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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

とてもユニークなクラウドファンディングのお知らせと応援のお願い

2020-11-10 | お知らせ&催しのご紹介
氣分までも紅葉(高揚)するような素晴らしい秋晴れが続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

今週末の14.15日にはいよいよ第9回目の「シニア女性映画祭」(大阪・豊中すてっぷホール)が開催されます。

コロナの影響で、会場の定員数が本来の半分になっていますので、どうぞお早めのご予約、ご来場をお待ちしております。


 ウーマン・リブ 50周年記念 『 彼女たちがいたから 。』
⭐︎ 第9回シニア女性映画祭・大阪2020


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さて、そんな中、シニア女性映画祭のスタッフの一人の方から、
下記のクラウドファンディングへの応援の呼びかけがありました。


以前シニア女性映画祭で上映されたことのある台湾映画『日常対話』の元になっている原作本(この映画の女性監督自身の実話)に感動して、

その日本語版をぜひ出版したいと、翻訳プロジェクトを立ち上げられた「台湾映画同好会」の小島あつ子さんが、このクラウドファンディングの仕掛け人となっています。

下記がその彼女からの支援へのお願いの呼びかけ文です。(プロジェクトHPからの転載)

長文ですが、最後まで読んでいただけましたらうれしいです。

そしてぜひとも応援いただけましたら幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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映画『日常對話』の監督が、母親を中心とする家族の物語を文字で編んだ
もうひとつのセルフ・ドキュメンタリー


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  これは私の母の物語です。

  古いしきたりの残る農村に生まれた母は、
  いわゆる伝統的なものから外れた女性でした。

  牽亡歌陣を率いる紅頭法師でレズビアン、
  たばこをふかしながら麻雀に没頭し、
  セクシーな女性の写真が印刷されたビンロウの箱をせっせと集める、
  それが私の母です。(本文より)



これは本書の著者でドキュメンタリー映画監督の黄惠偵(ホアン・フイチェン)が、それまで10年間カメラで追い続けた自分の母親を題材に、1本のドキュメンタリー映画を作ろうと決心した際に書いた、最初の企画書の冒頭部だ。2012年のことだった。


文章はこう続く。

  母が女の人を好きだということに気づいたのは7歳の頃です。
  そして今、7歳になった姪が私に訊ねてきました。
  「おばあちゃんは男なの?女なの?」
   言葉で簡単に説明できないと思った私は、
  映像で彼女にその答えを示すことにしました。 (本文より)



だが映画『日常対話』は、姪の素朴な疑問に答えるためだけに作られたわけではなかった。
小学校すら卒業できなかった不遇の子供時代。さらに著者が誰にも明かせないでいた、かつて父親から受けたある虐待の記憶は、いつしかかたちを変え、著者と母親の間の埋められない深い溝となる。そんな母親と向き合い、関係を修復するために作られた作品でもあった。

自らの体験を題材にした映画はベルリン国際映画祭をはじめ国内外で高い評価を得て、最終的には第90回米アカデミー賞に台湾の代表作品として出品されるという、台湾ドキュメンタリー映画としては初の快挙を成し遂げた。

本書は『日常対話』の監督が家族の物語を文字で編んだ、もうひとつのセルフ・ドキュメンタリーだ。


同性愛者である母の半生、存在しない父の記憶、母の恋人たち、そして幼いころ過ごした「家」の思い出。「母は女性が好きなのに、どうして結婚して私達を産んだのだろう?」――誰にも明かせなかった著者の体験と胸の内が、活き活きとした文章で赤裸々に綴られる。


「文章と映画製作は切っても切り離せない関係にはありますが、二つはまったく異なるメディアです。本を書きませんか?と出版社からオファーをいただいたとき、1本の映画に盛り込める情報は限られているので、映画で伝えきれなかった内容を文章にして補足するというのもいいアイデアだと思いました。


映画は母に宛てて書いたラブレターのようなものなので、父親についての描写はごくわずかです。自分と父親の関係を言葉で整理する機会があれば、それは私自身だけでなく映画をご覧くださった皆さんにとっても参考になると思いますし、よりフェアな内容になると考えました。

映画を既にご覧になった皆さんにとっては、この本をお読みいただくことで、より深く私の家族の物語を理解していただけると思いますし、まだ映画をご覧になられていない皆さんは、私の体験したことを、文章によって体験していただけると思います。」(黄惠偵)


