つい最近経験したことについて、皆さまとシェア出来たらうれしいです。
かなりの長文ですので、興味の無い方はスルーしてくださいね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
10月末に「カルタ」の原稿の締め切りがあり、
それまでに1ケ月ぐらいかかってやっと仕上がった原稿をギリギリになって編集者に提出したのですが、
「いいね」が付かず、それどころか、赤ペンがいっぱい付いて戻り、かなりショックを受けたのです。
それで、もうそれ以上直す時間的余裕も無く、何よりも自分としてはかなり頑張ったというか、
ともかく心身共にかなりエネルギーを使ってへとへとになっていたので、その上を望まれても、
もうとても対応できず、私としてはそれで精一杯だったために、どうしたらいいかわからないぐらいに落ち込み、
その夜は午前2時半ぐらいまで全く眠れ無かったのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、朝になって瞑想をして、対応策を考えたら、ふと全く違ったことが思い浮かび、
「カルタ」のことはもう一切諦め、その日一日かけて別の新たな原稿を仕上げ、急いでそれを送ったのです。
そしたら、「感動しました」という言葉と共に、「私が悪いことをしたのですね。。謝ります」という
思いがけない言葉が添えられていました。
まさか偉い編集者が(同じ活動仲間とはいえ)そんなにすぐに謝ってくれるとは思っていなかったので、
びっくりしつつも、私も氣が済み、ともかく後から送った原稿が一発でオッケーが出たことでほっとして、
「謝ってくれてありがとうございます」と返信メールをして、無事一件落着となったのでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なので、ここまでは特に一切何も問題なく、編集者に対して「何という大人な対応!」(神対応)が出来た自分に満足して、
友人たちにもこのことを吹聴し「成長した自分」をちょっと誇らしげに語ったりしていたのです。
そして、その編集者からも、「赤ペンに直球の青ペンが返って来ると思っていたら意外な変化球が・・」と
褒めて?もらって、喜んでいたぐらいです。
ところが、どっこい!
(実は自分では全く氣付いていませんでしたが、心の中はもっと複雑だったのですね!)
どういうわけか、その後から全く氣力の湧かない状態がなぜか続き、
これまでこんなに落ち込んだことは無いというぐらいの精神的な不調に見舞われたのです。
何をしてもまるで心が死んだような感じで、ウツでも無いのに、ずっと低調な沈んだ氣分が続きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
結婚が決まった後に、ブルーな氣持ちになったり、結婚式直前に落ち込んだり、、という話はよく聞きますが、
もしかして今回のことは、「結婚式前夜に突然断りを言われてキャンセルされたぐらいの衝撃」だったのでしょうか!?
それにしても、そんなひどい裏切りに比べたら、私のこんな小さな原稿の差し替えぐらいのことは、
ホントに大したことでは無い筈なのに。。
いったいこれはどういうことだろう?ととても不思議に感じたのです。
それよりも何よりもそのようなしんどさが長く続くことに耐えられず、
それで、ハイヤーセルフさんに尋ねてみたのです。
そしたら、下記のような言葉が返って来ました。
以下、かなり長くなりますが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。
====================================
それを許せた自分の方に着目し、よくやったね!と褒めることも大事ですが、
その前に、きちんと「被害」を認識し、そのように軽く扱われた自分は、
「なぜそのような目に遭ったのか!?」ということを深く考える必要があるのです。
(結局相手があなたをなめているということも言えるからです)
もしあなたではない相手に対してだと、そんな態度は取らないし、
そもそもいくら遊びといってももっと相手の書いたものを尊敬して、きちんと向き合うことでしょう。。
つまりあなたがあなた自身をそのように相手から扱われることを「許可した」とも言えるのです。
ですから相手が悪いというよりも、あなたが自分をもっと大事にし、尊重し、自分の偉大さ、尊さを知る必要があるということです。
例え自分が一介の路上生活者であったとしても、そのような扱いをされる必要はないのです。
一人の人間として、どんな大金持ちとも、どんな偉い人とも、対等であっていいのです。
そのような(健全な)「自意識」や「権利意識」をもっともっと強く持つ必要があるのです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
すなわち、今回のことでいうなら、怒らないのではなく、
「怒れない」自分を自分自身が情けなく思っているということです。
いくらそれが冗談半分の遊びであっても、例えば、イジメがあるのなら、断固拒否するように、
あなたももっともっと怒ってもよかったのです。
(そういうふりだけでもしてよかったのです)
けれども簡単に「変化球」を投げて、怒らない寛容な大人で、
「成長した自分」を演出してしまったために、
つまり、自分の本音をどこかに閉じ込めてしまった
がゆえに、あなたの中の行き場のない怒りや
悲しみがまだ体の中に居座ってしまっているということです。。
つまりは「いいカッコしてしまった」がゆえにその感情が悪さをしているというか、
ブスブスとくすぼっているというわけです。
(そんな複雑な心境があったがゆえに、つい、甘いものを摂りすぎてしまったりもするのです)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
一氣に成長し、大人になった氣分で寛容な自分を演出してみても、実際はただその感情を抑圧しているから、
徹底してそれを十分に味わい、本音から許して、
心の深い部分までも納得がいっていないとダメなのですね。
しつこいと言われても、くどいと思われても、例え相手が謝っても、
「それで許すかどうかは、自分の問題」です。
謝ってくれたから簡単に許して、「許せる自分は凄いなぁ〜」なんて、
一旦満足したように感じていても、実は「本当はまだ怒っている自分があった」という訳です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「聞き流して」上手に対応出来るようになる前に、まだまだそういう段階が必要だったということです。
それをしないでいっぺんに「神対応」を
してしまったので、あなたの内側が混乱してしまったということです。
本音で生きるということは、かなり本氣でやらないと出来ないことなのです。
長年の習慣や心の癖を取るにはこのような体験を何度も積み重ねて、やっと出来るようになるということです。
そうして、今回の落ち込みの基にあったのは、
このような「感情労働」によって、氣力が奪われ、そのためにずっと元氣が出なかったということです。
ご理解いただけたでしょうか?
