東京に住む知人からのメールによれば、ほとんど曇りか、雨が続いているとのこと。
皆さまのところはいかがでしょうか?
こちらは今朝は晴れていたので、また「EMガーデン」液を撒布しようとベランダに出たら、
なんと! ゴーヤの花が12個も!! 開いていました。
花は咲いても、市街ではミツバチも蝶もあまりいないので、果たしてうまく受粉して
実が成るかしら? とちょっと心配していました。
そしたら、うれしいことに小さな蝶やアゲハ蝶が飛んで来てくれたのです!!
それで喜んでいたら、ちっともゴーヤの花には止まってくれず、
なぜかヒラヒラと素通りしてどこかに去って行ってしまいました。
残念!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
花が小さいから目立たないのかな? 匂いがあまりしないのかな?
蜜があまり無いから? それとも色や香りが好きで無いのかな? etc..
といろいろ考えてみても理由はわかりません。
そして、ふと思ったのです。
花には何の責任も無いと!
ただ、花は花としてそこに咲いているだけでいいのだと。
花は自分がそのように咲けることがただうれしくて、それで満足してるのかも?
喜納昌吉さんの『 花 』の唄のように。。
花は花として笑いもするさ🎵
そしてまた、人も同じではないかと。
人として自分の花を咲かせるだけでそれでいいのだと。。
たとえ蝶が素通りしてもいいのだと。。
それは決して自分が悪いからではなく、何の関係も無いのだと。。
それは「自分の存在価値」とは何の関係も無いこと!!
何だかそんなふうに思えてうれしくなりました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
子どもの頃からなぜか劣等感があって、親に愛されてないと思い込んで育った私。
昔も今もずっと引きずっている「さみしさ」について、
その感情がどこから来たのかと、しっかり向き合って考えていたら、
「 〜だから〜なのだ」 という自分の考え方が間違っているとふと思えたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親に愛されなかったから、夫に愛されなかったから、子どもに愛されなかったから、
友だちに愛されないから、、、etc...
だから自分は「さみしい」のだというのでは無かったのですね。
自分の中に元々の「満たされない思い」(さみしさ)があって、
それを外からのエネルギー(認知)によって満たそうとしていたと氣づいたのです!
たとえそういうものが(外から)一切与えられ無かったとしても、人はすでに自分の中に(内側に)
ちゃんと生きていける(花を咲かせられる)エネルギーを宇宙から元々誰もが与えられているのですね。
だから、自分のやりたいこと、好きなこと、したいことをして、
自由に自分の花を咲かせたら、人がそれを認めてくれなくても、大丈夫!なんですね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうか、そうなんだ! 私はいつも蝶を待っていて、
○○が無いから、蝶が来ないから、自分はダメなんだ、、
自分は価値が無いんだ、、
だから蝶が来てくれないんだ。。
(蝶が来てくれたら自分に価値があると感じられるのに。。)と。
誰かに認められ、人の役に立たないと存在する意味が無いんだと
(そんなふうに勝手に思い込んで)
必死になって、いつも認めてもらうことに心が焦っていたので、
ただそこに咲いているだけで、笑っていいんだとは思えなかったのでした。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」にふと留まってくださってありがとうございます。
こんなことに氣づかせてくれたゴーヤのゴンちゃん、ヤンちゃんにとっても感謝です。。🎵
去っていったてふてふさんにもありがとう!!!
皆さまのところはいかがでしょうか?
こちらは今朝は晴れていたので、また「EMガーデン」液を撒布しようとベランダに出たら、
なんと! ゴーヤの花が12個も!! 開いていました。
花は咲いても、市街ではミツバチも蝶もあまりいないので、果たしてうまく受粉して
実が成るかしら? とちょっと心配していました。
そしたら、うれしいことに小さな蝶やアゲハ蝶が飛んで来てくれたのです!!
それで喜んでいたら、ちっともゴーヤの花には止まってくれず、
なぜかヒラヒラと素通りしてどこかに去って行ってしまいました。
残念!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
花が小さいから目立たないのかな? 匂いがあまりしないのかな?
蜜があまり無いから? それとも色や香りが好きで無いのかな? etc..
といろいろ考えてみても理由はわかりません。
そして、ふと思ったのです。
花には何の責任も無いと!
ただ、花は花としてそこに咲いているだけでいいのだと。
花は自分がそのように咲けることがただうれしくて、それで満足してるのかも?
喜納昌吉さんの『 花 』の唄のように。。
花は花として笑いもするさ🎵
そしてまた、人も同じではないかと。
人として自分の花を咲かせるだけでそれでいいのだと。。
たとえ蝶が素通りしてもいいのだと。。
それは決して自分が悪いからではなく、何の関係も無いのだと。。
それは「自分の存在価値」とは何の関係も無いこと!!
何だかそんなふうに思えてうれしくなりました。
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子どもの頃からなぜか劣等感があって、親に愛されてないと思い込んで育った私。
昔も今もずっと引きずっている「さみしさ」について、
その感情がどこから来たのかと、しっかり向き合って考えていたら、
「 〜だから〜なのだ」 という自分の考え方が間違っているとふと思えたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親に愛されなかったから、夫に愛されなかったから、子どもに愛されなかったから、
友だちに愛されないから、、、etc...
だから自分は「さみしい」のだというのでは無かったのですね。
自分の中に元々の「満たされない思い」(さみしさ)があって、
それを外からのエネルギー(認知)によって満たそうとしていたと氣づいたのです!
たとえそういうものが(外から)一切与えられ無かったとしても、人はすでに自分の中に(内側に)
ちゃんと生きていける(花を咲かせられる)エネルギーを宇宙から元々誰もが与えられているのですね。
だから、自分のやりたいこと、好きなこと、したいことをして、
自由に自分の花を咲かせたら、人がそれを認めてくれなくても、大丈夫!なんですね。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうか、そうなんだ! 私はいつも蝶を待っていて、
○○が無いから、蝶が来ないから、自分はダメなんだ、、
自分は価値が無いんだ、、
だから蝶が来てくれないんだ。。
(蝶が来てくれたら自分に価値があると感じられるのに。。)と。
誰かに認められ、人の役に立たないと存在する意味が無いんだと
(そんなふうに勝手に思い込んで)
必死になって、いつも認めてもらうことに心が焦っていたので、
ただそこに咲いているだけで、笑っていいんだとは思えなかったのでした。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日も「光のチャレンジ」にふと留まってくださってありがとうございます。
こんなことに氣づかせてくれたゴーヤのゴンちゃん、ヤンちゃんにとっても感謝です。。🎵
去っていったてふてふさんにもありがとう!!!