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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

ワクワクがわからない人のための片付け方

2019-07-25 | 希望の光
ただ今午後1時半、室温28度ぐらいですが、それほど暑さは感じず、扇風機(新林の滝)一台で足りています。

梅雨も明け、外はカンカン照り。 皆さまいかがお過ごしでしょうか。


私は仕事の手も空いたので、今が断捨離」シーズン!? とばかりに、昨日から片付けを再開しました。

今秋11月に、韓国の女性アーティストたちを迎えて、「日韓アーティスト交流10

周年」を記念する催し
京都市国際交流会館で開かれることになり、

私たちの仲間も協賛予定で、そのための資金集めに来月の例会でバザーをすることになったのです。


それで、何かバザーに出せるものがあるかな?と探しかたがた、片付けを始めたのです。

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ところで、その少し前にYouTubeで、、ちょうどタイミングよく、「こんまり流片付け」のドキュメント映像を見つけました。


NHKスペシャル 密着ドキュメント『 片付け 』〜人生をやり直す人々〜
https://www.youtube.com/watch?v=sSXUe3wO49U



もうすでにこの番組をご覧になった方も多いかもしれませんし、ベストセラーになった片付けの本をたくさん出しておられる「こんまり」さん=近藤麻理惠さんのことをよくご存知の方もおられることでしょう。。


私も彼女のことは名前だけ知っていましたが、それよりも私は「断捨離」の(哲学的な)考え方の方が好きだったので、まずそちらの方の本を先に読んでいました。

ただ、その本を読んだだけでは考え方には共感しても、なかなか本格的な片付けを実行することが難しく、具体的なやり方があまりよくわかってきませんでした。


そんな時に、娘が遺してくれていた文庫本を読み、この「こんまり流の片付け方」を試してみようと思ったのです。

娘は亡くなる前に、自分がすでにこの世を卒業することを何となく察知して? 覚悟していたのかどうか?

今になって思うと、本当にキレイに部屋が片付けられていました。



また、靴下のたたみ方まで「こんまり流」!?で、私にも「教えてあげようか?」と、娘が生前言ってくれたりしたこともあったのですが、めんどくさがりやの私は断ってしまいました。

あ〜、せっかくだから習っておけばよかった。。と今にして思ったりしています(涙)。

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それで、娘のように直観力が強くて、キッチリしていて、コツコツと真面目に努力するタイプの人には、「こんまり流」は合ってると思うのですが、

私のような飽き性で、氣分屋で、うまくいかないとすぐにカンシャクを起こしてしまうような、しかも「アスペルガー」っぽいところのある人間には、もしかしてあまり向かないかも!?


その一番のネックになるのは、「ワクワクするかどうか」がはっきりとわからないということです。

抱きしめてみたり、何度も優しく触ってみたり、匂い(臭い)を嗅いだり、、といった体感覚」でワクワクをチェックすることが、実は私のような人間にはとても難しいのです。

(絵を描く時だけは、なぜかそういった能力が全開するのですが。。)

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それというのも、もしかしたら子どもの頃の環境や教育が影響しているかもしれません。

幼児の頃に受けたセクハラ、父親の暴力、小学校の先生からのセクハラ etc.. があり、

また、例えば、学校給食でもその当時はまだあまり物が豊富ではなく、「好き嫌い

を言ってはいけない」「食べ物を残してはいけない」
という風潮も強かったのです。


特に我が家では、「食べ物に文句を言うな!」と厳しく叱られたり、「少食で、あまり食べないこと自体が悪い」(ワガママな)ように思われていました。


だから、自分の「感覚」よりも、「怒られないようにする」ことで精一杯で、みんなで食卓を囲むこと自体が私にはとても苦痛でした。

そういった中では、直感や感覚を磨くのに最も基本となる、食べ物に対する自分自身の感性というものも抑圧されてしまったのだと思います。


また、私たちの時代ではまだまだ離婚は「間違ったこと」(失敗)であり、「女の方が辛抱すべき」という風潮があり、「台所仕事は女の当然の仕事」と思われていたのです。

そのため、これは私の若い頃の個人的体験ですが、離婚した直後は、「自分が何を食べたらいいのか?」「何を食べたいのか?」すら全くわからないぐらいに、

(それまでは料理のメニューも夫や子ども中心、家族中心、相手中心だったために)「自分自身の感覚」というものが疲弊しきっていました。

もちろん、その頃は離婚の影響による「鬱的傾向」がかなりあったこともありますが。。。


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そういうわけで、その後徐々に自分自身の感性や感覚を取り戻しては来たのですが、

