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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

アスペの話

2013-05-04 | 本の紹介
「アスペ」って、「アスペルガー症候群」の省略なんですが、先日ニュースにその分類が変更になり、これからはなぜか「自閉症スペクトラム(連続体)」?の中にそのカテゴリーが組み入れられてしまうそうです。


私がわざわざ「アスペ」って言葉を使ったのは、最近ようやく「アスペルガー症候群」が広く認知されて来ているところだったのに、、その分類変更により、まるでそういう「障がい」はなかったかのように、せっかくの広がりに水を差さされたようで、とっても残念!という気持ちを伝えたかったからです。

そのような変更に抗議する程、私は「当事者」では無いのですが、もしかしたら診断を受けたなら自分も実はそうでは無いか、、と思うようなことがいっぱりあり、いつかはきちんとした検査を受けたく思っていたにも関わらず、今回のそのような「診断基準の変更」により、もしも「アスペルガー症候群」という名称も消えてしまうことになったなら、本当に惜しい気がします。

なぜなら、ようやく一般の人たちにも理解が少しずつ広まりつつあり、本もいっぱい出るようになって、公的な支援も増えて来たところだったので、今後これまで支援を受けて来た人たちの扱いなどはどうなるのか?
すぐに援助が打ち切られてしまうことは無いとしても、これからは「自分のことを説明するのに困る」こともあるのではと思います。

例えばの話ですが、「セクシャルハラスメント」という言葉が生まれ、「セクハラ」として普通に使われるようになり、それが「性暴力」とか「いたずら」や「チカン」といった言葉とはまた違ったニュアンスを感じさせ、「普通の会話の中でも気軽に使いやすくなった」ことで、どれだけ多くの女性が助かったかしれません。

職場や学校、また家庭や教会の中においてさえも、そのような「セクハラ」は蔓延していたにも関わらず、それを「端的に現す言葉」がそれまでは無かったがゆえに、いちいち説明しづらく、表に出ずに隠されてしまって、それが「被害者の側がそれを告発しにくい原因の一つ」にもなっていたのではないでしょうか。

今や、「セクハラ」だけでは無く、「パワハラ」(パワーハラスメント)や「モラハラ」(モラルハラスメント)という言葉も一般に広まりつつあるぐらいです。
そんなふうに、それを一言でピッタリと言い現す言葉や、適切な分類(カテゴリーやジャンル分け)があって、それが誰にも自然に意味がわかり、うまく使えることで、どんなにか楽になる場合もあると思います。

そういう意味において、この「アスペルガー症候群」というのは、とても便利な言葉に思えるのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

例えばの話ですが、もしも「鬱」という言葉が無かったら、その症状を誰かに伝えたり、自分の状態を知ってもらうにも多くの言葉を要することでしょう、、。


昨年だったか、私は生まれて初めて「アスペルガー症候群」というものがあることを知り、その関係の本を次々に読んでみたら、自分のこれまでの症状と重なることがいっぱいあり、子どもの頃からの生育暦の中で、本当に苦しかったり、不思議だったり、理解出来なかったことが、ようやく「あぁ、そうだったのか!」と納得がいったのです。

それで、他の人にも「私ってもしかしたらアスペかも?」と言えるようになって、どれだけ自分のことが説明しやすくなったかしれません。

姉妹や友達にこれまでいっぱい迷惑をかけてきたことなども、それを言い訳にするのでは決してなく、「本当にごめんなさい!私自身もわかっていなかったのだけど、実は、、」と言って、アスペが原因だったらしい?これまでの失礼などを心から認め、あやまることが出来たのです。

そして周囲の人たちも、それがどのような症状を示すものなのか、大体のところを飲み込むと、「そうだったの!?それは苦しかったやろね」と、とてもよく理解してくれて、優しく労ってくれたのです。
そのことは私にとってどんなにか嬉しく、「このことがわかるまで生きて来られてよかった!」と、ほんとうに大袈裟では無く、心底感謝でした。

なぜなら、私は小学高学年の頃に自殺しようとしたことがあったぐらいに、他の人にとってはどうってことの無いようなささいなことでも自分にとってはほんとうにつらくて、深く傷付くことが多かったからです。
それがそのような「アスペルガー症候群」が原因かもしれないということが、もっと幼児の頃にわかっていたら、、、どんなにか助かったかもしれません。


