もうすでにご存知の方も多いかと思いますが、
アドラー心理学の第一人者の野田俊作先生が昨年(2020年)2月3日の未明に亡くなられたことを
私は友人からのメールでつい最近知りました。
追悼会が今月17日にあったようで、そのお知らせ記事を見つけた友人が知らせてくれたのです。
今日(21日)がたぶん四十九日のご命日のようで、それでこの17日に追悼会があったのではと思います。
知らせてくれた友人も私も(もう一人の友だちと共に)アドラー心理学を野田先生に学んだ時期があり、
とてもショックでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その当時知り合った仲間たちの中には、しっかりと資格を取られて、プロのカウンセラーとして
すでに活躍されている方もおられます。
私たち3人は誰も正式な資格は取っていませんが、その勉強のために通った日々のおかげで、
より親しくなれて、今も仲良しです。
熊野の友人はアドラー心理学を上手に使いこなして、身近な人間関係に活かし、
またご本人も凄く成長されたように思います。
もう一人の友人は、誰よりも熱心に学び、先生になれるぐらいに勉強されたけれど、
その道には進まず、その後他のこともいろいろ学んで、今は「タロットカード」に
興味を持っていて、私もつい最近その鑑定(モニター)を受けました。
(このタロットモニターの話についてはまたブログでも詳細をご紹介したいと思っています)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私はアドラー心理学にはとても心惹かれたものの、「課題の分離」という
一番最初の必須項目の実践が残念ながらアウトでした!
どうしてもこの「関所」が突破出来なかったのです。
もう25年ぐらい?前のことでは無いかと思いますが、
阪神淡路大震災の後、広島に避難した私は、そこで、野田先生の「オープンカウンセリング」を受けたことがあります。
自分が関西に留まらずに、「逃げた」ことが罪悪感になっていたのです。
そして、その広島からも「逃げたい」自分があり、関西に戻るかどうかについて迷い、
そのことで野田先生にご相談させてもらったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(この話はブログのどこかにすでに書いていると思いますが、同じ話ですがもう一度再現します)
私は野田先生の前に座るなり、いきなり涙が出て、カウンセリングの最後までずっと泣き放しでした。
そんな私を見て、「僕はこういうのが一番苦手(「嫌い」と言われたかも?)なんですよ」と
ハッキリおっしゃって、私たち二人を取り巻いているオープンカウンセリングの参加者は
それを聞いて、みんなドッと笑ったのです。
その頃の私にとってはとても真剣な(深刻な?)悩みだったので、
なぜみんながそんなに笑うのか? 理由がさっぱりわかりませんでした。
野田先生は「逃げたらいいんですよ」とシンプルにおっしゃって、
私はそのアドバイス?を聴いてほっとしたのですが、いかにも冷めた言い方で、
同情も共感も全く無いような突き放した感じのカウンセリングで、
もっと慰めて欲しかった私は、甘えることが出来ずに、私の辛さも何も解ってもらえていないようで、
そのカウンセリングには結局満足が出来なかったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところが、終わってしばらく経ってから、突然に、
「そうか!これは私の問題なのだ!!」ということがパッと解ったのでした。
そして、そのことを解らせてくれた野田先生に感謝の氣持ちが沸き起こり、
すぐに電話でそのことをお伝えしたのでした。
(電話は留守電になっていたため、直接には話せず、伝言を吹き込みました)
それが「課題の分離」ということに目覚めた最初の出来事でしたが、
その後もずっとこの課題がこなせず、アドラー心理学を使いこなすことは
私にはとても無理だと感じていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、真の意味で、もっと深くそのことが解ったのが、「娘の死」でした。
(このことについては、長くなりますので、また別途書きたいと思います)
その少し前の別の機会に、あるアドラー心理学のカウンセラー(女性)に、「引越し」のことで、
何回かカウンセリングを受けたことがあったのですが、この時もうまくいかず、
結局この人とは絶好状態になってしまったまま、今に至っています。
(この話についてもブログのどこかに書いていると思います)
そういうことがあったので、私はアドラー心理学に関しては「トラウマ」!?があり、
(トラウマではなく、本当は別の「目的」があったということかもしれませんが。。)
アドラー心理学に助けてもらうよりは、なぜかむしろ傷付けられることの方が多かったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところがです。
話は元に戻りますが、野田先生が亡くなられたことを知った時、
思わず泣きそうになったぐらいに、実は野田先生のことが好きだった自分に氣付いたのです。
そして、野田先生がかつて言われた言葉をいろいろ思い返す中で、
野田先生も息子さんを亡くされたことがあり、その時に息子さんのことで先生がとても
突き放すような冷たい言い方をみんなの前でされたことがあって、
(私が娘を亡くすずっと前の話ですが)
「なんで自分の大事な息子さんのことをそんなふうに言われるのだろう?」と
長い間疑問に思っていたことを改めて思い出したのです。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしたら、自宅で供養のお経(般若心経)を唱えている最中に
そのことの深い意味が、涙と共に突然に解ったのでした!!