著:黃惠偵(ホアン・フイチェン)
社会活動家、映画監督。6歳で母親の営む家業を手伝い始め、10歳で小学校を中退。20歳からは社会運動に従事しながら、ドキュメンタリー映画製作を学ぶ。台北市ドキュメンタリー映画協会秘書長を経て、現在は独立映像制作者として活動。2016年、同性愛者である母親を撮った初の長編ドキュメンタリー映画『日常対話(原題:日常對話)』を発表し、国内外の映画祭で高い評価を得る。日本では映画祭等で上映されたほか、NHK国際との共同制作でテレビ向けに編集された『母と私(原題:我和我的T媽媽)2016』が放映されている。

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  壊れた母娘関係を正視し、家族の傷を癒すドキュメンタリー
⭐︎ 『我和我的T媽媽』(同性愛母と私の記録・仮)』を翻訳出版したい!


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この映画『母と私 』の上映はすでに終了していますが、その時、残念ながら見損なった私は、HPに紹介されている短い「予告編」を観て、思わず涙しました。

ぜひ原作本を読んでみたいと、来春(3月頃?)出版予定の日本語に翻訳された本を心待ちしています。

そのためにもぜひぜひクラウドファンディングが成功して欲しいです!!

今月16日がその期限ですが、まだまだ予定した資金が集まっていないとのこと。。

ぜひとも皆さまの応援を心よりお願い申し上げます!!!


クラウドファンディングのカンパがパソコン上でできにくい方は、当日の映画祭会場で、

スタッフの方にカンパを手渡していただくなど、いろいろご協力いただくことも出来ますので、

何卒よろしくお願いいたします。


(私は今回は映画祭のスタッフではなく、一般観客兼勝手な応援団=サクラ!? 笑 として

会場のどこかにいるかと思います。。)


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本日も「光のチャレンジ」にお立ち寄りくださって有り難うございます。

(もしも私の姿を会場で見かけられましたら、どうぞお氣軽にお声かけくださいね。。)
























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UFOと宇宙人に関する話(ユーチューブ紹介)

2020-11-08 | 宇宙・UFOの話題
UFOに関する動画などをご紹介しようと思いながら、かなり日が経ってしまいました。

保江先生の講演会の中でもUFOについてはいっぱい語られているので、
興味のある方はぜひYouTubeの保江先生の動画を検索してご覧ください。


保江先生が物理学の道に進まれたのは、元々は子どもの頃に見たUFOへの興味からだそうで、

UFOに関する著作(対談本など)ももちろんありますので、保江先生の公式チャンネルからご覧下さい。


実際に保江先生が体験したエリア51への潜入冒険談はほんとうに何度聞いても胸がワクワク、ドキドキします。


また、MOMOYOさんも、宇宙人やUFOについてのご自身の体験談をご本人のYouTube番組の中で語っておられます。

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が、何と言ってもUFOに関しては秋山眞人さんが大変博学で、長年の研究もされていて、

また実際にご自身が体験した事実などもいっぱい話しておられるので、
興味のある方は、

ぜひ「秋山眞人のサイキックラボ」をいろいろご覧いただくといいかもしれません。

下記にご本人の番組の最新動画をリンクしていますので、(すでにご存知の方もおられると思いますが)

どうぞごゆっくりとお楽しみください。


⭐︎ 2020年UFOのマル秘話  
 [ 秋山眞人のサイキックラボ ]
(2020.11.01)

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それから、コバシャールさんもアブダクション(UFOに拉致された?話など)について、いろいろ語っておられます。

コバシャールさんが実際に会ったという「地底人」の話などは非常にリアルで、

まさに驚愕です!!



下記はそれらとはちょっとまた趣きが違いますが、つい最近のコバシャールさんのお話のご紹介です。

⭐︎ [ 簡単過ぎる ] 宇宙人に聞いた悩みのメカニズム (2020.11.05)
         覚醒の学校・コバシャール


それでは、秋の夜長をどうぞ存分にお楽しみください。。

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本日も「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってありがとうございます。

皆さまのUFO遭遇体験談もぜひお聞かせください♪

新しいアメリカの大統領が誰に確定するにしろ、UFO情報はぜひ世界に公開して欲しいですね!

月への有人飛行も楽しみですね。

日本人が月を歩いている姿を想像するだけでも胸が躍りますね!


不思議なことに、こういったことを書いていると、なぜか記事が自動的に何度も消えてしまい、

このブログをUPするまでにかなり時間がかかりました。。


「陰謀論」のように、もしかして世に公表されるとまずいことが何かあるのでしょうか!?(笑)




















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うれしい絵の反響をいただきました!

