、たんのうをせずして、欲しい欲しいという心がほこりでございます。
例えば、分限に過ぎたものというのは、おおよそ皆それぞれの、身分相応と言う事があります。百姓は百姓らしく、月給取りは月給相応の身なり、くらし方をせにゃならん。学生は学生らしくせにゃならん。同じ学生と言えども、それぞれの財産と境遇とによってそれ相応の程度にせにゃならん。しかし、何ほど財産があると言えども、学生はその学生たるの分限を守らなねば、ほこりであります。
例えば、良い服を欲しいと思い、又はよい器具を欲しいと思って求めたり、学生には不必要な物を求めるのは、たとえ与えがあるとしても、程度の過ぎたもので、ほこりでございます。なぜならば、ほかの同じ学生にほこりをつけさせます。すなわちそれは、我さえ良くば良い、という事になりましょう。これは大いなるほこりの根源であります。
また、与えもないのに欲しいと思い、人のものを見て欲しいと思う事は、例えば友達が時計を持っていると、自分も欲しいと思います。また、人がものを食べているのを見ると、自分も欲しいと思います。これはもっともな事で、だれでも同じ人情でございます。けれども、めいめいに与えがあるとか、無いとかいうことは、天のさい配であって、めいめいのいんねんからで、決して人をうらやむのではない。心を治め、たんのうをして、欲しいと思う心をさらりと捨ててしまわにゃならん。
何事についても同じ事で、欲しいと思う心がわいても、自分の身を振り返り、ふところを探り見て、求めるだけの理が無い時には、さらりとその心を捨ててしまえば、ほこりの理は残らないでしょう。しかし、この欲しいと思う心の理がこもって、捨ててしまう事ができなければ、悪い行いにもなって来るのであります。また、行いに現れなくても心の不平不足となり、不足の理が積もり重なれば、身の不足となります。ゆえにほこりであります。
もしも、身分不相応なものや、与えの無いものに、欲しいと思うところから、次々と求めますと、人には損をかける。内々には波風が立つ。様々なほこりが生じるましょう。また、それがだんだん長じて来ますと、人に損をかけるのも何とも思わず、借りたものはもらった物のように思い込み。内々のなげき、口説きも、全く心にかけないならば、人をペテンにかけ、生みの親をペテンにかけてまでも、我が欲しいの妄念(もうねん)を遂げるようになり、果ては、盗みもする、詐欺もするようになるのであります。
そうなればもはや、法律の罪人でございますが、そうなる元といえば、罪とも咎(とが)ともいえぬ、ただささいな欲しいという凡人の心であります。
よって身分を思わず、懐を考えず、むやみに欲しいという思い、念を起こすことが欲しいのほこりでございます。
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