俵万智著 岩波新書
冬ソナかるたを詠んでいる時に、偶然五七五で収まらず、五七五七七になってしまったところから始まった私の短歌。
どうせ素人なのだから下手で結構、とばかりに、ぜんぜん勉強をしないできた。
ただ湧き上がる言葉を、思いつくままにつなぎ合わせて詠めたころもすぐに過ぎ、美しいものを見ても、日々起こるさまざまな出来事のことも、何も思い浮かばない情けなさと寂しさを感じるこのごろ。
なんとかならないか。
料理だって、素材のおいしさそのものを味わうことも良いけれども、きり方ひとつとっても、調味料の入れるタイミングを変えるだけでも味わいが変わってくる。
"言葉"という素材と"短歌"という料理法を、もう少し勉強することで、自分の気持ちや出来事を的確に表現できるようになるのなら、やってみようか、そんな気持ちで手にとってみた。
まだ『Ⅰ短歌を読む』を読んでいる途中だが、・枕詞の謎 ・序詞はおもしろい などまさに楽しい古典の授業という感じの内容。
私は学生時代、古典はもとより現代国語も漢文も苦手だったので、「あぁ俵さんみたいな先生だったら、私ももっと違う人生だったかもしれないのに」とほんの少し(笑)思った。
冬ソナかるたを詠んでいる時に、偶然五七五で収まらず、五七五七七になってしまったところから始まった私の短歌。
どうせ素人なのだから下手で結構、とばかりに、ぜんぜん勉強をしないできた。
ただ湧き上がる言葉を、思いつくままにつなぎ合わせて詠めたころもすぐに過ぎ、美しいものを見ても、日々起こるさまざまな出来事のことも、何も思い浮かばない情けなさと寂しさを感じるこのごろ。
なんとかならないか。
料理だって、素材のおいしさそのものを味わうことも良いけれども、きり方ひとつとっても、調味料の入れるタイミングを変えるだけでも味わいが変わってくる。
"言葉"という素材と"短歌"という料理法を、もう少し勉強することで、自分の気持ちや出来事を的確に表現できるようになるのなら、やってみようか、そんな気持ちで手にとってみた。
まだ『Ⅰ短歌を読む』を読んでいる途中だが、・枕詞の謎 ・序詞はおもしろい などまさに楽しい古典の授業という感じの内容。
私は学生時代、古典はもとより現代国語も漢文も苦手だったので、「あぁ俵さんみたいな先生だったら、私ももっと違う人生だったかもしれないのに」とほんの少し(笑)思った。