2020-11-06 | 新しい絵
コロナにも関わらずというか、あるいはそういう時だからこそかもしれませんが、

なぜか初夏の頃はとても「テレパスアート」のご注文が多く、最近その中のお一人のお客さまから、

大変うれしいおたよりと絵のご感想をいただきました。



ぜひそれをそのままご紹介したかったのですが、出来れば私自身の言葉で説明して欲しいということで、

許可をいただけませんでしたので、大変残念ですが、絵だけを下記に掲載させていただきます。。


素敵な額に入れてくださって、「馬子にも衣装」!?というか、絵がとてもよく映えて有り難いです。


描いてお送りしてしまいますと、(コピーなど保存していませんので)どんな絵だったか、

私はすっかり忘れてしまいます。

今回はお客さまが絵の写真をメールに添付してくださっていたので、とても助かりました。





私はクレーの絵が好きですが、この絵はどことなく「カンディンスキー」の絵に似ている?氣もします。

(少々ド厚かましい?「自画自賛」ですみません! 笑)


絵のお申し込みの際にお客さまからいくつかご質問をいただき、それに関しての説明をこの絵に添えてお届けしました。

とても説明が長くて、そしてかなりプライベートな事柄も含まれている内容なので、

お客さまの許可が無いと残念ながらここには公表出来ませんが、喜んでいただけてとてもうれしかったです。


H・Y さま、素晴らしい絵のご感想と写メールをまことにありがとうございました。
      おかげさまでとっても励まされ、またこれからも描き続けようと勇氣付けられました。


      この場を借りて、心よりお礼申し上げます。

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それから、もう一つ。

旧アズミックアートの「宇宙画」のことでも、つい最近とってもうれしいことがありました。

高価な原画を購入してくださった京都のMさんは、玄関にその絵『 クリエーション 』を長年飾ってくださっているのですが、

ある時、その絵を見たプロの画家さんが、

「自分はまだこの域に達していない。ここまではとても描けない』

と溜息をついておられたそうで、その時、偶然側に居た知人がそれを小耳にはさみ、

そのことをつい先日私に伝えてくれたのです。


実はそのプロの画家さんは、私の尊敬する人でもあり、日本を訪れた外国の人もその彼女の作品を買って帰るような、

高い技術ととても真似の出来ない独自の技法を持っておられる方なのです。

(もちろん彼女は美大を出て、美術界のさまざまな会にも所属し、毎年のように出品されています)



それで、例えば偶然画廊でその方とご一緒したりして、画廊の方が誰か第三者に向かって私のことを

「この人も絵を描いておられる人なんですよ。。」と紹介してくださったりすると、

思わず赤面してしまって、「私はアーチストではなく、アッ、チットだけなんです 笑」などと

冗談半分に言ってしまうぐらい、その本格的な画家さんに対しては畏れ多くて、

「自分も画家です」とは堂々と胸を張ってとても名乗れ無かったのです。。(汗)


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それでいて、その割には少々高価な値段を「宇宙画」に付けていたのは、私だけでなくパートナーの彼との共同制作であり、

彼は本当に熱心に、またとても丁寧にかなりの時間とエネルギーと労力を彩色にかけていて、

画紙もかなり高級なものを選び、画材も選び抜き、素人とはいえ、長年の仕事(織物関係)の中で培った

「百色もの色を見分ける力」もあり、また、私たちはほんとうにこの宇宙から授かった絵を大切にしたかったので、

「手放したく無い」という氣持ちも強かった
からです。


そういうこともあって、長年その道一筋に研鑽を積んで来られた本物の画家さんたちに対しては、

内心では強い引目があり、例え同じ画廊で展覧会をしたとしても、まさか同列に扱ってもらえるとはとても信じられ無かったのです。


もちろん、自分たちの「宇宙画」に関しては、心の内には強い誇りもあり、自負もあったのですが、

表だっては、同じ芸術家とか、画家とか、とても名乗れないと長年思っていたのです。


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そういうわけで、その人に会う度に(自分たちは素人だから。。)と長年面映く思っていたのですが、

今回その人の見解を初めて聞かせてもらって(知人を通じてですが)、やっとその氣持ちがフラットになって、

「天にも昇るぐらいの最高のうれしさ!」でした。


だって、その言葉を聞くまでには何と20年もの歳月がかかっているからです!

(2001年1月に開催した初めての宇宙画展「 PEACE in SPACE 」の20周年をもうすぐ迎えるのです!!)


