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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

ゴーヤに蝶が。。

2019-07-09 | 日記
東京に住む知人からのメールによれば、ほとんど曇りか、雨が続いているとのこと。

皆さまのところはいかがでしょうか?

こちらは今朝は晴れていたので、また「EMガーデン」液を撒布しようとベランダに出たら、

なんと! ゴーヤの花が12個も!! 開いていました。


花は咲いても、市街ではミツバチも蝶もあまりいないので、果たしてうまく受粉して

実が成るかしら? 
とちょっと心配していました。

そしたら、うれしいことに小さな蝶やアゲハ蝶が飛んで来てくれたのです!!


それで喜んでいたら、ちっともゴーヤの花には止まってくれず、

なぜかヒラヒラと素通りしてどこかに去って行ってしまいました。

残念!

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花が小さいから目立たないのかな? 匂いがあまりしないのかな?

蜜があまり無いから? それとも色や香りが好きで無いのかな? etc..

といろいろ考えてみても理由はわかりません。


そして、ふと思ったのです。

花には何の責任も無いと!

ただ、花は花としてそこに咲いているだけでいいのだと。



花は自分がそのように咲けることがただうれしくて、それで満足してるのかも?

喜納昌吉さんの『 花 』の唄のように。。



花は花として笑いもするさ🎵


そしてまた、人も同じではないかと。

人として自分の花を咲かせるだけでそれでいいのだと。。

たとえ蝶が素通りしてもいいのだと。。

それは決して自分が悪いからではなく、何の関係も無いのだと。。

それは「自分の存在価値」とは何の関係も無いこと!!

何だかそんなふうに思えてうれしくなりました。


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子どもの頃からなぜか劣等感があって、親に愛されてないと思い込んで育った私。

昔も今もずっと引きずっている「さみしさ」について、

その感情がどこから来たのかと、しっかり向き合って考えていたら、

「 〜だから〜なのだ」 という自分の考え方が間違っているとふと思えたのです。

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親に愛されなかったから、夫に愛されなかったから、子どもに愛されなかったから、

友だちに愛されないから、、、etc...

だから自分は「さみしい」のだというのでは無かったのですね。

自分の中に元々の「満たされない思い」(さみしさ)があって、

それを外からのエネルギー(認知)によって満たそうとしていたと氣づいたのです!


たとえそういうものが(外から)一切与えられ無かったとしても、人はすでに自分の中に(内側に)

ちゃんと生きていける(花を咲かせられる)エネルギーを宇宙から元々誰もが与えられているのですね。


だから、自分のやりたいこと、好きなこと、したいことをして、

自由に自分の花を咲かせたら、人がそれを認めてくれなくても、大丈夫!なんですね。。


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そうか、そうなんだ! 私はいつも蝶を待っていて、

○○が無いから、蝶が来ないから、自分はダメなんだ、、

自分は価値が無いんだ、、

だから蝶が来てくれないんだ。。


(蝶が来てくれたら自分に価値があると感じられるのに。。)と。


誰かに認められ、人の役に立たないと存在する意味が無いんだ

(そんなふうに勝手に思い込んで)

必死になって、いつも認めてもらうことに心が焦っていたので、

ただそこに咲いているだけで、笑っていいんだとは思えなかったのでした。。



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本日も「光のチャレンジ」にふと留まってくださってありがとうございます。

こんなことに氣づかせてくれたゴーヤのゴンちゃん、ヤンちゃんにとっても感謝です。。🎵

去っていったてふてふさんにもありがとう!!!




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