今年の目標は”学”なのだが、そのひとつとして読書、とりわけ「人間革命」「新・人間革命」読了はぜひ成し遂げたいと思っている。
とは言うものの、「人間革命」は12巻、「新・人間革命」はすでに26巻刊行されているので、今年中に全部読むとなったら毎月3巻は読破しなければならない
結構、きつい。
というか、たぶん無理。
一応「人間革命」は以前に一度は読んでいるので、今年はまず「新・人間革命」を最低月一冊は読んでいこうと思っている。
昨年も一度はそんなことを考えていて、第1巻を読み始めてはいたのだが、結構早い段階で放置してしまっていた。
1月は、続きから読み始めて1巻は読了。
ただ、感想を書かないでしまった。
近頃は、読んでもすぐ内容を忘れるので書くにはもう一度ざっとでも読まねば…あはは…
ところで、第2巻…
第1巻は初の海外歴訪の旅のことが書かれてあるのだが、第2巻はそれを終えた昭和35年10月26日からのことが書かれている。
今の海外旅行と違い、初めての海外指導の旅は予想外の出来事の連続でそれはそれは過酷なものだったことが1巻に記されているのだが、会長山本伸一はその旅を終えても休む間もなく今度は日本国内各地の指導に赴くき、精力的に会合に参加し、また寸暇を惜しんで個人指導を繰り返す。
それは、爆発的に信者が増えていた当時、信心して年数の浅い初信者が抱いている疑問・迷いを払い幸福への起動へと導くために必要な作業だった。
…とはいえ、会長に就任してからは月に3,4日家に帰れればよいという状況が当たり前に続いていたとは…私も2巻を読むまでは良くわかっていなかった。
激務だったんだろうな…と漠然と思っていただけで、実感としてわかっていなかった。
わかっていなかったことはその他にもいろいろあり、たとえば「師弟」ということ。
仏法では「師弟」ということがことさらやかましく言われる。
師を持つことの大切さ、弟子としての道に生きるべきこと。
しかし、何故それが必要なのか、どういう意味があるのかいまいち腑に落ちていなかった。
でも、この2巻を読んでようやく判ってきたような気がしている。
山本伸一が師である第2代戸田城聖への感謝の思いを語るくだりがある。
「…私の青春時代は、貧しく、その上病弱で、いつ死ぬか分からぬ身体であり、十分に勉強することもできませんでした。しかし、戸田先生という偉大なる師とめぐり合い、訓練を受け、信心を全うし抜いてきたために、今は、これほどの幸福者はいない、という境涯になりました。
その先生のご恩に報いるためにも…」
他人から見れば、戸田の事業が挫折したためにそれを支えるために犠牲になり学業(大学)を断念せざるを得なかったように見えたかもしれない。
何故、山本伸一がそれほど戸田に尽くし、戸田の描いた構想をことごとく叶えようとするのかわからなかったかもしれない。
私もたぶんわかっていなかった。
なにせ、そこに戸田先生が居なくても、あたかも居るかのように威儀を正し礼をつくしていたのだから。(たとえば、会社の戸田先生の机に向かって深々と礼をする、とか)
何で、そこまで…しなきゃならない?いや、できる?と思っていた。
「新・人間革命」を読んでようやくいろいろ分かってきたような気がしている。
26巻読み終えるころには、信心30年にしてようやく学会員らしく振舞える自分になれそうに思う。
とは言うものの、「人間革命」は12巻、「新・人間革命」はすでに26巻刊行されているので、今年中に全部読むとなったら毎月3巻は読破しなければならない
結構、きつい。
というか、たぶん無理。
一応「人間革命」は以前に一度は読んでいるので、今年はまず「新・人間革命」を最低月一冊は読んでいこうと思っている。
昨年も一度はそんなことを考えていて、第1巻を読み始めてはいたのだが、結構早い段階で放置してしまっていた。
1月は、続きから読み始めて1巻は読了。
ただ、感想を書かないでしまった。
近頃は、読んでもすぐ内容を忘れるので書くにはもう一度ざっとでも読まねば…あはは…
ところで、第2巻…
第1巻は初の海外歴訪の旅のことが書かれてあるのだが、第2巻はそれを終えた昭和35年10月26日からのことが書かれている。
今の海外旅行と違い、初めての海外指導の旅は予想外の出来事の連続でそれはそれは過酷なものだったことが1巻に記されているのだが、会長山本伸一はその旅を終えても休む間もなく今度は日本国内各地の指導に赴くき、精力的に会合に参加し、また寸暇を惜しんで個人指導を繰り返す。
それは、爆発的に信者が増えていた当時、信心して年数の浅い初信者が抱いている疑問・迷いを払い幸福への起動へと導くために必要な作業だった。
…とはいえ、会長に就任してからは月に3,4日家に帰れればよいという状況が当たり前に続いていたとは…私も2巻を読むまでは良くわかっていなかった。
激務だったんだろうな…と漠然と思っていただけで、実感としてわかっていなかった。
わかっていなかったことはその他にもいろいろあり、たとえば「師弟」ということ。
仏法では「師弟」ということがことさらやかましく言われる。
師を持つことの大切さ、弟子としての道に生きるべきこと。
しかし、何故それが必要なのか、どういう意味があるのかいまいち腑に落ちていなかった。
でも、この2巻を読んでようやく判ってきたような気がしている。
山本伸一が師である第2代戸田城聖への感謝の思いを語るくだりがある。
「…私の青春時代は、貧しく、その上病弱で、いつ死ぬか分からぬ身体であり、十分に勉強することもできませんでした。しかし、戸田先生という偉大なる師とめぐり合い、訓練を受け、信心を全うし抜いてきたために、今は、これほどの幸福者はいない、という境涯になりました。
その先生のご恩に報いるためにも…」
他人から見れば、戸田の事業が挫折したためにそれを支えるために犠牲になり学業(大学)を断念せざるを得なかったように見えたかもしれない。
何故、山本伸一がそれほど戸田に尽くし、戸田の描いた構想をことごとく叶えようとするのかわからなかったかもしれない。
私もたぶんわかっていなかった。
なにせ、そこに戸田先生が居なくても、あたかも居るかのように威儀を正し礼をつくしていたのだから。(たとえば、会社の戸田先生の机に向かって深々と礼をする、とか)
何で、そこまで…しなきゃならない?いや、できる?と思っていた。
「新・人間革命」を読んでようやくいろいろ分かってきたような気がしている。
26巻読み終えるころには、信心30年にしてようやく学会員らしく振舞える自分になれそうに思う。