例えば「アダルトチルドレン」とか、「引きこもり」とか、「ニート」とか、「フリーター」とか、、さまざまな名称や呼称が付けられ、いろいろ分類される中で、そういう人間関係や社会との接し方、生き方に困難を持った人たち(グループ)に対する援助の仕方なども、随分し易くなった面もある気がします。
「専門用語」では無くても、そのような呼び易くわかり易い「呼称」とその実態が知られ、広く社会に受け容れられることで、変化が生まれるということはよくあると思います。
またそれによって(「今年の流行語」などのように)、ある種の「インパクト」や影響力も持つことが出来たりするのではないでしょうか。

そういう意味で、「アスペルガー症候群」という言葉や分類が変化してしまうのは、まるでその元が無くなるぐらいの(そういう症状が消えて無くなってしまうわけでは決して無いにも関わらず)かなりの衝撃!でした。

例えばそれは、それまで「分裂病」と言われていたのが、ある時から「統合失調症」と呼ばれるようになったり、また「痴呆症」が「認知症」という言葉で呼ばれるようになるというのと、似ているようでまた少し違う気がしますが、果たしてどうでしょうか。
専門的なことはよくわかりませんが、上記の場合は、それまで使っていた言葉よりもより抵抗が少なくなり、「使いやすい言葉」(それに対する認識が変化する言葉)に置き換えられたように思うからです。

けれどもアスペルガー症候群の場合は、普通の自閉症の範疇の中に組み込まれてしまうことで、何だか見えなくなってしまう(その特徴や独特の個性がかき消されてしまって、まるでそのような症状までもが無くなってしまったかのような?)印象をなぜか受けるのです。

すなわち、これまでとは逆に、「理解しにくく、認識しにくくなってしまう」!?ような危惧を覚えます。
(単に「発達障害の一種」!?とか、「自閉症の軽いやつ」?とか、「ちょっと変わった自閉症」?などと)


ところで、たまたま私はこのことに強い関心を抱いていたので、今回もこのニュースを知ってから後、あちこち関連のサイトなどをネット検索したのです。

そしたら、何と自分自身が書いたブログ記事(昨年の8月に『アスペルガーの館』という本を紹介)が掲載されていてびっくり!しました。


うかうかとブログに何でも書けないなぁ~と思いました(笑)が、それ以上に感じたことは、以前に書いたことへの責任です。
だって、もう「アスペルガー症候群」という名称は消えてしまうのですから、そのことについても、書き残して置く必要があると感じたのです。
それが、今日この話題を取り上げた目的です。


またまた長くなってしまいました。
最後に下記の本をご紹介します。

未だ読んでいない本ですが、相棒ももしかしたらアスペではないかな?という気がしたので、同じように何となくそういう気のする方へお薦めします(笑)。 
もしもお役に立てば幸いです。


『アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得』
(ルディ・シモン著/スペクトラム出版社)



下記の絵は宇宙画『アルシス』です。





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記憶

2013-05-02 | 映画の話題
最近気付いてびっくりしたことは、人の「記憶」の「あいまいさ」です。

私の知り合いがあるギャラリーを会場に借りて、趣味の会のイベントを開催した時のこと。
そのギャラリーは実はその人に私がずっと以前に紹介した所だったのですが、それを彼女はすっかり忘れていて、逆に私にそのギャラリーを紹介してくれようとしたのです(笑)。

またもう一つは私の方も同じようなことがありました。
ある時、ある人と友達になったのですが、その人を紹介してくれたのは、OOさんだとなぜかずっと思い込んでいました。それで、その紹介してくれた人にいつも陰ながら恩義を感じていたのですが、実はそれは私の記憶間違いで、ほんとは別の人の紹介だったのです。

しかも紹介されて私と親しくなったその本人も、私の言うことを信じてずっとそのOOさんの紹介だと思い込んでいたのです。
それである時、別の人にその彼女を紹介したら、『彼女をあなたに紹介したのは私なのよ!?』と驚かれてしまいました(汗)。
ほんとにごめんなさい!どうか失礼をお許しを!!