参考になりましたら幸いです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
という、ハイヤーセルフさんの回答を聞けて、本当によかったです。
子どもが転んでちょっとした怪我をした時に、「そのぐらいのこと、どうってことない」と否定したり、
大袈裟に泣くな!と叱ったりすると、その子は確かにそれ以後ガマン強い子になるかもしれませんが、
どこかに「もっと慰めてもらいたかった」という氣持ちが残っていたりして、
何かある度に怪我をしたり、病氣を繰り返したりしてしまいがちになることもあるのですね。。
なので、ささいなことであっても、ストレスを心身に溜め込まないことが大切なんですね。。
今回のことでは、「感情を発散すること」の大切さに氣付くことができてとてもよかったです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
感情を相手に直接ぶつけてしまわないことはもちろん大事なことではありますが、
上手にコミュニケーションを取って、自分の「本音」を伝えるということもする必要がありますね。
きれいごとで安易に済ませてしまわない方がいいということですね。
( まさに「嫌われる勇氣」ということですね! )
コバシャールさんの下記の動画もとても参考になりました。。
⭐︎ [ マジ重要 ] ワクワクよりも大事なこと
バシャールもこれを伝えたいはずなんだよね ( 2020.11.01 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日もこのような長文に最後までお付き合いくださって、まことにありがとうございました。
「ただ今楽しく発展途上中!」の私です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。。
かなりの長文ですので、興味の無い方はスルーしてくださいね。
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10月末に「カルタ」の原稿の締め切りがあり、
それまでに1ケ月ぐらいかかってやっと仕上がった原稿をギリギリになって編集者に提出したのですが、
「いいね」が付かず、それどころか、赤ペンがいっぱい付いて戻り、かなりショックを受けたのです。
それで、もうそれ以上直す時間的余裕も無く、何よりも自分としてはかなり頑張ったというか、
ともかく心身共にかなりエネルギーを使ってへとへとになっていたので、その上を望まれても、
もうとても対応できず、私としてはそれで精一杯だったために、どうしたらいいかわからないぐらいに落ち込み、
その夜は午前2時半ぐらいまで全く眠れ無かったのです。
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そして、朝になって瞑想をして、対応策を考えたら、ふと全く違ったことが思い浮かび、
「カルタ」のことはもう一切諦め、その日一日かけて別の新たな原稿を仕上げ、急いでそれを送ったのです。
そしたら、「感動しました」という言葉と共に、「私が悪いことをしたのですね。。謝ります」という
思いがけない言葉が添えられていました。
まさか偉い編集者が(同じ活動仲間とはいえ)そんなにすぐに謝ってくれるとは思っていなかったので、
びっくりしつつも、私も氣が済み、ともかく後から送った原稿が一発でオッケーが出たことでほっとして、
「謝ってくれてありがとうございます」と返信メールをして、無事一件落着となったのでした。
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なので、ここまでは特に一切何も問題なく、編集者に対して「何という大人な対応!」(神対応)が出来た自分に満足して、
友人たちにもこのことを吹聴し「成長した自分」をちょっと誇らしげに語ったりしていたのです。
そして、その編集者からも、「赤ペンに直球の青ペンが返って来ると思っていたら意外な変化球が・・」と
褒めて?もらって、喜んでいたぐらいです。
ところが、どっこい!
(実は自分では全く氣付いていませんでしたが、心の中はもっと複雑だったのですね!)
どういうわけか、その後から全く氣力の湧かない状態がなぜか続き、
これまでこんなに落ち込んだことは無いというぐらいの精神的な不調に見舞われたのです。
何をしてもまるで心が死んだような感じで、ウツでも無いのに、ずっと低調な沈んだ氣分が続きました。
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結婚が決まった後に、ブルーな氣持ちになったり、結婚式直前に落ち込んだり、、という話はよく聞きますが、
もしかして今回のことは、「結婚式前夜に突然断りを言われてキャンセルされたぐらいの衝撃」だったのでしょうか!?
