「アスペ」って、「アスペルガー症候群」の省略なんですが、先日ニュースにその分類が変更になり、これからはなぜか「自閉症スペクトラム(連続体)」?の中にそのカテゴリーが組み入れられてしまうそうです。
私がわざわざ「アスペ」って言葉を使ったのは、最近ようやく「アスペルガー症候群」が広く認知されて来ているところだったのに、、その分類変更により、まるでそういう「障がい」はなかったかのように、せっかくの広がりに水を差さされたようで、とっても残念!という気持ちを伝えたかったからです。
そのような変更に抗議する程、私は「当事者」では無いのですが、もしかしたら診断を受けたなら自分も実はそうでは無いか、、と思うようなことがいっぱりあり、いつかはきちんとした検査を受けたく思っていたにも関わらず、今回のそのような「診断基準の変更」により、もしも「アスペルガー症候群」という名称も消えてしまうことになったなら、本当に惜しい気がします。
なぜなら、ようやく一般の人たちにも理解が少しずつ広まりつつあり、本もいっぱい出るようになって、公的な支援も増えて来たところだったので、今後これまで支援を受けて来た人たちの扱いなどはどうなるのか?
すぐに援助が打ち切られてしまうことは無いとしても、これからは「自分のことを説明するのに困る」こともあるのではと思います。
例えばの話ですが、「セクシャルハラスメント」という言葉が生まれ、「セクハラ」として普通に使われるようになり、それが「性暴力」とか「いたずら」や「チカン」といった言葉とはまた違ったニュアンスを感じさせ、「普通の会話の中でも気軽に使いやすくなった」ことで、どれだけ多くの女性が助かったかしれません。
職場や学校、また家庭や教会の中においてさえも、そのような「セクハラ」は蔓延していたにも関わらず、それを「端的に現す言葉」がそれまでは無かったがゆえに、いちいち説明しづらく、表に出ずに隠されてしまって、それが「被害者の側がそれを告発しにくい原因の一つ」にもなっていたのではないでしょうか。
今や、「セクハラ」だけでは無く、「パワハラ」(パワーハラスメント)や「モラハラ」(モラルハラスメント)という言葉も一般に広まりつつあるぐらいです。
そんなふうに、それを一言でピッタリと言い現す言葉や、適切な分類(カテゴリーやジャンル分け)があって、それが誰にも自然に意味がわかり、うまく使えることで、どんなにか楽になる場合もあると思います。
そういう意味において、この「アスペルガー症候群」というのは、とても便利な言葉に思えるのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
例えばの話ですが、もしも「鬱」という言葉が無かったら、その症状を誰かに伝えたり、自分の状態を知ってもらうにも多くの言葉を要することでしょう、、。
昨年だったか、私は生まれて初めて「アスペルガー症候群」というものがあることを知り、その関係の本を次々に読んでみたら、自分のこれまでの症状と重なることがいっぱいあり、子どもの頃からの生育暦の中で、本当に苦しかったり、不思議だったり、理解出来なかったことが、ようやく「あぁ、そうだったのか!」と納得がいったのです。
それで、他の人にも「私ってもしかしたらアスペかも?」と言えるようになって、どれだけ自分のことが説明しやすくなったかしれません。
姉妹や友達にこれまでいっぱい迷惑をかけてきたことなども、それを言い訳にするのでは決してなく、「本当にごめんなさい!私自身もわかっていなかったのだけど、実は、、」と言って、アスペが原因だったらしい?これまでの失礼などを心から認め、あやまることが出来たのです。
そして周囲の人たちも、それがどのような症状を示すものなのか、大体のところを飲み込むと、「そうだったの!?それは苦しかったやろね」と、とてもよく理解してくれて、優しく労ってくれたのです。
そのことは私にとってどんなにか嬉しく、「このことがわかるまで生きて来られてよかった!」と、ほんとうに大袈裟では無く、心底感謝でした。
なぜなら、私は小学高学年の頃に自殺しようとしたことがあったぐらいに、他の人にとってはどうってことの無いようなささいなことでも自分にとってはほんとうにつらくて、深く傷付くことが多かったからです。
