遠州灘の砂丘にもたれるように横たわる
僕のふるさとに吹く風は
オンショアかオフショアのどちらかで
朝夕の凪だけ、風が止まります。
夏などはシャツが背中に張り付くようですが
夕凪の時刻に風を連れてくるのが
いつも僕のドラゴンズの帽子を飛ばしそうになる
オレンジと緑の車体の電車でした。
あの頃、僕の家は東海道本線の踏み切りの近くで
遮断機が下りてくるとやってくる電車を見て
「いつか、この電車で北へ向かうんだ」と思っていました。
なぜ北なのか理由はよくわからないけど
南には遠浅の海、西に海水の混じる浜名湖。
北東の方向の何かに導かれている気がして遠くを見ると
うすぼんやりとした富士山が眠そうでした。
夢がかなうなら富士山の向こうと
思い込んでいました。
東京の大学を卒業後
群馬の放送局にアナウンサーとして勤めるわけですが
上野から北へ上る電車も、なぜか東海道線と全く同じ
オレンジと緑のデザインで不思議な気がしました。
やがて
新たな夢に導かれ、東京に帰り、
横浜に住むようになったのですが
今も仕事の生き返りは
あのオレンジと緑の東海道線で、さっきも
この電車で帰ってきました。
様々な人に出会いながら、随分いろんな経験を重ねてきて
少しは大人になったつもりですが(もうオッサンですが)
思えば僕のそばには
いつも少年時代と変わらずに、
この電車が走っていました。
でもね。
あすでお別れです。
この電車、「湘南電車」と呼ばれる113系というんだそうですが
17日付けでJR東日本管内から姿を消します。
今だってもう
東京-熱海間で4編成が走っているだけなのに
さっき僕のいるホームに滑り込んできたときには
なんだかさよならを言いに僕の前に現れたようでした。
こんなセンチメンタルなことを書いてますが
まさか車内で涙ぐんだりはしてません。
でも、
電車から降りるとき
そのオレンジと緑の境目に手を触れ
心でバイバイをしました。
僕にとって君の緑は
夏休みの森の色で
オレンジは
よく遊んだ、みかん畑。
そして君が
あの海と空の青を横ぎるとき
僕のスケッチブックの中の風景は
完成したんだ。
僕は北へ向かって
幸せになったよ。
僕のふるさとに吹く風は
オンショアかオフショアのどちらかで
朝夕の凪だけ、風が止まります。
夏などはシャツが背中に張り付くようですが
夕凪の時刻に風を連れてくるのが
いつも僕のドラゴンズの帽子を飛ばしそうになる
オレンジと緑の車体の電車でした。
あの頃、僕の家は東海道本線の踏み切りの近くで
遮断機が下りてくるとやってくる電車を見て
「いつか、この電車で北へ向かうんだ」と思っていました。
なぜ北なのか理由はよくわからないけど
南には遠浅の海、西に海水の混じる浜名湖。
北東の方向の何かに導かれている気がして遠くを見ると
うすぼんやりとした富士山が眠そうでした。
夢がかなうなら富士山の向こうと
思い込んでいました。
東京の大学を卒業後
群馬の放送局にアナウンサーとして勤めるわけですが
上野から北へ上る電車も、なぜか東海道線と全く同じ
オレンジと緑のデザインで不思議な気がしました。
やがて
新たな夢に導かれ、東京に帰り、
横浜に住むようになったのですが
今も仕事の生き返りは
あのオレンジと緑の東海道線で、さっきも
この電車で帰ってきました。
様々な人に出会いながら、随分いろんな経験を重ねてきて
少しは大人になったつもりですが(もうオッサンですが)
思えば僕のそばには
いつも少年時代と変わらずに、
この電車が走っていました。
でもね。
あすでお別れです。
この電車、「湘南電車」と呼ばれる113系というんだそうですが
17日付けでJR東日本管内から姿を消します。
今だってもう
東京-熱海間で4編成が走っているだけなのに
さっき僕のいるホームに滑り込んできたときには
なんだかさよならを言いに僕の前に現れたようでした。
こんなセンチメンタルなことを書いてますが
まさか車内で涙ぐんだりはしてません。
でも、
電車から降りるとき
そのオレンジと緑の境目に手を触れ
心でバイバイをしました。
僕にとって君の緑は
夏休みの森の色で
オレンジは
よく遊んだ、みかん畑。
そして君が
あの海と空の青を横ぎるとき
僕のスケッチブックの中の風景は
完成したんだ。
僕は北へ向かって
幸せになったよ。
総武線が銀色になった時、電車で乗り合わせた
お相撲さんが仲間に「俺、前の色の方が好きだったなあ。」
と言うのを聞いて、私もーと思いました。
私にとっては、早朝の京成電車の行商専用車が
好きでした。
最近でも、たまに見かけますが、行商専用車両が
一輌着いているだけなので、ちょっと寂しいです。
昔、一度だけ、おばちゃんの荷物を背負わせて
貰った事が有ります。
身長140cmほどの小柄なおばちゃんが背負っているのだからと
思ってなめて、背負ってみたら、立ち上がれませんでした。
小さなおばちゃんが、顔中しわだらけにして笑いながら、
「重いだろ?」と、言いました。
「すごいですね。」と言うと「ずっとやっているからね。
でも、やっぱり大変だよ。」と、答えてくれました。
それからますます、行商車両が好きになりました。
その電車での出会い。
その電車での別れ、旅立ち。
誰でもひとつぐらい
電車の思い出ってあるのでは?
車両の色が変わっても
変わらずにいてほしいものもあります。
確かに、今見れば古臭いかもしれません。
東京よりも、埼玉よりも、ずうぅぅぅっと
北に来てしまいました。
学生の頃は、「青春18きっぷ」で鈍行と
連絡線を乗り継いで帰省したものです。
むかしむかしのことですね。
学園祭用にクラスで撮影した自主制作映画の
ラストシーンは
あの駅のホームでした。
ずいぶん遠くへ
きたもんだ。
(武田鉄也さん風)
何で999号が最新鋭ながら機関車型なのかと言うと、長旅に出る乗客の心を癒す為だとか確かメ―\テルがいってたじゃないですか。 まさにこれなんすよね。我々昭和生まれがあのオレンジの列車に無意識に感じていた物は。
上越選では
車窓と駅弁の想い出が重なる。
もっとも新幹線ができてからは
疎遠だったけど。