2010.3.17
映画「ハルフウエイ」を撮った前後の日々のこと。
これで、しばらくは北川さん一色になるでしょう。
もう遅いので、詳しくはまた明日。
3.18追記
北川さんが映画を撮って、初監督作品で賞をとったというのを知ったのは、新聞記事だったと思う。
あぁ、北川さんは、またひとつ階段を上がったのだなぁとそのとき思った。
ヒットメーカーの脚本家から、今度は監督になったんだ。
身の程知らずにも、私は北川さんに嫉妬を覚えました。
どんな作品か、チラッと気にはなったけれど、もう北川さんの恋物語の世界からは卒業したのよ、と、ことさら無視するような気持ちだった。
北川さんと出会ったのは、「ビューティフルライフ」だった。
それまで、ドラマといえば大河ドラマ以外ほとんど見ない私は、いわゆるトレンディードラマとは無縁だった。見たことがなかった。
それでも、流行には鈍感な私の耳にも、BLの評判は何とはなしに入ってきて、そんなに話題のドラマなら見てみようかと、4話の途中から見始めたのだった。
日曜日の9時から、というのもちょうど良かった。
見てみると、どんどんその世界に引き込まれて、私は毎週ティッシュボックスを抱えてみることになる。
そして、すっかり北川作品の虜になった私は、過去の作品のビデオを次々と借りて見た。
それでも飽き足らず、ノベライズを買い、売ってないものは図書館で取り寄せ、読みふけった。
北川さんが、同い年であることにある意味共感を覚え、ある意味驚愕した。
文章がわかりやすく、若かった。
「マジ?」みたいな台詞が当たり前のように出てきて、驚いた。
そんな言葉、使わないし、書いたことがなかった。
そんな風に、ある時期、北川さんに没入した。憧れた。
ところが、「LOVE STORY」だったとおもう。
期待して見たのに、心に響いてこなかった。
それから、ふっつりと北川さんの作品を見なくなった。
ドラマも見なくなった。
その後、「冬のソナタ」で久しぶりにドラマの世界にはまり込み、韓国と出合うことになる。
それが、東方神起へと繋がり、ジェジュンが北川さんの映画に出たということから、また北川さんのところに帰ってきたのだ。
この日記を読んで知った。
北川さんが難病を抱え、何年もかけて映画を撮りたいという願いをかなえたことを。
北川さんが、若いころから比較的病弱で、決して頑健な体ではないことは知っていた。
それでも、それこそ入退院を繰り返し、ロケを車椅子を用意しなければ出来ないかもしれないほど病気を抱えて、それでも仕事への情熱を失わないでいることに驚愕した。
「どんな人生にも、生きて生きようがある」と北川さんは言う。
私は信仰を持っているから、どんな人にも生まれてきた使命があると信じている。
そのくせ、生きる意味が時には見えなくなったり、疲れてしまうことがある。
病気があっても、障害があっても、どんな人生にも生きようがあって、どんな人も幸せになれるんだという、北川さんの生への情熱が私を惹きつける。
北川さんは、書く事によって救われていると言う。
書くこと、物(ドラマや映画)を作ることが、北川さんにとって生きることなのかもしれない。
だから、北川さんの作るものは、素敵なのだ。きっと。