それがそのような「アスペルガー症候群」が原因かもしれないということが、もっと幼児の頃にわかっていたら、、、どんなにか助かったかもしれません。
例えば「アダルトチルドレン」とか、「引きこもり」とか、「ニート」とか、「フリーター」とか、、さまざまな名称や呼称が付けられ、いろいろ分類される中で、そういう人間関係や社会との接し方、生き方に困難を持った人たち(グループ)に対する援助の仕方なども、随分し易くなった面もある気がします。
「専門用語」では無くても、そのような呼び易くわかり易い「呼称」とその実態が知られ、広く社会に受け容れられることで、変化が生まれるということはよくあると思います。
またそれによって(「今年の流行語」などのように)、ある種の「インパクト」や影響力も持つことが出来たりするのではないでしょうか。
そういう意味で、「アスペルガー症候群」という言葉や分類が変化してしまうのは、まるでその元が無くなるぐらいの(そういう症状が消えて無くなってしまうわけでは決して無いにも関わらず)かなりの衝撃!でした。
例えばそれは、それまで「分裂病」と言われていたのが、ある時から「統合失調症」と呼ばれるようになったり、また「痴呆症」が「認知症」という言葉で呼ばれるようになるというのと、似ているようでまた少し違う気がしますが、果たしてどうでしょうか。
専門的なことはよくわかりませんが、上記の場合は、それまで使っていた言葉よりもより抵抗が少なくなり、「使いやすい言葉」(それに対する認識が変化する言葉)に置き換えられたように思うからです。
けれどもアスペルガー症候群の場合は、普通の自閉症の範疇の中に組み込まれてしまうことで、何だか見えなくなってしまう(その特徴や独特の個性がかき消されてしまって、まるでそのような症状までもが無くなってしまったかのような?)印象をなぜか受けるのです。
すなわち、これまでとは逆に、「理解しにくく、認識しにくくなってしまう」!?ような危惧を覚えます。
(単に「発達障害の一種」!?とか、「自閉症の軽いやつ」?とか、「ちょっと変わった自閉症」?などと)
ところで、たまたま私はこのことに強い関心を抱いていたので、今回もこのニュースを知ってから後、あちこち関連のサイトなどをネット検索したのです。
そしたら、何と自分自身が書いたブログ記事(昨年の8月に『アスペルガーの館』という本を紹介)が掲載されていてびっくり!しました。
うかうかとブログに何でも書けないなぁ~と思いました(笑)が、それ以上に感じたことは、以前に書いたことへの責任です。
だって、もう「アスペルガー症候群」という名称は消えてしまうのですから、そのことについても、書き残して置く必要があると感じたのです。
それが、今日この話題を取り上げた目的です。
またまた長くなってしまいました。
最後に下記の本をご紹介します。
未だ読んでいない本ですが、相棒ももしかしたらアスペではないかな?という気がしたので、同じように何となくそういう気のする方へお薦めします(笑)。
もしもお役に立てば幸いです。
『アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得』
(ルディ・シモン著/スペクトラム出版社)
下記の絵は宇宙画『アルシス』です。
私がわざわざ「アスペ」って言葉を使ったのは、最近ようやく「アスペルガー症候群」が広く認知されて来ているところだったのに、、その分類変更により、まるでそういう「障がい」はなかったかのように、せっかくの広がりに水を差さされたようで、とっても残念!という気持ちを伝えたかったからです。
そのような変更に抗議する程、私は「当事者」では無いのですが、もしかしたら診断を受けたなら自分も実はそうでは無いか、、と思うようなことがいっぱりあり、いつかはきちんとした検査を受けたく思っていたにも関わらず、今回のそのような「診断基準の変更」により、もしも「アスペルガー症候群」という名称も消えてしまうことになったなら、本当に惜しい気がします。
なぜなら、ようやく一般の人たちにも理解が少しずつ広まりつつあり、本もいっぱい出るようになって、公的な支援も増えて来たところだったので、今後これまで支援を受けて来た人たちの扱いなどはどうなるのか?