ほんとにそういうことってあるんですね。
いつのまに記憶が入れ替わってしまうのでしょうか。不思議です。


ところで、話は変わりますが、昨日私がこのブログでテレパスアートの「お知らせ」を書いたついでに、4月は何名だったという話を書きましたが、そうすると、それがすぐ「月収幾らになる」というふうに計算してしまう人もいるらしい?ことを、たまさんが教えてくれたのです。

それで、皆さんがそれまでどうやら私の月収は50万!?(まさか!!!!!)ぐらいはあるのではないかと想像されていたということを知って、もう唖然、茫然、愕然としてしまいました。
自慢ではありませんが、月収50万!?なんて、まさか、まさか、そんな大金はこれまでの生涯に一度も手にしたことの無い私です。

それどころか、これまでのどの勤めでも、月収が二桁になったことは一度も無く、せめて月十万貰えたら~というのが私の長年の夢でした。
だからリストラにあってある本屋のパート辞めざるを得なかった時、心に深く誓ったことは、せめてこの最後に貰った月収をきっと超えてみせる!ということだったのです。


ちなみに、私は40代の頃、阪神淡路大震災の直後まで神戸で働いていましたが、その職場が罹災して辞めるまで(入社した時点で当時の時給510円ぐらい!?の)パート勤めでした。
そして団体交渉で上がるのは、何と時給たったの5円だったのですよ!!!!!
(だから何年か経ってやっと525円の時給になった時には思わず記録に残したぐらいです)

パートと言っても正職員と全く同じ労働時間の長さ(時にはそれ以上に長い時もあり)。しかも仕事のシステム上、土日も仕事で、年末年始も働くぐらいだったにも関わらず、ボーナスは一切ありませんでした。

この話はもう何度も書きましたが、被災して辞めざるを得なかった時も退職金はおろか、会社からは一円の見舞金も、慰労金も全く無く、貰ったのは(強制で全員が自ら掛けていた福利組合の掛け金から出た)記念品の腕時計とアルバムのみでした(涙)。

しかもその職場では入社した時に強制で各人の年金手帳を預けるのですが、それは退職する日までなぜか返却されないシステム(これは違法では?と今でも思っていますが)で、その大事な手帳も会社が罹災して一緒に燃えてしまったのです。
(と、会社は説明したのですが、その燃えたという証拠は一切何も無いので、それがほんとかどうか?燃えカスも見ていないので確かめようも無く信用できませんが、、)

そんな貴重なものだから、きっと防災金庫に入っていて建物が燃えても、それは現金や重要書類と共に燃え残っている筈では?と、従業員同士でも随分話題になりました。

そして会社は建物にも(従業員にも?)保険もかけていた筈なのに、私たちには全く何も保証されないで、燃えた手帳は後日再発行された(手続きは社会保険庁にて各自でした)ものの、その下りた筈の保険金はきっと会社がネコババしたのでは!?という、もっぱらのうわさの種になったのでした。


それに再発行されたその手帳が(果たして元の原簿通りかどうか?)正しい記帳がされているのかどうか?も不明です。元のものを覚えていないし、コピーも無いので、知りようも無いのです。

そこでは(当時の日給月給の給与明細では)かなりの額の年金保険額を「天引きされていた」のですが、実際に還暦になって申請して後に貰ったのは、かなり低い年金額で、「納めていた額とは雲泥の差!」でしたので、これも「おかしいな」と怪しんだのですが、記録が一切残っていないので、確かめようもありません。

そして私の辞めた後に、その会社は立派に再建されたのですが、もしかしたらその再生費用は私たちに掛けていた?保険金を流用したのでは?という疑心暗鬼は今でも消えていません。
昔の同僚たちに会うと今でもその話で盛り上がります。


ともかくも「怪しいと思ったら金の流れを確かめろ」と言いますが、ほんとにそれ以来、人の記憶に頼るよりも、「お金の記録や管理をきちんとする」方がどんなに大事かと肝に命じています。
逆に言うなら、そういう記録がきちんとあれば、疑われるような理不尽な目に遭わずに済むということかもしれません。


そういうわけで、余談が長くなりましたが、例えば絵の売り上げ即イコールその月の収入というわけでは決して無いのですが、もしかしたら誤解されている方もおられそうなので、ちょっと説明しておきますね。

例えば4月は12名でしたと言っても、それは例えば3月に頼まれた人の絵が3月末までに仕上がらず、次の4月にまで持ち越して描いている場合も時には含まれていることもあるのです。
また支払ってもらうのが(お振込が)ずれて次の月になることもあります。

