昨日は雨降りで、午前中は相方も不在(お茶のお稽古)だったので、一日中ぐ~たらしておりました。まぁたまにはそんな日もいいでしょう、って、毎日ぐ~たらじゃないのか?と言われそう。
昨日の記事の写真でお弁当を詰めたのは、根来塗の「きりだめ」という漆器です。
聞きなれないという方もいるでしょうね。これを義母が買ってきたときの私がそうでした。何それ?
はい、これ。
我が家にあるのは、大中小の3つ。これがふた同士できちんと重なるし、本体も同じくきちんと重なります。それぞれが入れ子と言えますが、ふたを重ねたものと本体を重ねたものはきちんとは
収まりません。でもある程度コンパクトにはなります。
本当にきちんと作られていて、感心します。
ふたはふたで、銘々盆のように使える、と添付された説明には書いてありました。とてもいいものだとは私も思っています。
いいと思っているのに、使いこなせない自分が悲しい・・・・・・
もっと日常的に使えるといいのですが、今までに使った回数はと言うと、多分片手=5回未満。それも使ったのは真ん中の大きさのものだけで、大と小は未使用のまま。
旅行のお土産に買ったのだったか、それともデパートの物産展か何かで買ったのかわかりませんが、こういうものが似合う家じゃない、ということを買った義母は理解出来ていなかった。
ではなくて、「欲しい!」という気持ちばかりが先行して現実を見失ったか。多分後者でしょう。
同じように、輪島塗の黒塗りのお盆があるんですけど、もったいなさ過ぎてなかなか使えません。
先入観もあって、こうした塗の入れ物には食べ物を、と思いがちだけれど、そうではなくて大切な「もの」を入れておくのに使っても間違いじゃないとは思うんです。
ではそこに何を入れるかと問われると特に何も思い浮かばない自分がいる。
ものは使ってこそ、という持論がありますが、そこはそれ、貧乏性と言いますか、大事なものを普段使いにするなんて、という気持ちがどこかにあります。
このきりだめ、義母が買ってきてから少なくとも30年くらいは経っていると思います。なのに使った回数が数回、なんて悲しすぎる。何かよい使い道を考えたり、ちょっと特別なときでも
いいので食卓に載せたいですね。近々結婚記念日なので、そのときの晩ごはんのときにでも出してみようかしらん?でも中身にも困りそうだな。