<チャールズ・チャップリン>
宇宙にある力が地球を動かす。
君の中にある力と同じだ。
それを使う勇気と意志を持つんだ。
✨ 本年は、
喜劇王チャールズ・チャップリンの
没後45年。
今月、彼の代表作を一挙に紹介する
映画祭が開幕した。
「ライムライト」(1952年公開)
“チャップリンの映画人生の集大成”
足が動かなくなって絶望するバレリーナを、
彼扮する芸人が励ます場面
「君は戦おうとしない。
たえず
病気と死を考えている。
死と同じく
生も避けられない。
生命だ、命だ。
宇宙にある力が
地球を動かし
木を育てる。
君の中にある力と同じだ。
その力を使う
勇気と意志を持つんだ」
多くの作品を通して、
人間の持つ偉大な可能性を訴えた
彼のメッセージは
混迷の現代社会を照らす灯となって、
世界中に勇気と希望を送り続ける。
✨ 1889年4月、
チャップリンはイギリス・ロンドン生まれ
両親は舞台で活躍
父の酒癖の悪さが原因で翌年に離婚。
兄と共に母の女手一つで育てられた。
5歳の時
過労で喉に異変が生じていた母
舞台上で声を出せなくなってしまう。
劇場の支配人は
付き添いで来ていたチャップリン少年を
ステージに立たせた。
当時の流行歌を歌うと、
そのかわいらしさに観客は大喜び。
予期せぬ形で実現した初舞台
鮮烈な思い出として少年の記憶に刻まれた。
✨ 母は職を失い、
家族の生活は困窮を極めた。
それでも、母はいつも明るく振る舞い、
時にはパントマイムなどをして、
子どもたちを楽しませた。
それが彼の原動力となった
「俳優になるという最終目標だけは、
一度として見失わなかった」
打ち続く経済苦
母の病
苦境を、たくましい楽観主義で、
一つ一つ乗り越えていく。
身なりは粗末でも、
心には夢への情熱の炎が赤々と燃えていた。
✨ 10代になると、
自らを売り込みながら、
さまざまな劇団を渡り歩く
その中で類いまれな才能が磨かれ、
やがてアメリカで舞台に立つチャンスが
この巡業が大成功
映画界の目に留まった
ハリウッドの会社にスカウトされ、
1914年2月、24歳で銀幕デビュー。
喜劇王の階段を駆け上がっていった。
<チャールズ・チャップリン>
お互いの不幸ではなく、
幸せのために生きよう。
幸福を生み出せるのは、
あなた方、普通の人々なのです!
✨ チャップリンが生きたのは、
2度の世界大戦が起きた激動の時代
軍靴の響きが高まる中、
「笑いと涙とが、
憎しみと恐れの解毒剤になることを
信じて疑いません」
✨ 「独裁者」(1940年公開)
最終盤、
ヒトラーを彷彿させる独裁者とうり二つのユダヤ人の“床屋”が、
ひょんなことから間違えられ、
代わりに群衆を前に演説することに―。
「わたしたちは、
お互いの不幸ではなく、
お互いの幸せのために
生きたいと思っています。
憎んだり、
軽べつしたりしたいのでありません。
だれがこの地球の上に住んでも良いのです」
「幸福を生み出す力をもっているのは、
あなた方、普通の人々なのです!