ブログではうまく書けませんが(語弊があると思うので) 、ともかくこのことは
私にとってはとても大きな出来事でした。
そしてその後、私自身も娘の死を経験したこともあり、
その野田先生の言動の「真実」が解ったことで、とても癒されたのです。
それこそが究極の「課題の分離」なのだと。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そういうわけで、どんなことも年月を経て、その時は解らなかったことが
突然に解ることもあることを知りました。
亡父が生前に口癖のように「歳をとらんとわからんことがあるんじゃ。。」
とよく言っていましたが、まさにその通りだと思いました。
年を取っても解らないことももちろんたくさんあるとは思いますが、
ある日突然に「真理」がわかった時の喜びは何ものにもかえられません。
日本にアドラー心理学を初めて紹介してくださった野田先生。
たくさんの優秀なカウンセラーを育てあげられた野田先生。
そして私のような末端の一人にまで、深い影響を遺してくださった野田先生。
ほんとうにありがとうございました。
精一杯の感謝と共に心よりご冥福をお祈り致します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長文を最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
私もまだまだ未熟ですが、これからも「課題の分離」に真剣に取り組んで参ります。
アドラー心理学の第一人者の野田俊作先生が昨年(2020年)2月3日の未明に亡くなられたことを
私は友人からのメールでつい最近知りました。
追悼会が今月17日にあったようで、そのお知らせ記事を見つけた友人が知らせてくれたのです。
今日(21日)がたぶん四十九日のご命日のようで、それでこの17日に追悼会があったのではと思います。
知らせてくれた友人も私も(もう一人の友だちと共に)アドラー心理学を野田先生に学んだ時期があり、
とてもショックでした。
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その当時知り合った仲間たちの中には、しっかりと資格を取られて、プロのカウンセラーとして
すでに活躍されている方もおられます。
私たち3人は誰も正式な資格は取っていませんが、その勉強のために通った日々のおかげで、
より親しくなれて、今も仲良しです。
熊野の友人はアドラー心理学を上手に使いこなして、身近な人間関係に活かし、
またご本人も凄く成長されたように思います。
もう一人の友人は、誰よりも熱心に学び、先生になれるぐらいに勉強されたけれど、
その道には進まず、その後他のこともいろいろ学んで、今は「タロットカード」に
興味を持っていて、私もつい最近その鑑定(モニター)を受けました。
(このタロットモニターの話についてはまたブログでも詳細をご紹介したいと思っています)
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私はアドラー心理学にはとても心惹かれたものの、「課題の分離」という
一番最初の必須項目の実践が残念ながらアウトでした!
