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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

木村藤子さんの真心♪

2014-08-07 | 日記
有名な霊能者木村藤子さんのことを
つい最近になって知りました。

これまでお名前だけは聞いたことがあったのですが、
実際にどういう方なのか?

私はテレビを持ってないし、ネットでもあまり
見かけなかったように思います。

もちろん、私が知らないだけで、ほんとはたくさんの方が
コメントを書いておられると思いますが、、。

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それで、たまたま別のある動画をユーチューブで検索した時に
「木村藤子さんの半生」というのを見付けたので、
さっそく観てみてとっても感動しました。

思わず知らず涙が流れました。
美輪さんも言っておられますが、ほんとうに
彼女は「ほんもの」と感じました。
しかもとても「霊格」の高い方だと思いました。

能力が高くても品格の伴わない場合は、長年のうちには
いつか馬脚を現してしまいがちですが、この方は
この先もずっと大丈夫!と信じることが出来る氣がします。

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その折りに、美輪さんと一緒に出演されているあるTV番組の録画場面の
動画もあったので、それも拝見しました。
(皆さん、すでにご覧になられてご存知の方も多いと思いますが、、)

そしたら、その中で美輪さんが
全国の霊能力者をあちこち(道場破りのように)訪ねたことがあったけれど、
「99%?ほとんどが偽物・・」ということを言われていたのです。


すると木村藤子さんがすかさず「それでもその中には何かその人のお役に立っているものも
あるのでは、、?」というふうに優しくフォローされていました。

(映像の言葉が聴き取りにくくて、あまり私の表現が正確では無いかもしれませんが)
ともかくも、完璧に正しいものだけでなくても、それなりに「それも何かのお役目があって
その人たちもそれぞれ精一杯やっておられるのだから・・」
(決して騙そうと思ってやっているのでは無く、、)
というような意味の、そういう人たちをもそっと援護するようなお話でした。


もちろん美輪さんからすればそういう輩は「言語道断!」(ゆるされない)と
一刀両断に切り捨てられて当然なのかもしれませんが、
私はそういう木村藤子さんの、決してなあなあとか、妥協とかというのでは無く、
また美輪さんをそれとなくなだめておられるのでも無く、
彼女の真心のこもった一言に深く感じ入りました。


そしてもしかしたらそれが日頃からの彼女の「信念」でもあるのかもしれないと、
彼女の「謙虚さ」に深く教えられました。

「その方たちにもそれぞれのお役目があってやっておられることだから・・」
という、彼女のお言葉に、まるで自分までもが赦されているような氣がして
ほっと安堵したのです。


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そのような強くしなやかな信念が持てるようになるまでには、
そういう高い霊能力を持っている彼女でさえも
(否そういう能力があるからこその苦悩もあって)
自殺しようとしたこともあり、病気で手術をされたこともあるのです。


なぜそのような高い能力がありながら
そういうことが起きるのか?

(前もって予防したり、運命を変えられ無いのか?)

それを言うなら、例えばイエス様は十字架にかけられ
火あぶりにあって殺され、
お釈迦さまは村人の供した食べ物を召し上がって
その毒にあたり、道端で亡くなるような人生の
終焉だったのは、なぜなのでしょうか。


この話をすると長くなりますのでこれ以上は書きませんが、
「ありがとう」を言い続けると好いことがあると人々に
教えてくれたある能力者の方も、まだ若くして病気で亡くなられたし、
私のとても尊敬している『神からのギフト』の山村幸夫さんも
ずいぶん霊格の高い方だったと思いますが、
やはり早くに病気で亡くなられています。


だから、そういう能力とか、霊格とか、によって(表向きのことだけで、
こちらの浅い解釈で)そういう人たちが例えば病気になったり、何か問題を
抱えたりするのは何かおかしいと考えること自体が、そう思う人の方が
思慮深くは無いと言えるのかもしれません。
(他方、ある意味では全ては必要、必然、ベストなので、それもまた何か
深い関連があるとは思いますが、、)


ですから、そういうことも含めて全てが
(好いものも悪いと思えるものもみんな合わせて)
「神からのギフト」であると言えるのかもしれません。

そして、ほんとうに困った時に助けてくれる人こそ真の友だちであり、
そういう時にあざ笑ったり、上から目線でものを言うような人は
人間というものをよくわかっていないのかもしれません。

イエス様はだからこそ
「あの人たちは何もわかっていないのですから、、」と
自分自身を敵に売り渡したような人たちのことですら
「赦してあげてください」と神に祈ったのです。

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私事ですが、私も(他の人と同じく)決していつでも常に何でもうまくいっている
というわけでは無く、時にはテレパスアートで意図せず傷付く人がいた場合など、
もう止めてしまいたいと思ったこともあります。

それでもこれが自分に与えられた使命、天命であると思って、
精一杯これからもやり続け、精進し続けていきます。


人が生きる何十年の年月の間には
誰しもほんとにいろんなことがあるのではないでしょうか。

そういう時、「どうしてあなただけそんな目に遭うのでしょうね?」
(同じようにやってきて自分の方はうまくいっているのに??)と
いうような言い方は「同情という名の侮蔑」のように聞こえてしまいます。

そのような言葉遣いに、その人の本性と品格がふと見え隠れすると感じます。

双子の姉妹であってさえも、それぞれの人生があり、
そしてその片方の人生がうまくいっているから、その人が人間的に優れていて、
そうでない人は何か間違っているとか、失敗しているというのでは決して無いのです。

人は「みんなちがってみんないい」のです!!!

このような詩を書いた彼女でさえ、自殺したのです。
だから、その結果では無く、その動機や過程こそが大事だと私は思います。

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私もまだまだ未熟ですが、そして木村藤子さんの名を出すのも畏れ多いですが、
能力などとは全く関係無く、せめて彼女のような素晴らしい「人間性」を持ちたいと
(彼女の半生を画像で辿りながら)心から思いました。

私がいつも願っていることは
能力など一切関係無く、そういうものがあっても無くても
「この人と友だちになりたい」と人にそう思われるような人間に
なりたいということです。


そして友だちというのは「対等」で「自由」で無ければ、
決して長くは続かないものなのではないでしょうか。


「木村藤子さんのような方と知り合えたらなあ~」と深く憧れていますが、
(これまでも「魂の友」や仲間を探し続けている私ですが)
それにはまず自分自身がそういう「思いやりのある人格」
磨く必要があるとつくづく感じました。


長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。






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