「即決」することは今でもあまり得意ではありません。。



すぐに何かを判断して決めなければならない時は、大概オーリングテストで決めています。


また、友だちとランチに行っても(行く前にもチェックしますが)その場で「何を食べるか」もみんなオーリングテストに頼っているのです。

先日も仲間と「マクド」に入った時、(私はそういうところに入ることはほとんど無いのですが、この時は周囲にその店しか無かったので仕方無く)メニュー全てがオッケーでは無く、何度オーリングテストしても同じ結果でホントに困りました。

みんなすぐに決めているのに、私は長い間決められず、最後にとうとうポテト(小)を頼んで、やっと一件落着。(大汗)

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話がすっかり横道に逸れてしまいましたが、そんな私なので、バザーに出す品を選ぶのにも、かなり時間がかかりました。


柿渋のオリジナルのショルダーがあって、あまり使わないので、手放そうかと思ったのですが、

それは元が1万5千円ぐらいした手作り品で、大きさもちょうどよくて、まあまあ氣に入っていたので、迷いました。

そのバッグは柿渋商店の手作り品で、とても丁寧に頑丈に作られていたため、小柄な私には重たく感じられて、

使いたいのに結局あまり使わずに、リュックで出かけることが多かったのです。



それでそのバッグを抱きしめて何度も自分が「ワクワクするかどうか?」を確かめようとしたのですが、残念ながら私にはさっぱりその感覚がわからないのです。

頭では、手放そうと思うけれど、売るなら(バザーでは)2千円ぐらいになってしまいそうで、それではあまりにももったいないと感じて、思い切れないのです。

でもオーリングテストでは、3千円では売れないと出ていたので、惜しいな〜と思ってしまいました。


それでも置いていても「今まであまり使わなかった」のだから、「これからもきっと使わないだろう。。」と思うと、

これはやはりこういうのを大好きな人に使ってもらう方が、バッグも喜んでくれていいのだろうな。。と思いました。

それで、最後はやっぱりオーリングテストで決めて、思い切って手放すことを決心したのです。


けれどももしも売れ残ったら、値下げはしないで、また持って帰ろうと思っています。。(笑)

そんなふうに、一つ手放すにもかなりの時間がかかってしまいました。。


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最初から自分で決めないで、全部オーリングテストに任せて決めると、
もっと早く簡単で、楽ではないかと感じました。


長々と書きましたが、私と同じようなタイプの人や、幼児の頃や育って来る過程において、親子関係や、周囲の人との間で何か問題があった人は、「自分の感覚を信じることが出来にくい」ため、「決断に時間がかかる」ことに氣付き、

もし興味が湧けば、例えば「オーリングテスト」を習得されてはどうでしょうか?


そして日々オーリングテストを使い続けているうちに、だんだんと自分の直感と一致して来ることもあるかもしれません。

「自分が今何を感じているのか?」それがわかりにくいことほど苦しいことはありません。。

あとで後悔することが多いのも、その場ではつい人に合わせてしまったりするからではないでしょうか。。


「人を信じることが怖い」(裏切られる体験が多かった)場合、「自分を信じること」もなかなか出来にくいことでしょう。。

人に騙された幼い頃の辛い体験が、いまだに尾を引いて、自分自身の体感にも深く影響していたりする場合もあるからです。


でも、私の体験から言うなら、年を取れば自然に楽になるというか、
変化することもあるので、一生治らないということは決して無く、安心して大丈夫!


焦らずゆっくりと成長して(自分自身の本来の感覚を取り戻して)いきましょう!!!

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すみません、またまたブログが長くなってしまいました。

本日も「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってありがとうございました。






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