どうしてもこの「関所」が突破出来なかったのです。
もう25年ぐらい?前のことでは無いかと思いますが、
阪神淡路大震災の後、広島に避難した私は、そこで、野田先生の「オープンカウンセリング」を受けたことがあります。
自分が関西に留まらずに、「逃げた」ことが罪悪感になっていたのです。
そして、その広島からも「逃げたい」自分があり、関西に戻るかどうかについて迷い、
そのことで野田先生にご相談させてもらったのです。
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(この話はブログのどこかにすでに書いていると思いますが、同じ話ですがもう一度再現します)
私は野田先生の前に座るなり、いきなり涙が出て、カウンセリングの最後までずっと泣き放しでした。
そんな私を見て、「僕はこういうのが一番苦手(「嫌い」と言われたかも?)なんですよ」と
ハッキリおっしゃって、私たち二人を取り巻いているオープンカウンセリングの参加者は
それを聞いて、みんなドッと笑ったのです。
その頃の私にとってはとても真剣な(深刻な?)悩みだったので、
なぜみんながそんなに笑うのか? 理由がさっぱりわかりませんでした。
野田先生は「逃げたらいいんですよ」とシンプルにおっしゃって、
私はそのアドバイス?を聴いてほっとしたのですが、いかにも冷めた言い方で、
同情も共感も全く無いような突き放した感じのカウンセリングで、
もっと慰めて欲しかった私は、甘えることが出来ずに、私の辛さも何も解ってもらえていないようで、
そのカウンセリングには結局満足が出来なかったのです。
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ところが、終わってしばらく経ってから、突然に、
「そうか!これは私の問題なのだ!!」ということがパッと解ったのでした。
そして、そのことを解らせてくれた野田先生に感謝の氣持ちが沸き起こり、
すぐに電話でそのことをお伝えしたのでした。
(電話は留守電になっていたため、直接には話せず、伝言を吹き込みました)
それが「課題の分離」ということに目覚めた最初の出来事でしたが、
その後もずっとこの課題がこなせず、アドラー心理学を使いこなすことは
私にはとても無理だと感じていました。
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そして、真の意味で、もっと深くそのことが解ったのが、「娘の死」でした。
(このことについては、長くなりますので、また別途書きたいと思います)
その少し前の別の機会に、あるアドラー心理学のカウンセラー(女性)に、「引越し」のことで、
何回かカウンセリングを受けたことがあったのですが、この時もうまくいかず、
結局この人とは絶好状態になってしまったまま、今に至っています。
(この話についてもブログのどこかに書いていると思います)
そういうことがあったので、私はアドラー心理学に関しては「トラウマ」!?があり、
(トラウマではなく、本当は別の「目的」があったということかもしれませんが。。)
アドラー心理学に助けてもらうよりは、なぜかむしろ傷付けられることの方が多かったのです。
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ところがです。
話は元に戻りますが、野田先生が亡くなられたことを知った時、
思わず泣きそうになったぐらいに、実は野田先生のことが好きだった自分に氣付いたのです。
そして、野田先生がかつて言われた言葉をいろいろ思い返す中で、
野田先生も息子さんを亡くされたことがあり、その時に息子さんのことで先生がとても
突き放すような冷たい言い方をみんなの前でされたことがあって、
(私が娘を亡くすずっと前の話ですが)
「なんで自分の大事な息子さんのことをそんなふうに言われるのだろう?」と
長い間疑問に思っていたことを改めて思い出したのです。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そしたら、自宅で供養のお経(般若心経)を唱えている最中に
そのことの深い意味が、涙と共に突然に解ったのでした!!
ブログではうまく書けませんが(語弊があると思うので) 、ともかくこのことは
私にとってはとても大きな出来事でした。
そしてその後、私自身も娘の死を経験したこともあり、
その野田先生の言動の「真実」が解ったことで、とても癒されたのです。
それこそが究極の「課題の分離」なのだと。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そういうわけで、どんなことも年月を経て、その時は解らなかったことが
突然に解ることもあることを知りました。
亡父が生前に口癖のように「歳をとらんとわからんことがあるんじゃ。。」
とよく言っていましたが、まさにその通りだと思いました。
年を取っても解らないことももちろんたくさんあるとは思いますが、
ある日突然に「真理」がわかった時の喜びは何ものにもかえられません。
日本にアドラー心理学を初めて紹介してくださった野田先生。
たくさんの優秀なカウンセラーを育てあげられた野田先生。
そして私のような末端の一人にまで、深い影響を遺してくださった野田先生。
ほんとうにありがとうございました。
精一杯の感謝と共に心よりご冥福をお祈り致します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長文を最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
私もまだまだ未熟ですが、これからも「課題の分離」に真剣に取り組んで参ります。