すぐに援助が打ち切られてしまうことは無いとしても、これからは「自分のことを説明するのに困る」こともあるのではと思います。
例えばの話ですが、「セクシャルハラスメント」という言葉が生まれ、「セクハラ」として普通に使われるようになり、それが「性暴力」とか「いたずら」や「チカン」といった言葉とはまた違ったニュアンスを感じさせ、「普通の会話の中でも気軽に使いやすくなった」ことで、どれだけ多くの女性が助かったかしれません。
職場や学校、また家庭や教会の中においてさえも、そのような「セクハラ」は蔓延していたにも関わらず、それを「端的に現す言葉」がそれまでは無かったがゆえに、いちいち説明しづらく、表に出ずに隠されてしまって、それが「被害者の側がそれを告発しにくい原因の一つ」にもなっていたのではないでしょうか。
今や、「セクハラ」だけでは無く、「パワハラ」(パワーハラスメント)や「モラハラ」(モラルハラスメント)という言葉も一般に広まりつつあるぐらいです。
そんなふうに、それを一言でピッタリと言い現す言葉や、適切な分類(カテゴリーやジャンル分け)があって、それが誰にも自然に意味がわかり、うまく使えることで、どんなにか楽になる場合もあると思います。
そういう意味において、この「アスペルガー症候群」というのは、とても便利な言葉に思えるのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
例えばの話ですが、もしも「鬱」という言葉が無かったら、その症状を誰かに伝えたり、自分の状態を知ってもらうにも多くの言葉を要することでしょう、、。
昨年だったか、私は生まれて初めて「アスペルガー症候群」というものがあることを知り、その関係の本を次々に読んでみたら、自分のこれまでの症状と重なることがいっぱいあり、子どもの頃からの生育暦の中で、本当に苦しかったり、不思議だったり、理解出来なかったことが、ようやく「あぁ、そうだったのか!」と納得がいったのです。
それで、他の人にも「私ってもしかしたらアスペかも?」と言えるようになって、どれだけ自分のことが説明しやすくなったかしれません。
姉妹や友達にこれまでいっぱい迷惑をかけてきたことなども、それを言い訳にするのでは決してなく、「本当にごめんなさい!私自身もわかっていなかったのだけど、実は、、」と言って、アスペが原因だったらしい?これまでの失礼などを心から認め、あやまることが出来たのです。
そして周囲の人たちも、それがどのような症状を示すものなのか、大体のところを飲み込むと、「そうだったの!?それは苦しかったやろね」と、とてもよく理解してくれて、優しく労ってくれたのです。
そのことは私にとってどんなにか嬉しく、「このことがわかるまで生きて来られてよかった!」と、ほんとうに大袈裟では無く、心底感謝でした。
なぜなら、私は小学高学年の頃に自殺しようとしたことがあったぐらいに、他の人にとってはどうってことの無いようなささいなことでも自分にとってはほんとうにつらくて、深く傷付くことが多かったからです。
それがそのような「アスペルガー症候群」が原因かもしれないということが、もっと幼児の頃にわかっていたら、、、どんなにか助かったかもしれません。
例えば「アダルトチルドレン」とか、「引きこもり」とか、「ニート」とか、「フリーター」とか、、さまざまな名称や呼称が付けられ、いろいろ分類される中で、そういう人間関係や社会との接し方、生き方に困難を持った人たち(グループ)に対する援助の仕方なども、随分し易くなった面もある気がします。
「専門用語」では無くても、そのような呼び易くわかり易い「呼称」とその実態が知られ、広く社会に受け容れられることで、変化が生まれるということはよくあると思います。
またそれによって(「今年の流行語」などのように)、ある種の「インパクト」や影響力も持つことが出来たりするのではないでしょうか。
そういう意味で、「アスペルガー症候群」という言葉や分類が変化してしまうのは、まるでその元が無くなるぐらいの(そういう症状が消えて無くなってしまうわけでは決して無いにも関わらず)かなりの衝撃!でした。
例えばそれは、それまで「分裂病」と言われていたのが、ある時から「統合失調症」と呼ばれるようになったり、また「痴呆症」が「認知症」という言葉で呼ばれるようになるというのと、似ているようでまた少し違う気がしますが、果たしてどうでしょうか。
専門的なことはよくわかりませんが、上記の場合は、それまで使っていた言葉よりもより抵抗が少なくなり、「使いやすい言葉」(それに対する認識が変化する言葉)に置き換えられたように思うからです。
けれどもアスペルガー症候群の場合は、普通の自閉症の範疇の中に組み込まれてしまうことで、何だか見えなくなってしまう(その特徴や独特の個性がかき消されてしまって、まるでそのような症状までもが無くなってしまったかのような?)印象をなぜか受けるのです。
すなわち、これまでとは逆に、「理解しにくく、認識しにくくなってしまう」!?ような危惧を覚えます。
(単に「発達障害の一種」!?とか、「自閉症の軽いやつ」?とか、「ちょっと変わった自閉症」?などと)
ところで、たまたま私はこのことに強い関心を抱いていたので、今回もこのニュースを知ってから後、あちこち関連のサイトなどをネット検索したのです。
そしたら、何と自分自身が書いたブログ記事(昨年の8月に『アスペルガーの館』という本を紹介)が掲載されていてびっくり!しました。
うかうかとブログに何でも書けないなぁ~と思いました(笑)が、それ以上に感じたことは、以前に書いたことへの責任です。
だって、もう「アスペルガー症候群」という名称は消えてしまうのですから、そのことについても、書き残して置く必要があると感じたのです。
それが、今日この話題を取り上げた目的です。
またまた長くなってしまいました。
最後に下記の本をご紹介します。
未だ読んでいない本ですが、相棒ももしかしたらアスペではないかな?という気がしたので、同じように何となくそういう気のする方へお薦めします(笑)。
もしもお役に立てば幸いです。
『アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得』
(ルディ・シモン著/スペクトラム出版社)
下記の絵は宇宙画『アルシス』です。