そのプロの画家の彼女とはこの20年間を共に(共通の友人や仲間を通して)過ごして来ているので、

なので、その彼女の言葉を聞いて私がどんなに感激したか、皆さまにもきっとわかっていただけることと思います。

人の評価など関係ないと思っていても、やはり、自分の尊敬するプロの画家にそんなふうに言ってもらえたことは凄く自信につながりますね!


(惜しいことに彼の方はもう筆を手放し絵を止めてしまったので、なおさら有り難くうれしかったです)

そしてその言葉を伝えてくれた知人が、「何年経っても全然
見飽きない絵だよね。。」
と言ってくれたことも、どんなにうれしかったことでしょうか!!

思わず涙がこぼれそうでした。。


下記がその宇宙画『 クリエーション 』です。




(無断転載およびコピー等はご遠慮ください)

この絵には別名「卑弥呼の首飾り」という愛称もあります。

縄文の時代が再び甦って来ている今、
「宇宙画」の発揮する呪力や「創造力」がますます光り輝き、
地球の平和のために働いてくれることを心から願っています。



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本日も長文ブログを最後までご覧くださってありがとうございました。

皆さまの上にもうれしい出来事がたくさんありますように!!




















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本音で生きることと「感情労働」について・・

2020-11-05 | 希望の光
つい最近経験したことについて、皆さまとシェア出来たらうれしいです。

かなりの長文ですので、興味の無い方はスルーしてくださいね。


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10月末に「カルタ」の原稿の締め切りがあり、

それまでに1ケ月ぐらいかかってやっと仕上がった原稿をギリギリになって編集者に提出したのですが、

「いいね」が付かず、それどころか、赤ペンがいっぱい付いて戻り、かなりショックを受けたのです。


それで、もうそれ以上直す時間的余裕も無く、何よりも自分としてはかなり頑張ったというか、

ともかく心身共にかなりエネルギーを使ってへとへとになっていたので、その上を望まれても、

もうとても対応できず、私としてはそれで精一杯だったために、どうしたらいいかわからないぐらいに落ち込み、

その夜は午前2時半ぐらいまで全く眠れ無かったのです。

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そして、朝になって瞑想をして、対応策を考えたら、ふと全く違ったことが思い浮かび、

「カルタ」のことはもう一切諦め、その日一日かけて別の新たな原稿を仕上げ、急いでそれを送ったのです。


そしたら、「感動しました」という言葉と共に、「私が悪いことをしたのですね。。謝ります」という

思いがけない言葉が添えられていました。

まさか偉い編集者が(同じ活動仲間とはいえ)そんなにすぐに謝ってくれるとは思っていなかったので、

びっくりしつつも、私も氣が済み、ともかく後から送った原稿が一発でオッケーが出たことでほっとして、

「謝ってくれてありがとうございます」と返信メールをして、無事一件落着となったのでした。


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なので、ここまでは特に一切何も問題なく、編集者に対して「何という大人な対応!」(神対応)が出来た自分に満足して、

友人たちにもこのことを吹聴し「成長した自分」をちょっと誇らしげに語ったりしていたのです。

そして、その編集者からも、「赤ペンに直球の青ペンが返って来ると思っていたら意外な変化球が・・」と

褒めて?もらって、喜んでいたぐらいです。



ところが、どっこい!

(実は自分では全く氣付いていませんでしたが、心の中はもっと複雑だったのですね!)

どういうわけか、その後から全く氣力の湧かない状態がなぜか続き、

これまでこんなに落ち込んだことは無いというぐらいの精神的な不調に見舞われたのです。

何をしてもまるで心が死んだような感じで、ウツでも無いのに、ずっと低調な沈んだ氣分が続きました。


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結婚が決まった後に、ブルーな氣持ちになったり、結婚式直前に落ち込んだり、、という話はよく聞きますが、

もしかして今回のことは、「結婚式前夜に突然断りを言われてキャンセルされたぐらいの衝撃」だったのでしょうか!?


