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荒城の月

2013-03-23 | Weblog
小学6年の時にギターを弾き始めた。
小学校にオーケストラがあり、顧問だった担任に
コントラバスをやるよう勧められたのだが、
でっかくで家で練習できぬ。

ギターの下から4本の弦は
コントラバスと同じ並びなので
練習になると思ったのだ。

教則本を買ってきて一番最初に弾いたのは
なぜか「荒城の月」だった。
理由は最初に載っていたから。

故郷浜松には「浜松城」があって
通っていた高校から城址公園までの道は
この季節、まさに「花の宴」だったと記憶する。

ところが、この「荒城の月」
歌詞が難解であるとかで
とっくに教科書から消えているとか。

「言葉が古くて生徒にはわからなくなっているし
環境が変わってしまって歌われている状況が消えてしまっている」のがその理由。

確か、「ふるさと」も似たような理由で消えた気がするが・・・
群馬県警担当時代に山中の事件現場に度々いったり
震災関連で東北などを取材をしていたりすると
「こうした環境が消えた」といのは都会人の決めつけのような気がする。

そもそも「環境が変わった」のが理由だっちゅー話ですけどね。
「荒城の月」はそもそも「古の栄枯盛衰に想いを馳せる」歌なのですから
そういう日本人の心を安易に捨てるのはどうなのかっちゅー話ですよ!

・・・ちょっと待って、ウーロン茶飲むから。

今、飲んだ。うまい。

だからさ。
前にも書いたけど
春は秋よりもセンチメンタルなのです。
なぜなから環境が変わり、ある人は去り、ある人は来る。
人の世の移り変わりは、人の心の移り変わりなのだと
れんたろー・たき、も言いたいのではないでしょうか。

この歌を知っている人が少なくなっちゃうのは寂しいから
うたっちゃうよ。

春高楼の花の宴
巡る盃かげさして
千代の松が枝わけ出でし
昔の光いまいずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照りそいし
昔の光いまいずこ

いま荒城の夜半の月
替らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛
松に歌うはただ嵐

天上影は替らねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼荒城の夜半の月

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