石森則和のSEA SIDE RADIO

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アルバム

2013-03-13 | Weblog
遠州弁を思い出せなくなってしまった。
大切なものを無くしてしまった気がする。
~~~

『過去の記憶を未来に繋ぐ作業なんです。』と、その人は言った。

津波で倒壊した家屋から流された写真やアルバムを
自衛官や消防は拾い集めてきた。

『家族の思い出になるようなものがあれば確保せよ』自衛隊は
そういう指令を出していた。
岩手県宮古市だけで少なくとも二万点。

それらを丁寧に洗浄し
持ち主の元に返そうとしてきた人々がいる。

市役所も連携し
去年春に
常設の返却センターが設けられたが

それだけでなく
毎週仮設団地などを巡回させている。

持ち主の手がかりがあれば
写真を携えて訪ねて行くこともある。

すると最初は驚かれ
『どこにあったんですか』と写真を愛しそうに手にとるという。

311の追悼式典でも
会場の別の部屋で
1500点が展示された。

湯船ではしゃいでいる
父親と幼い子供

幸せそうな新郎新婦と
緊張した面持ちでマイクを握る父親

運動会のゴールシーン


会場で一生懸命アルバムを探していた来場者は
『あった!』と声をあげ
写真ではなく
子供の表彰状を見つけた。

市の担当者は言う。
『写っている人の想いはもちろんですが、決して写真に映ることのない、シャッターを押した人の想い。そしてセピアに色褪せても、ずっと大切に保管してきた人の想いがここにあるんです』

会場で市の担当者や
来場者にインタビューをしながら生レポートをした。
その中で流した
来場者の録音カットをイヤホンで聴きながら
インタビュー相手の担当者は言った。

『ああ。いいですね。
宮古の言葉だ。』


きのう
担当者からメールが届いた。
『ラジオを聴いた新聞記者から、取材の依頼がきたんです』

クサイとは思ったが
言わずにはいられない言葉があった。

例え家や大切な人が失われても
ここで
みんなが一緒に暮らした事実だけは誰にも奪えない。
写真がその証しになるのなら一枚でも持ち主のもとに返って欲しい。

~~
ついつい情緒過多になってしまうのは
あの直後に東北で滞在取材をしたこともあろうが

遠州灘を望む村で
海を身近に感じながら
育ったこともあるのだろうか。

それなのに
遠州弁のイントネーションを思い出せなくなってしまった。

『あ、宮古の言葉ですね』と担当者が微笑んでから
記憶の底を手探りしている。

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