それにしても、そんなひどい裏切りに比べたら、私のこんな小さな原稿の差し替えぐらいのことは、

ホントに大したことでは無い筈なのに。。

いったいこれはどういうことだろう?ととても不思議に感じたのです。



それよりも何よりもそのようなしんどさが長く続くことに耐えられず、

それで、ハイヤーセルフさんに尋ねてみたのです。


そしたら、下記のような言葉が返って来ました。

以下、かなり長くなりますが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。

====================================

それを許せた自分の方に着目し、よくやったね!と褒めることも大事ですが、

その前に、きちんと「被害」を認識し、そのように軽く扱われた自分は、

「なぜそのような目に遭ったのか!?」ということを深く考える必要があるのです。


(結局相手があなたをなめているということも言えるからです)


もしあなたではない相手に対してだと、そんな態度は取らないし、

そもそもいくら遊びといってももっと相手の書いたものを尊敬して、きちんと向き合うことでしょう。。

つまりあなたがあなた自身をそのように相手から扱われることを「許可した」とも言えるのです。

ですから相手が悪いというよりも、あなたが自分をもっと大事にし、尊重し、自分の偉大さ、尊さを知る必要があるということです。

例え自分が一介の路上生活者であったとしても、そのような扱いをされる必要はないのです。
一人の人間として、どんな大金持ちとも、どんな偉い人とも、対等であっていいのです。

そのような(健全な)「自意識」や「権利意識」をもっともっと強く持つ必要があるのです。

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すなわち、今回のことでいうなら、怒らないのではなく、

「怒れない」自分を自分自身が情けなく思っているということです。


いくらそれが冗談半分の遊びであっても、例えば、イジメがあるのなら、断固拒否するように、
あなたももっともっと怒ってもよかったのです。
(そういうふりだけでもしてよかったのです)

けれども簡単に「変化球」を投げて、怒らない寛容な大人で、

「成長した自分」を演出してしまったために、

つまり、自分の本音をどこかに閉じ込めてしまった

がゆえに、あなたの中の行き場のない怒りや

悲しみがまだ体の中に居座ってしまっているということです。。


つまりは「いいカッコしてしまった」がゆえにその感情が悪さをしているというか、
ブスブスとくすぼっているというわけです。


(そんな複雑な心境があったがゆえに、つい、甘いものを摂りすぎてしまったりもするのです)

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一氣に成長し、大人になった氣分で寛容な自分を演出してみても、実際はただその感情を抑圧しているから、

徹底してそれを十分に味わい、本音から許して、

心の深い部分までも納得がいっていないとダメなのですね。


しつこいと言われても、くどいと思われても、例え相手が謝っても、
「それで許すかどうかは、自分の問題」です。


謝ってくれたから簡単に許して、「許せる自分は凄いなぁ〜」なんて、

一旦満足したように感じていても、実は「本当はまだ怒っている自分があった」という訳です。


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「聞き流して」上手に対応出来るようになる前に、まだまだそういう段階が必要だったということです。


それをしないでいっぺんに「神対応」

してしまったので、あなたの内側が混乱してしまったということです。


本音で生きるということは、かなり本氣でやらないと出来ないことなのです。

長年の習慣や心の癖を取るにはこのような体験を何度も積み重ねて、やっと出来るようになるということです。


そうして、今回の落ち込みの基にあったのは、

このような「感情労働」によって、氣力が奪われ、そのためにずっと元氣が出なかったということです。

ご理解いただけたでしょうか?

参考になりましたら幸いです。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


という、ハイヤーセルフさんの回答を聞けて、本当によかったです。

子どもが転んでちょっとした怪我をした時に、「そのぐらいのこと、どうってことない」と否定したり、

大袈裟に泣くな!と叱ったりすると、その子は確かにそれ以後ガマン強い子になるかもしれませんが、

どこかに「もっと慰めてもらいたかった」という氣持ちが残っていたりして、

何かある度に怪我をしたり、病氣を繰り返したりしてしまいがちになることもあるのですね。。


なので、ささいなことであっても、ストレスを心身に溜め込まないことが大切なんですね。。

今回のことでは、「感情を発散すること」の大切さに氣付くことができてとてもよかったです。

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感情を相手に直接ぶつけてしまわないことはもちろん大事なことではありますが、

上手にコミュニケーションを取って、自分の「本音」を伝えるということもする必要がありますね。

きれいごとで安易に済ませてしまわない方がいいということですね。

( まさに「嫌われる勇氣」ということですね! )


コバシャールさんの下記の動画もとても参考になりました。。

⭐︎ [ マジ重要 ] ワクワクよりも大事なこと 
        バシャールもこれを伝えたいはずなんだよね 
 ( 2020.11.01 )



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本日もこのような長文に最後までお付き合いくださって、まことにありがとうございました。