それに、例えばお金を払ってもらえない場合や、プレゼントする場合や、何枚も描いて仕上がらずにお断りすることもあり、時には両面描いて一枚分の料金しかいただいていませんし、もちろん「見えない経費」もいろいろかかります。

絵を描くためには、そしてそれを説明するためには、いくら自動的に描いたり、書いたりすると言っても、やはり勉強も必要です。

たくさん本を読んだり、心理学のセミナーに出かけたり、自分でも分析してもらうためにカウンセリングを受けたり、、また同業者との付き合いや、お客様へのサービス、交流会その他、お金だけでは無く、時間もエネルギーも必要なことがたくさんあります。

これはどんな仕事でもそうだと思いますが、そのかかった経費の全てを記録して、領収書を貰い、それを保存しておくのはほんとうに大変なことです。
それにプレゼントしたものなどについて、領収書をもらうなんて出来にくいことだったりもしますから、、。


それに日が経つと人の「記憶」というのは、実にあいまいになっていくものなので、もう何年も前のことなんて、ほんとに覚えていられなくて当然です。
なので、私は通帳に全部記載するようにしています。
これは何のお金で誰からの入金か、この支出は何の費用か、誰に払ったか、、等々、全部書いています。

そのおかげで助かったことがありました。
ある時、相棒が私が払ったにも関わらず、彼が支払ったと信じ込んでいたことがあり、私は昔の通帳を引っぱり出してきて全部確かめて、彼に論駁し、証明したことがありました!(爆笑)。

もしそうでなかったら、危うく大喧嘩になってしまうところでしたが、ほんとにそのぐらい人の記憶というのは、自分の都合の好いように!?覚え込んでしまうものなのかもしれませんね。

アドラー心理学では、人の行動の裏には必ず隠された「目的」があると言われています。
そしてまた、最初から「予断と偏見」を持っていたりすると、正しい判断が出来ないことでしょう!


ほんとにもしも私がそのぐらい稼いでいると勝手に思い込んでいる人がいるとしたら、あるいは誰かから吹聴されて、「あの人は凄い儲けているらしい」等と聞いていたとしたら、いくら私がそんなことは無いと言っても、何も記録が無いとしたら、どうやってそれを証明したらいいのか、、。
きっと途方にくれてしまうことでしょう、、。

私が昔の会社の不正を今なお疑っているように、もしかしたら私だってそんなふうに「荒稼ぎ」!?と思われてどこかに大金を隠し持っているのでは!?(大笑い)
否きっとそうに違いない etc.. と睨まれて、何年もしつこく取り調べを受けるはめになっていたかもしれませんね。

いつのまにかそのようなうわさが一人歩きしてしまったりするのは、ほんとにコワイことですね。
なので、私はここにしっかり書いておこうと思いました。
「貧乏」だと思われるのはちょっとつらいですが、それほど大金持ちで無いことだけは確かです(爆笑)。


さて、さて、皆様、今日の本題はここからなんです!

戦争の「記憶」も人々の中であいまいになっていきつつあり、憲法もどうなることやら、いつのまにやら改悪されそうな風潮が蔓延しつつあるようで、今ここで、もう一度正しい記録(事実)をしっかりと確かめ直し、その「真実」を知る必要があるのではないでしょうか?


明日(5月3日)は「憲法記念日」ですね。
ちょうどそれにふさわしい映画をご紹介します。


5月4日(土)~5月10日(金)まで。
大阪阪急「十三駅」下車すぐ(サンポードシティ5F)
「シアターセブン」にて(TEL 06-4862-7733)

午前11時半~ 『ベアテの贈り物』
午後1時20分~ 映画『日本国憲法』

ベアテさんというのは、日本国憲法起草時に「男女平等」の権利を盛り込むのに大変貢献された女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんのことです。
彼女の存在とその奮闘のおかげで、今日の日本女性がどれだけ救われることになったことでしょうか!

それにも関わらず、後進国よりももっと日本の女性の地位は今現在、どんどん低くなり、年々ひどくなっていっているのです。
この映画はそういう意味でも必見です♪

かく言う私も彼女の名前だけしか知らず、実際に映画を観てもっと詳しく知ることが出来るのを楽しみにしているところです。心から彼女に尊敬の念と感謝を送りつつ、、。


こんなに長いブログを最後まで読んでくださった皆様にも感謝です。




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