あなた方は、
人生を自由で、
美しくまた
すばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています」
✨ 製作中から激しい妨害を受けた
「独裁者」を完成させ、
ユーモアを武器に
平和と自由のために戦い抜いた
だが戦後の冷戦期に入ると、
アメリカに吹き荒れたマッカーシズム
(共産主義者追放運動)により
“赤”のレッテルが貼られ、
国外追放(52年)
自らを「世界市民」と
国籍をイギリスのままにしていたから
✨ 54年、
ベルリンでの世界平和会議で
国際平和賞を受賞。
彼の偉大な功績が色あせることはなかった。
その後、
英・オックスフォード大学の名誉博士号、
フランスの国家勲章、
パリ市の最高名誉市民の栄誉を受けた。
追放から20年後
アメリカから再び認められ、渡米。
ハリウッドへの多大な貢献がたたえられ、
アカデミー特別賞が贈られた。
88歳の生涯で手がけた映画は80本以上。
亡くなる2年前の75年に
英国王室からナイトの爵位が授けられた
<チャップリンを語る池田先生>
百千万億劫の功徳を、
ともどもに
大輪の花と光り輝かせていくための、
今世の信心の闘争だ。
だからこそ
何があっても、
かの喜劇王のごとく
「明朗王」として進むのだ。
✨ 池田先生も
若き日から喜劇王に魅せられた
「青年時代に見た傑作の数々が忘れられない」
折々にチャップリンの人生を通し、
同志に励ましの言葉を語り、つづってきた。
✨ 俳優キエラ・チャップリンさん(令孫)とも交流がある。
「私は、イギリスSGIの友人から、
会長が最愛の祖父の言葉を通して、
多くの人々を激励されていることを
何度も伺いました。
祖父の言葉を、
会長のような方に語り継いでいただき、
私にとって、
これほど、喜ばしいことはありません」
「祖父が知れば、
とても誇りに思うと確信します」
✨ 先生がチャップリンについてスピーチしたのは、
1990年の年末から91年の年頭
90年の暮れ、
学会破壊を企てた第2次宗門事件が勃発。
先生はチャップリンのものまねをして
会場を沸かせ、
宗門の独裁者を笑い飛ばした。
✨ 91年1月6日第37回本部幹部会
「チャップリンはつねに語っていた。
『生きることはすばらしい!』。
そして『笑うことはすばらしい!』と。
『笑うこと、
人生におけるもっとも厳しい事態をも笑い、
死すらも笑うことのなかには、
健康なものがある。
笑いは強壮剤であり、
気晴らし、
苦痛の放棄である。
それは、この世でもっとも健康的なものである』―。
何があろうと、
笑いとばす強さ、
朗らかさ、
心のゆとり。
そこに『生命の健康』がある
真剣と深刻とは違う。
勇敢と悲壮とは違う。
大勇の人は、明るい。
確信の人は、冷静である。
知性の人には笑顔の余裕がある。(中略)
まさしく闊達な『笑い』こそは、
不屈なる“心の勝者”の証である」
✨ 1月23日第15回全国婦人部幹部会
名作「街の灯」
チャップリン演じる放浪者が、
同じ人間として、
悩める大富豪を激励する場面を紹介
「悩める人間がそこにいる。
―チャップリンは、
声をかけずにいられない。
これこそ、『人間』である。
そして、まさにわが学会の世界であり、
仏法の世界である。(中略)
また、大聖人が繰り返し強調しておられるように、
御本尊の前には皆、平等である。
いかなる差別もないし、
あってはならない。
ありのままの『人間』同士の、
平等な、仏法の民主の世界なのである。
だからこそ、
チャップリンと同じく、
世界の人々が学会に共感した。
共感があったから、
正法がこれほどまでに広がった。
学会の前進が正しいがゆえに、
仏法を信奉する人々が世界中に急増したのである」
✨ 90年12月9日
「信仰だけは、
『強き信心』に生きぬけと申し上げたい。
結局、最後に幸せになった人が得である。
また、勝利した人が得である。
途中のよしあしや楽しさに幻惑され、
それと最終章の厳しき勝負とを
はきちがえてはならない。
このことを教えるのが真実の仏法である。
百千万億劫の功徳を、
ともどもに
大輪の花と光り輝かせていくための、
今世の信心の闘争なのである。
ともあれ、
いかに悲しく、
また苦しいことがあっても、
かの喜劇王チャップリンのごとく、
『明朗王』として生きぬいていかれんことを」
(第3回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会でのスピーチ)
✨ 「青年・凱歌の年」へ、
新たな広布の劇が始まった。
その主人公は私たち一人一人である。
【引用・参考】
G・サドゥール著『チャップリン』鈴木力衛・清水馨訳(岩波書店)、
パム・ブラウン著『伝記 世界を変えた人々12 チャップリン』橘高弓枝訳(偕成社)、
ラジ・サクラニー著『チャップリン』上田まさ子訳(佑学社)、
大野裕之著『チャップリン再入門』(日本放送出版協会)、
映画「ライムライト」チャールズ・チャップリン監督、映画「独裁者」同、ほか