「ただ今楽しく発展途上中!」の私です。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。。






















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返せなかった傘とバシャールの「針の目」

2020-11-04 | 希望の光
昨日はとってもうれしいことが二つありました。

一つは、親しい絵のお客さまから旅土産のとっても美味しい栗のお菓子をいただいたこと。

もう一つは、今年テレパスアートを描かせていただいた方からの絵の感想付きの写メール。
絵を素敵な額に入れて飾ってくださっていて、本当に有り難く大感激しました。


そんな話を詳しく書くつもりでしたが、おそらく皆さん今夜は何と言ってもアメリカの大統領選挙結果のニュースに夢中で、

たぶん私のブログを見る人などあまりいないかも?(笑)


というわけで、全く何の関係も無い私個人の話を書きます。

このブログは私の日々の記録でもあるので、興味の無い方はスルーしてくださいね。


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3日にあった団地のバザーでのことです。

私はあまり使っていなかった傘立てと傘を3本、バザー品として提供。

(値段は自治会のお世話係の人が付けるので、いくらで売られたのかは知らないのですが)

その3本の傘のうちの一本に穴が空いていたそうなのです。


それで、その傘は返品になって、お金も返し、自治会の備品として使うことになったと後から聞きました。

(というのも、その穴は、ほとんどわからないぐらいの、「針の目」ぐらいの小さな穴だったからです)

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その傘は、実は、「ほめ日記」で著名な手塚千砂子さんの個人セッションを受けた時に

お借りしたもので、そのまま返さずに(勝手に )いただいてしまったものです(汗)。

「いつかお返ししなければ、、」とずっと氣になりながら、なぜかそのままになってしまい、

それがいつの間にか「罪悪感」にまでなってしまっていました。



それなのに、そのお借りした高級な傘を返すどころか、ましてバザーに出すなんて!?

何という恥知らずのひどい私!でしょうか。。



もう10年以上も前のことなので、あまりにも年月が経ち過ぎてしまっていて、

「今さらとてもお返し出来ない」というのが、まことに勝手な私の心情だったのです。



それゆえ、せめてバザーに出すことで、「他の誰かのお役に立てば、手塚さんもきっとゆるしてくださるのでは?」

という思いつきで、「お優しい手塚さんのことだからきっと大丈夫!」などと、心の内で言い訳しつつ。。


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なので、その傘に穴が空いていたと知った時、「よかった!」と何だかほっとした自分がありました。

なぜならお借りして以来、その傘はそのセッションの帰り道に使わせていただいただけで、ずっと仕舞い込んだままで、

(いつかお返しするつもりで)その後は一度も使っていなかったからです。



というわけで、そこで、一氣に私の「罪悪感」は吹っ飛んだのでした!!

(もちろん、穴が空いていても、当然お返しすべき傘なんですが。。)

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そして、ここからが私流のズゴイ論理の飛躍なんですが、

私の脳の中では、その傘の小さな穴が、バシャールの言う「針の目」を通り抜けるという話につながり、

なぜかそれが私流に突如変換されて感じられ、「そうか、これが、バシャールの言っていたことなのか!!!」

その深い意味にハッと氣づかされたのでした。。

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私たちはみんな、「持たなくてもいい罪悪感」をどのぐらい長い間持ち続けていることでしょうか。。

「自分のせいで・・」云々と思い込んでいることのほとんどは、実際は自分のせいなんかでは決して無いにも関わらず、

「何の役にも立たない罪悪感」をずっと引きずったまま、長年苦しんできたのではないでしょうか。


それこそが「針の目」であり、もう手放してもいい、「どうでもいい小さなこと」にこだわり続けることによって、

そこを通り抜けることがなかなか出来ないでいたのですね。。


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ところで、また話が横道に逸れますが、

今日は夕日がとても美しくて、海に沈んでいくのをベランダからぼぉ〜と眺めていたら、


突然にUFOが!

これは確かに誰が見ても見間違うことの無いUFOでした!!

真ん丸い鈴型で、ピカッと強く光ったり、突然全く違う方角へ移動したり、

急に消えたり、また全然違うところにパッと現れたり、、



UFOは、はてさて、トランプさん側?それともバイデンさんを応援してるのか?

なんて、全く関係なく、おそらく人類の意識向上のために、そして地球の平和のために働いてくれているのかも。。

思わず「ありがとう!」と、手を振ってしまいました。。(笑)


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本日も「光のチャレンジ」に遊びに来てくださってまことにありがとうございます。

一貫性の無い長い文を最後まで読んでくださってとってもうれしいです。


そうそう、傘といえば、松岡瑞枝さんの川柳を思い出します。


「 名画座の雨は返せぬ傘に降る 」


一生に一句でいいから、「一度聞いたら忘れられない」こんな名句を詠みたいものですね!



















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