昨日から12月。なんとなく気忙しい雰囲気が漂いますが、よくよく考えると年賀状のように出来るだけ年内に済ませなくてはならないこと、ばかりでもないはず。
日本人の性として、大掃除をして歳神様をきれいな状態でお迎えしたい、とは思うけれど、ちょっといつもより力を入れて拭き掃除や掃き掃除をするだけで
右肩が痛むし、左膝のこともあるのでうまくしゃがめず中腰姿勢で腰が痛くなるんだもの。
などと言い訳をして、通常の生活にほんのちょっとだけプラスして家の中を整えるくらい。
そんなゆるゆるな私、明日は相方とちょっとお出かけします。
相方の仕事も今はとても忙しい時季。なんですが、展覧会鑑賞とおいしいピザを目当てとするお出かけで、どちらかと言えば後者のほうが相方にとってはメイン
だったりします。
もう少し早くに出かけるつもりだったのですが、会期も終盤になってようやく行くことになったのには、仕事はもちろん畑に行く都合などあれこれ行けない
理由があったから。
そしてその理由のなかには、私の「面倒くさい」という気持ちもあったりします。
この前、本の話を書いたときに自分の欲望に蓋をしている、なんてことを書いたけれど、欲望を邪魔するというか、ブレーキをかけているものにこの「面倒
くさい」という気持ちの占める割合はかなり大きいように感じています。
年齢のせいもあるけど、元々そういうところがあるな、私。そして歳と共にそれが増している。
よく年齢の壁とか言われますが、私の場合、面倒くさいの壁がそそり立っている、いやそんな大げさな壁ではないんだけれど、なぜか乗り越えにくい。
何をするのも面倒くさい、となったら、一気に認知症への道まっしぐら、になってしまいそう。こりゃいかん、と我ながら思います。
その点相方は案外「やりたい」と思うことに素直?で、この忙しい年末にわら細工の講習とやらに2日も出かけるんですよ。それも各半日ずつという微妙さ。
私なら仕事優先で、両方とも諦めるかせめて片方だけ、にするだろうな、多分。
きっと彼も仕事がタイトになって、後で困ることになるんですけどね。自分で自分の首を絞めることになってもやりたいことはやりたいらしい。
なんにせよ、私にとって面倒くさいの壁は年齢のそれより厄介。ボルダリングのようなわずかな出っ張りもなく、分厚い、まるでこんにゃくのようにぐでぐで
していて、よじ登ろうとしてもこっちへのしかかってくるかのような、そんなイメージ。
そういう壁はぶち破ろうとしてもなかなか歯が立たないかもしれません。攻め方を考えて、本当のこんにゃくなら包丁でスパッと切って、とかね。
仮に一度なんとか面倒くさいの壁を越えたとしても、またすぐ次の壁が現れるでしょう。その都度もがきながら歳をとっていくんだろうな。
今週はまた予定が結構タイトになっております。明日は多分ブログは書けないし、畑に行く予定も。友人とのランチも来週中には行きたいので、連絡しなくちゃ。
そういえばランチのときには面倒くさいの壁は現れませんね。これが夜に出かけるとなると話は別ですが。