それにしても、そんなひどい裏切りに比べたら、私のこんな小さな原稿の差し替えぐらいのことは、
ホントに大したことでは無い筈なのに。。
いったいこれはどういうことだろう?ととても不思議に感じたのです。
それよりも何よりもそのようなしんどさが長く続くことに耐えられず、
それで、ハイヤーセルフさんに尋ねてみたのです。
そしたら、下記のような言葉が返って来ました。
以下、かなり長くなりますが、最後まで読んでいただけたらうれしいです。
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それを許せた自分の方に着目し、よくやったね!と褒めることも大事ですが、
その前に、きちんと「被害」を認識し、そのように軽く扱われた自分は、
「なぜそのような目に遭ったのか!?」ということを深く考える必要があるのです。
(結局相手があなたをなめているということも言えるからです)
もしあなたではない相手に対してだと、そんな態度は取らないし、
そもそもいくら遊びといってももっと相手の書いたものを尊敬して、きちんと向き合うことでしょう。。
つまりあなたがあなた自身をそのように相手から扱われることを「許可した」とも言えるのです。
ですから相手が悪いというよりも、あなたが自分をもっと大事にし、尊重し、自分の偉大さ、尊さを知る必要があるということです。
例え自分が一介の路上生活者であったとしても、そのような扱いをされる必要はないのです。
一人の人間として、どんな大金持ちとも、どんな偉い人とも、対等であっていいのです。
そのような(健全な)「自意識」や「権利意識」をもっともっと強く持つ必要があるのです。
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すなわち、今回のことでいうなら、怒らないのではなく、
「怒れない」自分を自分自身が情けなく思っているということです。
いくらそれが冗談半分の遊びであっても、例えば、イジメがあるのなら、断固拒否するように、
あなたももっともっと怒ってもよかったのです。
(そういうふりだけでもしてよかったのです)
けれども簡単に「変化球」を投げて、怒らない寛容な大人で、
「成長した自分」を演出してしまったために、
つまり、自分の本音をどこかに閉じ込めてしまった
がゆえに、あなたの中の行き場のない怒りや
悲しみがまだ体の中に居座ってしまっているということです。。
つまりは「いいカッコしてしまった」がゆえにその感情が悪さをしているというか、
ブスブスとくすぼっているというわけです。
(そんな複雑な心境があったがゆえに、つい、甘いものを摂りすぎてしまったりもするのです)
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一氣に成長し、大人になった氣分で寛容な自分を演出してみても、実際はただその感情を抑圧しているから、
徹底してそれを十分に味わい、本音から許して、
心の深い部分までも納得がいっていないとダメなのですね。
しつこいと言われても、くどいと思われても、例え相手が謝っても、
「それで許すかどうかは、自分の問題」です。
謝ってくれたから簡単に許して、「許せる自分は凄いなぁ〜」なんて、
一旦満足したように感じていても、実は「本当はまだ怒っている自分があった」という訳です。
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「聞き流して」上手に対応出来るようになる前に、まだまだそういう段階が必要だったということです。
それをしないでいっぺんに「神対応」を
してしまったので、あなたの内側が混乱してしまったということです。
本音で生きるということは、かなり本氣でやらないと出来ないことなのです。
長年の習慣や心の癖を取るにはこのような体験を何度も積み重ねて、やっと出来るようになるということです。
そうして、今回の落ち込みの基にあったのは、
このような「感情労働」によって、氣力が奪われ、そのためにずっと元氣が出なかったということです。
ご理解いただけたでしょうか?
参考になりましたら幸いです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
という、ハイヤーセルフさんの回答を聞けて、本当によかったです。
子どもが転んでちょっとした怪我をした時に、「そのぐらいのこと、どうってことない」と否定したり、
大袈裟に泣くな!と叱ったりすると、その子は確かにそれ以後ガマン強い子になるかもしれませんが、
どこかに「もっと慰めてもらいたかった」という氣持ちが残っていたりして、
何かある度に怪我をしたり、病氣を繰り返したりしてしまいがちになることもあるのですね。。
なので、ささいなことであっても、ストレスを心身に溜め込まないことが大切なんですね。。
今回のことでは、「感情を発散すること」の大切さに氣付くことができてとてもよかったです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
感情を相手に直接ぶつけてしまわないことはもちろん大事なことではありますが、
上手にコミュニケーションを取って、自分の「本音」を伝えるということもする必要がありますね。
きれいごとで安易に済ませてしまわない方がいいということですね。
( まさに「嫌われる勇氣」ということですね! )
コバシャールさんの下記の動画もとても参考になりました。。
⭐︎ [ マジ重要 ] ワクワクよりも大事なこと
バシャールもこれを伝えたいはずなんだよね ( 2020.11.01 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本日もこのような長文に最後までお付き合いくださって、まことにありがとうございました。
「ただ今楽しく発展途上中!」の私です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。。